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王平伝演義  作者: 阿雄太朗
内なる敵
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張郃の具足

 魏延の奮戦を皮切りに蜀軍は魏軍を破り、天水一帯を制圧することに成功した。張郃軍を破った王平が主戦場に駆けつけた時にはもう掃討戦が始まっていて、魏軍は東の瀧関へと退いていた。

 張郃軍を討滅したことが未だに王平の中に実感として湧いてこなかった。あれだけ強いと恐れていた張郃が諸葛亮の仕掛けた銅扎馬釘であっけなく戦力を失い、全身に矢を浴びて葦原の中で死んだ。敵とはいえ強い男が戦場の屍となったことが、王平には無性に物悲しかった。

 王平は部下に命じて張郃とその部下の意外を丁重に葬り、その後にやや遅れて蜀軍本隊に合流したのだった。

 寒空に焚火の木片が、ぱちりと音を立てている。どんな戦を経ようとも、焚火はいつもと同じ焚火の色をしていた。

 本営から帰ってきた劉敏が王平の焚火を見つけ、歩み寄ってきた。

「勝ち戦だというのに、あまり嬉しそうではありませんな」

 劉敏は焚火の近くに座った。

「戦はまだ終わっていない。浮かれるわけにはいかんさ」

「張郃を討ち取ったのは、お見事でした。丞相と幕僚の面々は喜んでいましたよ。この戦の第一戦功は、王平殿であるとも」

「そう言っていたのは誰か当ててやろうか。楊儀殿だろう。この戦の第一戦功は、魏の陣を破った魏延殿だ。楊儀殿にはそれが面白くないのだ。だから俺をそうやって褒める」

 劉敏が、見透かされたのを恥じるように苦笑した。

「俺は冗談で言っているのではないぞ、劉敏。どちらが第一戦功かと言い合えば、軍の中に亀裂が走る。俺と魏延殿との亀裂で、軍が弱体化するのはそういう時だ。王平軍は魏延殿が第一戦功であると思っていると、お前には心得ておいてもらわねば困る」

「そこまでお考えでしたか。次に丞相に会う時には、そのように伝えておきましょう」

 王平は、それに頷いた。

「木門に残してきた杜棋と蔣斌はどうなった」

 張郃戦後、諸葛亮からすぐに主戦場に呼び出された王平は、木門での後処理を劉敏に任せていた。最初に狙われた杜祺の隊には大きな犠牲が出ていた。

「杜祺は腕と腹の骨を数本折っていますが、命に別状はありません。しかし蔣斌の方が少々厄介なことになりました。体よりも心に傷を負ったようで、あの時のことを思い出すと全身が瘧の様に震えるのです」

 戦に恐れを抱くようになる新兵は少なくない。そういう兵はもう戦場では使い物にはならないため、息子を軍人にしたかった蔣琬はきっと落胆することだろう。

「だから私は、連れてくるのには反対したというのに」

 劉敏が呟くようにして言った。劉敏の中にも、蔣琬に対する負い目があるのだ。

「二人とも無事だったのなら、とりあえず良しということにしよう。蔣斌のことは俺がなんとかしてやる。あいつを戦場に連れてきたのは、俺にも責任があるのだからな」

「私はそのような意味で言ったのではありません。蔣斌をあんな目に遭わせてしまったのは、伝令に選んだ私の責任です。王平殿には、目の前の戦に専念してもらわねば」

「わかっている」

 張郃軍に踏みつぶされた杜棋の隊は散々なものだった。兵の首や腕が飛び、辺りに血溜まりができた。初陣であんなものを目の当たりにしてしまえば、心に傷を負うのも仕方がないことなのだろう。あの猛攻を受けていながら死ななかっただけいい。蔣斌を死なせていれば、蔣琬に会わせる顔がなかった。

