26.鉄の嵐
海洋帝国日本史
第四章:世界大戦と双頭の鷲(1900〜1918)
第五話:鉄の嵐(1914)
1.サラエボの銃声と、死のドミノ
1914年(大正3年)6月28日。
オーストリア=ハンガリー帝国領ボスニアの州都サラエボ。
オープンカーでパレードを行っていた皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻に、セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプが二発の銃弾を撃ち込んだ。
バン! バン!
この乾いた銃声は、欧州全土に張り巡らされていた「同盟」という名の爆弾のスイッチを押した。
「セルビアの背後にはロシアがいる。これを叩かねば、我が帝国は崩壊する」
激怒したオーストリアは、セルビアに最後通牒を突きつけ、宣戦を布告。
これに対し、同じスラブ民族の守護者を自任するロシアが「総動員令」を下す。
ロシアが動いたのを見て、オーストリアの同盟国であるドイツ帝国が、ロシアとその同盟国フランスに対して宣戦布告。
さらにドイツ軍が、フランスの隙を突くために中立国ベルギーを侵犯すると、これを理由に大英帝国がドイツへ宣戦を布告した。
わずか一ヶ月あまり。
誰もが「夏が終わるまでには勝って帰れる」と信じていた局地的な紛争は、オーストリア、ドイツ、ロシア、フランス、イギリスという列強を全て巻き込む、人類史上かつてない「世界大戦」へと転落したのである。
2.霞が関の静観と、三つの「眼」
地球の裏側、東京・霞が関。
ヨーロッパが狂気の大戦争に突入したという報告を受けても、日本帝国政府の首脳たちに焦りはなかった。
むしろ、冷水を浴びたように冷静であった。
「同盟国である英国からは、まだ正式な参戦要請は来ておりません」
外務大臣・加藤高明が、将軍・徳川家正と、首相・大隈重信(二度目の登板)に報告する。
「当面は『厳正中立』を保つ。遠い欧州の泥沼に、我が帝国の若者の血を流す義理はないからな」
家正の言葉に、大隈も深く頷いた。
「左様。むしろ、欧州の工場が全て兵器生産に切り替わる今こそ、我が国の製品をアジアや南米に売り込む絶好の好機(大戦景気)にございます」
しかし、軍事的な警戒を怠る帝国ではない。
帝国の「三つの眼」は、それぞれ異なる次元でフル稼働を始めていた。
一つ、内務省・特別高等警察局(特高)。
国内の治安維持を担う彼らは、全国の主要港や帝都の外国人居留地に監視網を張り巡らせた。
「欧州の戦争に乗じて、国内の社会主義者や労働組合が過激な行動に出るやもしれん。ロシアから流れ込む不穏な資金ルートを徹底的に洗え」
特高は、銃弾ではなく「思想」という見えざる敵の侵入を水際で防ぐ防波堤であった。
二つ、将軍府・秘密情報部(全世界型工作機関)。
彼らの主戦場は、スイス、オランダといった欧州の中立国、そしてワシントンであった。
「アメリカの動きを探れ。彼らは『モンロー主義(孤立主義)』を盾に静観を決め込んでいるが、いずれ必ず金と兵器の力で介入してくる。そのタイミングを計るのだ」
工作員たちは、外交官や貿易商に化け、各国の「戦争継続能力(金庫の中身)」と「政治家の本音」を盗み出していた。
三つ、国防総省・統合参謀本部情報総局。
純粋な軍事インテリジェンスを担う彼らは、欧州の戦場に「観戦武官」を送り込み、この新しい戦争の『実態』を克明に分析していた。
「欧州の将軍たちは、十年前に我々が奉天で実証した『火力の恐怖』を、全く理解していないようだ」
情報総局の将校たちは、ベルリンとパリから送られてくる戦死者の数を見て、青ざめながらも呆れ果てていた。
3.シュリーフェン・プランの崩壊と「鉄の嵐」
1914年8月。西部戦線。
ドイツ軍は「シュリーフェン・プラン」と呼ばれる壮大な作戦を発動していた。
巨大な右翼部隊をベルギー経由で大迂回させ、パリの背後を突いてフランス軍をわずか六週間で包囲殲滅する――という机上の空論である。
「祖国のため! 進め!」
赤と青の鮮やかな旧式軍服を着たフランス軍の歩兵たちが、ラッパの音と共に、ドイツ軍の陣地へと突撃していく。「エラン・ヴィタール(精神の飛躍)」――勇気と銃剣突撃こそが至高の戦術であると、彼らは教え込まれていた。
しかし、彼らを待ち受けていたのは、冷徹な「機械」であった。
ダダダダダダダダダッ!!
