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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
序章 無限転生
1/50

1 死んで始まる……

 

 ピーンポーン。


 お気楽な調子でチャイムが鳴る。


 ここで「はーい」などとかしこまった返答をして階段を下りはしない。来客への対応とは、常に自身のステータスと相手との勝負なのだ。


 ピーンポーン。


 急かすように鳴った二度目の音から逃げるように、こめかみに指を突き立てた。浅く切られた爪先が軽く頭皮に食い込むと少しだけ集中できる。


 まずはチャイムを鳴らしている相手の姿を想像するところから始めよう。


 通販や出前は節約のため最近は頼んでいない。親からの「今日行くから」の通知もスマホにはなし。つまりは他の誰かしらの可能性が高いだろう。


 下に聞こえないように灰色の靴下でカーペットを叩く。まだ少し思考が足りていない。


 通販じゃない。家族や友人でもない。消去法で考えると、残りは俺個人が必ずしも出る必要のない相手と想像できる。


 例、ウォーターサーバーの勧誘、宗教勧誘。


 じゃあ、ここで分岐点だ。早々に玄関に出て追い払うのか、居留守をするのかだ。


 表面的には取り繕える人見知り属性持ち。しかし、完全無視を決め込めるほどのスキルは不獲得。そして、来訪者を出迎えない理由ランキング上位二つである風呂と腹痛トイレの状態は回避している。


 しかし……。


 理由ランキング映えある三位を獲得しているオンライン対戦型ゲーム(一時停止無効)状態におかれている。


 ピーンポーン。


 急かすようにまた一つチャイムが下から響く。それにビクリと体を震わせて一時停止。


 部屋の明かりは消していて、物音も出していない。なので、相手は在宅中と決めつけてはいないだろう。そろそろ本格的に留守を疑う頃だ。


 来訪者不明。応答の義務皆無。現在、ゲームのアバターの体力は切迫中。


「居留守しよ」


 ヘッドフォンで雑音遮断。よっぽどの用事があるのであれば、インターホン越しに用事でも語るだろう。

 暗い部屋の中で輝く画面へと目と意識を戻すと、リロードした弾倉がガチャリと頼もしく落ちていった。


「……」


 ヘッドフォン越しに耳をそばだてているが、続くインターホンの音はなし、声も機械音もしていない。


「居留守成功。ふぅー、神経使った」


 ガチャ……。


「ん?」


 リロードしていたよな?


 普段よりも雑なリロード音が聞こえて残りの弾を確認する。弾倉は四十。所持弾薬にも変化はない。


 ガチャガチャ……ガコッ!


「いや、これゲームの音じゃないっ!」


 抑えた自分の声とゲーム音に重なって聞こえてきたのは激しい金属音だ。鈍くそれでいて破壊を目的としたようなその音は、カーペットの裏から振動と共に音としてこの部屋に迎え入れられている。こちらの居留守を察して実力行使へと出てきたようだ。

 ヘッドフォンを取っ払って軽くなった頭を携えて、パソコンへと背を向ける。


「出よう!」


 急いで存在を知らせるような足音を立てて扉を開いて階段へ。カーテンを閉めきり電気を消している一階は不気味と呼べるほどの暗さではないが、やけに鬱蒼としていた。


 でも、下りよう。下りて話をつけよう。何て文句を言ってやろうか。いや、こんなときは個人に対してではなく所属している会社にクレームを入れるほうが懸命か。個人と個人のトラブルとなると、過激なケースになることが多々ある気がする。


 螺旋階段と呼ぶには回転が一つしかない階段を下りきった。その目の前には長めの廊下が一つあって、突き当たりに少ない靴の置いてある見慣れた玄関がある。あるのだが……。


「は?」  


 見慣れた玄関が普段とは違って見えた。特に何かがないだとか何かが増えたとかではない。玄関らしい姿が目の前にあるわけだし、玄関の役割は確かに果たしている。扉を開いて来客を向かい入れ、扉を閉めてプライベートを確保する。

 

 そんな扉が微かに開いてそこには存在していた。


 鍵閉めてた……よね?


 自分のミスを真っ先に思い浮かべたが、廊下に面していた部屋の扉が一つ開かれることで全く別種のミスなのだと気が付いた。


 黒い頭がぬっと現れて音のしたこちらを向いた。


 誰だ? 知人じゃない。家族じゃない。この家には俺だけしか住んでいない。一人暮らしだ。見覚えなんてないし、そもそも顔も判断できないような覆面姿。さらにそいつの手には玄関の明かりを跳ね返す銀色の装備品が……。


 ゾッと背筋が凍る。けれど、動きは止まらない。


「くそっ!! 強盗だ!!」


「……っ! 何やってる! インターホン鳴らして確認したんだろう!! 人がいるぞ!!」


「知るか! 顔見られたんだ! 足が付くなんてごめんだ! やるしかない!」


 やるしかない? 何言ってるんだ! 何を言っているんだよ!


