第三十七話 『不死の乙女-01』
魔王の力を過信していた。
万能であり全能であるはずの魔王の肉体が、そうであるが故に飽食した力を制御しきれなかった。
聖剣が折れたという事実だけを持ち帰った玉座の上、レイヴンの陰鬱はここに極まる。
「我ながら呆れるよ。欲した物をその手で握り潰すような子供じみた真似を犯し、おめおめと泣き帰るしかなかった。何も得ることが出来ないまま、いたずらに臣下の身を傷つけてしまっただけだ」
「し、しかし、聖剣が人間達の手に渡る前に壊れたのならそれで良いのでは?」
「……そうではないんだサファイア。俺は――この俺が、聖剣をこの手に収めようとしていたんだよ。それだけで聖剣が人間達の手に渡らなければ良いという話では済まされない」
もはや理由は論点になく、魔王の弄した策が失敗に終わった事が重大な問題となっている。
圧倒的な力に従事する彼らの前で、魔の王たる者としての威を損なう背信は他ならぬレイヴン自身が許し難い。
ただ報告を待っていただけの立場であるサファイアにはその事実を受け止め切れなかった。
何よりも、敬愛するレイヴンが見せた傷心の姿にサファイアが口をつぐんだままで居られるはずがない。
「ですが、大儀に準ずる結果を果たされたレイヴン様のご活躍に、サファイアは胸がすく思いです」
留守を待ったサファイアの立場としては、レイヴンの展望と得た結果にそれほどの差を感じられなかった。
慰めのはずのその言葉が主をより惨めに映そうとしていることに気付きもしない。
「お前のように考えられるのなら合理的だが……まあ、率直な意見として素直に礼を言うことにしよう」
陰鬱は晴れず、レイヴンは気重く息を吐く。
「――ハッ! 辛気臭ぇ顔してそんな小娘に慰められているようじゃ、俺の苦労も骨折り損らしいな」
身体を引きずるようなぎこちなくひた歩く足音と共に、気っ風の良い声が響いた。
レイヴンに対する口の効き方は身体の状態に反してその健在ぶりを表している。
「無礼ですよ、ファントマ」
仰々しいその態度を咎めたのはガーネットだった。
ファントマはそれでも態度を改めることなく、先の闘いを示す生々しい傷跡の勲章を見せつけるようにレイヴンの前で気怠げに佇んだ。
「もう、歩けるのか?」
「ああ。眠りっぱなしは性に合わねェんでな」
軽口を利くには少々痛々しい姿だが、ファントマの表情はそれを感じさせない。
見かねて口を挟むのは世話役のサファイアだった。
「アンタ、安静にしてないと怪我に障るわよ?」
「……構わねえよ」
聖剣狩りより帰還後、即座にサファイアの魔法による処置を施したファントマは命に別状のない状態まで回復を果たした。
手心を嫌うファントマの性質上傷跡を塞ぎきるまでの手当ては拒み、結果的に歩くことにも支障をきたしているらしい。
その上で威張れる強情の根源がどこから産まれているのか。
それは彼のみ甘受し得る特効薬だった。
「少し歩き回るくらいで死にはしない。どうやらこの程度でくたばるほどヤワな身体じゃあないらしいぜ」
「そりぁあ死にはしないわよ。この私が介抱したのだから、手足が千切れるくらいなら治してみせるもの。でも完全再生を拒んだのはアンタじゃない。そのくせムチャなことするつもりなら、アンタなんかに与えた私の労力を返してほしいものだわ」
「俺の身体だ。好きにさせろ」
「アンタねぇ……」
本人が口にする以上の制御方法もなく、サファイアはやり場のない怒りを覚えた。
もとより、他ならぬレイヴンが連れ帰った患者を無碍にすることもできなかったのは紛れもない事実だ。
焦がれる想いを抑え込み舌打ちに混ぜて吐き出すサファイアを尻目に、ファントマは改めて君主をねめつける。
「んなもんで、いつまでもそうしてガキみてえに機嫌損ねられてっとこっちまで陰気になっちまう。あんたが望んだ形とは違うかもしれねえが、これはあんたが配下の俺達に命じて得た結果なんだ。それが敗戦だったと言うなら、責任は俺達にある」
無礼も弁えずまくし立てた。
もはやどこか怒気すら孕んだ語勢はファントマの不満を露わにしている。
「確かに、お前の言っていることは正しいのだろうな。だがそれはそもそも前提が間違っていたんだよ。例えこのレイヴンが命じていようとも、勇者の他に抜くことも叶わぬ聖剣を望むこと自体が間違いなのだ。自分を勇者か何かと勘違いしてしまった、愚かな行為だ」
