第30話 如月蓮也②
「んん...あれ?ここは?」
ゆっくりと意識が浮上し、視界に飛び込んできたのは見慣れない白い天井だった。
「蓮也!」
上半身をぐっと起こすと、すぐ横から愛おしい声が響き、ひんやりとした体温と共に姫花が心配そうな顔で抱きついてきた。
「姫花...?僕は一体、どうしてここに...」
「黒魔女さんに負けちゃったんだよ?覚えてない?」
「そうだった...r
彼女の言葉が引き金となり、途切れていた記憶が濁流のように蘇ってくる。蓮也は黒恵から直々にアドバイスを受けながら、手も足も出ずに完敗してしまったのだった。
「蓮也、貴方、あのクソ女に完全に舐められていたのよ?いつか絶対に、あの澄ました顔をぐちゃぐちゃに泣かしてやりたいわ!」
「そうなの...か?」
ベッドの脇には、エリザベスと腕を組んでいる薫が立っていた。エリザベスは憎たらしい黒恵の余裕に満ちた笑みを思い浮かべているのか、これ以上ないほど眉間に深いシワを寄せている。
「貴方、戦っている最中は気付いていなかったの?あいつ、最初から最後まで右手しか使っていなかったのよ」
「あっ...」
「まぁまぁ。でも、あの黒魔女を相手に、修羅一門を使わせたんだ。それだけでも十分に凄いことだと思うぞ」
悔しさを爆発させるエリザベスをなだめるように、薫が優しくフォローを入れる。言われてみれば確かに、エリザベスの指摘通り黒恵はずっと右手だけで自分の攻撃をいなしていた。そんな桁外れの強者と全力を尽くして戦えたのだと思うと、蓮也の胸の奥から不思議な高揚感が湧き上がり、思わず口元から笑みがこぼれた。
「ちょっと、何笑っているのよ?頭の打ちどころでも悪くなったのかしら?」
呆れたように溜息をつくエリザベスをよそに、蓮也は自分の手のひらを見つめながら呟いた。
「いや、凄いなって思ったんだ。世界には、あんなに強さを持つ人がいるんだなって。どうやら僕は、自分が手に入れたこの力のせいで、少し調子に乗っていたみたいだ。自分が強くなったと錯覚していた気がするよ」
完全敗北という苦い経験を経て、蓮也の中で脆かった何かが弾け、確かな芯が形成されていた。敗北を知ったからこそ、不思議と前よりも深いところから新たな力が漲ってくるような感覚を覚える。蓮也はその感覚を確かめるように、拳を強く握りしめた。
「あれ?」
そこでようやく、自分の身体に違和感があることに気づく。最後に意識を失うほどの強力な一撃を喰らったはずなのに、全身の怪我どころか、激戦による疲労すら一切残っていなかった。
「それ、救世者さんの魔法のおかげよ。蓮也が運ばれてきてすぐ、治癒魔法をかけてもらったの」
「へぇー、これが噂に聞く治癒魔法か...」
初めて体験する治癒の力と、全く痛みのない完璧な回復ぶりに、蓮也は素直に感心するしかなかった。
「ま、身体が万全なら話が早い。蓮也が起きたんだ、みんな外で待ってるぞ?」
「待ってるって、何が?」
不思議そうに首を傾げる蓮也に、薫はフッと笑って胸を張った。
「決まってるだろ。この魔導師交流会は、試合が終わった後にちょっとした立食パーティーが開かれるんだ。互いに全力で戦った後に、同じテーブルを囲んで美味い飯を食う。お互いの健闘を称え合うそれこそが、古くから続く魔導師の本当の交流ってやつなんだぞ」
薫はどこか誇らしげに、魔導師としてのあり方を語る。その楽しげな様子につられるように、蓮也もお腹の虫を鳴らしながら笑顔を返した。
「へぇ、それは楽しみだ。僕もお腹が空いてきたよ」
「...あの、私は帰ってもよろしくて?黒魔女と同じ空間で食事を取るなんて、正直死んでも嫌なんですけど」
「駄目に決まってるだろ、それは相手に対してあまりにも失礼だ。というか、そもそもお前はあの人に謝れ!全てはお前のせいで始まったようなもんだぞ!」
「死んでも嫌ですわ!私はこれっぽっちも悪くありません!」
せっかくの交流会だというのに、少しばかり不穏な空気が流れ始めたのは、エリザベスの頑なな態度によるものだった。薫の真っ当な提案をエリザベスは頑固に拒否し続ける。結局、そのまま押し問答を続けながら、4人は薫の案内によって会場である大きな扉の前へと足を運んだ。
「この中に、あんなに凄い人たちがいるんだよね...」
蓮也は先ほどの試合を思い返し、自分とは比べ物にならないほどの実力を持つ強者たちがこの部屋の奥に集っているのだと思うと、胸の期待が膨らむのを抑えきれなかった。だが、蓮也が重厚な扉を開こうとした、まさにその瞬間。
ドガァァァンッ!!!
