第四十三話 『時渡し-04』
サファイアは待ち惚けているている。
惚けている、とは言ってもその脳内では思考の整理が行われていた。
御心の知れぬまま聖剣に拘る王。
相容れるはずのない聖と魔の性質を半ば不合理なまでに押し通す言動に、配下の誰もが戸惑いを隠せなかったことだろう。これ程の慕情、もとい忠義を抱くサファイアもその一人だった。
理由も釈然としない中、傷心の主君のためこれみよがしに夜伽を申し出た。
それはサファイアの腹積もりに忠実に――とはいかなかったが、何かしらの役に立てたことへの幸福は今でもあの甘い記憶を蘇らせる。
サファイアの場合、腹部に残る痛みの感覚で愛する者の子でも授かったかのように愛でる仕草で如何にもな狂人ぶりが伺える。
彼女の蕩けた脳を現実に連れ戻したのは、他でもない想い人の帰還だった。
「レイヴン様っ!」
玉座の間に上擦った声が響く。
忽然と現れた主君の姿、その毅然とした佇まいにサファイアの思考は塗り潰された。
よもや彼の王が同じ失敗を喫することなどあろうはずもなく、その晴れやかな面持ちからも付随する結果は読み取れる。
主君の功労は言葉を介するまでもなくサファイアの気掛かりを退けた。
飼い慣らされた犬のように小走りで駆け寄り明朗な声を上げる。
「お怪我はございませんか?」
「ああ」
「疲れなどは?」
「無い」
「私の能力でお癒し致しますか?」
「不要だ」
「その……お慰みは?」
「……要らん」
分かりやすく温度差のある会話の熱量。
ことサファイア、付け上がっている。間違いなく調子に乗っている。
サファイアの中で例の一件は他の忠臣達よりも主君からの信頼度に優位性を得たと確信していた。
傍らに付き従うガーネットとクロノスの存在も意に介さない。
そんなサファイアの胸中とは裏腹にレイヴンは端的で無関心な言葉しか返さなかった。
態度にこそ現れないが、レイヴンは聖剣を手中に入れた余韻に未だ浸っていた。
レイヴンは高揚するサファイアの肩にポンと手を置いて宥め、おもむろに玉座へ向かいどっかりと腰を下ろす。
心労と呼ぶにも満たない疲労感を溜息一つに吐き出し、そしてまた淡々と口を開く。
「ガーネット、聖剣を此処に」
「畏まりました」
レイヴンの命令に頭を下げたガーネットは自らの能力で玉座の間より忽然と姿を消す。
彼女の能力を鑑みれば数分、あるいは数秒程度に過ぎないその時間を無気力に、それでいてどこか待ち遠しげとも取れる表情でレイヴンは寛いでいる。
サファイアからすればそれとはなしに君主が大義を果たした事実を裏付けられつつ、今正に彼の聖剣を目の当たりにしようとせん緊張感が跳ね上がった。
やがて、忽然と現る魔法の発光作用が玉座の間を照らす。
一目でそれと解る荘厳な球体の威圧感に、サファイアは思わず息を呑んだ。
「どうだサファイア? お前を苦しませてしまったこと、無駄ではなかったぞ」
ただ、啞然と見つめることしかできない。
聖剣――というより、それ自体を覆う魔の力。
さながら、精巧に描かれた絵画のように。
台座に刺さったまま虚空を佇む姿は、その瞬間を、時間すらも切り取ってしまったかのように存在している。
それを可能とする発想、それを可能とする能力。
いずれもサファイアの想像を絶したこの結果を脳が処理しきれないのは、やはり恋敵――改めガーネットの忽然性によるものなのだろうか。
こんなものをいきなり目にして、受け入れられる訳がない。
音に出ているようなサファイアの絶句はそのままレイヴンの言葉にかき消される。
「――さて、此度のお前たちの働きには君主として恩賞を与えねばならん。それぞれ望みを申せ」
サファイアだけ置いてけぼりな感情を更に突き放すように提案がなされる。
その甘美な申し出にサファイアの逡巡が追いつく間もなく、まず口を開いたのはガーネットだった。
「私は、此度の催事において何も失っておりません。これまで通り側仕えさせて頂くことがこの上なき名誉でございます」
クロノスに一瞥を向け、失った能力の差異を哀れみ謙虚に乞う。
