第5話 姉の宝物
「これ、開け方分かります? 数字8桁ぽいんですが」
「うーん、もちろんうちは開けたこともないし、触ったこともないからなあ」
赤森さんとユノちゃんとのお散歩の後、僕たちは姉の部屋に帰ってきていた。姉が所持していたユノちゃん用のペットフードやワクチン証明書を回収して赤森さんに譲渡するためである。
そういうわけで色々と譲渡するものを探していたのだが、クローゼットの中にワクチン証明書などが保管された書類ボックスがあり、その隣に一抱えほどの重厚な金庫が置かれているのを見つけた。引っ越し業者に回収してもらって実家に持って帰ったとしても、開け方がわからなければどうしようもないので、赤森さんにダメ元で尋ねてみたわけだが、やはりパスワードはわからないようだった。
「ありがちなのは誕生日とかやん? 凛花ちゃんとかうちの誕生日はどうなん?」
「姉のはダメでした。赤森さん良かったら生年月日教えてもらえますか?」
「1999年4月15日」
19990415。開かない。恋人の誕生日を設定していたわけではないようである。
「……一応なんですけど、サバ読んだりしてませんよね?」
「してへんわ失礼やな! うちは正真正銘の26歳や!」
金庫の中には遺品として扱えそうなものが入っている可能性が高いと思ったので、開け方だけでもと思ったのだが、故人の金庫暴きに躍起になるのも下品だろう。開かないのであればそれはそれとして納得するしかあるまい。
僕がそう思って諦めかけていたところ、赤森さんが思い出したように言った。
「あー、最後に一個だけ試してええ? 20221223はどう?」
言われた数字を入力すると、カチッと音がして金庫のふたが開いた。
「……開きました。なんかの記念日ですか」
「うちと凛花ちゃんが付き合い始めた日」
赤森さんも「ホンマに?」という表情で開いた金庫を見ている。
「……開け方分かったので閉めますね」
僕は両親から引っ越しの立ち合いを頼まれただけだ。だから、僕が姉の生前のあれこれについて深く詮索する必要はない。姉もそれは望んではいないだろう。
「ちょ、ちょい待ちいや!」
僕が金庫のふたを閉めようとすると、赤森さんが慌てて止めに入った。確認したいものでもあったのだろうか。
「悠樹くん今、自分には関係ないし凛花ちゃんに悪いからとか思ったやろ?」
読心術でも使えるのかこの人は。思ったことをそのまま言い当てられたぞ。
「その顔は図星やな? あんなあ、昨日言うたやん。気ぃ遣いすぎやねんて」
「いやでも誰にも言えないようなものだったら困りますし……」
赤森さんは片手で顔を半分覆いながら大きな溜息をついた。
「実家でどうせ開けるんやろ? ほんなら今開けへん理由は何なん」
「それは……」
「いや気持ちは分からんでもないんやで? 勝手に人のプライベートな部分覗いた罪悪感とか、開けて見るって決めた自分への責任とかあるんは分かるんやけど、結局良い人でいたいだけやん?」
鬼のようである。そこまで言われるとさすがに傷つくのだが、全くその通りなので何も言い返せない。僕は自分の決断に責任を負いたくない。だから他人に踏み込まない。踏み込んでうっかり他人の気分を害することは極力避けたい。
「……いやごめんな、実は凛花ちゃんも似たような感じやってん。全然うちのこと知ろうとしてくれへんっていうか、相手を傷つけて自分が悪者になりたくない、みたいな感じでめっちゃビクビクしとってん」
赤森さんは続ける。
「やから、これはショック療法いるなあ、思て唇奪ってん」
「……ぎりぎりアウトでは?」
「結果オーライやからセーフ。嫌じゃなかったって言っとった。あ、一応言うとくけど、うち男の子とそういうことするん無理やから。期待せんとってな」
正直少しホッとした気分である。
「まあ、それはともかく、悪いことかもしれへんけど、それでも自分がやるって決めたんやからやるんや! みたいな気持ちは持ってもええと思うねん」
つまり、僕に中身を確認しろということだろうか。たしかに中身を見たくないといえばそれは嘘であるが、やはりどうしても悪いことをしたくない気持ちが大きい。
僕が動きを止めてぐるぐると考えていると、赤森さんが僕の肩に手を置いた。
「ごめんやけど、うち、中身見たいから見るで。どうしてもあかんかったら止めてや」
赤森さんは僕を軽く押しのけて金庫の前にしゃがんだ。そして僕が止める間もなく、そっと金庫の扉を大きく開いた。
中に金品はなく、いくつかの品物が入っていた。
昔の映画の半券、謎のコルク栓、お菓子の当たりマーク×3、ケーキの上に乗っかっているような飾り、半月切りにされたゴーヤのキーホルダー、論文らしき書類。
金庫の中はそれなりに大きな空間があったが、入っていたのは細々したものばかり。それも、他人から見れば何の価値があるのか分からないようなものも多かった。
「何か分かります……?」
後ろから覗いていた僕が聞くと、
「ケーキの飾りとお菓子の当たりマーク、論文は分かるけど、それ以外はよう分からんなあ。悠樹くんは何か見覚えあるやつある?」
言われて見てみると、ゴーヤのキーホルダーは見覚えがある。というか、あれは僕が沖縄へ修学旅行へ行った際に姉にお土産として買ってきたものだったはずである。
