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幸せの始まり

 その後、ルカと別れた鳴川は、会社を退職したらしい。マンションも引き払い、行方は不明だと、父親が話していた。




 5年後。


 鷲尾家には、壮介と厚子と再婚相手(美恵)の息子(慧人)が3人で暮らしていた。


 3人? 何故?


 美恵は、壮介と暮らし始めて1年を待たずに、家の貯蓄の一部と自分の荷物を持ち出し、家を出て行った。


『身勝手な私を、どうか許してください。慧人をふたりに託します。私は、どうしてもあの子に愛情を注ぐ事が出来ないのです。短い間でしたけど、本当に幸せでした。おふたりには感謝しています。私はもう戻りません。さようなら。  美恵』


 たったこれっぽっちの短い書き置きだけを残して。


 厚子は壮介に頼み込まれ、慧人のために仕事を辞め、育児に徹した。美恵が戻るかも知れないと、微かに期待を持ってはいたが、連絡は途絶えたままだった。壮介は美恵の事は諦め、慧人の小学校入学を期に、厚子と再婚する事を決めたのだった。



「ねえ、あなた。私ね、今になって思うんだけど、美恵さんは、最初から出て行くつもりだったんじゃないかって気がするの」厚子が言う。


「どうしてだ?」


「女の勘よ。彼女は慧人を育てるつもりなんかなかったんだわ。あなたの子である事がはっきりして、温情なあなたは、二人を母子家庭にしたくなかったから、責任を取って一緒になろうとしたのよね? ところがそこには、また私の存在があったわけよ。彼女は、私とあなたをフリーにさせて、私を慧人に会わせる機会を作ったのよ。私になつかせる為に。私達は彼女の作戦にはまってしまったんだわ。でなきゃ、自分が産んだ子を、すんなり躊躇もせず離すとは思えないわ。それか……、もしかしたら、子供が邪魔になった状況になっていたのかも知れないわよ?」


 壮介は、ふ〜っと深いため息をつく。


「……厚子……。おまえの言う通りだよ……。俺はわかってたよ。あいつが慧人を連れて、俺の前に現れた時から……」


「――――えっ! わかってた? どう言う事?」


「彼女が子供を連れて来て、俺の子供だと告げた時、俺は悟ったよ。美恵はこの子を俺に預けて、男の元へ行くだろうって。だから俺は条件を出した。俺の子だと証明出来るんなら、結婚しろと」


「なんで? どうしてそんな本意じゃない事言ったのよ!」


「本意じゃないわけじゃないさ。彼女への愛情は十分残っていたからね。それに、俺と美恵の子なら、二人で育てる義務があるからな。育児をして行くうちに、母親としての自覚も芽生えると思ったんだよ。ただ、そうなると厚子と別れなきゃならない。その事の方が、全く持って本意じゃなかったよ。ところが彼女は、俺の条件をすんなり受け入れるどころか、厚子とは別れる必要はないと言って来たんだ。我慢はさせたくないからって。おかしな話だろ? 彼女はタイミングを見て出て行ったんだと思う……」


「ふっ……。それじゃ最初から私に慧人を任せるつもりだったってわけ?」


「まあ、結果的にそう思われても仕方ないけど、彼女の気持ちが変わる事を少しは期待してたんだ……。結局ダメだったけどな。……もう、あいつの事は忘れよう。慧人の親は俺と厚子なんだから」


 慧人が大人になれば、いずれ知る日が来るだろう。その時に堂々と母親だと言い切れるようになっていなければ。厚子は自分自身に言い聞かせた。


「そう言えば、ルカ達、そろそろ帰って来る頃よね?」


「そうだったな……。土産話が楽しみだ」


「あら、私は土産物の方が楽しみだわ」と厚子が笑った。






 一方ルカは……。



「忘れ物ないか?」


「パスポートさえ忘れなきゃ、日本に帰れるから大丈夫よ〜。持って帰りたくない気持ちは、全部ここに置いて行くし」


「ルカ……。もう、大丈夫か? 無理に忘れようとするなよ?」


「無理してないよ。私は栄樹と生きるって決めたんだもの。ちゃんと前を向いて歩いてるよ。時の流れによって救われる想いもあるんだって、栄樹に教わったんじゃない。感謝してるの……。ほんとに……」


 栄樹はルカにそっと唇を重ねた。




 待てよ? 栄樹? 輝明じゃなくて? 何があったのでしょう。




 4年前、ルカと輝明は、一緒に暮らし始め、入籍をいつにするか思案していた。そんな時、輝明の父親が倒れたと連絡が入る。命はとりとめたものの、言語障害と身体に後遺症も残りそうだと言う。


