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白の賢者と第四白波学園事件1

 雛由マガリ

 凄まじい女であった。そう記憶している。


「んちゅう~……れろれろ……っんちゅうぅ……んまっ!」


「……。」


 出会ってほんのコンマ五秒後の出来事だ。

 角を曲がり、会議室に通され、そしてドアが開いて、彼女を視認する寸前。


 キスをされた。

 さんざんに舌を突っ込まれて。


「……。」


 白葉マサヨリは絶句する。

 そしてそんな彼に、おかしいくらいすこぶる美人の雛由マガリはキラキラした目で問いかけてくるのだ。


「ね、どうよ賢者さま?今わたしが何したかあててごらん?うん?」


「……。」


 白葉は数秒黙り、状況を整理する。

 そして口にする。


「警視庁本部対魔法犯罪科の会議室より。みんなきっちりスーツ着込んだ中で何故かたった一人Tシャツデニムのとびきり美人が、いきなり出会って0.5秒の既婚者相手に、どアツいディープキスをお見舞いした。か?」


 白葉マサヨリは凄まじく迷惑そうな顔で息継ぎなしに言い切った。

 すると彼女は何がおかしいのか、いきなりの奇行にまだ立ち直れていない周りを忘れ盛大に笑い始める。


 幾分か笑いを腹の底に押さえ込むと、細めた目に何処か失望したような色を見せる。


「あっはは……そうかいそうかい、賢者もその程度か。なら、種明かしを……」

「いらん、黙れ。」


 その瞬間に、絶対零度のその場の空気が更に殺傷力のあるものを含んだ。


 なにがどう彼を刺激したのだか、白葉の目付きが切れ味を増したのだ。

 どこかしら火でも着いたように、白葉は早口でまくし立て始める。


「今のは魔法だ。お前は俺に魔法をかけた。

 単純に言うと認識干渉、俺の使う一定の魔法に影響を及ぼす。たぶん『賢者の目』の対策かなんかだろう。俺がそれを使おうとすると、自動的にその対象がずらされて俺はお前の頭が割れない。

 そんな魔法をお前はあの凄まじいキス攻撃に混ぜて俺にぶちこんだわけだ。

 キス、つまり接吻は魔法的にもかなりの意味合いを持つ。口とは外世界と内世界の出会う最も広い門であり、それを付き合わせることは相手との間に深いリンクを生み出す。相手の内部まで儀式、魔力を浸透させるのにぴったりだ。それになんといってもインパクト抜群、お前みたいな美女がしてくれようもんなら尚更な、そういう猫だまし的効果もある。

 古典魔法ではよく暗殺なんかに使われる手だ。

 どうだクソガキめ。」


 室内がしんとする。

 このまま放置したら、蛍光灯がひとつふたつ弾けて降ってきそうな雰囲気だ。


 だがそんななか、一人の女だけが恐ろしい程の興奮度で拍手をしていた。


 もちろん、吹っ掛けた彼女の他にいない。


「エッーークセレント!!

 本当、あれ昨日結構な夜更かししてまで編んだのに?今の一瞬で気がついたの?さっすが、賢者さまってばすごいね!マガリさん感激!」


 きゃーきゃーと喚きながら白葉の手をムリヤリ握ると、ブンブンそれを振り回す。

 そんな彼女に、白葉は呆れることさえ忘れていた。


「あれを夜更かしって……お前こそ何者だよくそったれ……。」


ーー俺でも一時間は考え込むぞ


 とは言わなかった。

 だが、ここまで手の込んだ歓迎を受けては、男、白葉マサヨリもただ黙って迎えられる訳にはいかない。


 突然手を伸ばして、頬を真っ赤にして跳ね回る彼女を捕まえるとくいっと顎を持ち上げた。


「わっ、ちょっ……」


 極至近距離で視線と視線がぶつかる。


「お返しだ小娘」


 白葉が耳元をくすぐるように囁く。


 キスをした。

 彼女がしたように、思いっきり舌を入れてキスをした。


 周りが呆気に捕らわれるなかたっぷり十秒は続けると、何故か更に目をキラキラさせるマガリをトンと突き放す。


 そして、どういうわけか胸を張って見せる。


「どうだ、ビビったか?」


 自慢気な一言を添えつつ。


「うをっ、すっげええーー!!