悠久の時を勇者であり続けた為の、精神にこびり付いた浅はかな勘違い。
魔王の身であって尚も拭い切れていないのだろう。
レイヴンが口にすることの滑稽みを誰も理解することはなく、ファントマから更なる怒りを買う。
「おいおい自惚れるなよ。正直に言っちまえば、あんたがこだわっているほど結果がどうか何てことは俺にはどうだっていいんだぜ」
悪びれもせず鼻で笑うファントマの発言は紛れもなく核心を衝いている。
先のサファイアの言葉を言い換えれば主張は同じだ。
ガーネットもまた慎んだ唇の内では直接的な言葉を噛み砕いたことだろう。
ファントマだからこそ、過ぎた口がレイヴンの凝り固まった思想をすり抜ける。
「――けどな、この高鳴りを勘違いなんて言葉で片付けられるのは、面白くねえんだよ」
愉悦。ただそれだけのことが怪我を押すほどの薬になるのは、ファントマがファントマたる故の自負である。
彼の闘いにて至上の――本物の愉悦を味わったファントマが、レイヴンの上辺を飾った言葉一つでさながらそれを無かったことのように扱われるのは誇りを踏みにじられるのと同義なのだ。
張り詰める緊張の中に怒気だけが余韻を残して漂う。
生憎と、ファントマはそれを許せるだけの器量を持ち合わせていなかった。
「どうやら、いつまでもふてくされては居られないらしい……だが少し……、疲れた」
言葉の矛先が互いに向いた状態で、先に口元を綻ばせたのはレイヴンだった。
レイヴンが陰鬱なれば、ファントマもまた面白くなさ気に憮然とした態度を取っている。
平行線を辿るばかりのいたちごっこに飽いたレイヴンは自ら身を引き嘯いた。
先ほどまでの剣幕が嘘のように、ファントマは腹の底から笑ってそれに応える。
「ハッハ! それがコレだけの大怪我抱えた一番の功労者の前で出る言葉かよ」
「……自惚れ、だな」
「ああ。お互いにな」
打ち合わせたように言葉を引き出させる予定調和な会話だ。
その文言を待っていたとばかりに言葉を重ねては、互いに自虐的な笑みを浮かべた。
反面教師となり身を削ったファントマの振る舞いに幾らか救われる。
収まりの付かない煩わしさに妥協点を与えてくれたような、彼なりの叱咤といったところか。
喉に引っ掛かる異物感はあるものの、これ以上の強情は魔王としての沽券に関わる。
自覚のある醜態を晒すことなど本意ではない。
ここらでファントマに倣い機嫌を直すことが体裁の良い落としどころだろう。
魔王の肉体を得て、初めて身に染みるほど痛感する敗北感。
勇者の肉体では為し得ることの出来なかった甘美な原体験からの反動は思いの外大きい。
廃れた感情が魔王の意識へと変質した今のレイヴンには釈然としない感覚のみ胸に残った。
舌の肥えた貴族のように、今更貧しい感情を強いられることに不快感を催している。
その真意までは悟らせずとも、ファントマの野性的な本能としか言えない鋭利な直感で気を遣われることが嫌にむず痒かった。
不首尾の代償としては安くついた報いを甘んじて受け入れるしかないのだろう。
「改めて礼をしようとも。ファントマ、お前の躍進のお陰で聖剣に手を掛けることが出来た」
「そんな素直な礼なんてあんたらしくもない下らねえ冗談だ。思っても無いようなこと口にするモンじゃあねえぜ。それとも、道化に勤めてやったこの演技力への賞賛として受け取れば良いのかい?」
「……好きにすればいいさ」
無駄に倦怠感を押し付けられるようなファントマの減らず口は絶えない。
礼に免じた手前で今更それを咎める気にもならず、レイヴンはため息を吐くようになだめる。
それこそ、建前上の謝礼の事務的な部分を見透かされたか。
ファントマは可愛げのないにやけ面を浮かべながら鼻先であしらった。
聖剣への後ろめたさから来る精神的な隙がこんなことで簡単に調子を狂わせるのだろう。
この身体を得て以来長らくそんな感情とは無縁だと思っていた。
勇者としての旅路の最中、常に付き纏ってきたそれと似た感覚をこの期に及んで思い出す。
自分の身体の内に生気や活力という存在を感じず、無気力なままに物を考える頭も働かない。
それを簡潔な言葉に言い換えるなら、どうしようもない疲弊感だ。
