笑う急須
エスカレア特別区中央から少し離れたところにある魔法研究所で、ボクは定期的に検査を受けている。魔力をまったくもっていない上に、跳ね返してしまうリフレクト能力の秘密を探るためだ。
身体の状態を調べるはずの検査なのに、最近は研究や実験への協力要請も多い。
「それで。今日は何を調べるのかしら」
子供だけでは心配だからと、毎回クリス先生が付き添ってくれる。保護者役をこなしてくれるのはありがたいが、本音は魔法学の教師ゆえの知的興味だろう。
今日もまた、検査とは名ばかりの実験が始まろうとしている。
「ピュラスさん、今日はこの子に何をさせるんです?」
「魔力を可視化する導魔器を試作してみたので、動きを調べてみたいんです」
何をされるのかわからない怖さで不安気な表情をしていると、ピュラスが微笑んだ。
「痛みや苦しみを伴うものではないですよ。誰であっても問題ありません、クリスさんであったとしても」
研究員のピュラスさんとはすでに顔なじみ。クリス先生とは年齢がひと回りくらい離れているけどウィザードギルド出身者という共通点がある。
実験室の真ん中に壷を置いたピュラスが魔法の詠唱を始めた。少しずつモクモクと、紫色の煙が吹き出してくる。
「吸い込んでも無害なのでご安心を。触れたり、つかんだりしてください」
普通の煙ですら不可能なのにと思いながらも、指示に従って手を動かしてみる。あたり前のように手の平から逃げていくのでつかみどころがない。
うちわで扇いだ風を受けても後方に流れていくだけだ。
「もう少し強くしてみます」
ぶおん、ぶおんと風力を上げると煙の動きに変化が見られた。紫色の煙が四方八方に散らばり始めたんだ。
「風の影響とは考えられない跳ね返り方をしてますね。試作品もひとまず成功でしょう」
息を吸い込んで吐き出すと紫色の煙がそのまま出て来るのが気味悪く、面白い。同じことをピュラスとクリス先生がやっても無色の息しか出ないのに。
「これくらいの魔力量なら大丈夫ですが、我々のような一般人が魔力を吸い込みすぎると気持ち悪くなるんですよ、魔力酔いというやつです。ラド君にクリスさん、お身体は変わりないですか?」
瘴気に当てられて体調を崩すなんて話もあるけど、ボクの身体は元気そのもの。
「まったくもって不思議ねぇ」
横で見守っていたクリス先生は煙たそうに顔をしかめているけど問題なさそうだ。
実験室に充満した紫色の煙が壷に戻っていくのをぼんやりと見つめていると、馴染みのない研究員が窓をノックしてきた。ピュラスに促されて中に入ってくると同時に、手にした急須を突き出してくる。
「ちょうどよかった。少しだけ彼を貸してくれないか。試してもらいたいことがあってね」
都合よく貸し借りされる立場だけど文句は言えない。ボクはマジェニア学園の生徒ではない上に、本来ならばエスカレア特別区に滞在すらできない身分。
それなのにボクがこうして存在していられるのは、被験者としての価値があるからだ。
クリス先生の家で世話になり、フェイラー学園長が配慮してくれているから多少の理不尽な扱いは我慢しなくちゃならない。
謝礼も弾んでいるみたいだけど、いくら貰ってるんだろう?
