ヤロカ火 7 完
聡が全てのヤロカ火分体を滅した夜、新宿駅近くの雑木林の奥で一体の化生、『豆腐小僧』がフラフラと立っていた。近くには使い込んだテントが置かれいた。どうも豆腐小僧はここで暮らしているらしかった。
「と、ととと、お、オイラの豆腐がっ」
豆腐小僧は頭の皿に特大の冷奴を乗せていたが、その豆腐がジュージューと音を立てて焼き付き始めた。
「や、焼き豆腐にぃっ?! あぺばぱぶぅッ!!!」
豆腐小僧の体の穴という穴と、頭の皿の上の冷奴から、光る目を持つ淡水水棲生物の集合体が溢れ出し、同時にそれらは炎を放って、豆腐小僧と頭の冷奴を焼き尽くした。
「豆臭いヤツだ」
光る目を持つ集合体、ヤロカ火は吐き捨てるように言って、体の一分を豆腐小僧のテントの中に伸ばし、古びたコート、スラックス、靴、帽子、マフラーを取り出すとそれらの中に潜り込み、一見するとホームレスに見えないではない姿になった。
「一霊猫めっ、他の化生の腹の中までは探知していなかったな! くふふふふっ」
ヤロカ火は嘲笑い、さらに体の一部を伸ばしてテントをまさぐり、ボロボロのセカンドバッグを取り出し、中身を確認した。
「低級妖怪のクセに貯め込んでるじゃないか、ふふふっ。力が戻るまでは金が無いとやり辛いからな。しばらく沖縄辺りで様子を見るか。おっと、火の用心」
ヤロカ火は豆腐小僧の死骸を中心に拡がる炎を全て引き寄せて己を構成する集合体の無数の口で吸い込んだ。
「目立つと面倒だからな、くくくっ」
「・・・さて」
ヤロカ火がその場を立ち去ろうとしたその時、
ガガガガガッ!!!
地面から多数の岩の槍が突き出しヤロカ火を貫いた。
「何っ?! ごぽぁあああッ!!!」
多数の岩の槍に磔にされたヤロカ火は槍を引き抜こうとしたが、全ての槍は決して抜けなかった。
「ぬぬぐぅッ! 岩毛針、かぁッ!!」
「懐かしいだろう? ヤロカ火よ」
声がすると共に周囲は霞に覆われ、雑木林の陰から宮司とも山伏とも陰陽師ともしれない装束を纏い、紫と橙の仮面を付けた老人が現れた。片手には持ち手側が毛皮で覆われ獣の牙か爪の飾りの付いた杖を持っていた。
「お前ッ! 先々代の、狩り手ッ!!」
「豆腐小僧には悪いことをした」
老人は面を取った。聡の祖父、虎三郎だった。
「あの頃未熟だったとはいえ、お前を仕止め損なっていたというのは痛恨だ」
「ぬかせッ!」
ヤロカ火は苦し紛れに火球を数発、虎三郎に放ったが、いずれも虎三郎に到達する前に霞の渦に捲き込まれて掻き消えていった。
虎三郎は面を付け直し、杖を掲げた。それに呼応して磔にされたヤロカ火の全方位に無数の小さな岩の針が出現する。磔にされたままヤロカ火は身を縮めた。
「ま、待てッ! わかった! お前達の使役に応じる! 人を喰らうのも程々にする! こうしようっ、月に2~3人というのはどうだ? 少食だろう? 数が少なくとも時間をかけて大事に苦しめてから殺して喰えば十分いい味になる! 工夫しようじゃないか?! その代わり選ばせてくれよ? な? 俺は赤子と妊婦と処女が好きだ。希望に満ちた、勇気と活力のある青年もいいな。家族を丸ごと喰うのも好きだ。ああ、そうだ。『自分達の人生は悪くなかった』等と思ってやがる老夫婦をたっぷり苦しめ焼き殺して喰うのも好きなんだよ、へへへ。どれでもいい、毎月選ばせてくれるなら俺は」
ヤロカ火が言い終わらぬ内に、虎三郎は掲げた杖で引き払うような仕草をした。途端、ザザザザッ!!! 岩の針が一斉にヤロカ火を襲った。
「あッ?! ばばばうぅッ!! べぇッ?!!」
ヤロカ火は無数の針に擂り潰され、塵となり、霞の中に溶け消え滅びていった。
「お前には針だけやろう」
虎三郎は固く呟き、その姿も霞の中に隠れ見えなくなっていった。
秋晴れの放課後だった。結衣は三瀬真澄と並んで三階の廊下を歩いていた。二人とも予定の無い午後で、校舎をぶらぶらと連れ立って歩いていた。部活等をしている知り合いに出会して「何してるの?」等と聞かれ「別に」等と答えるのが楽しかった。
