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白の賢者と第四白波学園事件5

「っ……!!」


 もう何度目だろうか。

 炎と冷気の激しい衝突が止み、白葉は再び膝をついた。


 ほぼ無尽蔵に近い魔力量を誇る白葉だが、魔法を使用するということはつまり、魔力を消費すると共に、莫大な情報の塊であるその儀式を処理し続ける為の体力も消費するということを意味する。

 彼の体力は限界を迎えつつあった。


 だが、それは相手も同じだ。


 白い霜に覆われた黒絃も、肩を上下させながら荒い息を吐いている。


 だが、そんな中でも黒絃は常に薄い笑みを称え続けていた。


「マサヨリ……俺の相手を続けるのはいいが、いつまでもこうやっていてもいいのかい?」


 立っていることさえままならない筈の彼は、実に楽しげな声音で言い続ける。


「俺がここへ何をしに来たのか……君はまだ分かっちゃいないだろう?」

「……なに、言ってやがる……」


 気力のみで二本の足に力を込め、白葉はやっとのことで立ち上がった。


「フフ……まあ、ここで話してやるのもつまらないか。時が来れば分かるとだけ言っておこうかな……。まあ、それも……そう遠い話じゃない」


 そこまで言うと、黒絃は指を鳴らした。

 途端に白い冷気が太い柱のように吹き上がる。


「ぐ……!?」


「また会おうじゃないか、マサヨリ?今度はもっと楽しい舞台になるはずだからさ……!!」


 白い嵐に塞がれた視界の中で、彼の気配が消えていく。


「待て……イサナ!!」


 白葉がやっとのことその絶対零度の渦をかき消すと、そこに黒絃イサナの姿はなかった。


 代わりに、そこには縦穴の中央から天に向かって聳えるような、巨大な螺旋階段が登っていた。


 白葉の耳が、思い出したかのように囚人たちの声を聞く。

 興奮に満ちた歓声だ。


 地獄から脱け出す道が、目の前に一瞬にして築かれたのだ。


 そこへ、天から降り注ぐような声が響く。


『さあ、登れ。俺がお前たちに本物の自由をやるよ。欲しければ着いてこい、見たこともないようなものを見せてあげよう。』


 囚人の群れはまるで何かにあてられたかのようにその声へと手を伸ばす。

 黒の賢者、黒絃イサナの声へと。


 我先にと互いを突き飛ばすようにして、純白の階段を登っていく灰色の人の波。


 白葉はその光景に膝をついた。

 地獄の門が、一瞬にして破られたのだ。


「くそっ!」


 奴が何を企んでいるのかは分からない。

 だが、また数えきれない程の命が奪われる。それだけは理解できた。


 ここで、自分が止めなくてはならない。


 悲鳴をあげる肉体から、気力だけで力を絞り出す。


 黒絃イサナの魔法を破壊する、そのイメージを作り出すのだ。