「それでステファン、用件は何なんだ」
「用途がわからないこいつを処分したいんだが」
目の前に置かれたのは、ニタりと笑う不気味な顔が装飾されている悪趣味な急須。誰が何を考えてこんなものを作ったんだろう。
「強力な魔法でロックされてフタが開かないんだ。君だったら開けられるかもしれない」
ボクのリフレクトは導魔器やマジックアイテムに触れただけで破壊することがある。マッドゴーレムは触れただけで土や砂に変えてしまうし、魔物だったら霧散させることもできる。
だけどまったく反応しない時もあるし、それはボクの意思とは無関係なので条件や法則は誰にもわからない。
「粉々に砕けちゃうかもだけど、それでもいいの?」
「保管状態からみて何十年も昔のものだろう。いずれにせよ廃棄するだけさ」
「すごく高いものだったり……危険だったりしない?」
「この程度の大きさだから問題ない……………………と思う」
そう言いながらステファンは実験室を出ていく。ピュラス、クリス先生も後に続いた。
「窓越しに見守ってるから。まぁ、念のためよ」
リフレクトの特徴に、物理的な衝撃には無意味というものがある。
この笑う急須の場合、開けた瞬間に何らかの魔法が発動しても跳ね返せるだろう。しかし爆発した場合、砕け散った破片で大怪我を負ってしまう。
ボクの能力は万能ではないし、都合よく完全無敵じゃないんだ。
「フタを開けるだけでしょ、さっさとしなさい」
人の気も知らず安全圏から指図するクリス先生。無神経さに呆れながら、笑う急須のフタをつかんで持ち上げた。
「ん…………あれ」
ウソのように簡単に外れて拍子抜け、中を覗き込んでも普通の急須と変わらない。窓の外に見せつけるとステファンが実験室に入ってきた。
「何の変哲もないただの急須だったか。でも使うには流石にあく……しゅ…………み」
足元から崩れ落ちるように倒れ込んだステファンの目はうつろで、顔は青ざめている。
「これはっ、魔力酔いだ!」
異常に気づいて外に引きずり出したピュラスも苦しそうにしている。クリス先生は眉間にしわを寄せて頭を押さえていた。
「急須の、フタを……閉じて!」
言われた通りにしてみたけど変化は感じられない。きっとフタを開けた時点で壊れてしまったんだろう。
「大量の魔力が……漏れている…………のか、そうだ、壷を……取ってくれないか」
壷をつかんだら砂粒になってサラサラと溶けてしまった。笑う急須から溢れた濃厚な魔力と壷の中身が反応して、目の前が瞬時に紫色に染まる。
「緊急事態だ、全員に連絡……退避と…………対応を……」
紫色の煙が充満した実験室で動けないでいると、騒ぎを聞きつけた研究員たちの叫びが聞こえた。ボクも脱出しなければ逃げ後れてしまう。
「足元は見えない、呼吸はできている、体調も問題ない」
これは火事ではない。熱くも苦しくもなく、建物が崩壊するわけでもない。
実験室は建物の二階の奥。這いつくばってゆっくりと、記憶を頼りに階段を下りてエントランスに向かう。いつもなら数分で済む距離を、安全に進むだけの簡単なことだ。
「外も紫…………え!?」
陽が沈むのはもう少し後のはず。それなのに外の景色は光が薄く、夕焼けの朱と紫が交わって夜の帳が下ろされたかのようだった。
「あいたっ!」
視界が悪い中で勘だけを頼りに歩いていたら壁に当たったみたい。体勢を立て直して歩き出そう前を向くと、奇妙な違和感に気付いた。
目の前の空間に目を凝らしてみると、壁でもないのにひびが入っている。
「ガラスの壁?」
強く叩いて壊すか他の道を探すべきか。体調に影響がないとはいえ毒々しい色をした煙の中に長居したくない。
「君、こっちだ!」
誰かが開けてくれた扉に向かって紫色の煙が流れていく。それを頼りに駆け足で飛び込んだら夕暮れの空、澄み渡った景色。ひとまず無事に脱出できたんだ。
「クリス先生は、どこ!?」
外の世界はまさに惨状を呈していた。地面に座ってうな垂れているのはマシな方で、うめき声を上げてへたり込んでいたり担架で運び出される人もいる。
「あー…………チビッコぉ……、こっちぃ、こっち…………」
「ヤバい顔してる。死んじゃう!?」
