三章 幸福な晩餐
「あの時は傑作だったね」「いい気味だよ」
陽はすっかり沈み、リビングは暗過ぎて何も出来ない。ランプに火を入れ、取り敢えず薬缶でお湯を沸かす。隣の小母さんの買っていたココア。昨日から借りて飲んでいるけど、とても甘くて美味しい。とてもホッとする味……もっと早く知りたかったな。
ココアパウダーを練りながら、窓越しに外界の闇を眺める。脳裏に思い浮かべるのは、夕方会った同じ髪と目の男の人。
(今頃、あの格好良い人も小母さん達みたいに……ごめんなさい)
父が死んだ翌朝、村の人達が家に来た。私を助けてくれなかった薄情者達。“銀鈴”も私も、彼等を赦せる筈が無かった。
『お借りしますよ。幼き敬虔な信仰者』
四天使様が連れて行ってくれて本当に良かった。村人達は地中で始終五月蝿く、他の大人しい花達の迷惑だったから。
「ティー、私達にもそれ頂戴」
「駄目。管が詰まって枯れちゃう」
何処までも無邪気な“銀鈴”達と過ごすのは楽しいけれど、少し退屈だ。植物なせいか人のように色々会話出来ないもの。
(あの人なら……きっと面白い話を沢山聞かせてくれたんだろうな)
今更花を渡してしまった事を悔やむ。淹れたココアも今日は何処か苦い、と思ったら砂糖を入れ忘れていた。慌てて砂糖壷の底を浚う。
(切れちゃった。一応お金はあるし、明日街で買ってこよう)
もう食べ物はいらないけれど、まだリラックス出来る飲み物ぐらいは欲しかった。
「ティー、誰か来たよ」
「え?」
外の鈴蘭達がざわ、ざわ……騒ぎ出す。こんな時間に誰?
コンコン。「ティー、いますか?」「その声、ハイネさん?待って、今開けるから」
ドアを開けた瞬間、蒼い長袍の向こうにいた人に目が釘付けになった。どうして……無事なの?
「夜分遅くに済みません。あ、こちらは小晶 燐さん。僕の友人です、安心して下さい」
「そう、なんですか」
「こんばんは、ティー」
形の整った薄い唇が動くだけで胸がドキドキした。
「こ、こんばんは、燐さん」ペコッ、頭を下げ、改めて知人に向き直る。「ハイネさん。今日は一体どうしたんですか?」
「ああ、いえ……偶々通り掛かったので、顔を見て行こうかなと」
視線を逸らし、凄く言いにくそうな態度で、私は全てを察した。とすると、二人は宛ら―――死神、なのだろう。
「ココアだけなのか、晩飯?」
ゴソゴソ、背後から茶色い紙袋を取り出し、コロッケ買って来たけど食う?笑った。
「え?」
「街の肉屋のだよ。美味そうだぞー」
コロッケなんて一度も食べた事無い。稼いだお金は全てお父さんのお酒に消え、私はいつも残り物で我慢するしかなかったから。
「折角だから外で食おうぜ。今夜は月が綺麗だしな」
「そうですね。行きましょう、ティー」
「う、うん」
マグカップを持ち、玄関から家の外へ。
日に日に“銀鈴”達に侵食され、村は段々と人がいた頃の輪郭を無くし続けている。私の家以外は既に蔦に絡まれ、壁を蝕まれて。明らかに異常な光景に、しかし二人は全く触れなかった。
鈴蘭畑と化した元広場へ到着。腰掛けるのに丁度良い岩を二人に教える。
「ティー、こっちへ来い」
燐さんに強引に手を引かれ、一個の岩で隣同士座らされた。向かい合わせにハイネさんが座り、岩にいつも持っている棍を立て掛ける。
「ほい」
「ありがとうございます」
包み紙に入ったコロッケはまだ温かくて、齧るとじゃが芋がホクホクだった。少し入った挽肉から肉汁が出て美味しい、凄く。
「一杯あるからな、ドンドン食べろよ」
言いつつ彼も頬張ってモグモグ。横顔もとっても綺麗で、つい見惚れてしまう。
(でも、どうしてまだ生きているの……?花達は一体どうしたんだろう?)
呼び掛けてみたが返事は無い。捨てられたならここへ戻って来る筈。それとも燐さんがもう、
「どうしましたティー?」
「あ、ううん」
仮令偽物でも、初めての幸せな時間を壊したくなかった。
「それにしてもよく僕を覚えていましたね。会ったのは半年以上前なのに」
『綺麗な花ばかりですね。全部あなたが育てたんですか?』
みすぼらしい花売りに話し掛けてくれる人はそう多くない。彼は特にその不思議な風貌と雰囲気でずっと記憶の片隅にあった。背が高いのに、まるで子供みたいな人だったから。そう言うと旅人は、そうですか?首を傾げた。
「当たり前だ。手前みたいな童顔の武芸者、一目見りゃ嫌でも記憶に残っちまうよ」
「一応これでも今年で三十九なんですけど」
え、お父さんより年上?全然そうは見えない。
「だから学生って言ってんのさ。詰襟着てた方が正直目立たねえぞ?」
「スカーレット・ロンドのせいで体格が随分良くなってしまったので、窮屈過ぎてとても着られませんよ」
コロッケの最後の一欠けを口へ放り込み、パンパンと手を掃う。
(燐さんは私と……同じだ)
初めて会った時に分かった。姿形も生い立ちも全然違うけれど、私達はどうしようもなく同類だ。永遠の孤独の迷い仔。いけないと分かっていても、惹かれてしまうのは必然だ。
目と目が合う。吸い込まれそうな程深い闇は、とても心地良さそうだった。そのまま何も考えず眠れたらどんなにいいか……。
「ティー」
時間も肉体も越え、私達は分かたれた己の指先に触れる。
「駄目、ティー!」「こいつは敵だよ!殺さなきゃ!!」
五月蝿い!植物のくせに邪魔しないで!!
「燐さん……私」
「分かってる」
ああ、やっぱり……でも嬉しかった。他の誰でもない、彼が命を終わらせてくれるなら―――何も怖くなどなかった。