 心臓が押し上げられて内側から外側へと恐怖が広がって汗として肌からこぼれた。その瞬間、真っ黒の服をした男二人組がこちらへと向かってくる。


 ヤバいヤバい!! 失敗した! 


 ここで英雄的に立ち向かう奴は漫画やアニメの世界の住人だけだ。いくら自宅警備員になったからといっても、勤務歴二ヶ月じゃ話にならない。武器を持つ相手への答えはいつだって逃亡だ。多少ものが破壊され、奪われたとしてもここは逃げるしかない。優先は命なんだ。


 塞がれた玄関へは向かえない。リビングからも窓を開けば出られるだろうが、そちらも二人のせいで塞がれている。


 階段を駆け上がれ! 自室に立て籠るんだっ!


「あぁぁぁ!! 誰かぁぁ!!」


 大声を出して相手を不安にさせる作戦を取りながら二段飛ばしで階段を駆け上がる。この来客への対応としては完璧であり、唯一の生存ルートであ……。


「あっ」


 ずるりとスローモーションで自分のミスが静かに胸を満たした。灰色の靴下が目の前に見えた。夜空に月が上るように、靴下を履いた足が天井へと向かっていく。 


 滑……ったぁぁ!!


 片足で支えきれなくなった体が上と下とを逆にして。腰を階段の角にぶつけ、痛いと思った瞬間には次の角へと背中をぶつけ。記者会見のようなフラッシュが頭に弾けて。さらにひっくり返って天井を見て、頭をぶつけて……。


 痛い痛い痛い。あー!! くっそ!!


 内側の痛みと擦れて白い肌から血が滲む痛みに踠いて、一番ダメージの大きい背中に手を押し付ける。


「おい! 落ちてきたぞ!」


「好都合だ。さっさと殺せ。玄関は閉めておく」


 はっ? 殺す? 今、目の前に階段から落ちてきた奴がいるのに? ここまで無力な男を殺すなんて泥棒だとしても必要な処置じゃない。そこは「大丈夫か?」からの湿布を貼って椅子に縛り付け……。


「居留守なんて使ったお前が……、そう! お前が悪いんだ! 俺たちは悪くない。姿を見られなければ証拠をなくすためにお前を殺したりしなくてもよかったんだ。そう。悪くない!」


「待って。私は何もしません……か、ら」


 潜在的な恐怖を持つ銀色が振り上げられる。鍵やアルミホイルが持ち上げられるぐらいなら恐怖はないが、間違いなくあれは包丁だ。肉を細かく切るためのアイテム。それがある意味では正しい用途で、人間的に見たら間違いだらけの使い道で振り下ろされる。


 っうぅ!!


 俺の腹部の内側を信じられないほどの熱で焼く。止めどない吐き気。内部の不可解な重さと共に体の表面が冷めていく。

 全身がひきつって逃げる意欲から、痛みから逃れる生存本能へと切り替わるが、生き残るつもりであれば逃げるしかなかった。初心者強盗集団なんてろくでもない奴しかいないのだ。殺すと決めたら、相手が死んだと確信できるまでオーバーキルを繰り返す。


 死体蹴りじゃなく、死体刺しを繰り返す。


「うっ! うぶっ! ぶっ!」


「死ね! 死ね! 死んでくれ!」


 小さな噴水のように血が飛び出る。衣服を少し盛り上がらせて、赤色に染まって、また一つ穴が増えて、今度は逆に血の勢いが弱まって……。


 白い壁が赤く染まっていく。茶色い木製の床に醤油でも溢したような水溜まりが広がっていく。


 はは、血の勢いが落ち着いてきた。痛みももうないな。突き刺される衝撃はあるけど。


 ――視界が暗く狭窄する。音も遠くて生命維持だけに意識を集中するが、その燃料も穴だらけの体から絶え間なく漏れ続けている。


「……おい! もういい! そいつは死んでる! 急げ! 金目のものだけだ!」


「お、おう」


 金目のもの? ないよ。そんなもの。二十歳自宅警備員なめるなよ。


「……ふっ」


 最後の息が言葉にならない悪態と共に吐き出された。やれやれ、散々な人生だったな。 


 ビクリと体が無意識に揺れて、視界が途切れて暗転して……。


 影の多い天井を、特に思い出深いとも言えないまま頭に残して世界から落ちていく。多分、ゲームの中では敗北して、リアルでは金品も盗まれている。散々すぎる。救いがない。


 もっと生きたい……。もっと、もっと、もっと。


 ――死にたくない。


 最後の足掻きとして力強く目を見開いた。それでも、俺の視界に光が映ることはなかった。


 ああ、……死んだ。


 二人の男に背を押されて俺はついに死の淵を渡った。自分が死んだかなんて、経験なしには語れないのだろうが、断言できるほどの死の雰囲気がそこにはあった。


 いつの間にか人格を消すような痛みは消えていた。体の感覚も、目蓋を開くという行為も今は存在しない。ただの形のない魂という曖昧な状態で暗闇の中に浮かんでいる。


有畑(ありはた)奏真(そうま) 二十歳》


 ん?