まるで内側から爆発でもしたかのように、凄まじい音を立てて扉が吹き飛び、一つの影が凄まじい勢いで外へと弾き出されてきた。
「あ、あの、く、クソッタレどもが...」
それは先ほどエリザベスと激闘を繰り広げた、あの亜里好の姿だった。彼は全身ボロボロの状態で、通路の向かい側の壁に深くめり込んでいる。
「そもそも、貴方の我儘のせいで全勝を逃したのよ!?」
「眠い...だいたい、全ての原因は...お前。こっちは失礼のないようにって...マナーとかいう訳の分からないものを散々聞かされたのに...先に破ったの、お前、じゃん...」
「はぁ!?私が悪いわけないでしょ!...その割には、私が馬鹿にされたとき、あんた結構怒ってたじゃない!」
「気のせい...お前のことなんて、どうでも、いい...」
開いた扉の奥では、なんと黒恵とアイが大喧嘩の真っ最中だった。お互いの言い分をぶつけ合う二人の戦いに、良かれと思って仲裁に入った亜里好は、ただただ巻き込まれて消し飛ばされただけだったらしい。
その凄惨な光景の横では、シャーロットが「あわわわ...」とおどおどと慌てながら、必死に二人を止めようと手を右往左往させていた。
「元気が有り余っているのじゃ」
「そうですね」
「ふん、うるさいだけだよ」
部屋の片隅では、グラスフォールとローランド、そして見慣れない老婆が、喧嘩を止める様子も見せず愉快そうに食事を取っていた。
「うるせぇええ!!」
突如響き渡った怒号に、言い争っていた二人がピタリと動きを止める。怒りを全面に露わにしながら、蓮也たちの横を素通りして部屋に戻ろうとするのは亜里好だった。
「せっかくのスイーツが台無しになるだろ!」
「「...ふん!」」
二人はお互いから顔を背けた。まるでパーティーのリーダーが黒恵ではなく亜里好であるかのような光景に、今到着したばかりの蓮也たちは苦笑いを浮かべる。
こうしてお互いのパーティーが合流したことで、即席の交流会が始まった。わちゃわちゃと騒がしい空間のなか、黒恵はまた別の人物、エリザベスと言い争っている。
「おい、天神。また怒ってんのか?」
亜里好が呆れたように声をかけると、黒恵はぷいと横を向いた。
「ふん、こいつとは分かり合えないわ」
まだ喧嘩を続けようとする黒恵に、亜里好は困ったように頭をかく。そしてエリザベスの方へ視線を向けると、彼女はびくりと肩を揺らし、わずかに視線を泳がせた。
それはある種の恐怖によるものだった。自分の全てを否定された相手である亜里好と、まともに視線を合わせることができないのだ。
「エリザベスさんだっけ?」
「な、何ですの?」
「その、何だ。さっきの言葉は、別に本心から言ったわけじゃないんだ。アンタが弓に対して強い誇りを持っているのは、さっきの戦いで充分分かった。だけど、俺にとっても仲間は大切なんだ。だから天神を馬鹿にされた時、こっちも少しカッとなっちまって...本当にすまない」
「えっ?」
亜里好は、エリザベスに向かって深く頭を下げた。
