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これから、どうなるの?

「……」


 ――何やら、父の話をしているらしい。

 ――それがとてつもなく悲しい事柄だから、だから大人たちは泣いている。


 そのことくらいは、座敷に集まる大人たちのようすを見れば容易に理解はできる。

 ただ、どのような話をしているのか。

 酷い怪我を負ったのだろうか、それとも急な病に伏したのだろうか。

 一二三(ひふみ)も大人にまざって教えてもらいたかったが、いまそれを求めていい状況ではないことくらいも察しはつく。

 だいたい一二三の幼い腕にはさらに小さな末弟がいるので、兄たちに近づくことはかなわない。

 それで困惑していると、従姉のひとりが一二三のかわりに末弟を抱いてくれて、大和がいつ泣いてもいいようにそっと離れのほうへと下がっていく。

 それを見やりながら、もうひとりの従姉にそっと小さな背中を押される。

 彼女が無言のまま、今度は一緒にお話を聞きなさいと伝えてきた。


「あの……暁久(あきひさ)兄さん……」


 大人たちが集う座敷に入れたのはいいが、どうしたらいいのか困惑をつづけていると、


「本日こちらに赴いたのは、先ごろ帝国に帰還し、捕縛された父が獄中からみなさまに宛てた手紙を届けるため。――事実上の遺言として各々お受けとりください」


 そういって、長兄は立ったままの一二三に自分の正面に来て座るように促してくる。

 先ほど再会したときとは打って変わり、軍服姿の長兄は表情も気配も整然としている。

 だからといって威圧や覇気、気圧されるようなものは何ひとつないというのに妙な緊張を感じてしまい、一二三は静かに腰を下ろし、姿勢を正す。

 その目の前にそっと差し出されたのは、一通の手紙。

 力強さよりもどこか流麗な印象がある文字。たしかに父の手跡だ。


「一二三も受けとりなさい。父さんからの最後のお手紙だ」

「最後……」


 最後とは、どういう意味だろうか。

 手紙はいま受けとって読むべきものなのか、それとも長兄の話が終わってから受けとり読むべきなのか。

 手を伸ばすべきかどうか悩んでいると、静かに目を伏せた長兄が話をはじめる。


「先日の帝都大空襲で、帝国内の米国に対する不満や嫌悪はいっそう濃さを増している。もしかすると明日にでも米国との開戦に突入してもおかしくない状況にある」

「開戦って……戦争のこと?」

「そうだよ。よく知っているね」


 難しいことはよくわからないが、十七郎(とおしちろう)が新聞を読んではそれらがどういうことなのかを一二三に教えてくれるので、単語としてなら何となくは理解ができる。

 もっとも身近な例が、それこそ先の帝都大空襲だ。


「そうなったらまた、空から爆弾が落ちてくるの? 町が燃えちゃうの?」

「……そうだよ」


 一二三の問いに隠すことなく長兄が答えてくる。

 戦争――そのものを理解することは、一二三にはまだ難しい。

 だから、国同士が諍う規模の憎しみ悲しみは想像もつかない。


 ――もし、戦争になったら……。


 そうなったら毎日のように、帝都を大火で襲った大空襲が帝国各地を襲うのだろうか。

 祖父や大伯父たちが日露戦争で体験したように、男たちは徴兵されるのだろうか。

 手足を失った者たちを一二三は知っている。

 顔や身体に酷い傷跡が残る者を前にして怯え、それを祖父に叱られたこともある。


 ――そんな怖いことになったら、大和が怯えて泣いてしまう。


 あの夜、赤子とはいえ本能的な危険に恐怖を感じたのだろう大和の泣き方は尋常ではなかったのだ。


「いやだよ……ボク、戦争はいやだ」

「一二三……」


 先の大火で命からがら逃げてきた者たちは、途方に暮れている。

 この地域の婦人会たちも懸命に世話や介護をしてきたが、酷い火傷を負った者が幾人も力尽きて亡くなり、供養の読経が聞こえ、線香が風に乗ってくる。

 夏の陽射しはときに二分化し、不幸に見舞われた者にとっては容赦のない影となって足元に憑く。


「大和、すごく怖がって泣いていたんだよ? 戦争がはじまったら、毎日あんなふうに泣いちゃうの? そんなのいやだよ」


 半ば身を乗り出すように言うと、長兄がやんわりとした目配せで、けれどもそれを否定することもなくうなずいてくる。


「そうだね。私も戦争はいやだ。何かを傷つけ、失うことはとても怖い」


 ――だからこそ。


「すくなくとも私はこの件、それが帝国海軍軍人としての責任の取りかただと思い、残される身となる海軍一同、捕縛されたみなさまも重々納得の上で銃殺刑を受け入れ、獄中におられるのだと……そう思っていた」


 しかしながら……。


 その軍法会議とやらの蓋を開けてみれば、何ともおぞましき実態。


「もちろん、当初は帝国海軍内も意見が分かれた。降格処分か、実刑処罰か。――きっと近い将来、避けようがない開戦があるかもしれない。兵員は徴兵できるが、それを指揮するには経験のある将校でなければならない。それを理由に減刑すれば、さぞ身内には甘いと蔑まされるかもしれない」