「丞相は、今後のことについて何と言っていた」

「今回の一戦で兵力を大きく減らした魏軍は瀧関で体勢を立て直そうとしています。我が軍は体勢が整う前の魏軍に攻勢をかけます」

 焚火に照らされた地面に、劉敏が木の枝で地図を描きながら説明した。

「蜀軍は二手に分かれ、東進します。二手に分かれるのは実は見せかけで、北側を進む軍は街亭の辺りで南へ向かい、合流した八万の全軍で瀧関を攻撃します。目的は瀧関を抜くことではなく、一兵でも多くの魏兵を倒すことです。長安に籠らせる兵はここで大きく減らします」

「敵は関に籠っているのだろう。難儀な戦になりそうだな」

「勢いは我が軍にあります。また一つ、丞相から秘計を授けられました」

 劉敏がにやりとしながら言った。

「聞かせてみろ」

「魏軍に張郃は生きていると流言を撒きます。瀧関の近くに張郃軍が伏せていると思わせ、魏軍を瀧関から引き出すのです。その張郃軍に偽装するのは、王平軍騎馬隊です」

「面白い。丞相は俺に張郃になれと言っているのか」

「ここで魏軍の半数を討ち、瀧関から追撃してさらに討とうというのが丞相のお考えです」

「大軍同士で対峙している時はどうなることやらと思ったが、蜀軍が勝てる見込みは出てきたようだな。進発は明早朝ということでいいか」

「はい。張郃軍となる王平殿の騎馬隊に先発してもらいます。本隊の歩兵たちには明日丸一日、魏軍の残した軍市で遊ばせるようです」

「遊ばせるだと。俺の前では略奪だとはっきり言えばいい」

「それはそうなのですが」

 長い対峙に耐えていた兵にはこういった息抜きも必要であった。それは良い悪いではなく、戦とはそういうものだ。三年前、王双をこの手で斬った時、王双は長安にいる自分の女には手を出さないでくれと言っていた。そのことは忘れてはいない。魏軍を撃破し長安に入ることがあれば、その約束だけは守らなければならない。

 闇夜の中、王平軍に機密の輜重が運ばれてきた。

「なんだあれは」

「張郃軍から奪った具足と軍旗です。王平軍騎馬隊には、これで偽装してもらいます」

「敵だった将の具足を身に着けるのか。あまり気持ちの良いものではないな」

「そう言わずに」

 運ばれてきた張郃の具足は綺麗なものではなく、あらゆる所が傷つき、繕い直されていた。後方でふんぞり返っているだけの将の具足ほど綺麗なもので、修繕した箇所が多いのは、張郃が常に前線で戦い続けていた証だ。

 張郃との因縁は決して浅いものではなかった。洛陽で王双と共に山岳部隊の調練をしていた時、初めて負けた相手が張郃だった。あの経験は、今も王平の中で生きている。まさか張郃をこの手で討ち取るなど考えたこともなかった。

「どうされましたか、王平殿」

「昔のことを考えていた。俺がここまで軍人として生きてこられたのは、張郃殿のお蔭だったという気がする。俺が騎馬隊を動かす時、常に意識していたのがこの人だった」

「定軍山の時は、魏軍での上官だったんですよね」

「そうだ。私利の無い人であった。こういう人が散っていくのも、戦の持つ一つの空しさであるな」

「王平殿」

 焚火の上の虚空を見つめながら言う王平に、劉敏が心配そうな目を向けてきた。

「心配するな、劉敏。情に流されるほど俺は若くはない。ただこの具足は大事に保管しておいてくれないか。似たようなものなら、他に探せばあるだろう」

 劉敏が、少し恥ずかしげに頷いた。

 王平の周りに小隊長格の者が集まってきた。明日からの作戦を伝えるためだ。

 劉敏から小隊長へ作戦が伝えられ、それぞれに張郃軍の具足が配られた。王平は張郃の具足を手に幕舎へと帰った。王平軍の陣は静まりかえっている。大詰めを迎えた戦を前にして蜀軍は勢いに乗っている。ここで負けるなど考えられなかった。

 王平は張郃の具足を椅子に座らせた。強い男に勝った。しかし驚くほどにそれは嬉しくなく、具足を座らせた自分が馬鹿馬鹿しくなり、明日の戦に備えて寝床に伏せた。

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