 しかし、視界がぐらつきまた両手が地面につく。


 乱れた心音が鼓動を打つ度に、熱を帯びた頭痛が走る。目は霞んで、まるで深い霧の中をさ迷うように意識も定まらない。


「賢者!!」

「っ!?」


 背中にぶつかった言葉に、失いかけていた意識がすんでのところで覚醒した。


「マガリ……?」

「おい、どうした賢者!?」


 いつの間にかそばにいたマガリが、白葉の顔をのぞきこんでいた。


「マガリ……探し物はどうした……?」

「見つけた!お前のとこのゴーレムがさっさと見つけてくれた!」

「そう……か」


 白葉はふらりと立ち上がり、再び氷の螺旋階段に向き合う。


「マガリ……よく聞け。俺はこいつをどうにかしなきゃ……」

「ふざけんな!そんな格好して、無茶もいいところだろ、よせ!」

「だが……」


 そこで、頭の中で何かが焼き切れたような感覚が走った。

 視界が反転して大きく揺れる。


 音が聞こえなくなって、世界が暗くなっていく。


「おい!どうした、賢者!!返事しろ!」


「……マガ、リ……」


 その言葉を吐いたのを最後に、白葉は意識を失った。





 夢を見た。


 もう、ずっと昔の夢だ。

 全てが始まったあの夜。



 崩壊した研究所。


 瓦礫の中で、血に染まった彼女が手を伸ばす。

 横たわった地面には既に致死量以上の血が流れている。


 胸に空いた大きな穴。

 白葉を庇ったその傷からは、既に血が流れていない。


「マサヨリ……」

「ナギ!おい、ナギ!」


 呼び掛けたところで、彼女の死が避けられないことは理解している。

 だが、それでも呼ばずにはいられなかった。


「せっかく……結婚までしたのに……短かったね?」


 細くなっていく息の間から聞こえる声は、今にも消えてしまいそうだ。


「マサヨリ……そういえば、覚えてる……?」

「……?」

「今日で、ちょうど一年なんだよね……結婚記念日ってやつだよ……。全く……記念日を忘れる男は……嫌われちゃうぞ?」

「うるせえ……忘れてるわけなんてないだろうが……!」


 あまり夫婦らしい生活を送った記憶はないが、だからこそ忘れてはいなかった。

 こんな日くらい、彼女に何か贈ってやるつもりだった。


 だが、そんな日の晩にこの事件は起こってしまった。


 そんな白葉に、彼女は笑った。


「全く……あんたって、昔から準備が悪いわよね……。私は……もう一ヶ月も前から用意してたってのに……」


 そういうと、彼女の手に何かが現れた。

 一冊の日記帳だ。


「……これから、あんたは永遠にこの時間を繰り返す。……もしあんたが自分を忘れそうになったら……この日記帳を開いて……。そうすれば……過去の自分や、未来の自分が……きっと助けてくれる……」


