第四十九話 『勇者選定-01』
聖国リナルド。
その名の通り聖王を奉るこの国では、多くの優秀な神聖魔法の使い手を世に輩出している。
彼の聖女『リジェッタ・ロサリオ』もその内の一人、魔王討伐へと向かう勇者の旅路を共にした。
魔族との争いの絶えぬ各地で、その仰々しい通り名に負けない活躍を大いに見せ人類に貢献した。
傷を癒やし、魔を払い、時に魔族の脅威から聖なる障壁で仲間や民々を守った。
民の命を率先して救った、彼等の希望の象徴である。
そんな彼女の帰還を待ち侘びた民は、彼女の身と引き換えに絶望を味わうこととなる。
都の憲兵が一度は入国を止めかけたほど。
民の知る誰にでも別け隔てなく接してきた笑顔には影が落ち、聖王より譲渡された純白の聖衣は見る影もないぼろ布に成り代わった。
余りにも変わり果てたその姿に、彼女の帰還が喜ばしいものではないことを誰もが言外に悟った。
そして聖王との謁見を経て、後日民に降された御触れは勇者と仲間の敗北とその死である。
希望の象徴たる彼等をもって失敗の結果に終わり、ひいては国を上げて送り出したはずの聖女の今の姿は国として尊厳と矜持を踏みにじられたに等しい。
誰もが魔王を討ち払う結果のみを信じ、おめおめと泣き帰ったその姿など想像もしていなかった。
聖女の貢献や気丈さを知り慕う民達は誰も咎めることも出来ず、だからこそ絶望の振れ幅は大きい。
聖女の持ち帰った絶望はそのまま民衆に伝播され、新たなる希望のきっかけすら見出されずに日々は過ぎていく。
人類と魔族との境界線たるユークリッド帝国が陥落し世界に齎された混乱も落ち着かぬ頃、聖王を中心にリジェッタ・ロサリオを含む聖国の上位聖職者及び有権者達の会談はしめやかに執り行われた。
嫌でもリジェッタが携えた空気をそのままに、重い沈黙が円卓を支配している。
「……早急に必要なのは、次なる勇者の存在であろう」
口火を切った聖王の提言は、まさにこの重い空気の原因そのものだった。
未だ実感のないその事実が聖王の口から聞かされたことで初めて腑に落ちる。
勇者の死を悼む間も与えられずに、必要とされる新たな対策を企てる。
勇者という存在なくして魔族との争いに平定は訪れない。
気不味げに息を飲み下すリジェッタの所作に誰もが同情する。
寝食を共にした仲間であり友人である存在の死を誰よりも否定したいはずの彼女の気丈な振る舞いは胸を痛めるものがある。
それを受け入れ、乗り越えないことには絶望が晴れることはないだろう。
「リジェッタ、君には酷だが協力してもらおうとも。――勇者選定の儀を執り行なう」
「……はい」
力なき返事だった。
王の言葉は勇者の死を受け入れることを強要するに等しい。
時代が望む次なる勇者の存在。
無論、雑草のように勝手に生えてくるわけもなく。
ただ武の才がある者をそう呼んでいるだけでも断じて無い。
英雄的行いを成すことの出来る者、かつ、聖なる力に愛された者こそ勇者に相応しい。
かつて勇者は、聖なる加護を持ちながらこの世に生を受けた。
産まれながらにして勇者であった彼のような者は他に居らず、今後現れたところで魔王がこの世界を掌握するまでに成熟する時間は残されていないだろう。
だからこそ必要なのは、聖王が口にした儀式である。
「我が国に代々伝わりし国宝、退魔の宝剣『セイクリッド・ロアー』に聖なる加護を付与し、台座へと収める。聖職者諸君に惜しみなき力を注いで貰えば、それは選ばれぬ者には決して抜くことの敵わぬ神器となるであろう」
これほど明快な話もない。
聖なる力によって施された封印を解くことの出来た者を新たな勇者とする。
選ばれた者の実力の真偽すら不明瞭な暴論的な方法ではあるが、形振り構っていられる状況ではないことは誰もが理解していた。
同時に、この手段に押し切るしかない口惜しさを噛み締めている。
儀式の性質上、国宝ともされる剣に不特定多数の者が触れることになる事実は避けられない。
それは国として威を損なう行為だ。
興味本位やただ成り上がりたいだけの下卑た思想がふるいに掛けられることなく国宝に触れられる機会など、本来あって良いはずもないのだ。
ましてその苦労の末に現れた勇者が聖国の民とは限らない。
聖国としてはただ国力を削ぐだけの可能性も否定出来ないが、今こそ各国の協力のもと魔族と相対す時であろう。
魔王が新たに名を改め帝国を陥れた事実は、最早疑う余儀すらない人類の種そのものの存続の危機である。
聖王は諸手を広げ声を上げた。
「身分や立場は問わぬ、必要なのはただ宝剣に選ばれることのみ! 我々は聖職者諸君の全力に応えられる者を望む! 全世界、赤子一人とて聞き漏らすことのなきよう、各国に触れよ!」
取り繕った言葉さえなく高々と宣告された内容の緊急性をそれぞれ噛み締め、有能な彼等は一斉に腰を上げる。
各自為すべき行動へと踵を返した。
聖王と側近の数名を残した円卓で、ばつが悪気に独り佇むリジェッタは気後れしたように自らの身体を抱きかかえている。
居た堪れなく語り掛ける聖王の口は、先の宣言に比べあまりにも穏やかだった。
「……『聖女リジェッタ・ロサリオ』よ、君以上に神聖魔法を扱える者など他には居ない。神聖魔法そのものを体現した君の力無くして、この勇者選定の儀は成り立たぬだろう。この国には――この世界にはまだ、君が必要だとも」
「――はい……」
弱々しくも、いくらか胸がすかれた返事だった。