「キーホルダーは僕があげたやつです。気に入ってたんですかね」
「シーサーとか首里城みたいなやつじゃなくてカットされたゴーヤなんはおもろかったんちゃう? ちなみにケーキの飾りはうちが凛花ちゃんに告るときに作ったケーキに乗っけとったやつ」
赤森さんは、「I♡You!」とポップでカラフルな文字で書かれたリボン付きのピン飾りを手に取って眺めた。
「……あ、ごめんやばいちょっと泣きそう。お手洗い借りるで」
赤森さんは立ち上がると、ポニーテールを揺らしながら足早にお手洗いに向かった。残された僕は足元をそわそわと歩き回るユノちゃんを撫でながら赤森さんが戻ってくるのを待った。
それにしても意外なのは、ゴーヤのキーホルダーである。受け取った時はそんなに嬉しそうには見えず、普通に礼を言われたくらいだったと記憶している。当時の僕は面白いと思って買ったはずなので、内心ではめちゃくちゃ喜んでいたというのなら買ってきた甲斐もあるというものだ。
数分経って、赤森さんが帰ってきた。顔も洗ったようでさっぱりしている。
「ごめんごめん、ちょっとあれはあかんかった。勝手に金庫開けて勝手に中身見て勝手に泣き出して、やばいやつやなうち。ほんまごめんやで」
「いえ、僕も卑怯者ですみません」
「そ、そこまで卑下せんでもええよ!?」
下手くそやなあ、とぼやきながら、赤森さんは姉のベッドに腰かけた。そして、部屋の中をじっくりと見まわした。普段からきれいに整頓されていたことが分かる姉の部屋。ベッド周りにだけ、可愛いぬいぐるみがいくつか並べられているが、それ以外はビジネスホテルのようにシンプルで清潔感がある。
「……ここもなくなってしまうんやなあ」
「思い出に写真とか撮っておきますか?」
「いや、そこまで女々しいことせんでもええかな。すでに凛花ちゃんとの思い出の写真はたくさんあるし」
そういえば、と赤森さんが言った。
「思い出といえば、凛花ちゃん、日記をつけとったな。遺品整理のときに出てくると思うけど、もし読んでうちのこと書いとったら、教えてくれへん?」
「今読まないんですか?」
さっきは堂々と金庫の中を見ていたのに、日記は読まないのだろうか。
「悠樹くんはイケズやなあ。まあ、見たいは見たいけど、うちの悪口とか書いてあったら、ほら、今からやともう直しようもないし、立ち直れんくなるかもって思うてなあ」
「でも内容知りたいんですよね?」
「悠樹くんは遠慮しいやから、どうせうちが落ち込むようなことは伝えて来へんし」
「……」
少しムカつくが、赤森さんには勝てる気がしない。僕もこのくらい図太かったら友人とかたくさんできるのだろうか。大学生活を人並みにエンジョイできるのだろうか。
赤森さんはベッドに仰向けに倒れこんだ。
「まあでも、悠樹くんは読んでもええんちゃう? さっき金庫から出てきたものの由来とかも分かるかもしれんし。凛花ちゃんの人生を面白おかしく消費するみたいな姿勢なんやとしたらちょっとどうかと思うけど、悠樹くんが凛花ちゃんのことを今からでももっと知りたいと思って読むのはええんちゃうかな」
うちはいろいろ怖いから読まへんけど、と言って、赤森さんは目をつむってため息をついた。かと思うと、勢いよく立ち上がり、
「ほな、ぼちぼちうちは帰ろかな。ガチレズとはいえあんまり青少年の部屋にアラサー女がおるのもあれやろうし。ほな、今日は色々付き合ってくれておおきにな。またお墓参り行くときは連絡するわ。そんときはよろしゅうな」
と言って帰り支度を始めた。ものの数十秒で荷物をまとめ、ユノちゃんを片手で抱きかかえる。そして僕の肩をポンポンと軽くたたき、
「ええ子なんは悪いことではないけど、別にええことでもないときが多いんやで」
と言って颯爽と出て行った。本当に嵐のような人である。
● ● ●
僕は赤森さんの帰宅後、しばらくベッドで意味もなくスマホでSNSを眺めた。その後、おもむろに立ち上がり、コンビニで買った2Lのペットボトルからコップに水を注いで飲んだ。トイレに行って用を足し、肩と首をぐるぐると回して凝りをほぐした。
「……」
吸い寄せられるように視線の先が向かったのは、姉のデスクの引き出し。実はこの部屋に初めて来たとき、軽く荷物をあらためている。業者が来たときに、あまりにも衝撃的なものや見苦しいものがあっては姉も困るだろうし僕も困るので、一通り見ておこうと思ったのだ。そのときに日記らしきものを見つけたが、中を見るのはやめておこうと思い、そのままにしていた。
姉。青垣凛花。僕にとっては何を考えているか分からない完璧超人。しかし、姉の恋人だったという赤森さんから聞く姉は、年相応の、普通の人間のように感じられた。ここにある日記には、おそらく僕の知らない姉の思いや記憶がたくさん綴られているのだろう。本人の了解もなく日記を見ることに抵抗はあるが(もう許可を取ることはできないのだが)、それでも今、これまでにないことに、僕は本当の姉を知ってみたいと思っていた。
僕はデスクの引き出しを開け、姉が手書きでつけていた日記の束を取り出した。
日記は、姉が大学生の頃から先日まで、数日おきのペースでずっとつけられていた。




