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命と戦った女(ひと) フローレンス・ナイチンゲール  作者: ぐろわ姉妹
第4章 働くことを許された看護婦団
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7話 素晴らしい装置

 フローレンスの夜回りが始まってから数日が過ぎた日。


 いつも通り二千人以上の病人食が忙しく用意されていく光景の片隅で、鍋や皿の乗ったワゴンを前にしたハンクは、フローレンスと向き合っていた。


「さぁ、サマンサ。

このボックスにカートを収めて固定してちょうだい」


 フローレンスがハンクに示すのは、当時めったに見ることのできなかった手動式の荷物用昇降機だった。


彼女の呼んだ大工により制作されたというそれを、ハンクが物珍しそうに覗き込む。


数日前まではただの壁だったはずの場所に、ぽっかりと開いた大きくて四角い穴の奥には、扉のない小部屋がぴたりと納められている。


たった今完成したばかりの作品を前に、フローレンスの設計した図面をひらつかせる大工は、そこに書かれた細かい計算と的確な注文項目に商売上がったりだと苦笑った。


「この婦長さんは大したもんだ。

一年半も前に見たっていう昇降機を思い出しながら図面にしちまうんだからなぁ。

一体何を作らされるのかと思ったが、こいつぁ素晴らしい装置だよ!」


 フローが設計図を描いたことにぎょっとしながらハンクは昇降機のボックスにカートを入れ、中のワゴンが飛び出ないようかんぬきをして固定した。


大工がすぐ横上にあるクランクハンドルをつかみ、ぐるぐると大きく回し始めると、ボックスは彼の動きに合わせてゆっくりと上昇していった。


 あんぐりと口を開けて目をきらめかせたハンクが、興奮して叫ぶ。


「婦長っ! すすす、すごいです! 

一体どこでこんな素晴らしい建築技術を 教わることができたのですか!? 

それ以前に、あなたのように才覚に満ちた女性がどうして看護婦なんかに! 

もっと価値ある仕事に就くことだってできたはずじゃ――」


 鼻息も荒く顔を赤らめたハンクは思わずフローレンスの腕に飛び付いた。


フローレンスが僅かに笑んで言う。


「この程度の事は建築ではありません。

数学ができれば誰でも図面にできます。

たとえ不必要であっても、私はそういった教育を受けて育ちました。

おかげでレディ特有の奴隷的な生活に苦悩しましたが……。

それに、私にとって一番価値のある仕事は、今就いている看護婦の仕事です」


 彼女が秘めているであろう更なる知識に、ハンクはすぐにでも質問をしたくてそわそわと体を動かしていた。


 だが、それを待たずして大工の男性がハンクを手招く。


「ほら、お譲ちゃん! 

このハンドル回してごらん、止まったら二階に着いた証拠だ」


 強引にハンドルを持たされたハンクが言われるがまま回してみると、しばらくしてそれ以上は回せない行き止まりが感じられた。


耳を澄ますと、ボックスからカートが引き出されていくような音が、壁穴を通して頭上から聞こえて来る。


カートの滑車が静かになると、今度は壁穴の上に取り付けられていた小さなベルが引き鳴らされた。


ちりちりと鳴るベルをぽかんと見つめるハンクに、フローレンスが言う。


「下降の合図よ。ボックスをおろして」


 ハンクはフローレンスの指先がくるくると回されるのを見て、手元のハンドルを反対巻きに回し始める。


すると程なくして、目の前の壁穴に空となったボックスが辿り着いた。


ハンクがこのかっこいい装置に声もなく感動する横で、フローレンスは満足げに頷く。


「異常はないようですから、サマンサ。

今日はこの昇降機でスープ鍋や煮込み鍋など、重い荷物を各階に届けて貰いたいのです。

これが上手くできれば食事運びに必要な人員が、ぐっと減りますからね」


 ハンクは思いがけず、自分がこのかっこいい昇降機のかっこいい操縦士に任命されたことが嬉しくなり、飛び跳ねてそこらじゅう走り回りそうになった。


その興奮たるや何度昇降機を上げ下げしても色あせず、ハンクはリタが運んで来る鍋を二階へ送り届けることに一心不乱となっていそしんだ。


昼食後の片付けが始まる頃にはハンドルを回す腕も震えきっていたが、張りきる彼は結局二階から下ろされる鍋も全て、自分の操縦で踏破したのであった。


  ◇


 本日が初任務であった昇降機操縦を終え、昼下がりには兵士の妻たちと洗濯をしてきたハンクは、夕方になる頃、今日中にやると決めていた区画のトイレ掃除を何とか仕上げているところだった。


昼間ハンドルを回しに回していた筋力は洗濯で更に消費され、デッキブラシによっても容赦なく削り取られていく。


それでも操縦士という肩書きに酔いしれていたハンクは、軍人を気取り、疲れなどないかのようにしゃきしゃきと動き回っていた。


トイレの前を通りがかった小柄な看護婦が、見かねて声をかける。


「サム、そろそろ看護婦塔に戻らないと」


「はい、すぐに!」


 それからまた一層忙しなくブラシがけをするハンクを、小柄な看護婦は心配そうに見守る。


「大丈夫かしら……」


 一緒にいたシスター・エリザベスも、普段は明るい眉をひそめて囁いた。


「そうね、何だかちょっと働きすぎみたい」


 だがハンクはそんな二人に片手を上げ、不自然なほど元気に「大丈夫です!」と答えるのであった。




【エレベーター】

 スクタリ兵舎病院にエレベーターは設置されていないのですが、フローレンスが大きく関係したエピソードのひとつとして、本作品に挿入されました。


 雪芳さんから頂いたプロットの時点で挿入されていたこのエピソードは、史実としてはスクタリに来る一ヵ月前まで勤めていた淑女病院というところで、地下に食器などを運ぶためのエレベーターをフローレンスが作ったという経歴に由来します。


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