第十二話 『四忠臣』
ユークリッド帝国、アイゼンフォート城の一角。
謁見の間にはかつて座していたであろう玉座に王の姿は無く、代わりに深淵のローブを纏う魔王が威を持っていた。
傍らに従える側近は変わらず優雅に振る舞い、場所を変えたからと言って落ち着きのない雰囲気にはならなかった。
かくいうブレインもまたその傍若無人な態度に変貌はない。頬杖を突き背中にもたれ掛かっている。
環境の変化に違和感があるとすれば、それはブレインと側近の他に三人の者と空間を共有していることだろう。
魔王と側近、その二人があまりにも平然とした居ずまいを見せ、逆に緊張してしまうのは残りの三人だ。
否、彼らこそ緊張に捉われるようなたまでもなかろう。それぞれの思いがあって、怒号の交う戦場で笑っているような連中である。
ブレインの正面へ左から順に、側近、ドレス姿の少女、狼の姿をした獣人、ある意味では最もこの場に相応しい、甲冑を纏う騎士の姿が並んでいる。
ユークリッドの戦乱から一夜明け、今宵、アイゼンフォート城の謁見の間にて形式上の儀が行われようとしていた。
「まずはご苦労、とでも言おうか。お前たち三人は、この魔王の言葉の真意に最も近づき、尽力してくれた三人だ。その功績に称え、初めに俺からのささやかな労いの言葉を受け取ってくれ」
側近を除く他の三人は三者三様の反応を見せる。
ブレインの言葉に忠義のままに首を垂れている、というより身悶えして受け止めているのはあどけなさの残る少女。反して、つまらなそうに飄々と直立不動で、口元だけを僅かに綻ばせたのは狼だ。彼女ら二人をあざけるように、騎士は素直な忠義の下、胸に手を当て跪く。
彼らの中に存在するものが、果たして真に忠義であるか。側近のその凛とした姿勢を倣ってほしいとさえ思わせる。魔族という、広く一括りした中では絶対の忠誠に見えていたそれも、個々に焦点を当てるとこうも見違えようとは。
強いて言えば騎士の反応が一番わかりやすいのだが、そこまでではなくてもいいというのは身勝手だろうか。
魔王の言葉を聞いた時からこういった連中が集まることを懸念していた側近は、独りでに冷ややかな思いを携えていた。
「なおれ。それほど堅苦しいものじゃあなくていい」
堅苦しさとはかけ離れた輩も見える中、ブレインは敢えて形式的にものを言う。それは三人に向けて言っているのと同時に、側近の冷ややかな気配にもそれとなく伝えている。この中で最も体裁に気を取られているのは彼女なのだ。ブレインが取り立てて気にしていないようなことを敢えて気にする必要はない。
一名を除きそれぞれ背筋を伸ばして姿勢を正す。一人だけ、ある種魔王に通ずるほど傍若無人に振る舞う彼に蔑みの視線は集まった。しかし、この場で唯一発言の自由がある魔王が咎めないのなら、誰もそれを責め立てるようなことはしなかった。堅苦しさは不要というのが本音であるブレインからしてみれば、よっぽど好感が持てていた。
「これからお前たちにはこの魔王の最も近しいところに仕えてもらうことになる。新たに側近として、四忠臣として、心より迎え入れよう。差し当たって互いの名を知らないでは味気がない。……そちらから順に簡単な自己紹介でもしてもらおうか」
顎でしゃくるように示すのは左側。つまりは、側近から並んだ順だ。
考えてみれば魔王の肉体にブレインの精神を宿して既に数日、下令を出した時以外は片時も離れず傍らに仕えていた。その彼女の名も知らず多様に言っ付けていたことを考えてみれば、何たる無礼を下していたことだろう。両者が私情の部分まで干渉しあわない関係性が生み出した弊害だ。もっとも、そう思ったところでブレインに償う気はさらさらなかった。
ブレインがブレインという名を悠久の時の中に忘れてこなかったのは、勇者としての矜持である。勇者としてのしがらみの名残りがブレインの意識の中で残っているだけに過ぎない。そんな特殊な理由でもない限り、魔族の中にも個人を表す名は当然存在する。
魔王を殺し、また新たな世界へと巡る。終わりも見えぬ果てしない人生を積んだブレインだからこそ、魔王となった今、その代わり映えしない習慣の中に及んだ変化に浮足立っている。今まで討つべき対象であった魔王に成ったともあれば心象も百八十度に変わって不思議ではない。
かつて魔王を殺し新たな世界へと巡るために、死という手間が含まれていた。ブレインにはもはや死に対する抵抗はない。それでも、この魔王の肉体を持った今だからこそ、死への惜しさも生まれてくるというもの。
長らく味わうことの無かった愉悦というものを覚えてしまった身体を、簡単に手放したくないというのが今のブレインの心持だった。
ともすれば、その長きに付き合っていくであろう彼女らの名前を知らないというのも不便である。
ただ単純にそれ以上の意味も無くブレインは口実付けていた。