『親父のやつ、制裁を受けたんだな、きっと。言葉が不自由になれば、女を口説けないからな』


『なんて事言うの? リハビリすれば、きっと回復するわよ!』


『どうかな……。親父も年貢の納め時だよ……。暫く入院生活になるみたいだから、取り敢えず、一旦家に帰るからさ』


『わかった。そしたら今度は二人で病院へ行こう?』


『ああ、そうだな』


『気をつけて帰って来てよ。まだ、車の運転慣れてないんだから。それに夜だし、尚更だよ?』


 輝明は1ヶ月前に中古車ではあるが、車を購入したばかりだった。


『だいじょーぶだよ。3時間くらい、どうって事ないさ』


『時間の問題じゃなくてさ〜』


『わかってるよ。ルカの顔を思いながら運転すれば、眠くならずに済むさ』


『もう〜。ちゃんと集中してよね!』


『ルカ。愛してる。ルカは?』


『もちろん愛してる……。もう〜、何? こんな時に……』


『その言葉を焼き付けて、早く帰るよ』


『だから、ゆっくりでいいから!』




 それが輝明との最後の会話になった。



 飛び出して来た自転車を避けようとハンドルを切った瞬間、ガードレールと電柱に激突。降りだした雨の影響も受け、タイヤがスリップした事で、最悪な惨事となってしまった。



 それからのルカは、輝明のマンションから離れる事が出来ず、まるで魂が抜けたような1年を過ごしていた。会社を辞めようとも思ったが、両親に強く止められ、母親は頻繁に様子を見に来ていた。

 輝明の父親からPCにメールが届いていたのに気付いたのは、更に半年が経過した頃だった。輝明の父親は、言葉も身体も後遺症が残ったままだが、指でキーボードだけは押せたらしい。そこには、ルカを思いやる気持ちが綴られていた。



『ルカさんへ。

 今頃になってしまって申し訳ない。もし、まだ輝明の事を思って過ごしているのだとしたら、続きを読んで欲しい。


 輝明の事を愛してくれて、本当にありがとう。私はダメな親で、輝明にも散々辛い思いをさせてしまいました。何ひとつ親らしい事も出来ないまま、あいつの幸せまで奪われてしまったのです。何で私を先に逝かせてくれなかったのか。悔しくてたまらないです。せめて、あいつが愛したあなたにだけは、絶対に幸せになって貰いたいのです。だから、どうか、輝明の事は思い出に変えて、これからはルカさんだけの新しい人生を歩んでください。きっと輝明もそれを望んでいるはずなんですから。情けないが、そろそろ指が疲れて来ました……。どうか幸せになってください。お願いします。お元気で。さようなら。

 輝明の父より』



 ルカは一晩中涙した。




 その半年後、細田栄樹が本社勤務に戻って来た。当然、ルカを誘う栄樹。もちろん、彼は何も知らない。はずだった。


「暫く会わないうちに、やけに細くなったんじゃないか? まさかダイエットしたわけじゃないよな? する必要なんかないもんな? それとも、どっか悪いんか? あ、もしかして振られたか?」


「もう、一気に聞かないでよ。どれもハズレ」

「じゃあ、家庭問題勃発か? それもねーよな。俺さ、社内報の退職欄と結婚欄だけは欠かさず見てたんだよ。毎回どっちにも載ってないから、気になってたんだけど」


「家庭問題も無い事もないけど…………」ルカは沈黙する。


「何かあったんだろう? ルカはプライベートな事は会社の人間にあんま話さないからな〜。噂も流れて来なかったよ」


「栄樹くんの方こそどうなの? 彼女とはうまく行ってるの?」


「彼女? ルカと別れて以来、彼女はいないよ。悲しい事に」


「えっ。でも空港に一緒にいた彼女はどうしたの?」


「あ〜。あの時のルカのパンチは利いたな〜。妹に散々問い詰められたよ」


「…………い、い、も、う、と?」


「あの時一緒にいたのは妹だけど? あれ……。もしかして勘違いした? だからあのパンチは半端なかったのか?」


「やだ……。私ったら、てっきり彼女かと思って……」


 栄樹はどうりで痛いはずだと、笑いながら、それでも誤解が解けて良かったと安堵の表情を見せた。


「なあ、何があったかは知らないけどさ、俺で力になれるんだったら、頼っていいんだよ? これでも一応、元彼なんだからさ」


「そうだったっけ?」ルカが――――――笑った。



 実は栄樹が戻って来た時、ルカの表情が何か変だったから、先輩である江田美代子に何気なく聞いてみたのだ。


「私が知りたいくらいだったわよ。でも彼女って、聞いても話さないタイプでしょ? プライベートに関しちゃあ、謎だらけだからね。でも、あんな表情の鷲尾さんは今まで見た事なかったから、余程の事があったんじゃないかって、噂してたんだけどね。ご家族は健在らしいし、恋人に裏切られたんじゃないかって……。だけどいくらなんでも、あそこまでは落ち込まないでしょ? って事になって。結局、真相はわからないままだったわ。でも、誰にだって触れられたくない事はあるものよね。1年くらいは元気なかったけど、仕事もちゃんとしてたし、随分元気になったのよ? 気になるんなら、自分で聞いてみたら?」


