8.先に目をそらすのは、もちろんカヤの方だ
イルカヤマ中学校、体育館。
スペースの一画に道着姿の剣道部員たちが並んでいる。
1年性から3年生まで、男子は10名、女子は5名。
もちろんそこにはカヤの姿もある。
そのカヤがポカンと小さく口を開けていた。
彼らの前には剣道部の顧問と体操服姿の1年生の女子が立っていた。
顧問が言う。
「今日から入部する1年の桜宮マドカだ」
「よろしくお願いいたします」
と言ってマドカはペコリと頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
と部員たちが返す。
頭を上げたマドカはちらっとカヤを見て小さく舌を出した。
その後、練習が始まった。
カヤは他の部員たちに混じって素振りを繰り返していた。
少し離れた場所ではマドカが1年生の女子部員から竹刀の持ち方を教わっている。
「右手は添えるように。そう。それで左手で振り抜く感じ」
見ないようにするのだが、どうしてもカヤはマドカに視線を向けてしまう。
マドカもまたカヤをときどき見ているようで、何回か目が合ってしまった。
目が合うたびにマドカはニコリと笑う。
先に目をそらすのは、もちろんカヤの方だ。
やがて部活が終わり、制服に着替えたカヤは同級生たちと校門を出た。
「また明日ねー」
と手を振って別れ、家に向かう。
しばらくはそのまま歩いていたカヤだが、やがて「ふう」と溜息をついて立ち止まる。
振り向くと、やはりそこにはマドカがいた。
「桜宮さんもおうち、こっちなの?」
「はい」
「一緒に帰る?」
「はい!」
タタタと駆け寄るマドカにカヤは苦笑せざるを得ない。
二人はしばらく無言で歩いていたが、やがてマドカが言った。
「……あの、先輩。怒ってます?」
「どうして? 女子部員は少ないから歓迎」
「よかった」
ニコニコとカヤを見上げる。
そのあと、剣道についての質問をあれこれとしてきた。
カヤも自分が分かる範囲で一つひとつ丁寧に答える。
マドカが天使のことを話題にすることはなかった。
(きっと素直な子なんだろうな)
とカヤは思った。
その後はたいしたハプニングもなく、天使としてのアルバイトを続けることができた。
自転車に乗りながらスマートフォンを見ている学生や犬のフンをそのままにして立ち去る女性、路上でにらみあっている男二人、よその家の新聞を抜き出している老人、タバコのポイ捨てをするサラリーマン、ピンポンダッシュをしているランナー、コンビニから万引きをして逃げ出したカップル、子どもを外に締め出している母親などさまざまな人間に自立・共感・反省をうながした。
早朝ではあるが、サケノハラ市くらいの規模になると、それなりの数の人間が活動しているのだった。