「プライドを傷つけちまったなら、いくらでも頭を下げる。だけど、その弓の腕まで引っ込めちまうのはナシだ。そんなの、もったいねぇだろ。正直、アンタの弓の技術はすげぇよ。同時に何本も放つアレ、めちゃくちゃ驚いたんだからな」
「そ、そうですの...?」
「ああ、もしアンタが冷静だったら、俺の方が危なかったかもな。今度、コツを教えて欲しいくらいだわ」
「か、構いませんわよ...」
「マジ?それは嬉しいな!」
亜里好がニカッと屈託のない笑顔を見せる。その裏表のない表情に、エリザベスは思わず頬を赤らめ、もじもじとし始めた。それを見た黒恵は、何か得体の知れない嫌な予感を覚えたのか、再び声を荒らげる。
「不動くん!どこか行って!」
「えぇ?」
理不尽に除け者にされた亜里好は、せっかく弓の技術を教えてもらえそうだったのにと、犬のようにしょぼーんと肩を落とした。少し離れた場所に薫と蓮也の姿を見つけ、近づいていく。
「相席いいか?」
「ああ、良いぞ。お前は確か、不動亜里好と言ったな。俺は前澤薫。薫でいいぞ」
「薫か、おうよろしくな」
「僕は如月蓮也です。よろしくお願いします、不動さん」
「さんはなしだ。それに俺たち、どうやら同期らしいじゃん。なら亜里好でいいし、その固い敬語もなしにしようぜ」
「分かりま...分かったよ、亜里好」
円卓を囲み、三人は並んで食事を取り始めた。亜里好は先ほどの落ち込みが嘘のように、美味しそうにケーキを頬張っている。そんな彼を見て、薫がふと疑問を口にした。
「確か、元々は剣士なんだろ?五大剣覇のどれを使っているんだ?」
「ん?ごだいけんは?なんだそれ」
「え?」
剣を志す者にとって、五大剣覇とは基礎として必ず身につけるべき流派だった。亜里好も流派という概念自体は知っていたが、その詳細までは知らない様子だった。驚いた薫は、彼に五大剣覇についての説明を詳しく聞かせる。
「へえ、そんな感じなんだ...」
「つまり、亜里好は無流派の剣士ってことか?」
「いや、一応流派は使うぞ。まぁ、ただ知名度がないだけなんだけどな」
「そうなのか。それは気になるな...一体どんな流派なんだ?」
薫にとって、剣とは幼い頃から憧れ続けている武器だ。自分の知らない未知の流派を操るという亜里好に、その目は好奇心で爛々と輝いていた。
「その魔剣式...だっけ?それと似ている感じだな。型みたいなのがあるんだ」
「ほう、なら俺に一撃、打ってくれないか?」
薫の提案に、亜里好は少しだけ眉をひそめた。
「ん?別に構わないが...かなり速いぞ?」
「構わないさ。これでも天岩流の中段までは身につけているつもりだ」
「そうなのか」
そう答えたものの、亜里好の内心は『中段ってなんだ?』と首を傾げる状態だった。彼はアイに頼み込み、木刀に似た硬質な骨の剣を作り出してもらう。
亜里好は、すでに防御の体勢を完璧に整えて構える薫の正面に立つ。そして、静かに身を沈めて居合の構えを取った。
「今から放つぞ」
「ああ、いつでも来い」
薫が息を呑んだ、その瞬間だった。
『ん?あの構えは...』
――え?
蓮也の脳内に、突如としてミカエイルの緊張を孕んだ声が響く。二人はテレパシーのような能力で、直接思考を交わすことができた。
――どうしたの?