君主への従事は前提に、伴った痛みの価値が劣ることを自覚した上だ。
目配せこそ無いがそれはサファイアや、あるいはファントマへも同様に抱いた想いなのだろう。
だからこそ何も望まず、変わらぬ忠義を捧げる。
「……無欲なものだな」
呆れ混じりに、されどガーネットらしい凛と澄ました佇まいをレイヴンは受け入れた。
「……じゃ、じゃあ寵愛を! 私はガーネットより多くの寵愛をッ!」
負けじとサファイアの口から出たのははしたなさを鑑みぬ直情的な発言であった。
あまりに迷いのない小粋なガーネットの発言に対して、熟考することに何か負けを感じての焦慮から思わず口からこぼれ出てしまう。
もっとも、それがレイヴンへ如何に印象付けたかはサファイアの知る由もなく。
「……善処しよう」
相も変わらぬ温度差を前向きに曲解しつつ。
浮かれ気分で口元をほころばせるサファイアだった。
「ファントマは――まあ、望みなど聞かずとも、か。お前はどうだクロノス。お前こそ最も多くを求める権利があるからな」
聖剣を得る過程において、家臣の彼らの中から最も功労者に相応しいのは他ならぬクロノスであろう。
レイヴンの我儘に払った代償は、レイヴンからしても居た堪れなくさせるほどの貢献だ。
そのクロノスの望みであれば他の何に代えてでも果たす義務がある。
「私は――」
言い淀み、しかし、腹心は決まっているとばかりに言葉を呑む。
――ただそこに、一時の覚悟を。
「ハワード・ストラトスとの、試合を」
「……ほう」
予期せぬ名が出てきたことがレイヴンの食指に触れる。
クロノスからすれば同僚とも言うべき彼の男にでも感化されたのか、その要求はレイヴンさえ唸らせる程だ。
まして彼の者程血の気が多いとも思えないクロノスへ、それもまた同僚として傍らの両名が怪訝を向けた。
当然のように向けられる疑念と奇色へ答えるようにクロノスが口を開く。
「能力を失った今の己の実力を測りたい、というのが私の望みです。強者を相手にどれだけ渡り合えるのか知っておきたいのです。ファントマのように血に飢えてなどいませんよ」
そう言って嘯くクロノスは身振りを加えて肩をすくめた。
続けて、怪我をした時には頼みますとサファイアへ向けた言葉に、能力を失くしたことによる破滅願望じみた悲壮感は感じられなかった。
単純にしてそつのないその理由を断る筋合いなど、当然無い。
ただ、配下の彼らが身を削ったほどには釣り合いの取れていない要求に呆れつつ、それが如何にもかとレイヴンは頷いた。
「良かろう。ならば万全を期し次第執り行う。今日は下がり、休息に励むが良い」
「――光栄でございます」
端正な所作で頭を垂れ、動きに合わせ甲冑の軋む音が響く。
聖剣を宿した荘厳な魔力の球体がクロノスを見下ろすように佇んでいる。
その一部の糧となった実感は、正味クロノスには薄かった。
もっとも、それは他の彼女等とて同じことだろう。
過程はどうあれ、この結果を持ち帰ることが出来る存在など魔王の他に居るはずもない。
魔の力が凝縮されたそれが物語る、彼の王にしか成し得ぬ偉業。
それを己の功績とすることなど、無論出来るはずもなく。
褒賞を授かることすら烏滸がましくも、されど分かりやすく能力を失くした手前に無下にも出来なかった。
そんなクロノスの心境を見透かしてレイヴンが続けた。
「ガーネット、ハワードにも伝えおけ。この試合は万全でなければ意味が無い」
「畏まりました」
レイヴンが念押すように含ませた言葉はクロノスに確固たる信念を与える。
クロノスの展望が何処まで看破されているものか、全能の如し君主にはその志しすら見通されているような気さえする。
クロノスは圧倒的な魔の塊を見上げながら思う。
そこに捧げた労力に後悔もなく、この忠誠が偽りではないことの自負の象徴である。
――同時に、己の能力の行方は正しかったのか、と。
天秤に掛けられたクロノスの葛藤の中で、脳裏を掠めたのは幼き少年の姿だった。
クロノスは否定や肯定をしてくれる訳でもない少年が思い浮かんでしまう思想を、きまりが悪く振り払うのだった。