ドイツ軍の陣地に据え付けられたマキシム機関銃が、火を噴く。
一分間に五百発。
それは、かつて日露戦争で日本の三年式機関銃がコサック騎兵を挽肉にしたのと同じ、いや、それ以上の地獄の光景であった。
フランス兵は、敵の姿を見ることもなく、見えない鉄の暴風になぎ倒され、美しい軍服を自らの血と泥で赤黒く染めていった。
「マルヌの戦い」で辛うじてドイツ軍の進撃を食い止めた英仏連合軍であったが、両軍ともに「決定的な突破力」を持たないことに気づいた。
機関銃の射線を避けるため、兵士たちは地面に穴を掘り始めた。
最初はただの浅い窪みだったものが、やがて溝となり、複雑に張り巡らされた地下の迷路へと変貌していく。
スイス国境からイギリス海峡に至るまで、全長数百キロに及ぶ**「塹壕」**の完成である。
4.泥と有刺鉄線と毒ガス
塹壕戦は、戦争の概念を根本から変えた。
両軍の塹壕の間には「無人地帯」と呼ばれる荒涼たる空間が広がり、そこには無数の**「有刺鉄線」**が張り巡らされていた。
突撃を命じられた兵士たちは、重い装備を背負って塹壕から這い上がり、有刺鉄線に引っかかったところを、機関銃の十字砲火でハチの巣にされる。
これを打開するため、何千門もの大砲で何百万発もの榴弾を撃ち込むが、敵は地下深くに潜って耐え忍ぶ。
雨が降れば、塹壕は泥沼と化し、兵士たちの足は「塹壕足(腐って削げ落ちる病気)」に侵された。
さらに、1915年の「イープルの戦い」では、ついに悪魔の兵器が投入される。
**「毒ガス」**である。
黄色い塩素ガスの雲が風に乗って塹壕に流れ込むと、兵士たちは喉をかきむしり、肺から血の泡を吹いて窒息死した。
ガスマスクという異様な装備を身につけた兵士たちが、泥の中で銃剣を突き合う姿は、もはや人間の営みではなく、地獄の悪鬼の争いであった。
5.情報総局のレポート――「総力戦」の到来
東京・市ヶ谷の統合参謀本部。
情報総局から提出された分厚い「欧州大戦分析報告書」を読み、帝国軍の首脳たちは沈黙に包まれていた。
「一日で数万人が死傷……。狂っている」
陸軍の将官が唸った。
「大砲も、機関銃も、弾薬も、いくら作っても足りない。一ヶ月で消費される砲弾の量が、日露戦争全期間の消費量を上回っている」
情報総局の分析官は、冷厳な事実を突きつけた。
「もはや、軍隊の強さだけでは勝てません。この戦争は、前線の兵士だけでなく、後方の工場で働く労働者、資源を運ぶ船、そして国家の経済力そのものを互いにすり潰し合う**『総力戦』**です」
帝国は、島国である。
もし、欧州のような物量戦に巻き込まれ、南洋からのシーレーン(補給線)を断たれれば、いかに精強な帝国軍といえども、数ヶ月で弾薬と燃料が尽き、窒息死する。
「アメリカだ」
参謀総長は、海図の彼方を見つめた。
「今、欧州の国々に莫大な金と兵器を売りつけ、漁夫の利を得ているアメリカ。奴らがこの大戦の教訓を吸収し、その工業力を全て『軍事』に振り向けた時……我が国にとって最大の脅威となる」
6.大英帝国の苦悩と、極東への打診
その頃、ロンドン。
大英帝国は、予想を遥かに超える戦争の長期化と消耗に、悲鳴を上げていた。
欧州の西部戦線だけでなく、海においても危機が迫っていた。
ドイツ海軍は、強力な「Uボート(潜水艦)」を使って、イギリスへの物資輸送船を次々と沈める「無制限潜水艦作戦」の準備を進めていた。
さらに、太平洋やインド洋には、ドイツの仮装巡洋艦や東洋艦隊(シュペー艦隊)が出没し、イギリスの生命線である通商路を荒らし回っていた。
「王立海軍だけでは、世界中の海を守り切れない。本国の防衛(北海)に全力を注がねばならないのだ」
海軍大臣ウィンストン・チャーチルは、苦渋の決断を下した。
「東洋の同盟国に、支援を要請する」
1914年末。
駐日英国大使が、東京の霞が関を極秘に訪れた。
要求はただ一つ。
「帝国海軍の艦隊を、地中海およびインド洋、そして太平洋のドイツ領(青島・南洋諸島)へ派遣し、我々の航路を護衛していただきたい」
外務大臣・加藤高明は、恭しく、しかし腹の中では冷徹な計算を弾きながらそれを受け取った。
(来たか。ただの「お人好しの同盟国」として動くつもりはない。この火事場泥棒……いや、正当なる貢献への対価として、帝国は太平洋のドイツの遺産を根こそぎ頂く)
血みどろの欧州を遠く離れた極東で。
海洋帝国日本は、自らの覇権をさらに拡大するための、最も効率的な「戦争への介入方法」を決定しようとしていた。
(第四章 第五話 完)