 今の一瞬で編んだの、賢者さま!?え、うわ……ええ!?」


 何がどうしたのか、更に興奮して跳ね回る雛由マガリ。

 もはや完全に空気と化している他の職員たちの事など知ったこっちゃないと言わんばかりに。

 マガリはそのうちの一人を捕まえると、腕を振り回す。


「反対式!反対式だよ、今私があの人に打ち込んだ式の反対式!

 今のチューで打ち込んで来やがったよあの人、ね!!

 まさか一瞬で編んじゃうなんて、もうこの式あの人に効かないじゃあん!ショックだけど、わあ、すっごい!そっそるぅー!!」


 早くもあの『キス攻撃』の対策を立てられた様子。

 どうやら魔法に魔法で返されたのがそんなに嬉しいらしい。

 マガリは更に三分は発作が起きたようにはしゃぎ回り、それが治まるとやっと本題に移った。





 確か、これは15年ほど前の話だ。

 白葉マサヨリがまだ自由を利かせていた頃。

 第五白波学園が存在しない頃。

 まだ、第四白波学園が存在していた頃。


 史上最悪規模と称されたテロ《第四白波学園事件》

 雛由マガリが、その首謀として上げられるまでの話だ。


 白葉マサヨリが呼び出されたのは、都内の警視庁本部。

 対魔法犯罪科の対策会議室だ。


 二級捜査官から特別捜査官まで、位も結構な連中の中で白葉マサヨリは堂々と脚を組んでいた。


 それにしても、あのキスにキスを返す混沌からよくここまで建て直す奴らである。


「……以上です。何か質問は?」


 そんな白葉の関心は露とも知らず、その男はモニターに提示された数々のデータを括って閉じた。

 皆が頷く、もしくは拍手する。


 おそらく、近年過激化するゴーレムによるテロを想定した、屋内警備の新プランなのだと思う。


 だが正直、白葉マサヨリはうんざりしていた。


 ここの特別顧問をやらされて早いこと三年。

 いい加減指摘するのも面倒な程、彼らの打ち出す案は穴だらけに見えた。


 それもそのはず、彼は『賢者』と呼ばれる人間だ。

 もう何十年も昔にその血の途絶えた現代魔法の創始者たちの一人にして、今ではたった一人の『天外魔法』の使い手だ。

 器具にも頼らず、供物にも頼らず、簡単な呪文発音と脳内処理のみで魔法が使えてしまう。


 数式や言葉ではなく、ただのイメージを持って、魔力を支配することができるのだ。

 説明のつかない現象も、もはや何が起こっているのかさえ常人には理解できない程の現象も、彼は指先ひとつで生み出せる。


 そして、全てを理解できてしまう。


 だからこそ、彼らのやっていることが子供の遊びのようにさえ見えた。


「……はいはい、七十点。」


 だが、それでも頷くしかないのだ。

 どうせ彼らには伝わりはしない。


 彼らは自分のように魔力の真意を理解はできないし、故に白葉が唱えようとすることも理解できない。

 だから、こちらからでは助言のしようがない。


 もはや、次元が違うのだ。

 この温度差が何よりもの証拠だ。


 今日も下らない議論が幕を閉じる。


 そんな時だった。


「あのぉ、ね?ムラサキ~なんだこりゃ……さん?」


 手ではなく、脚が上がった。

 もうどんなもん食ったらそんなすべすべで柔らかそうでそれでいてしっかりした、長い脚が誕生するのかと言いたいほど綺麗な脚が上がった。


 会議室が静まり返る。


 何故か長いデニムのパンツを膝までたくしあげた雛由マガリが、とにかくつまらなさそうにしていた。


 男何名かが目を奪われる中、モニター前で発表していた男が怒鳴り寸前のような声を発した。


