電源が入っていません。
お久しぶりです。
相変わらずののんびり進行ですみません。
ペットボトルに口を付け、ぐびぐびと音を立てて麦茶を飲み干す。顎に付いた雫を拭いながら横目で冷蔵庫に貼られたシフト表を睨みつけた。
昨日のオカンのシフトは23:30~8:30の深夜勤。
普段のルーチン通りにオカンが行動していたのだとすれば、今朝は8:45には勤務先の病院を出ていただろう。
「……意味わかんねーなぁ」
ペットボトルを握り締めたまま独りごちる。
勤務している時間帯が不規則だからという事もあるのだが、元々住んでいる場所が場所だけに、通勤に限らず何かにつけてオカンは普段から車で移動する事が多いのだ。
だが、メールでは乗っていたはずの車の事については一切触れられておらず、徒歩で森や荒野を徘徊している様子だけが書かれていた。一体車はどうしたんだ?という疑問が残る。
窓を開けてアパートの駐車場を確認してみたものの、コットンアイボリーの我が家のタントの姿は見えない。
病院を出たのが8:45として最初のメールの受信時刻が9:07。
この約20分程の間にオカンの身に〝何か〟が起きたって事か?どこかに車を止めて寄り道でもしていたんだろうか?
いや、そもそも夜勤明けのオカンが寄り道をする事自体が考え難い。いつも夜勤明けの朝は脇目もふらず我が家を目指して一目散に帰って来ていたのだから。
何故いつもそこまで慌てて帰って来るのか、不思議に思って一度聞いてみた事がある。
「こんな女として終わってる顔、恐ろしくて他人様には絶対見られたくない!」……のだそうだ。
確かに、深夜勤務を終えた直後のオカンの顔には鬼気迫るものがあると思う。
化粧は崩れオデコや鼻の頭に脂がプツプツと浮き上がっているし、眼球は真っ赤に血走り目の下にはうっすらと青黒い隈が横たわっている。 が、一応は人目を気にするあたり、あんなのでもオカンも女なんだなぁなどと思ったものだ。
そんな訳だったから、俺にはオカンがわざわざ自分から車を降りて移動したとは考え難かった。
ならば運転中に〝何か〟が起きたって事だろうか?……いや、そもそも運転中に起きる〝何か〟ってなんだ?
ラノベやオンライン小説なんかで良く見る「交通事故に遭って主人公死亡。気が付いた時には何故か別世界でした!」なんて設定がチラリと頭をよぎる。
いやいやいや、それだとオカンは既にこの世界に於いて死亡している事になってしまうだろう。さすがにそれはちょっと洒落にならない。そもそも死人からメールが届いたなんて話、聞いた事も無いし。(異世界からメールが届いたなんて話も聞いた事は無いが)
大体あれだけ強く本人が「何があっても絶対帰るからね!」と宣言している以上、俺が信じてやらなくてどうすんだ。
気が付けば無意識の内にテレビのリモコンを握り締めていた。
……万が一、人が亡くなるような大きな事故があったっていうなら、ニュースでも流れてるはずだよな?
むしろテレビでニュースが流れてさえいなければ、オカンが事故に巻き込まれた可能性が消える。とでも思い込みたい気持ちがあった。……本当は片田舎で起きた小さな事故など必ずしもテレビで流れる訳ではないし、せいぜい報道されたとしても翌日の朝刊に小さい記事が出る程度だろうというのも頭の片隅では理解出来ているのだが。
が、カチカチとスイッチを押してみたものの、何度やってもテレビの電源は入らない。
「……?」
よく見るとコンセントが根元から抜かれていた。
そういやオカンのヤツ、「節電第一!」とか言って、いつも家中の電化製品のコンセント抜いて回ってたっけ。さすがに冷蔵庫や俺の部屋のPCやルーターの電源まで抜こうとしたのは慌てて止めたけど。
のろのろとコンセントを差し込むと夕刻のテレビからは再放送のサスペンスドラマが流れ出した。
チャンネルを変えてはみたものの、残念ながら時間帯的にどこも似たような再放送や通販番組ばかりでニュースは放送していないらしい。
虚しくなってリモコンをソファに放り投げ、テレビのコンセントをまた根元からブツンと抜いてやる。
「!」
ここでハタと余計な事に気付いてしまった。……ひょっとしてひょっとすると、オカンは毎回ご丁寧に携帯の電源も切っていたりするんじゃないだろうか?
何しろ「節電第一!」なオカンの事だ。有り得ないとも言い切れない。
毎回使用する時にだけ携帯の電源をONにしてソソクサとメールを入力し、打ち終えれば再び電源を切っているのだとすれば、いくらこちらから電話を掛けようがメールしようが繋がるはずも無い。
……いや、でも待てよ?メールは電源が入っていないとしてもセンターには届くはずだよな? うーん。やっぱりよくわからない。
ぼんやりとソファに寝そべり、ポケットから携帯を取り出して何度となくメールを読み返す。オカンが打った文面はあまりに短く、得られる情報は少ない。
連絡が取れない以上、今後どうするべきか俺自身の身の振り方も含めて考える必要があるのだろうとは思うのだが、一体オカンがどうなってしまったのかそちらの方ばかりが気になり、どうしても思考が停止してしまうのだ。
「これからどうすっかなー」
ボソリとそんな独り言を口にした途端、チカチカとグリーンのLEDが点滅し出した。
「来たっ!」
携帯の液晶にはメール着信を告げるアニメーションが表示されている。オカン相手のメールでこんなにも一喜一憂し、胸を高鳴らせているのは俺ぐらいのものだろう。
我ながら一歩間違えばただの変態だと思う。
――ひらひらと舞う封筒のアニメーションが終わるのをソワソワともどかしい気持ちで見つめながら、俺はメールの確認ボタンを激しく連打した。