「なにを言ってるんだ……おい、ナギ!」


「……最後まで頼りない男……まあいいわ。それが私の最高に愛した白葉マサヨリだから。」


 そう言うと、彼女は小さく呪文を唱えた。


 そして最後に、彼女は白葉へ短くキスをした。


「さよなら……負けないで、マサヨリ」




「……っ!?」


 目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。


 身体中に包帯が巻かれ、手首からは点滴の管が延びていた。


「……」


 白葉は無言でそれらを剥ぎ取る。

 包帯の下から現れたのは、傷ひとつない自分の肌だった。


 あの夢。正確には夢ではない夢。


 あれは、確かに昨晩の自分に起きていたことだった。

 だが、同時に白葉の中にはマガリと共に黒絃イサナと戦った昨日の記憶も存在する。


 白葉は、いつの間にか枕元にあった日記帳に触れた。


 裏表紙に添えられた、彼女の筆跡。


『貴方が貴方を見失わないように。』



 白葉の不死の原理は『時間の巻き戻し』だ。

 黒の賢者、黒絃イサナの『終わりの無効化』とは違う。

 毎晩、午後12時に白葉の肉体は全てが始まったあの夜の自分へと巻き戻る。


 白葉ナギが、死ぬ間際に白葉マサヨリへとかけた魔法であり、本人の意思に関わらず発動し続ける呪いだ。


 その証拠に、彼の頬には毎朝彼女のつけた血の跡が残っている。


 故に彼は老いることもなく、命を落とすことさえなければ次の日には元通りの体となっている。


 この日記帳は、そんな自分を『現在』という時間に結びつけるための魔道具だ。


 時間が巻き戻るということは、それまでの記憶も失われるということだ。


 この日記帳は所持者の記憶を常に記憶し、開いた者にその記憶を提供する。


 毎朝昨日までの自分の記憶を日記帳から得ることで、彼は『今』を生きることができている。



「マガリ……」



 白葉は呟くと、病室の部屋着から壁にかけられていた自分の服へと着替えた。


 昨日は気を失ってしまったので、それ以降の記憶がない。

 ここがどこの病院なのかも、マガリがどこへ行ったのかも。


 白葉は病室を出て、広い病院の中を歩き回り始めた。

 こうしているだけで、白葉にはここの人間の記憶が見える。

 つまり、ここが何処なのか、昨日なにがあったのかもわかる。


 幸い、無傷の姿で普段の格好をした白葉を患者だと思う者はおらず、病室に戻されることもなかった。


 三分ほどでわかったのは、ここは警察庁対魔法科の傘下にある病院施設であるということ。

 そして、マガリはここにはいないということ。


 そうとわかれば、ここに用はない。


 病院を出ようとしたその時には、流石に呼び止められたが、それを魔法で黙らせて白葉は外へと出た。


 まず向かったのは対魔の事務所のある本庁だ。


 手続きの時間さえ魔法で短縮し、彼は事務所のある階まで足を運んだ。


 ここの人間なら、情報を持っているはずだ。


 しかし、そこにたどり着く前に白葉は既に大まかな情報を掴みつつあった。

 歩幅が広がり、歩調が荒くなる。


「どけ……クソッ!」


 いくつも頭の中に飛び込んでくる記憶。

 全てが同じことを指していた。

 怒りで目の奥が熱くなる。


 廊下を行く職員を肩ではね除けながら、白葉は見慣れた扉をノックもなしに開けた。


 突然音を立てた扉に、室内の視線が集中する。

 その中で白葉は声をあげた。



「"答えろ"……マガリはどこだ!?」



 無意識の支配が辺りを静まり返らせる。


 やっと白葉の前に現れたのは紫崎という男だった。

 髪を後ろに撫で付けた眼鏡の男で、無駄に立派なスーツを着込んでいる。


「これは、白の賢者さま。そろそろおいでになるかと思っていましたが……予想より一時間ほどお早く」


 あからさまに惚けた様子を作った男に、白葉はその胸ぐらを掴み額を叩きつけた。


「マガリは、どこだ!?」


 間違いない。この男はマガリが行方を絶ったことに関わっている。

 すると紫崎は肩を竦めて笑った。


「ああ、あの犯罪者のことか。

 ……彼女なら、脱獄者に代わって『地獄の縦穴』に」


 角縁の眼鏡の向こうで、細い目がニヤリと笑った


「!?」


 その瞬間、白葉は紫崎の記憶からすべてを理解した。







「マガリ!」


 モニター越しに見えたマガリの顔に、白葉は身を乗り出した。


 所々魔法も使って、なんとか面会までは許されたが、それでもこれが限界だった。


 真っ白な部屋で、手を後ろに回されたまま椅子についたマガリは決まり悪そうに笑った。

 だが、右頬の痣が痛んだのか少し顔を歪めた。


『いててて……あんまり面白い顔するなって。マガリさんほっぺ痛いのよ。』


「何があった!?俺が寝てた間に……くそ!!」


 モニターを殴った白葉に、マガリはやれやれと頭を振る。


『そうカッカするなって……。ちょっとした冤罪事件よ。珍しくもなんともないね。刑務所やぶりの主犯だと。……なに、マガリさんは嫌われ者だからね……』


「あの紫崎とかいう男か?」


『ん?あぁ、あの会議で恥かかしたあれか。あれも噛んでるって?