紫崎(シザキ)だ!あと、なんだその脚は、雛由!」

「あ、いっけね間違えた。ちょいとむくんでましてね、美脚マッサージを。」


 白葉が読むまでもない、とてもつまらない嘘だった。


「と……とにかく仕舞え!」

「あいあいごめんねっと……」


 マガリが脚を下ろすと、何名かが安堵、何名かが残念そうなため息。

 その場が落ち着くと、マガリは台に肘をついた。


「あのさ、これおかしいと思わない?」

「おかしい……とは、なんだ?」

「いや、配置よ配置。さすがにこれは駄目だと思うな。」


 その発言に、白葉は思わず目を細めた。


ーーほう


 口には出さずに、感心。


「"駄目"だと?」


「そうそう、何よこの探知魔法とゴーレムの並べ方。どうかしてるって。」


 マガリは椅子から飛び上がると、一気に紫崎一級捜査官の目の前に飛び降りた。


「……!?」

「ハロー、凡・人。

 マガリさんにかわりな?」

「……ぐ……!」


 その挙動全般に会場の空気は一気に悪くなる。

 遂に椅子が誰かが鳴らした。


「おい、雛由!下らない遊びなら……」

「下らないって?なにそれこの会議室のこと?あら、分かる男ねフジタニさ~ん?」


 マガリはそれこそ怖いものなしと、粘着質な声で答える。

 対する声は直ぐに怒気を滲ませた。


「私は藤沢(フジサワ)だ!」

「おっと失礼フジサキさん。

 大丈夫、ちょっと意見するだけ。」


 マガリが指を鳴らすと、その手の中に一瞬で光の棒が現れる。


 どよめきが起こるなか、白葉はにやりと笑っていた。


「……ほう、簡単な物質化ならデバイスいらずか……」


 それを聞いてか聞かなくてか、マガリはそれを指し棒にモニターをつつく。


「まず、この探知魔法。これ普通の赤外線探知機に変えてよし。

 そうしないとジャムる。年に二回は派手に誤動作するね。マガリさんは三千円を賭けます。」


「な、なぜだ!?」


「なぜ?あー、凡人さんのフジオカさんは分かんないかー、ごめんねテヘペロ。」

「藤沢だ!」


 男を怒鳴らせて楽しむと、マガリは指し棒をふりふり、そして時おり白葉に視線を向けながら解説を始める。


「まず……探知魔法の儀式のA2部『sig-aaa36blankX5』は、このハウンドタイプのゴーレムの駆動式『=ar288*C6』を通る魔力の起こすノイズに弱くて……」


 白葉はその口からぺらぺらと出てくる儀式や改善案に頷く。

 これは、もしかすると自分よりも説明がうまいかもしれない。

 なにより、この説明なら魔力の質を理解できない人間にでもある程度は伝わる。


「……てな感じ、かな?とにかく、このゴーレムと魔法の組み合わせは駄目だって。ゴーレムの格納場所をもっと遠ざけるか……ああ、それじゃ意味ないから……いっそ駆動式に『=ar288』を含まないマリオネットタイプのゴーレムにするとか。探知魔法捨てて別の探知機に変えるとか。そうしなきゃダメ。」


 以上です、とマガリは紫崎の口調を真似て言った。

 だが会議室の険悪さは増す一方だ。

 プランを出した紫崎が食いかかる。


「そんなのデタラメだ!屋内でのハウンドの性能はゴーレム内ではトップ、それを変えるなど!それに、魔力のノイズだと?儀式からの魔力の漏洩による影響は未だ研究段階だ。存在さえきちんと定義されていないだろう!」

「なに、ノイズは無いってこと?

 ばっかでぇい、あるもんはあるよ。それともムラサキさんには聞こえなかったりする?