「顔は美人の、ままでしょう…………」
実験室で見たステファンと同じく顔に生気がない。そして呂律も回っていないという状態にはイヤというほど見覚えがある。
「重度の症状だとしても、ただの魔力酔い、お酒の……二日酔いみたいなもの、よ」
「なんだいつものことか。じゃあ平気だ」
おそらく他の研究員も無事だと信じて、冷静に周囲を見渡してみる。
建物が巨大な紫水晶に閉じ込められているように見えるのは透明の壁で包まれているからだ。
もしもボクが強行脱出していたら、紫色の煙が吹き出して大変なことになっていたかもしれない。ひびが入る程度で済んだということはそれだけ強固なんだろう。
「カミラさーん。ボク、脱出する時…………壁に少しだけ、ひびを入れちゃって」
「この防御壁にひび!?」
透明な壁は魔法の力によるもので物理的な材質ではないという。ひびが入った箇所はカミラが修復したおかげで運用には問題なさそうだ。
「まったく、危なっかしいのう。カミラよ、手間をかけてすまぬのう」
「あっ、フェイリア様」
「この防御壁はソードシステムの小型版、ひびを入れるだけでもハチャメチャじゃて」
騒ぎを聞きつけたフェイリアがやってくると研究員たちの表情が安堵に変わった。それほどまでに、魔法研究の専門家が全幅の信頼を置いているということだ。
「今の状態は見ればわかる。きっかけを知る者を探しておるのじゃが…………ここにおるということは、ラドじゃろう?」
「ボクのせい!?」
ピュラスとステファンは病院に運ばれたので、ボクが体験した範囲で説明してみた。
「誰もラドを責めぬよ。しかし…………ふむ、笑う急須か」
魔法や魔力による事故は今までも起きていたものの、ここまで大きなものは初めてらしい。その度に防御壁が機能していたが、今回は紫色の煙が仇になって禍々しく目立ってしまっている。
「急須に封じておった魔力はエスカレアの一週間分、それとて莫大な魔力量じゃ」
「笑う急須を知ってるの!?」
「そういうマジックアイテムが、かなり昔に存在したという事実をな」
「じゃあどうすれば? この魔力をフェイリアが全部吸い込むとか」
「質が違う、無茶を言うな。しかし安心せい、これほどの魔力を吸い込んで定着させるのはジェムストーンの原石で代用できる。この量じゃから、ある程度の大きさが必要か」
すでに研究員たちには街中を当たらせているけど、高価で貴重なものだから見つけたという報告はない。
「原石……家にある…………ものは……」
横たわるクリス先生が力を振り絞って言葉を捻り出している。苦しそうだけど、二日酔いと思ったらいまいち同情できなかった。
「そっか。ねえフェイリア、趣味研でゲームの準備をしてた時にさ、両手で抱えるくらいの大きさの原石を貰ったんだけど覚えてる?」
「そうか、それじゃ!」
廃坑で通路を掘った時に出てきた大きめのジェムストーンの原石。手伝いの手間賃代わりに受け取ったんだけど、対処に困って家に飾るしかなかったんだよね。
売ったら金になると言ってたけど、いくらになるんだっけ?
「今すぐ取りに向かわせよう、カイよ頼む。そうじゃな…………」
メイド服姿のカイだが、貴族の子息が多いエスカレア特別区では取り立てて目立つものではない。しかし他と大きく違うのはフェイリアが創り出したゴーレムということだ。
「わあ、カイだ」
「ラド様、ご無沙汰しております」
「カイに取りに行ってもらうってこと?」
「そうしたいが、勝手に家の中を漁るわけにもいかん。じゃから…………カイよ、クリスを負ぶってやれ」
「わかりました」
「うっ、ちょっと待ってよ、揺さぶられると……」
返事を待たず、クリス先生を背負ったカイはものすごい早さで消えていった。寝転んでもキツそうだったからボクが行ってもよかったのに。
「さて。待っている間に昔話でもしようか」
悪趣味な笑う急須は、五十年前にフェイリアが購入したものだという。
「研究の足がかりとして手に入れてな。魔力を吸って貯められるんじゃ」
この仕組みを応用した結果、エスカレア特別区全体を護るソードシステムを完成させたんだからフェイリアってやっぱり天才だ。
