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あやかし殺しの三千院家  作者: 刀綱一實
故郷のための栄光
538/675

腐れ縁が港で出会う

 怜香れいかは息を吸い、タイミングをうかがう。そしてあおいが呼吸した隙を見計らって、思い切り抱きついてやった。


 流石の葵もこれには驚いたらしく、細い目をいつもより大きくしている。


 効いているなら、と怜香は相手の頭をつかんで引き寄せた。そのまま、ゼロ距離まで顔を近づける。なにやらもごもご言っていた相手は、時間がたつと諦めて静かになった。


 怜香ははじめは面白く見ていたが、だんだん余裕がなくなってくる。


(え、これって、いつやめればいいの)


 どのくらいの長さが適切なの。教えてどっかの誰か。


(苦しい苦しい、ダメだ死ぬ──)


 気持ちの落ち着きではなく、生理的な理由で怜香は葵から離れた。とてもとても空気がおいしい。


「……お前はさっきから一体何がしたいんだ」


 目の前の葵は特に苦しがる様子もなく、平然としている。


「だって、息」

「鼻は」

「ああ」


 何でもなさげに言われて、思わず怜香は手をうった。


「さっきのは、驚いた」


 呆れたようにため息をついた葵に向かって、怜香は笑ってやった。


「私も好き。大好き」


 十年近く言えなかった思いが、やっと形になった。目の前に立つ幼なじみを見て、怜香は誇らしく思う。


「……ああ、そろそろ時間だ」


 照れ隠しのように、葵が時計を見上げて言った。


「じゃ、行くね」

「死ぬなよ」

「お互いに」


 頭を切り換える必要があるので、互いの別れは実にさっぱりしている。しかし、今までと違い、二人の足取りは軽やかだった。


(変わった。私も、葵も)


 もし生きて帰れたとしたら、今までとは全く違う世界が待っている。


 それが見たい。どうしても。



☆☆☆



 ゆったりした港を目の前にして、大和やまとは必死でカンニングペーパーを繰っていた。


「あっちは水が弱点で、こっちは風が苦手……ああ、阿呆らし」


 大和は手に持っていた紙を、感情に任せて空中へ放り投げた。強い海風に煽られて、紙はあっけなくどこかへ消えていく。


「弟よ、今しれっとえらいことしよったな」


 通信機の向こうにいる東雲しののめが、苦言を呈する。


「気のせいやろ」


 大和はしらばっくれた。


「せっかくまとめてくれた妖怪たちの弱点ノートやのになあ。弟の頭には高度すぎたかなあ」


 東雲が低く、ひひっと笑った。そんなことを言われても、活字を読むと頭痛がしてくる体質なのだ。


「すんませんなあ」

「ま、こっちもそれがわかっとるからナビつけとるんやがな」

「ありがたいわあ」

「あ、そうそう。弟よ、ここでナビ交代や。市街地のことは把握しとっても、戦となるとうちはさっぱりやからな」

「おい、ちょ」


 大和が呼びかけても、東雲から返事はなかった。かわりに、ごそごそと何かが動く低い音がする。──なんだかとっても悪い予感が。


「交代したったぞ腐れ呆けガキ」

「チェンジ」


 大和は反射的につぶやいた。しかし相手は百戦錬磨の化け物、この程度ではびくともしない。


「お前に決定権なんぞないわダボ。わかったら腕組んどらんと、とっとと準備せえ」


 京都と違って、大阪はまだ偵察機を飛ばす余裕がある。そこからの画像で、大和の様子は全て本部に筒抜けだ。


「なめんなや、もう完璧に決まっとるやろ」

「ほお、そうかそうか。そらすまんかったな。じゃあさっきお前がほかした紙に書いてあったこと、全部この場で言うてみい」

「…………」


 大和は舌打ちをした。このジジイ、絶対にできないとわかった上でものを言っている。


「できませーん」


 適当に返事をすると、「人間ってこんなにのべつく間もなくしゃべれるのか」というほどの小言がついてきた。


(そろそろ、ゆかりばあちゃんに言いつけるぞって伝えてみたろか)


 大和が最後の手段に出ようとしたところで、海面が揺れる。波の形が、さっきまでと明らかに違っていた。


「来るで。前方注意」

「分かっとるわ、死に損ない」


 淀屋よどやへ悪態をついたと同時に、水しぶきがあがった。白い泡の中から、二本の大きな角が飛び出してくる。


(あいつか!)


 今までに二度、自分の前に立ち塞がってきた相手。大和のやる気に火がついた。


「なんだ、ガキと雑魚しかいねえのか」


 浮き上がってきた牛鬼は、大きな目で周りを観察しながらぼやいた。


「……お前は、はじめましてじゃねえよな」

「大分世話になったわ」


 空中でにらみ合い、白い歯を見せあう。耳元の雑音が気にならなくなった。


「今日は取り巻きはいねえのか。連れてきてもいいぞ」

「その言葉、熨斗つけて返すわ」


 大和は牛鬼に言った。神戸の時には手下を連れていたのに、周囲に妖怪の影がない。不自然だ。


「……ま、お前だけなら倒しやすうてええけどな」

「はっはっは、なんだその面は」


 久しぶりに真面目なことを言ったのに、爆笑されてしまった。どうしてだろう。


「お前な、考えてることが全部顔に出るんだよ。そんな八の字の眉毛してたら、『疑ってます』って言ってるようなもんじゃねえか」


 あけすけに言われて、大和は赤面した。耳元のイヤホンからは、淀屋の歯軋りがひっきりなしに聞こえてくる。


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