真澄は夏休みの後で居酒屋のバイトは綺麗に辞め、結衣も『狩り手』の役目を始めてからはガールズバーのバイトを辞めていた。時間の取れるようになった真澄に、頻繁には放課後会えない理由を作るのが少し大変でもあり、結衣は虎三郎に何かアリバイ作りに都合のいい仮のバイト先を探してもらってもいた。
「この間、椿の通ってるジムの体験コースに行ってきたよ」
「え?」
のんびり、話を聞いていたら急に聞き捨てならないことを話しだす真澄。
「椿って、教えるの上手いんだな。最近暇だし、ちょっと通ってみようかな。あ、そうそう、ジムに行った時、椿の彼女さんも来ててさ」
「あんまり無茶しない方がいいわっ!」
意図せず大きな声で言ってしまい、真澄を少し驚かせる結衣。
「あ、ああ。別にボクサー目指さないよ?」
苦笑する真澄。結衣は慌てた。
「うんっ、違う違うっ! アレだよ、事故とか、危ないでしょう?」
「そだね」
「そうそうっ、そうだよ。ね?」
結衣は何とか誤魔化し、そこから強引に霞ヶ丘駅近くの洋菓子屋の秋のスィーツの話題を振った。椿岳も早坂寧々もどちらかと言えば『こちら側』だった。椿は元々幼馴染みだが、これまで以上に真澄があの二人に接近するのは避けたかった。
「メープルマロンエクレアか、いいね。お? またサボりか?」
立ち止まった真澄が廊下の窓から中庭を見下ろしていた。
結衣も窓から覗くと、中庭の片隅で貴代とバスケ部のジャージを着た宏一が菓子パンと校内の自販機で売ってる安いパック飲料を手に、気だるそうに何を話すでもなく座り込んでいた。
「ダレてるなぁ、一時期ラブラブな感じじゃなかったっけ?」
「あの二人はあんなものよ」
結衣は大雑把に応えたが、貴代はともかく、最近宏一が以前はそれなりに真面目に取り組んでいた部活等に関心を余り示さなくなってきているのは少し気になった。そろそろ記憶を調整するのも限界なのかもしれない。例え本人が望んでいたとしても。宏一が異常に悪意ある化生の類を寄せる特質を持つ理由も一度調べ直す必要もあった。
「結衣」
「何? わっ?!」
真澄が真顔で顔を寄せてきて結衣は仰け反った。
「あ、ごめんっ。何か深刻な顔、してたから」
「そ、そう? 何でもないわっ。それより! 真澄。このままさっき話してたエクレア、食べに行こうよ」
「いいよ。マロンか、行こう」
真澄が微笑んで同意して先に歩き出すと、結衣は至って簡単に感動してしまった。『狩り手』をする限り命の保証はない。今、彼氏が普通に優しい。こんな贅沢なことはなかった。
「待ってよ」
少し甘ったれて真澄に続こうとすると、下方の中庭から視線を感じた。窓を見ると、貴代が凶悪な変顔で結衣を挑発してきていた。隣の宏一はワケがわからないまま大ウケしている。
「あいつ!」
「結衣?」
「うん、何でもない。行こ」
結衣は笑顔を作って気付いていない真澄に続いた。記憶の調整を拒否して『関係者』になってから、貴代は以前より結衣に対して強気になった。何なら隙あらばイジってくるようになってきており、結衣は内心頭にきていた。
次、妖怪関連でトラブったら助けるのちょっと待ってやろう。真澄の腕に自分の腕を絡めながら、結衣はそう密かに企むのだった。
霞ヶ丘の少し夕日の掛かった空の鰯雲に紛れて、一つの霞を引く雲があった。大きさはセダン車程度のその雲の上で、宮司とも山伏とも陰陽師ともしれない装束を纏った聡が胡座をかいてスマホを見ていた。紫と橙の仮面と変化を解いて鞘に納まった小刀の状態の奇尾丸は傍らに無造作に置かれ、雲の先端辺りには普通の猫の姿をしたムー太郎が座って空の先を退屈そうに見ていた。
「なぁ、ムー太郎」
「あたし今、ただの猫だから。喋らないよ」
「喋ってるじゃん」
「・・・な~にぃ~?」
心底面倒そうに聡を振り返るムー太郎。
「これ、どう思う? 何アピールかな?」
「ああん?」
聡は見ていたスマホの画面をムー太郎の方に向けた。SNSに工藤香織が彼氏の出羽辰彦との植物園デートを『超楽しい』と写真付きで連投していた。銀木犀と香織と辰彦、萩と香織と辰彦、ダリアと香織と辰彦、多数咲いたルクリアと香織と辰彦、併設の甘味喫茶で寛ぐ香織と辰彦、甘味喫茶の今月のお勧めメニュー、秋桜園の前で辰彦の頬にキスする香織、等々。