 さすがは凡人。」


「雛由!黙っていれば貴様は!」


「ハイハーイ?なに、マガリさんに喧嘩売りますかフジサワさん?あ、いっけね間違えるの忘れてた。」


「お前!!」


「"黙れ"!!」


 白葉の声が、全員の意識を縛り付けた。

 全員がその異常に気が付く。


 その一喝で場静めた白葉は、テーブルに肘をつく。


 これも立派な古典魔法だ。

 声により、相手の無意識を支配する。

 よって、この場において発声が可能な人物は白葉のみ。


 そのはずだった。


「……あ、あらあ……けんじゃ……さまぁ?」


「……!?」


 思わず目を疑う白葉。

 その表情に、マガリはにやりと笑った。


「あんがい……ちょろぃ……ねえ。

 はん、たいしき~……でぇきぃたっ……と!」


 空気が割れるような錯覚に続き、全員が咳き込んだ。


「げほっ……こ、これは!?」

「何をした……雛由!?」


「私?ああ、マガリさんは何もしてないよ?賢者さまに魔法を打ち消してやったのさ。私の勝ちよ、いえい!」


 白葉に向けて勝ち誇ったような笑みを突き付けるマガリ。

 暫く呆気にとられた白葉だったが。


「ふふ……」


 思わず吹き出した。

 笑うしかなかった。

 まさか、こんなにできる奴がこの時代に現れるとは、と。

 白葉は立ち上がると、指をひとつ鳴らした。


「俺、白葉マサヨリは《雛由案》を推奨する。以上。」





「ちょいちょい、賢者さま」


「……。」


「賢者さまってば」


「……。」


「ねぇ~、賢者さまってばぁ~」


「あぁうるせぇぇぇ!!"黙れ"!!」


 テーブルにコーヒーカップを叩き付けながら、白葉は耐えきれずにぶちギレた。

 本部から離れて暫くの喫茶店。

 天井から吊られた証明が細かく揺れる。


 白葉の周りをちょろちょろと動き回っていたマガリは機嫌良さげにVサイン。


「ハイ効きませーん、マガリさんの勝ちですー。」


 声に込められた魔法は易々とブロック。

 三回目にしてもうこの精度である。

 学習が早いといったレベルではない。


 白葉はイライラとコーヒーのおかわりを頼んだ。

 店の客共々、"何も気にしないように"と命令した店員は、何事もなかったかのようにカップにコーヒーを注いだ。


「で、お前ここまでなにしに来た。雛由。」

「なにってさぁ、寂しいこと言わないでさね~賢者さま。」

「あぁ……死ぬほどウゼェ……!!」


 魔法でカップを硬質補強していないと、そのまま取っ手を握りつぶしてしまいそうだ。

 そんな白葉にマガリは舌を出して見せる。


「まあまあ、そんな顔しないでってば。ちょぉっとコーヒー奢ってってだ~けっ、ね!」

「ふざけんな、帰れ帰れ!」

「んもう~、さっきはあんなにチューしてくれたのに~……女をその気にさせといて、ヒドイ男。」

「だから、俺は既婚者だって。」


 雛由マガリ。

「雛由マガリ、23歳でーす。

 雛人形の雛に自由の由って書きまーす。

 スリーサイズは上から順に……」

 と訳の分からない自己紹介をさっきされた。

 対魔法犯罪科の二級捜査官で、三ヶ月前に昇格したばかりだと言う。


 見ての通りの変わり者だが、風に聞く噂では他に類を見ない『天才』だという。

 学業、スポーツ、どれを取るにしてもその道に生きていける程の才能を見せ、魔術師としての実力はもはや人智を上回る賢者レベルのものらしい。

 確かにその素質だけ見れば、磨けばそれ相応には光るだろうと、ここ数時間の付き合いで白葉も納得している。


「で、何でまた俺なんかにたかりに来た。」

「いやあ、さっき吹かしすぎちゃってさ。お偉方がものっすごく怖い顔してたから、唯一の心強い味方の賢者さまの……タ×袋から掴んでみようかな~みたいな。ぎゅっと、ね。」

「うっし、帰る。」

「待って待って!冗談だって!」


 立ち上がりかけた白葉のコートの裾にマガリがしがみついた。


「うるせぇ放せクソビッチ!その汚れた尻を俺に近付けるな!」

「ちょっ、いきなりクソビッチ扱いはないよ、マガリさんだって傷ついちゃうぞ!

 ていうか美人だからオッケーっしょ!?ほら、めっちゃ美人だから!?」


 げしげしと顔を蹴りつけられながらも離れる気配のないマガリ。

 どれだけ騒いでも、白葉の魔法で反応することのできない客と店員。


「確かにめっちゃ美人だがっ……うわっお前握力どんだけあるんだ!?……俺の嫁もめっちゃ美人だったんだからな!!」

「おうおうそーかそーか!んで、その嫁さんは床上手だったんかぁ!?あん!?マガリさんに勝てんのかぁ!?」

「よそ様の嫁に喧嘩腰かお前は!!つーか人の嫁の腰使いに文句つける奴があるか!」

「あー!言ってもないのに腰使いの話を!さては賢者、お前嫁さんに不満あったんだな!?いーぞいーぞ、なんなら今のうちにそんな骨折馬置いて、こっちの美人に乗り換えな!天国見せたる!!」

「てめっ、やっぱクソビッチじゃねぇか!!それよりお前よくもナギ(嫁)のことを!あいつ座り仕事でよく腰だめにしててかなり悩んでたんだぞ!!

