第4話 最強の不良
-恐怖-
それはほぼ全ての生物に共通で備わる本能。
無論人間も例外ではなく、
対象や程度に個人差はあれど
全世界の老若男女が持ち合わせている。
進化の過程で"生き残るため"に備わった野生の感覚。
言わば、恐怖とは脳から発信される
「アカン、死ぬ!」の警告なのである。
笑太は1つずつゆっくりと
五感を取り戻しつつあった。
アスファルトが冷たい。
錆びた鉄の味がする。
耳鳴りが煩い。
眼前が霞む。
匂いは?
残念。止めど無く流れ出る血で塞がれ、
鼻腔だけは充分に機能していなかった。
彼の脳は今、けたたましく警告を鳴らしている。
それは瀕死の重症を負わされているからだと思っていた。
しかし違った。
たしかに先程の負傷も恐怖の対象ではあるのだろう。
むしろ直接的な生命の危機という点においては、
こちらの比重が大きいのかもしれない。
だが視力を取り戻すに連れて、ぼやけた視界で、
心臓が早鐘を打つ本当の理由を理解した。
「おう、誰かと思えば岌克じゃねぇか。
お前なんで全裸なの?」
とどめ刺の一撃として振り上げられた、巨大な右拳。
その手首を、更に大きな左拳が握りこんでいる。
今しがた乱入してきたこの異分子が放つ、
"尋常ならざるプレッシャー"に反応し、
全細胞が危険信号を発していたのだ。
「...その手を離せ、"金栗 圧士"ッ!」
「久しぶりに会った先輩に対してタメ口で命令かよ。
そんなんじゃ社会でやっていけねェぞ?」
その口ぶりに悪意や敵意は感じられない。
純粋に後輩の将来を心配しているような声色だった。
それなのになぜ、この瞬間も我々は、
こんなにもこの男を恐れているのだろう。
「まあ、離してほしいなら自分で抜け出せよ。」
「ッ!!!」
ゴッ!!!!
瞬間、低く鈍い音が響く。
さながらそれは岩石同士の衝突のようで。
(マジ...かよ......)
どう考えても、
生身の人間の拳と顔面が
ぶつかり合う音ではなかった。
「オ、オオォォォ!!!!!」
続けざまに岌克は拳を振りかざす。
何度も何度も何度も圧士の顔面を撃ち続ける。
その間、圧士は微動だにせず直立していた。
バチィン!!!
もう何度目かの打撃音の後、不意に音が変化した。
「永ぇよ、いつまでかかってんだ。」
己の眼前で拳を受け止め、
何事も無かったかのように説教を続ける。
「あと五月蝿ぇ。ご近所迷惑だろうが。」
そう言って圧士は、岌克の左拳を握り潰した。
「があああぁッッッ!!?!?」
「だからうるせぇよ。」
「あ、ありえない...ッ!
我輩の拳は鋼鉄より硬いのだぞ...!!!」
「へぇ、じゃあ鋼鉄って意外と柔らかいんだな。」
この時まで全く敵意を見せなかったこの男に、
なぜ恐怖を覚えるのかが今、理解った。
我々に対して敵意を隠していたのでは無く、
そもそも敵とみなされていなかったのだ。
彼から見たら、全員ただの蝿だったのだ。
こちら側がただ一方的に敵意を示し、威嚇し、
勝手に敗北した気になっていただけなのだ。
勝負なんて、して頂いていないのに。
勝てるわけが無いから。
だから、恐かったのだ。
「いいか?顔面狙うならな、一撃で仕留めろ。」
握り潰した拳を手放し、
空いたその手はゆっくりと岌克の顔へと向かう。
「や、やめろ...!」
「やめない。」
その手は止まらない。
「やめ...やめてください...ッ!」
「敬語でお願いできるじゃねぇか。
最初からそうしろよ。」
指が前髪を掻き分ける。
「ごめんなさいィ!!!許してください!!!」
「うーん。」
顔面の上半分を右手が包み込んだ。
「嫌だね。」
「あ゛あぁーーーーーッッッ!!!?!?」
絶叫が響く。
笑太は見ていられなかった。
自分をあんなにも圧倒していた巨漢が、
赤子のように弄ばれている。
生殺与奪を完全に握られて、情けない姿を晒されて、
尊厳を握り潰され、懇願も虚しく殺される。
こんなに酷いもの直視できない。
そう思い思わず目を伏せた。
耳も塞ぎたかった。でも身体が動かない。
防ぎようが無い悪夢に備え、身構えていた。
ピチチチチチ......
(は?)
予想と反した音が聞こえた。
てっきり"果実が弾ける音"がすると想定していたのだが、
これはどう考えても"石に水が垂れる音"。
(どうなってんだ...?)
おそるおそるうっすらと目を開け見上げると...
顔面を圧士に掴まれて気絶した岌克が失禁していた!
しかも笑太の顔面に飛沫がかかる距離で!
『汚ェ!!!』
"殺されてなかった"という安心感と、
小水へのシンプルな嫌悪感で、
緊張から解かれた笑太は反射的に飛び起きた。
「ははは!おいシズ見てみろよ、
ゲラドクロさん元気じゃねぇか!」
「良かった、生きていたのですね...」
静芽はホッと胸を撫で下ろす。
「当たり前だ、あの程度で死ぬわけ無いだろ。
なあゲラドクロさん!」
圧士がやけに馴れ馴れしい。
先程までの威圧感はどこへやら、
今の彼は、ただの少し大きすぎるだけの青年だった。
イける。ゲラドクロは確信した。
『あ、ああ!その通り、私は大丈夫だよ!
それにしても助かった、どうもありがとう!』
キャラがブレすぎなどと言っていられない。
あとは「では、サラバ!」とでも言い、
いち早くこの場を立ち去りたかった。
『も、申し訳ないが私はまだ仕事を残している!
ここはキミに任せて失礼しゃせていただくよ!』
少々鼻から出血しすぎたのだろうか、
足元と呂律がおぼつかない。
ふらつく足で踵を返したその時。
「おい、待て。」
背後から声をかけられた。
圧士の声色が戻っている。
全身の血が冷たくなっていく。
もう限界だった。
「お前"誰"だ?」
この一言が最後の一押しだった。
緊張と失血が、許容量を越えてしまう。
「あぁっ!?」
「えっ。」
ついに笑太は、意識を手放してしまったのだった。




