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「第14話」

 鋏で髪を切った。


「え、えっ?」


 切り落とされた髪が、まるでミミズのようにうねうねと蠢いた。私の行動をきょとんとした顔で見守っていたレイゲルが、目を丸く見開いた。うねうねと這い回っていた髪の毛は、ヒルのように元あった場所へと戻り、ぴたりと私の髪に張り付いた。すべての出来事は、ほんの一瞬で起きたことだった。


「……見たか?」

「……」

「私には、常識が通用しないんだ」


 レイゲルは口を半開きにしたまま、何も言わなかった。その反応は、今まで見てきた中では穏やかな方だった。


 ――それでも、私自身の手で直接見せたことはなかったのに。


「じゃあ、結ぶのはできますか?」


 しばらく呆然としていたレイゲルが、ぽつりと口を開いた。その言葉に、今度は私が動きを止めた。


「……それは、できる」

「では、結べばいいんですね!」


 レイゲルの目がぱっと輝いた。まるで『これだ!』とばかりの顔つきだった。


「いくらなんでも、髪を下ろしているよりは、まとめたほうが隠しやすいじゃないですか。生活もしやすくなりますし」


 今までの提案がことごとく却下されていたせいか、可能性のある方法を見つけて嬉しそうに話すレイゲルの声は、どこか弾んでいた。確かに、一理ある話だった。ただ、一つ問題があった。そしてその問題を堂々と言葉にできるほど、私は図太くなかった。私は少し顎を上げて、視線を逸らした。


「……だ」

「はい?」


 ほとんど聞き取れないほどの小さな呟きに、レイゲルがそっと問い返してきた。同じ言葉を繰り返そうとする唇が、かすかに震えた。


「できないと言った」

「どうしてですか?」


 レイゲルは純粋な疑問を投げかけているだけのようだった。けれど、そのまっすぐな視線が、今の私には息苦しいほど重たく感じられた。


「私が……」

「私が?」


 唇がかすかに動いた。すでに分かっていて、受け入れてもいたはずの事実なのに。だが、それを子どもに打ち明けようとすると、大人としての複雑な気持ちが湧き上がってきた。


「……髪を結ぶ方法を知らないんだ」

「え?」

「……」

「……」


 一瞬、静寂が流れた。そうだ。大人になっても自分の髪すらまともに扱えないなんて、驚くだろう。この状況を作り出したのは、まぎれもなく私自身だった。だが、残念なことに、それをまったく気にしないほど、私は図太くはなかった。


 ――はあ。まさかこんなことまで晒す羽目になるとは。


 顔が熱くなってきた。目のやり場に困って、視線をあちこちへ彷徨わせた。布が視線を遮ってくれているのが、せめてもの救いだった。先に沈黙を破ったのは、レイゲルだった。


「うん、なんかそんな気がしてました」

「……は?」


 慌ててしまう言葉だった。思わず、声が裏返った。勢いよくレイゲルの方へ顔を向けた。


「師匠って薬作りは上手だけど、それ以外は全部ダメじゃないですか」

「……」


 レイゲルの口調には揺るぎがなく、どこか得意げな様子があった。表情もまた、『ああ、やっぱり』と納得しているような顔つきだった。


「いくらなんでも、師匠に向かって……」

「でも事実じゃないですか」


 くぅ……

 否定できない事実に、言葉を返すこともできなかった。言い返そうとしても、すでに積み重なった前科があまりにも多かった。


 ――せめて、もう少し言葉を選んでくれていればいいものを。


 おかげで思い出したくもない過去の日々が、脳裏をかすめた。




 ***




 これは、レイゲルと出会ってから間もない頃の出来事だった。


「今着ている上着、脱いでみなさい」


 レイゲルは初めて会ったときと同じ、ボロボロの服をまだ身に着けていた。もちろん、あまりに目に余る光景だったので、私の服をいくつか貸してあげた。いくら私が小柄とはいえ、それがぴったり合うはずもなかった。性別の差以前に、大人と子どもという体格差があった。他の子どもたちよりは大きいとはいえ、私の服が完全に合うわけもなかった。結局、元の服と重ねて着るしかなかった。だが、その服ももう限界に近かった。名ばかりだとしても私の弟子だった。みすぼらしい格好のままにはしておけなかった。そんな理由で、私は手を加えることにした。


「……どうぞ」


 レイゲルはおとなしく服を脱ぎ、私に手渡してきた。私は長らく引き出しに眠っていた針と糸を取り出した。


「……何をするつもりですか?」

「少なくとも、人が身に着けて歩ける格好であるべきだろう」


 一番簡単なのは、村に下りて新しい服を買うことだった。だが、問題は――今、レイゲルを探している騎士たちがうろついているということ。危険を冒してまで服を買いに行くほどの価値がある子どもなのか。と問われれば、それもまた違った。だからこそ、せめて繕うでもしてやろうと考えた。私は目を細め、針の穴をじっと見つめた。何度か糸がなかなか見つけてくれなかった後、ようやく針に通った。


「魔女って、裁縫もするの……です?」

「やれないわけでもないが」

「なんか不安だけど……」


 レイゲルの言葉に、ちらりと視線を向けると、少年はすぐに口を閉じた。針が布の表と裏を往復した。何度か繰り返すうち、見守っていたレイゲルが声をかけた。


「師匠」「なんだ」

「裁縫は初めてですか?」

「初めてではないが」


 何故そんなことを聞くのかと目で問いかけると、レイゲルは無言で私の手元の服を指差した。針を動かした手を止め、服を広げて持ち上げた。


「……」


 不揃いな糸の間隔、曲がりくねった縫い目、余計なところまで行ってしまった糸――その結果、妙な形になってしまった。どう見ても、縫う前の方がマシだった。


「これなら、僕のほうが少しはマシにできそうですけど」

「いくらなんでも、それはないと思うけどな」


 差別する気はないが、普通こういうことは庶民がやることだった。そしてレイゲルは、由緒ある公爵家の出身だった。他の貴族たちとは比べものにならないほど大切に育てられたということだ。そんな子が裁縫を?あり得ない話だ。


「貸してください」


 否定するニュアンスに認めたくなかったようだ。レイゲルは手を伸ばして、私の手元にある服を引き寄せようとした。少しだけ迷ったが、私は手を離した。少年は自分の手に戻った服をあちこち裏返して眺めた。


「わあ、近くで見ると本当にひどいな」

「本人の前でよくも言えるな」

「事実だから……です」

「……」


 認めたくはなかったが、反論できる言葉がなかった。


「針、ください」


 手を差し出してくるレイゲルに、私は無言で針を渡した。


「君こそ、裁縫なんてしたことはあるのか?」

「ない……です?」

「私は初めてではなかった」

「その結果がこれですか?」

「……」


 私は口をつぐんだ。何も言い返せなかった。年は幼いのに、どうしてこうも言葉が達者なのか――


「よく見てください。僕はきっと、うまくやりますから」


 レイゲルは自信満々にそう言って、すぐに集中した。針と糸が布を通っていく様を見つめながら、私も静かに様子を見守った。そうして、しばらく経った頃、


「……あっ!」


 レイゲルの口から、小さな声が漏れた。

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