 ……う~ん、心当たり多すぎて誰の陰謀なんだかね。』


 何でも無さそうに笑うマガリに、白葉は舌打ちをして握った拳に視線を落とした。


「すまない……俺のせいで。」


『いやいや。結構殴られた以外は何ともない。』


「……。」


『大丈夫、一応単独犯ってことにしといてやったよ。まだ賢者は自由にやれる。むしろ大変なのは賢者でしょ?』


「……。」


 白葉は視線を落としたまま、その声だけを聞いていた。

 若干だが、マガリが脇腹を庇っているように見えた。

 いや、それ以外にも全身傷だらけに違いない。


「なんで俺の名を出さなかった……?」


『うん?』


「俺の名を出せば……少しは軽くすんだだろう。そこまでやられることはなかったはずだ。」


『やだなぁ。賢者ったらマガリさんとおんなじ檻に入りたかったわけ?なんなら言ってくれれば良かったのに。」


「……」


 白葉は歯を食い縛ると、やっとのことで落ち着いた。


『そういえばさあ』


「……なんだ?」


『アレ、アレよアレ。』


「アレ……?」


 恐らく、ここから盗み出した物の事だろう。


『盗ったのはいいけど……まだセッティングに時間がかかる。手元にあるから、時間さえあればどうともなるけど……』


「おいマガリ。聞かれてるんだぞ?後でまた殴られても知らんぞ?」


『そんときゃそんときよ。』


 マガリはまた笑うと、大きく欠伸をした。


『ふあ~……あぁ、ここのおっさんたちはお昼寝も許してくれないから……マガリさんちょー眠くってねぇ。寝不足は美容の敵だってのにさ。』


「……。」


 白葉は意を決したように立ち上がると、モニターに向かって言った。


「必ず出してやる。だから、待ってろ。」


『おうおう、頼もしいねぇ。また惚れちゃいそうだよ。……あ、もう惚れてるから無理か?』


 面会にはまだ時間が残っている。

 白葉は残りの時間のぎりぎりまでマガリと会話を続けた。




 マガリが拘束されたのは、何も彼女の対魔内部においての立場だけの問題ではない。

 白葉はそう考えていた。


 黒の賢者の存在が、明らかに隠ぺいされようとしている。


 今に始まった話ではない。

『歯車計画』が終了となったあの日から、ずっと黒の賢者の存在とそれに関わる事柄の全てが秘匿とされていた。


 白葉が未だひとりで彼と戦い続けているのもその理由のためだ。


 この件に関しては、単純な話ではないだろう。

 魔法に関してはトップレベルの技術を誇る日本は、裏では他国から常に目の敵にされている。


 その他にも、数々の要素からこの計画の失敗を表に出すことはできないのだ。


 だが、そんなことはこの際どうでもいい。


 今は、黒絃イサナの企てを把握し、阻止しなくてはならない。


 集めた囚人たちになにをさせるのかは想像にやすい。

 自らが『殺人』を封じられる彼は、他人を利用することでこれを克服している。


 ひとつ騒ぎを起こせば、白葉マサヨリを誘き寄せられる。

 向こうにとって有利な状況で白葉マサヨリを始末できる。


 そのためなら彼は手段を選ぶことをしないだろう。


 とにかく、大量殺人やそれに繋がる行動に出るはずなのだ。

 だとしたら、何処をどう襲うか。


 それを一人考えるだけでも、時間は無情にも過ぎ去っていく。

 その間にも黒の賢者は着々と準備を続けている。


 マガリのいないマンションの一室で、白葉はぼんやりと宙を眺めていた。


 不思議だ。

 はじめは頭痛の種でしかなかった彼女が、今では自らの一部のようであった気さえする。


 何かが抜け落ちてしまった穴が、大きく口を開けている。


「……これが嫌だったんだよ……」


 指輪の無くなった薬指を眺めながら、白葉は一人呟いた。

 お互いがお互いを利用し合う、使い尽くしてすり減れば互いに捨てる、そんな関係で満足なはずだった。


 なのに、気がつけばこうなっていた。


 お陰で、永遠に繰り返される『昨日』と全く同じ図をもう一度なぞろうとしている。


 頭の裏側で、たった一年間の伴侶の死が再生される。


「……もう、たくさんだ」


 呟いたのと同時だった。

 突然、周囲の人間の意識の波が一気に乱れた。

 いや、この感覚は周囲というレベルではない。


 日本全土、そのレベルでの精神的ショック。


 それを生み出すだけの何かが起こったのだ。


 集団の意識をここまでシンクロさせる情報媒体と言えば、ほぼひとつだろう。


 慌てて点けたテレビ画面に映ったのは、番組表にはないニュース番組。どこのチャンネルを回しても、煙をあげる大きな建物と高い氷の塔が何度も画面に映し出されている。

 緊迫の面持ちで原稿を読み上げるニュースキャスターの下のテロップに刻まれた文字。


『第四白波学園』


 ーー来たか。


 思ったよりも、冷静だった。

 いや、安堵していたのかもしれない。


 今なら、一人で戦える。


 もう、隣で誰かが命を落とすことはない。


 白葉は無言で立ち上がると、亡き妻に結婚前のクリスマスプレゼントとして贈られたコートを着ようとし、だが袖を通すことなくその場に置いた。


 マガリの部屋にそれを残したまま、彼はシャツの襟を正して表へと出た。


 風が少し冷たい。

 だが、それでもいい。


 白葉は一人で現場へ向かった。

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