「どうやら、魔王という立場に付け上がり結果に固執し過ぎて躍起になっていたらしい。ファントマには悪いが、何か本当に、身体の力がどうっと抜けた気がするな」
玉座に深く腰を掛け直しながらレイヴンが独りごちる。
言葉の端々に見える草臥れたような声色は、それが先ほどよりも冗談がましい発言ではないと臣下の彼らにも伝えたことだろう。
これほど分かりやすいまでの泣き言を口にしたのは、レイヴン自身が魔王としての自尊心に陰りを隠しきれなかったからだ。
「レイヴン様、お疲れのようでしたら少々御休憩なされては? 言葉が過ぎますが、勇者を討ちこの帝都を陥落した今、我々魔族の脅威は充分に人類へと知れ渡っていることでしょう。多少の足踏み程度ではレイヴン様の威光を損なうことはありません」
サファイアに続きガーネットもまた、この君主に慰みの言葉を吐き出してしまうほど弱味を感じているようだ。
もとより、立場を度外視した愚痴を零したのは他ならぬレイヴンだ。
それだけにガーネットの進言が誠意を込めた申し出であることを裏付けている。
「……そうだな。少し、頭を冷やした方が良さそうだ」
自分のことながら、レイヴンは腹の底から沸々と浮かび上がってくる感情が不鮮明な形をしたままはっきりとしない状態に悶々としていた。
少なくとも冷静な頭ではないことを自覚し、ガーネットの薦めを素直に頷く。
長らく忘れてしまった感覚を受け入れるのには少しばかり時間が必要だった。
「どうやら、もうしばらく休んでても当面俺の仕事は無さそうだな。傅くべき王にこんな弱った姿なんて見させられて、白けちまったぜ」
「日頃の献身的な奉仕への報恩には物足りないか?」
「まあ、珍しいもんは見れたよ」
そう言い残して、したり顔のファントマがお道化た様子で踵を返す。
ぎこちなさの変わることのない足取りは、心なしか機嫌が良くなって見えた。
「――まったく。何がしたくてわざわざ怪我を押してここまで来たのか、まるで意味が分からないわね」
「そう言ってやるなよ、サファイア。あれで奴なりに俺を激励しているつもりなのだろう。もしくは、身体を動かしている方が怪我の治りが早いとでも思っているのかもな」
治療の世話を務めた身としてサファイアは立腹の様子。
それをなだめるように、レイヴンは玉座の間を後にしたファントマの背へと好き勝手に言い込める。
後者の可能性を無視することも出来ないのが率直に恐ろしいところだ。
絶えず文句をぶつぶつ呟いているあたり、それが日頃の不満によるものかどうかというところまではレイヴンにも計り知れない。
そのサファイアとは対照的にレイヴンのファントマに対する感触は悪くなかった。
本能に忠実で捉えどころのないその性格が羨ましくさえ思えるのは、魔王という立場とこの敗北感に結び付く煩わしさにいい加減飽きを覚えているからなのだろう。
ともすれば、新たな気に入れ替えるにはファントマに倣い服するのが手っ取り早そうだ。
「俺もさっさと床に就くとしよう。ガーネット、サファイア、これでお開きだ」
玉座から立ち上がるレイヴンが二人に目を配せば、ガーネットは流麗な所作で静かに頭を下げた。
自分の進言が受け入れられたことに対して何か特別感を得るでもなく、従者として当然の役目を務めたことに言を持つでもなく佇んでいた。
翻ってサファイアは名残惜しげに言葉を詰まらせている。
敬愛する存在を前に満たされないまま退席されそうな状況と考えれば自然だが、そこには何か踏み出し切れない覚悟のようなものを感じた。
口をつぐんだままでいられるのもレイヴンには居心地悪く、変に気掛かりを残したまま離れるのを嫌って単刀直入に問い質す。
「どうした、サファイア?」
「――ッ! あ、あの……!」
妙な緊張感だった。
別段、不適切な言葉をサファイアが操るとも思わなかったが、上ずった声が緊張に拍車を掛けた。
「お疲れなのでしたら、私が慰みに……! 慰み致してもよろしいですかっ……?」
彼女にとって、一世一代の思いの丈を綴った告白だったのだろう。
上目遣いに、その華奢な身体の強張りが伝わってくる。
よもやファントマに負わされた脱力を、更に気を抜かされることになるとは思いもしなかった。
それをサファイアに伝えることは酷だろうか。
「……サファイア。今宵、俺の寝室に来い」
――不死の乙女の、軽快な返事が城に木霊した。




