自戒を込めて敢えて「大東亜戦争」と呼ぶ
大和民族【和人・ヤマトンチュ】は理性的に自分達の文化と歴史を理解すべきだ。大和民族の左翼は歴史も文化も全否定するし、右翼は全肯定する。どちらも極端だ。肯定もすれば否定もする。両方の立場に立って歴史も文化も受け入れなければ、民族としての責任を負っているとは言えない。他民族から尊重されるとは思えない。
多くの人達は学校で古典・漢文を習った筈だが、難解で敬遠した人も多かっただろう。けれども先人達の文学に親しむ行為は非常に大事な行為だ。文部科学省は英語に力を入れているけれど、古典・漢文を侮ってはならない。教職員達も苦手意識を持つ学生達にもっと工夫を施そう。社会人も機会があれば現代語訳を読みながらでも良いから親しもう。
大和民族の伝統工芸や伝統芸能に対して大和民族はもっと親しみを持つべきだ。どうしても難解で敷居が高いと感じても、職人達に敬意を払おう。富裕層は投資したり素晴らしさを宣伝したりしよう。
自分達の文化を理解しなければ興味も持たず、攻撃すらする。そんな人達を尊重する人達はいない。
歴史問題も同じだ。感情的に否定したり謝罪したりしても他民族は腑に落ちないものだ。大和民族によるアジア侵略の動機は何だったのか。単に資源た市場だけが目的だったのか。人口が多く領海も領土も広い中国を含めたアジアを何故、小国の日本が侵略出来たのか。大和民族の理念は何だったのか。本当に欧米の猿真似に過ぎなかったのか。そういう自問自答が問われる。
私は大和民族の掲げた大東亜共栄圏は理想と打算の合わさった歪んだ産物だったのだと思う。暴力と欲だけではアジアを蹂躙できはしない。当時、アジアは弱っていたけれど、列強の影響があった。また、醜い欲望と暴力も渦巻いていた事も動かない事実でもある。
私は敢えて「大東亜戦争」と呼ぼうと思う。大和民族はかつて大東亜共栄圏を掲げたが、それがアジアの人達を傷付け、大失敗に終わった。アメリカ合衆国にも負けて原爆を二発も投下された。自戒を込めて大東亜戦争と呼びたい。太平洋戦争だとアジアを置き去りにしているし、アジア・太平洋戦争だと漠然としている。
私は自虐的に倭人・ジャップランドと自称する大和民族が大嫌いだ。卑屈な上に歴史を愚弄している。戦争から学ぶべきは、
「自分を大事にしない者は他人を大事にしない」
という哲学だ。大和民族同士でも対立があった。強者が弱者に滅私奉公を強要する。それによって特攻隊員は戦死した。また、数多の大和民族女性達は性暴力に抗おうとしても徹底的に搾取されて排除されて野垂れ死んだ。だから大和民族はアイヌにも沖縄の人達にもコリア系にも冷淡だった。日本列島以外の人達にも冷酷だった。
自分の哲学や思想を安売りしない。言いたい事をなるべく伝える。それが基本だ。謝罪を要求されても簡単には謝らない。嫌々謝るのは真の謝罪でもなければ償いでもない。
また、私は大和民族として原爆投下を茶化す者を心の底から軽蔑する。どんなに大和民族と対立しててもそれは超えてはならない一線だからだ。広島県と長崎県では現在も原爆病に苦しんでいる方達がいる。核兵器を憎み茶化すのであればアメリカ合衆国を罵倒した方がまだ倫理的である。