 つーか、お前そろそろ警察呼ぶぞ、警察!!」

「警察はわたしだぁー!!」

「うわっチクショー!!」


 かくして、休戦。


 結局白葉はマガリのテーブルにまでコーヒーを頼むことになった。


「やっほう、賢者の金で飲むコーヒー!」

「おうおう、うまいか。死ぬほどうまいと言ってくれ。でもって死んでくれ。」

「いんや、頼んどいてなんだけど、ここのそこまでうまくないや。」

「死んでくれ。」


 白葉は死んだような表情でそんなことを言う。

 既に彼が飲み干したコーヒーは三杯を切っていた。


「お前……本当に何の用があるんだよ。あるんなら早く済ませて消えてくれ。」

「う……ん。早く済ませても消えるのは無理かな~。だってさぁ。」


 不意に、マガリの唇が耳元によった。

 その吐息が耳をくすぐる。


「賢者さまの秘密、知りたいしなぁ~?」


「……。」


 その一言で白葉の気怠い雰囲気が一変した。


 何も言いはしない。

 ただ、指だけを鳴らす。


「……うわっ!?」


「よく聞け小娘?」


 突然のテーブルの下から現れた鉄の蕀に、マガリは手首を取られた。


「お前がどこまで知ってるかは、今覗いてはっきり分かった。だが、やめておいたほうがお前のためだぞ?」


「でたぁ……脅迫っすかやっぱり?」


 得体の知れない魔法を食らいながらも、その顔は冷静さを失っていない。

 白葉は目を細めた。

 なるほど、こいつが恐れられる理由がよく分かる。


 マガリは手首を取られつつも喋り出す。


「賢者さま。おたく不死身でしょ?」

「……不死身ではない。」

「じゃあ、年取らないでしょ?対魔の厳重監理のデータではそうあったね。」


 その口調からは予想以上の相手の実力に多少驚きつつも、臆している様子は感じられない。


「……。」


 白葉はその話を聞くと、マガリを解放した。


「お、許してくれんの?」

「ああ、お前は脅しても聞きそうにない。」

「さすが、賢者さま賢い。」


 手首を軽く揉むと、マガリはにっと笑った。


「私ね、あなたが長生きする理由。いんや、しなきゃならない理由が知りたくてさ。」

「なるほど……教えないと言ったら?」

「そうだねぇ……教えてくれるまでコーヒー奢って貰う?」

「俺は年取らないんだろう?お前、自分が老いて死ぬまでずっとこの店に通うつもりか?」


 白葉の向けた冷たい視線に、マガリはあっけらかんと答えた。


「それもそれで楽しそう。賢者さま面白いし。」

「面白い?」


 白葉は首を傾げる。

 そんなことを言うやつは、亡き嫁以外に初めてだ。


「お前、俺が面白いって?」


 昔から愛想というものを知らず、人の頭の中身が読めてしまうという力から誰かに寄ることもできず、でもって自分の空間に籠りがち。

 人間的な面白味もなく、ただ不気味で、場合によっては酷く都合の悪い、そんな自分に近づきたがる人間の気が知れない。

 妻を一人貰って、そして失った今もそれは変わっていない。


 だが、マガリはさも当たり前のように言う。


「まさか、面白くないわけないじゃん。だって、今まで絶対にいないって思ってた、マガリさんより強くて賢い人だぜ?テンション上がるに決まってらあ。それに賢者は……あれだ、何だかんだ言って人がいい。」


 興奮ぎみに話す彼女に、白葉は呆れる。

 もちろん、こいつの頭のなかを読んだので気持ちは分かる。


「お前にとって、俺は『白馬の王子さま』……か?天才、雛由マガリにしては随分と夢見がちだな。」

「そう?だってこんなくっだらない世界よ?みんなして私を讃え上げたり魔物扱いしたりする凡人ばっかり。

 王子さまに憧れたりもするよ。こんな馬鹿しかいない世界から……誰かマガリさんを連れ出してくれないかなぁってね。」


 本来なら、どこか遠くを見るはずの目なのだろう。

 それが、他でもない白葉の顔を見ていた。

 困った。

 下手な敵意よりもずっと面倒な物を向けられているのが分かる。


「……なんだ、いい大人が今さらシンデレラシンドローム拗らして、挙げ句の果ては一目惚れか?

 何処の中学生が描いた少女漫画だ。」


 敢えて口にする。

 この際、嫌われたほうが気が楽だ。

 だが、意外にも彼女は簡単に頷いた。


「ああ、そうだね。私が描いた。マガリさんちっちゃい頃漫画も描いたよ。お絵描きにハマっちまってね。で、取るとこで賞も取っちゃったんだよ。あの時ぁ随分稼いだね、ガキが印税暮らしだぜ?