「それでは僭越ながら。私めが先陣を務め上げさせていただきましょう」
咳払い一つ、得意げに首を垂れて名乗りを上げる。とは言っても、魔王の配下にある者ならば、魔王の傍らに従える者の名が浸透していてもおかしくはない。この場に集うような者ならば尚更である。知らないとすればブレインだけになるが、敢えて口を挟む必要もないだろう。
「私の名はガーネット。空間を超越する魔法を得意とする者です。魔王様の御傍に仕えてきた誇りの下、一層の忠誠をここに誓います。以後お見知りおきを」
終わり際には淑やかな一礼を付け加え――ガーネットは簡単な紹介を終えた。手短に済ませた間の良さは魔王の意を汲んでのことだろう。魔王に仕えた誇りを強調するように、その部分だけいやが上にもはっきりと口を動かすあざとさである。この場合、見知りおくべきなのはブレインを除く三人だ。最も長く近くに仕えた者だけはあって、意思の疎通は計りやすかった。
続いて、と言うよりは、どことなく探り探りの調子で視線を動かすように繋いでいく。
様子を見ながら、魔王の視線に注目されていることを気づいた次点は改まって喉を鳴らした。
「私の名前はサファイア。魔王様は是非、サフィとお呼びくださいね。魔王様の御傍に少しでも近づくため、頑張った甲斐がありました。まさかこんなにも早く私をお求めになってくださるなんて……」
ただの自己紹介にしては妙に艶っぽく、何か誤解がありそうな物言いで甘い吐息を漏らす。
まだ満足しないとばかりに咳払いで改まり饒舌に口を続けた。
「治癒の魔法なら誰にも負けないわ。魔王様の御望みとあればどんな願いにもこの身を掛けて応えましょう。だから魔王様? もし、侘しい時があるのなら、いついかなる時でも仰ってください。ガーネットではなく、このサファイアが、魔王様のどんな慰みをも御受け止めする所存でございます」
あどけなさの見える容姿にはアンバランスな過激さが、サファイアと言う少女の気質なのだろう。ガーネットの言葉を受けたサファイアが、彼女の発言になぞらえて色目を使ってくる。それは嫉妬深さによるものなのか、他人よりは長く魔王に仕えたガーネットへの対比を意識的に植え付けているようだ。
サファイアにとって幸いなのは、魔王の肉体にブレインの魂が宿ってから時は浅い。ブレインから見た心象という意味で、そこに生じる優位性の差は大きくは開いていなかった。
ただし、鬱陶しいほどの好意のために、計器がマイナスから始まっているのは彼女にとって不利な点だろう。
何か甘ったるい雰囲気になりかけた空気を見かねてか、その隣の彼は一人苛立ちを見せていた。
際立った様相からして気の短そうな出で立ちだが、印象に裏切ることなく語勢を荒げた。
「ったくよぉ。魔王様に呼び出されたから来てみたら、なんだ、側近だぁ? 口が過ぎるかも知れねえが魔王様よ、俺は別にそんなつもりで戦ったわけじゃあないんだ。挙句にはこんな頭の固そうな奴と緩い奴、もう一人はいけ好かねえような奴と一緒にされるってのか。冗談じゃねえぜ。面倒くせえ」
憮然とした態度で文句を垂れる。魔王を前に、出来上がった規則を守るわけでもなく、大胆不敵に思うところを余すことなく告げた。返って豪快な印象を受けるような、しかし、それを許すのはブレインではなかった。
「魔王様の御前です。無礼な口は弁えなさい」
鋭い視線と声振りで制したガーネット。ブレインを含めたこの場の誰もが気を立たせているのは明らかだった。
顔を合わせて早くも両者の間に確執が生まれたようにも見えたが、こればかりはサファイアもガーネットに同調する。
「アンタ、何ものにも勝る魔王様の至高の御言葉を、面倒くさいと言ったわね? いいわ。この場に居られる価値すらないことを証明したら、これ以上面倒に巻き込まれることもないでしょう。私が相手をして惨めに泣かせてあげる。丁度いいじゃない。その可愛らしい見た目と同じように、子犬のように喚くことね」
「あぁ? 来るなら来いよ。先の戦いでちと傷は負っちまったが、喧嘩すんだったらいつでも乗るぜ」
煽り立てる挑発にまんまと殺気立ち始めた。もとより、戦いの中に愉悦を置く彼に拒否するような手立てはなかった。体毛が逆立ち、鋭利な爪が露わになる。獰猛に剥き出した歯牙から野蛮な威圧感を醸し出す。
対して、あくまでも冷然と保つサファイア。その様子をガーネットは静観し、騎士は我関せずと一歩身を退いていた。
一触即発の緊張感の中、沈黙が寄せ合い静寂を生み出す。
誰にも予期できない合図で両者が指先に力を加えかけた瞬間、ブレインはため息交じりの声を投じた。
「――やめろ見苦しい。サファイア。ここは俺に免じて下がれ。お前はまず名乗ってみろ」
ブレインの命令で素直に拳を収めるのはサファイアだ。自ら口にしたように魔王の言葉を凌駕する心事など無く、不服ながらも引き下がる。少なくとも手綱の操り易さでははっきりと明暗が分かれる。