「この急須、ひとつ問題があってのう。貯める量がすぐに限界に達してのう」
その後、フェイリアは崩落事故に遭って五十年が過ぎてしまった。笑う急須が研究所に存在していた理由はわからないという。
「フェイリア様、お待たせしました」
「うむ、戻ったか。クリスはどうなった」
「健やかな眠りに誘われました」
ジェムストーンの原石をまじまじと見つめて満足そうにすると魔法を唱えた。ほんのり青白く、幻想的な淡い光を放ち始める。
「純度も大きさも申し分ない。街で手に入るものは欠片みたいなものばかりじゃからの」
独り言を言いながら、荒削りなジェムストーンの原石をボクに押し付けてきた。
「え。どうしてボクに?」
「何のためにクリスを犠牲にしたと思っておる。周囲の魔力を吸い込めるように細工しておいた。ほれ、ラドしか適任者がおらぬじゃろうに」
「それもそうかぁ……」
再び防御壁の中に入った瞬間から、原石が紫色の煙をどんどん吸い込んでいく。
放置するだけだと魔力溜まりができてしまうから効率が悪いと、建物の奥まですべて回ってくるように命令された。
建物にまとわりつく紫色の煙がなくなり、エントランスから一階のフロアへ。階段を上がって実験室に着いた時には真夜中になっていた。
「急須からはもう、魔力は出てない…………よね」
笑う急須を手にしても壊れることはなく、持ち帰ってフェイリアに渡した。
今回の事故は火事とは違って損傷した箇所はない。魔力を吸った原石はドス黒い赤色に変わってしまったが、これはこれで利用価値があるという。
空腹で倒れそうだとボヤいたら美味しい食べ物を差し入れてくれるし、疲れただろうと馬車まで手配してくれた。
研究所としては、迅速で安全に後始末ができた感謝を示したかったんだと思う。
帰宅した時のクリス先生は復調して顔色もよくなっていたが、何となく優しく接してきたような気がする。
そして翌日の放課後。
「して、わざわざ集まってもらったわけじゃが」
フェイリアに呼び出されたボクとクリス先生は、学園長室で事故の顛末を聞かされた。
特に大掛かりな復旧作業も必要とせず、研究所の稼働は支障がないという話だった。
「病院に担ぎ込まれたピュラスにステファン、他の研究員たちも退院したそうじゃ」
「私も昨夜は記憶が断片的でしたが、すでに問題はありません」
お酒を飲んで酔いつぶれた時と何が違うのかと思ったけど口にはしなかった。わざわざ学園長室で言うことではない。
「ラドにとっては散々じゃっただろうが、人的被害及びに周囲への迷惑や混乱を最小限に抑えられたと、研究員から感謝されておる」
ジェムストーンの原石は研究のために高値で買い取ってくれるそうだ。
労働に対する謝礼も弾むというけど、いくらなんだろう?
「クリス先生、ニヤニヤしてる」
「元から美人で優しい顔でしょう、黙ってなさい」
こんな話をするだけなら学園長室じゃなくてもいいし、フェイラー学園長が同席する必要もない。
今回の事故はマジェニア学園ならびに、フェイラー学園長とは無関係なんだから。
「事故の元凶になった笑う急須じゃが…………フェイラーよ、心当たりはあるかえ?」
「いや姉上、わかりかねますが」
「まどろっこしい尋問は嫌いじゃ、やめておこう」
普段は強硬な姿勢を崩さないフェイラー学園長だが、古ぼけた書類を突きつけられると動揺を隠しきれなかった。
祖父に詰め寄る孫娘といえば微笑ましいけど、フェイリアの威圧感には一切の可愛げがない。
「研究所の記録を調べ上げた。前の所有者は見知らぬ輩じゃが、古物商を畳むために持ち込んだとある。四十年ほど前のことじゃ」
「そ、それは……その…………」
「その古物商が気を利かせてまともな研究所に引き取らせたからよかったものの、悪用される可能性もあったのじゃぞ」
「当時はその、生活も……苦しく…………」
「すでに教師として働いておったじゃろうに!!」
今回起きた事故のように、マジックアイテムは危険なものだから取り扱いには細心の注意が必要になる。
それを理解しているはずの教育者が目先の金目当てに売り飛ばすとはなにごとかと、フェイラー学園長はフェイリアにしこたま怒られた。