「何アピールって、ラブラブアピールでしょ? 植物園は渋めだけど」
「俺達のグループの所に上げまくらなくてもよくないか?」
「何もう? 知らないけどっ。最近結衣と真澄が仲良過ぎるから対抗してんじゃないの?」
「何でだよっ!」
聡が急に大声を出した為、ムー太郎は体をビクッとさせて驚いた。
「うるっさいわよっ。あんたね、猫は大きい物音立てる人間が嫌いなのよ? まずデリカシーが」
「工藤は剣道部と付き合ってるじゃんかよ?!」
「出羽辰彦ね」
「何で、千石に対抗すんだよっ? 意味わからんしっ」
「だーかーらーっ」
ムー太郎は前触れなく、二本足で立ち上がり、左手を腰に当て、爪のある右手の人指し指でスマホの画面を指差してきた。
「工藤香織にとって三瀬真澄はただの元彼じゃ『ニャ』いのよ」
「『ニャ』いのか?」
「『ニャ』いわっ! 元彼であり、幼馴染みであり、初恋の相手であり、記憶は消してるけど過去に数回、三瀬真澄とセットで化生関連のトラブルにも遭遇してる。縒りを戻したいワケじゃないでしょうけど、繋がり強めなのよ」
二本足で立ったまま知った顔で解説するムー太郎。
「んん? その『縒りを戻したいワケじゃない』ってのがさっぱりわからない」
「『私も元気だよ!』ってアピってんのよ」
「それ必要か?」
「不必要よ! でもしちゃうじゃない? また三瀬って『良い子』だから油断すると気を使ってくるでしょう?」
「こんなんアピったら余計気を使わないか? 千石だって」
「だから不必要だけどしちゃうって言ってんでしょ? この、互いに微妙に意識して気を使いあって変な感じなってゆくワケよ、立ち入り過ぎた男女の人間関係ってのはね」
「面倒だなぁ」
腕を組む聡。
「聡」
「ん?」
「あんた無関係だよ?」
「おおっ?」
「おおっ? じゃないよ。何、ちょっと『しょうがないから俺がフォローしてやろうか?』みたいなリアクションしてんの? びっくりするわ」
「いや、友達として」
「ここ友達とかいらないから。あんた、この男女のトライアングルに一切入ってないからっ。ファミレスで食べるカレーライスで言ったら、あんたは隣の席で家事をしない一人暮らしの若い女が夜中に寂しいと自覚も無いままに一人で食べてるガパオライスくらいのポジションだからっ!」
「ガパオライスっ?!」
「いい? 三瀬真澄、千石結衣、工藤香織。この三者はカレーで言ったら『ルー』『ライス』『福神漬け』くらいにガッチガチに固まってんの? わかる?」
「あ、ああ、何となく」
聡がたじろぐと、ムー太郎を白目を剥いて畳み込んできた。
「ガパオライスごときが出る幕じゃないのよっ!! あんたは大人しく、無自覚にっ! 孤独なっ! 職場の同僚と普段会うことも無いっ! 実家と連絡途絶えがちなっ!『絶対こんなヤツと結婚しない』みたいなヤツには妙にモテるっ! 相手の男にも『絶対こんなヤツと結婚しない』と思われてるっ! 自分の為だけの家事に耐え難い虚無感を知った都会の夜等と思っている一人暮らしの若い自意識だけは一人前な困ったちゃん女に食べられてなさいよぉおおおおっ!!! 目玉焼きも乗せられてぇっ!」
「ええっ?! 何かガパオライスが優しく思えてきたぁあああっ?!!」
おののいた聡はそのまま後ろに倒れ込んだ。夕日の差し掛かった空を見上げる。
「・・・一回くらい工藤に告白しときゃよかったなぁ」
ふざけるのをやめて呟く聡を二本足で立ったまま見下ろし、ふんっと小さく息を吐くムー太郎。
「大間、行っとく?」
「オオマ?」
顔だけ上げる聡。
「青森の大間よ。マグロを釣るの」
「俺が?」
「そう。あたし、お腹空いたわ。お供えしなさいよ。一切れくらいなら分けてあげるわよ?」
「凄ぇ上から目線だな」
「神様だからね」
聡はまた後頭部を背の雲につけて「う~ん」等と唸っていたが、不意にガバっと身を起こした。
「マグロのカルパッチョ、作っちまうかっ!」
「いいんじゃな~い?」
「よっしゃっ、いざ大間へっ!!」
聡は北を指差し、霞の雲をかなりの高速で急発進させた。夕日を受け、霞の尾を長々と引き、鰯雲の空を抜け、聡とムー太郎を乗せた雲はあっという間に霞ヶ丘から飛び去って行った。