狼の彼もまた落ち着きを見せた。不承不承と言外に物足りなさを見せながら、やり場のない苛立ちを押し殺す。相手方も失せた現状に萎え、一人目の色を変えていても惨めさを体現するだけだ。彼は蟠りの残る心境を切り替えるように呟く。
「……ファントマだ。見ての通りの獣人だよ」
「そうか。ファントマ。それじゃあ、腑に落ちない部分もあるだろうが聞いてくれ。この魔王の側近という役どころは、見るからに血の気の多いお前には退屈に思うことだろう。これは特別扱いというわけじゃあないが、お前には優先的にその血気を満たす役目を与えよう。適材適所というものだ。名ばかりの肩書だと思ってくれて構わない。それを落としどころとしようじゃあないか」
「……ハッ! 何だよ魔王様、俺の扱い方を良く分かってんじゃねえか。魔法なんてぇちゃちなモン使えはしねえが、俺にはこの純粋な力がある。いいぜ。それでいい。俺に戦いの場を与えてくれるなら、喜んでアンタの犬になってやる」
ファントマは、この場に集まって以来初めて懐っこく笑う。
彼は此度の侵攻の以前、元々魔王の拠点の防衛にてその腕を燻ぶらせていた。攻略の算段も無く人間が乗り込んでくることなど稀なことで、暇を持て余すことがほとんどだったのだ。勿論、その役目が重要な意味を持つことも理解してはいたが、ファントマほどの存在を燻ぶらせることに懐疑的な部分もあった。この自分をユークリッド帝国の国境際にて繰り広げられていた戦線に送り出していれば、もっと早くに侵攻を行えたのではないかと。
ファントマは久方ぶりに味わった戦場での快感に改めてそれを思う。ただ純粋に戦いを楽しむことこそ彼の力であり、自負である。その力を持て余していた今までを鑑みれば、魔王の提示した条件の都合の良さたるや、飲み込む外に選択肢はなかった。
満足そうに頷くファントマを尻目に、ガーネットとサファイアの二人は余儀なくして引き下がった。彼女たちがそれぞれ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているのとは対照的に、ファントマは満足げに大きい顔をしていた。
ただ一人、律儀に順番を守っていた騎士はファントマの表情を伺い見たことで発言の機宜を得るのだった。
「……では、そろそろ私に名乗らせてもらってもよろしいのかな?」
どこまでも律儀に順番までも確認を取る。否、それはむしろ皮肉か。崇拝すべき君主の御前で無礼を繰り返してきた彼女たちへの嫌味に近い問いかけだ。
彼女らの息を呑むような沈黙を肯定とし、彼は続ける。
「私の名はクロノス。時を操る魔法を得意とします。私もこちらのサファイアやガーネットと同じ所存。いついかなる時も御望みに適うよう、心積もりを決め魔王様の御言葉を待ちましょう」
前例に比べあっさりと売り込みを終え、クロノスは魔王に目礼する。一線を画するともまた違うが、どこか距離感を開けたような影の暗さ。その格好のためか、魔族の魔族らしさたる印象に欠ける。常に物憂げな影が表情に浮かんでいるのもその要因の一つなのだろう。
その中の最たる部分をサファイアは目敏い視線で野暮ったく問い詰めた。
「一つ聞いていい? その格好を、魔族の、それも魔王様の前で着ているのはどういうつもり?」
「……これは、騎士の鎧に業を封じ、十字架を背負っている。その表れです。敢えてこの場で話すようなことでもない、極めて個人的なことですよ」
「ふぅん……、そう。変なこと聞いて悪かったわね」
「構いません」
無配慮なサファイアは興味なさげに呟いて形だけの謝罪をする。さっぱりした受け答えで両者は改まって魔王に向いた。もとより、サファイアが興味のあるところは魔王のみ。クロノスとしても合理性以上のものを求めていない。ここまで順に来れば、残すは魔王の言葉だ。
ブレインは視線と静寂が集まるまでの束の間を待ち、大袈裟な手ぶりを加えて話し始めた。
「それでは、改めて歓迎しよう。ガーネット、サファイア、ファントマ、クロノス。これからお前たちにはこの魔王の手足となり、粉骨砕身の思いで仕え奉ってもらう。魔王の側近、四忠臣。その肩書に恥じぬ活躍を期待しようじゃあないか」
僅かに沸く、歓声には程遠いが、息の漏れるような小さなざわめき。されど、この彼らでさえ沸かせるほどの、魔王の言葉が持つ力。延いては厚く固い絶対の忠誠。それぞれの形を持ったそれは、彼らの中で確かに共鳴している。これから先は魔王の覇道へ共に歩んでいく、その自覚が生まれ出しているのだ。
「それともう一つ、この魔王の覇道の果てへと続く道のりで広めたいものがある――」
いがみ合いの関係性が常設化しつつある彼らの結束が固まりかけていたところ、ブレインは慮外な一石を投じるのだった。