 心ある上層部は聯合艦隊司令部や軍令部にとっては恥辱かもしれないが、だからこそ汚名返上の機会を与え、粉骨砕身で「つぎ」に備えよと説く。

 半面。

 それでは日露戦争の勝利で雲上となった帝国海軍聯合艦隊の名を失墜させるだけだ、神代よりつづく国土に敵襲を許したとあっては皇家に詫びようがなく、帝国民への面目も立たない。

 何より、帝国陸軍に無能と嘲笑われることだけはどうあっても我慢ができぬ。

 保身の上層部は、何より南郷元帥が確立させた帝国海軍の威光を潰すわけにはいかない、との一点張り。

 前者も南郷(なんごう)元帥の名を出されてしまえば、それ以上口が動かせない。


「結果、帝国海軍がこの帝都大空襲を察知し、絶対防衛を誓いながら失敗に終わった極秘出撃の事実は一切公表せず、けれども責任の所在は必要で、聯合艦隊司令部、軍令部の幹部にだけ責任を押し付けようとする軍法会議の結果に判を捺したことには、私は納得できない」


 もっと端的に言ってしまえば、温情には心底誠意はある。

 しかし、汚名を得た者を明確にするのは必要。

 皇家への詫びも、南郷元帥への面子も二の次。

 両者とももっともらしい言い分でしかなく、帝国海軍全体としては帝国陸軍に無能呼ばわりされることだけは断じて我慢がならぬと――ここだけは一致してしまった。


「これが高潔と謳われてきた帝国海軍の実態だなんて……」


 いつもと変わらない、暁久の穏やかな口調。

 けれども言葉の端々に恨み言が募って、穏やかな波の下には渦巻くものがある。


「老兵たちはいまだに日露戦争勝利の時代に囚われている。それは帝国民もおなじ。その浮かれと固執が父さんたち将校を銃殺刑にまで押し上げてしまった」


 これを覆すことは、まだ年若き士官でしかない暁久には到底不可能だ。

 不満を口にすればきっと、わめいても声も届かぬ場所に飛ばされてしまうだろう。


 ――内情が耳に届くところまでいるというのに、何もできない己の無力が腹立たしい。


「私もとても悲しい。何かを正そうとしたくても正せない無力が父さんを救えぬとしたら、息子として、おなじ海軍の人間としてこれほど情けないことはない」


 他者に対する怒気よりも、自身の無力に対しての怒りに膝の上でにぎる拳が震えている。


 ――海軍門外不出の極秘事情をあえて口にする。


 母や弟はきっと口外はしないだろう。

 親戚たちも決して軽口ではない。

 だが、恨み言というものは他者に伝染していくものだ。


 ――現に士官である暁久が自らの口を動かしている。


「帝国海軍内でも、この件に関しては厳重な箝口令が敷かれている」


 当事者の身内ともなれば、とくに圧力は強い。

 家族には追々責任の取り方として刑罰処遇が伝えられるだろうが、それはあたかも正しいようでいて、偽りに捻じ曲げられた内容になるのは想像も易い。

 長兄が何を考え、何を本音に伝えようとしたかったのか。


「それって……」


 一二三とおなじように長兄と向かい合って座っていた十七郎が察し、「バンッ!」と畳を叩く。


「何だよ、それっ。ようは腐った身内が自分を護るために誰かを犠牲にするってことかっ?」


 いきなりのことに周囲がぎょっとし、長兄の脇に座っていた蔽九郎が手を伸ばして諫めようとしたが、双子の片割れの手を乱暴に振り払う十七郎の怒りは簡単には御せない。


「親父は亡くなった十万人に詫びて死ぬんじゃないのかよっ? 恥をかきたくない阿保たちに殺されるのかよっ!」

「そんなふうに言うもんじゃない。父さんたちに失礼じゃないか」

「ふざけんなっ、蔽九郎。納得しろっていうほうが失礼だろうがっ」

「……どういうこと?」


 父がこれから死んでしまうということだけは理解できた。

 だから、大人たちが泣いていたこともわかった。

 銃殺刑がどういう内容なのか、帝国海軍のえらい人たちがどうしてそのように決めたのかはわからないが、父が死ぬ、その事実だけは一二三だってもう泣き出したい。

 十七郎の手が簡単に届かない距離でそっと顔を覗きこむと、十七郎は誰にも見せたことがない鬼の形相で畳をにらみつけている。

 十七郎は言葉を選ばなかった。


「――いいか、一二三。父さんは軍人として死ぬんじゃない。腐っている阿保に殺されるんだ」

「……」

「父さんは腐った大人に殺される。――絶対に忘れるなっ」



 ――その口を長兄は咎めない。


 悲しみに暮れていた家族の涙は、それから口惜しさの涙となってひと晩。

 枯れることなく頬を濡らし、拭う袖を濡らすのだった。



《完》

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