『いや、気のせいだ。あの流派を受け継いでいる者は、現世にはもう一人もいないと聞いている。おそらく似ているだけだろう。何より、あの流派は人間の身で決して扱える代物ではない。もしあれが本物なら、今頃あの男の腕は内側から破裂しているはずだ』
そう言うと、ミカエイルは興味を失ったかのように、意識の奥底へと気配を消した。直後、亜里好の身体がブレた。
「っ!?」
それは、文字通り人間の目では捉えきれない超神速の一撃だった。薫が認識できたのは、風が爆ぜる音だけ。気づいた時には、すでに亜里好が目の前に立っていた。
作り出された骨の木刀は、薫の首筋のわずか数ミリ手前で、ぴたりと寸止めされている。あまりの神速と肌を刺すような威圧感に気圧され、薫はその場にドサリと尻餅をついた。
「不動くん、そんな技、一体どこで習ったのよ?」
いつの間にか歩み寄ってきていた黒恵が、目を丸くして尋ねる。どうやらパーティーリーダーである彼女にとっても、今の技は初見だったようだ。亜里好は、首の後ろをかきながら冗談混じりに答える。
「あー、今通っている剣の塾の先生に教えてもらったんだよ」
「ふーん...」
怪訝そうな顔をしつつも、黒恵はそれ以上深く追及することはしなかった。納得したように何度も頷くと、彼女は目の前のバイキングコーナーへ向かい、皿の上に料理を山のように盛り付け始めるのだった。
賑やかだった交流会も、やがて終わりの時間を迎える。名残惜しい空気のなか、お互いのパーティーのリーダーである蓮也と黒恵は、正面からしっかりと握手を交わした。
「本当に、良い経験になりました。ありがとうございました」
「ええ、こっちも感謝しているわ。あなたたちの今後の成長が楽しみね」
微笑む黒恵の顔を見つめながら、蓮也の脳裏には、初めて彼女と出会い、握手を交わした瞬間に響いたミカエイルの言葉がよぎっていた。
『この者から、我が同胞...兄弟の力を感じる。もしかしたら...』
それはつまり、黒恵という存在が、この世界に降り注ごうとしている厄災から人類を守るための鍵の一人であるという証明だった。
世界を救うためには、自分と同じ宿命の力を持つ者をあと3人集めなければならない。だが、エリザベスと違って、元からパーティを持つ彼女を、自分のパーティーへ引き抜くような真似はあまりにも難しかった。
――それでも、言わなきゃダメだ。
覚悟を決めた蓮也は、繋いだ手に少しだけ力を込める。
「天神先輩。少し、突飛なことを聞いてもよろしいですか?」
「ん?何かしら?」
「その...僕たちの仲間になりませんか?厳密に言えば、僕のパーティーに来てほしいんです」
「「はあ!?」」
あまりにも唐突な蓮也の提案に、薫とエリザベスが同時に驚愕の声を上げた。そして蓮也の背後では、姫花が小さく「え...?」とショックを受けたように言葉を漏らす。そのお調子者な誘い文句のようにも聞こえる言葉に、亜里好も不審そうに眉をしかめていた。
「お互いのパーティーを合併させるって事かしら?」
「...まあ、そうなります」
蓮也はダメ元で頷いた。自分がどれほど非常識で、無茶苦茶な提案をしているかは重々承知している。だが、世界を救う大前提として、どうしても彼女の力が、彼女の存在が必要だったのだ。張り詰めた沈黙のなか、黒恵はふっと妖艶な笑みを浮かべ、自身の髪を指先で弄んだ。
「そうね...私のこの美貌に、一目で惚れ込んでしまったというなら、それも仕方のないことかしらね」
「えっ?」
予想の斜め上を行く黒恵の言葉に、蓮也は思わず目を丸くする。その背後で、亜里好が頭を抱えながら呆れた声で『うわー、そのナルシストモード、久しぶりに見たな...』と言葉をこぼした。
黒恵は調子を戻すようにコホンと一つ咳払いをすると、真面目な顔になって人差し指を立てた。
「でもね、如月くん。冒険者のパーティーってのは、一般的に五人がベストなのよ。だから、私たちのチームが丸ごと合併してしまうと、合計で八人になってしまう。それはあまりにも非効率的よ」
人数が増えれば、当然ギルドからの依頼報酬の分配が減る。だがそれ以上に、人数が多すぎるパーティーは実戦での連携が極めて取りづらくなるのだ。そのため、古くから魔導師の間では五人一組が最も機能する黄金比だと言われている。
「...そうですね。無理な提案を持ちかけてしまって、申し訳ありませんでした」
「ううん、気にしないで。合併は無理だけれど...そうね、いつか時期を見て合同依頼でも受けてみましょうか」
「合同依頼、ですか?」
「ええ。それならお互いのパーティーを崩さずに、一緒に戦えるでしょう?」
黒恵の思いがけない提案に、蓮也の表情が一気に明るくなる。
「はい!その時はぜひ、よろしくお願いします!」
こうして二つのパーティーは、未来での共闘を約束し、確かな絆を結んで交流会を締めくくるのだった。
第30話 【如月蓮也②】