 やはりルカの身には、何かが起こっていたのだ。それを自分の中にだけに仕舞い込んでいたのだろう。


 ――力になりたい――。


 栄樹の直感が行動を起こした。


 そして、栄樹が誘った一言から、ふたりの付き合いが再び始まる。彼氏とは、別れてしまったんだと伝えていたルカが、事実を告げて来たのは、それから1年後の彼の命日だった。栄樹はルカをひとりにしてはいけない気がして、ルカを輝明の部屋から出し、栄樹のマンションに呼び寄せた。本社勤務になると同時にひとり暮らしを始めていた栄樹。転勤先でのひとり暮らしが快適だったため、母親の反対を押し切って、マンションを借りたのだ。



「私達、結ばれる運命だったんだわ。きっと……」


「俺が今まで誰とも付き合う気持ちになれなかったのは、ルカを守る力を蓄える為だったんだよ。きっと……」


 問答のように話す栄樹との会話に、ルカは心地よさを感じていた。


「なあ、ルカ? 旅行行かないか? 日本じゃない地域に行って、気持ちを新たにしよう。そして、帰国したら、結婚して欲しい。ちゃんと籍を入れよう?」


 突然のプロポーズだったが、そうなる事を感知していたルカは、笑みを浮かべると、たった一言だけ「はい……」と返す。そして「でも、それって、婚前旅行になるよね? そしたら新婚旅行はどこ行くの?」


「じゃあ、籍入れて新婚旅行にしちゃう?」



「ズルい!」


「まあ、今だって一緒に住んでるんだし、焦ることはないよ。思えば俺達、随分遠回りして来たよな。ルカがちゃんと彼の事を想い出に変えられるようになるまで、いつまでだって待つさ」


「うん……。私もね、自分でこんなに吹っ切れない程、あの人が染みついてなんて思わなかった。もう、4年も経つのに……」


「年月は関係ないよ。ひとそれぞれなんだし。だから、一度環境を変えて気持ちを確かめ合うのも悪くないと思ったんだ」


 ルカも同意した。今は自分の事を愛してくれてるひとがいる。ちゃんと肌と肌をぶつけ合い、温もりを感じられるひとが側にいてくれる。ルカは栄樹と歩む事を決意していた。


 そして今、ルカは空の上にいる。隣には、日本へ帰ったら旦那様になるであろう男性が、アイマスクをして眠っている。ルカは上空から窓の外の景色を見ながら、心の中で呟いた。



《輝くん、ルカは幸せになれるよね? 輝くんと過ごした日々が短過ぎて、あなたの死を受け入れられず、ずっと輝くんの姿を追い求めてた。ただいま、って玄関を開けて帰って来る気がして、何年も待っちゃった…………。でも、これからは隣に眠ってるひとが、ちゃんと抱きしめてくれると思うの。彼の腕の中もね、凄くあったかいんだよ。輝くんを忘れる事なんか出来ないけど、輝くんの分まで精一杯生きるから。だから見守っててくれる? 焼きもちとか妬かないでね? ルカを一生愛してくれるって約束は破られちゃったけど、ルカに幸せを運んでくれて、本当にありがとう》



 ルカの頬に一筋の涙が伝った。

 その時、窓を激しく叩く風の音とともに“ルカ”と叫んでる声が混じって聞こえた。

 上空では、激しい風など吹いてはいない。穏やかな快晴の空を定刻どうりに飛行していただけだった。


 幻聴? ううん。確かに輝くんの声だった。来てくれたんだね。やっと。


 ルカは、窓にあたる微かな風の音に耳を澄ませながら、栄樹の肩に頭をそっと乗せると、ゆっくり目を瞑った。脳裏に焼き付いた輝明の事を思い出す。そして、告白された時から、愛し合うまでの、ひとつひとつの言葉達を、思い出に変換して行く。



『ありがとう、輝くん』



 心で別れを告げた時、眠っているはずの栄樹の左手が、ルカの右手をギュッと掴んだ。


 ふーっとふたりの上をよぎった微風は、窓をすり抜け、上空へと流れて行ったように感じた。







 ―完―





『窓にあたる風』~二股の恋~を最後までお読み頂き、感謝いたします。

 これまでの作品も心の変化を描いて来ましたが、心理状態が同様化されてしまう傾向にあり、安易な言葉で表現する事に限界を感じてしまいました。

 とは言え、その限界の中で生み出される言葉で、今後も描いて行こうと考えております。

 共感していただける場面が一部分でもありましたら、それだけでも大変嬉しく思います。


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