 ……つまりね、私ね、賢者さまのことむっちゃ好きになっちゃったんだわ。これ結構本気よ?」


 白葉は黙る。

 言葉にこそ冗談を込めているが、芯は間違いなく本物だ。

 こいつは本気で自分に恋をしていやがる。


 白葉は額を叩いて俯く。


「お前なぁ……俺結婚してるんだって」

「関係ないじゃん、好きなんだし。それに、指輪してないほうが悪い。」

「本当勘弁してくんないかな……しかも、なんだよその理論。」


 困ったように首を振る白葉に、マガリは更に積め寄ってくる。

 そして、指輪のない左手に自分の手を乗せた。


「ほらほら、いいじゃん?据え膳食わぬは男の恥だぜ?」

「……嫁さん蔑ろにする男もどうかと思うぜ?」

「ふーん。じゃ、指輪は何処よ?え?」

「それは……」


 白葉は何もない薬指を見下ろす。

 マガリの手が、何も収まっていない薬指をじれったくくすぐっている。


「……無い。」

「なんで?」

「嫁が死ぬ前に、二つまとめて灰にしやがったよ。」


 あのときのことは忘れない。

 毎晩毎晩、悪夢のように繰り返しているのだから。


「そう……」


 蠱惑的に目を細めるマガリに、白葉はため息をつく。

 鬱陶しいと言いたいところだが、如何せん相手は大層な美女と来た。

 どうも追い払いづらい上に、魔法も効かないとくる。


「……ねえ、いいじゃないの。どうせ長生きするんでしょ?不倫の一回や二回、味わっときなって?」

「お前なぁ……」

「案外その為かもよ?嫁さんが指輪さらっていったのって。」

「……。」


 それは理解しているつもりだ。

 ナギは最後の最期に、白葉マサヨリという男の重しになることを拒んだ。

 自らの愛を消し炭に変えるという荒業をもってだ。


「分かった」

「え、本当!?マジで!?おっしゃ、んじゃあ今晩は早速眠らせませんぜ賢者さんよぉ!!」

「違う!やめろ鼻息!鼻息!」


 野犬もよろしく息を荒げて飛び込んできたマガリを、白葉は苦労して押し戻す。


「なんだよぅ……ちぇっ」

「お前こそなんだってんだよ!?」


 肩を落として席に戻ったマガリに、白葉は軽く手招きをする。


「……全員、"俺たちの話を聞くな"」


 客たちの耳を魔法で塞ぐと、マガリに告げた。


「お前、俺のパートナーになれ。」

「ぱ、パートナー?なになに、プロポーズ的な……?」

「うるせえな……そんなんじゃねえよ。

 ……お前に協力してほしいことがある。」


 白葉はそう言ってマガリの左手を取った。

 握った手からマガリの期待が伝わってくる。


ーーこいつ、本気で期待してやがるな。


 少々頭を抱えたくなったが、仕方ない。


「……影よ、弱き拳に必殺の念を与え給え……」


 そんな彼女を引き込むのは気が引けるが、どうせこの女以上の適任など、この時代には存在しないだろう。


「いたっ……!?」

「ああ、気にすんな。気のせいだと思え。すぐ馴れるさ。」


 左手首に巻き付くように現れた鎖状の刻印に、マガリは少し涙目を見せる。


「……賢者さんよぅ、お前マガリさん抱く時も同じように言うんじゃないよな?」

「お前……!?」


 一瞬、この魔法の説明を吹っ飛ばしそうになった。

 マガリは腰に手を当てながら些か憤慨の意を示す。


「おうとも。この雛由マガリを(モノ)にしようとした猛者なんぞ、今までたったの一人もいなかったさ!」

「堂々してんじゃねぇよ、痴女かよ!?」


 本当にこいつを相棒に選んでも良かったのだろうかと、今さら不安が湧いてきた。

 白葉は頭を振ると、仕方なく説明に入る。


「雛由、これはある魔法だ。一生に一度しか使えない、究極の魔法。」

「ふぅん……確かに構造が読めんな。ていうか……なにさこれ。」


 白葉はその台詞を無視すると、はっきりと告げた。


「お前には、ある男を殺す手伝いをしてもらう。」

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