 目すらない、視界すら存在しない状態なのに、目の前に白い文字が描かれていた。墨汁を塗りつけたような真っ黒な面に、ミルクのような真っ白な文字が左から右にとリアルタイムで描かれていく。


 誰?


 姿は見えないが何かしらの存在を感じて心の中で呟いた。けれど、ただの文字は答えてくれず、再び達筆の美しい字を乗せていく。


 《職業、自宅警備員》


 ……評価でもされているのか? でも引きこもりって言わないあたり結構優しい神様だったりとか。


 《なお、自宅の警備に失敗し、現在無職》


 傷口に塩を塗るな! 穴開きたてでまだ痛み残ってるから!


 今触れてほしくないデリケート問題を二重で痛めつけてくれた相手に異議を申し立てながら、何もできないままに消えゆく字だけを見つめる。意味があるかもわからない白い文字がコーヒーに沈むミルクのように消えてから、また次の文字が浮かび上がる。


 《生存意欲・高 生存率・低》


 生存率? 生存意欲? もしかしてまだ死んでないとか? じゃあ、目が見えない中で音を頼りに字を連想している感じか。実はここが病院で……それなら、不気味なこと言わないで早く治療してくれない?


 自分の状態は理解できていなかったが、あそこまでの刺し傷で死んでいないとは思えない。しかし、こんな風に言われているということは、偶然お隣さんが腕の良い医者で、偶然腕利きの警察官の友人を向かえていて、俺の叫び声を聞いて駆けつけてくれた可能性はある。


 だからまだ俺は生きていけるのかも……。


 《適性有り》  


 俺の評価の終わりと言わんばかりに描かれた白い文字。これまでの文字とは異なり、淡々としたフォントの文字が俺の意識の真ん中に浮かぶ。今度は消えていかない。残り続けて、俺の意識に刷り込むように……。


 適性? 何の? ん? うっ、ううっ!?


 船に揺られるような、上下左右への揺れが起きる。何かが起きている。けれど、体は動かない。


 何だこれ! なんだこれ! 


 答えは決して現れない。残っていた文字すら消えて、ついには闇だけが視界を埋め尽くした。そして、その闇は俺の体の内側まで侵入し、意識へと黒い染みを染み渡らせる。


 パニックになるほどのことが起きているのだが、パニックなれない自分がいた。意識が消える。本当の意味で自分が死ぬ。壮絶な死の恐怖を感じられないままに自分が消える。


 それなのに……。


『待ってるから』


 声が聞こえた気がした。けれどそれさえも遠くに消えていく。

 ブクブクと消えていく。泡となって暗闇に同化しながら溶けて溶けて……。ブクブクと。ブクブクと。そして、俺の意識はただの暗闇に飲まれて消えていった。




 ――息をしろ。


 たった今死んだばかりの相手に向かってかけるにしては不自然な言葉が頭の中に響いていた。


 俺の魂はあの体から抜け落ちてドロドロに砕けて消えたんだ。だから、今さら呼吸なんてして酸素を取り込む必要なんてないだろう。それにしても誰がそんな今さらなことを……。


 息をしろ!!


 って、これ俺の声じゃん!!


 ばっと目を見開くと、目の前に白黒以外の色が映りこんだ。そして、ようやくこれが自分の体からの悲鳴だと気が付いて大きく息を吸いこんだ。


「はぁっ、はっ!」


 空気が足りなくて苦しい胸は、張り裂けそうなほど暴れまわっており、そこに新鮮な空気を送り込むと、また一つ苦しさが現れる。


 一つ一つ死者から生者の姿に戻るように、感覚が取り戻されていく。取り戻されていくのは主に苦しさばかりだが、その苦しさこそが生きている証ではあった。


 視界が少しずつ広がり鮮明に変わっていく。苦しくて俯いていた先にあったのは暗い色合いの茶色い机の面。それを落ち着きのあるオレンジがかった明かりが照らしている。


「はぁはぁはぁ……んっ。はぁ」


 空気の行き来で乾いた喉を唾を飲み込んで落ち着かせる。まだ心臓はドクドクとうるさい。体から流れ出た汗は服の下で蒸れている。それでもようやく人としての理性は戻ってきた。


「夢オチって……やつか。ちょっとリアルすぎるんだけど。痛みとか凄くてトラウマなんだよ。夢なのに」


 苦しくて机に押し付けていた頭をようやく上げた。ひどい夢を見ていたせいで、背中だったり腹だったりに痛みが残っているようだったが、服を捲ってみても体は綺麗なもの。


 傷なし。穴なし。出血なし。ついでにナイフもなし。


 だとしたら、この息苦しさも、夢に体が反応して無意識に息を止めていたせいだろう。


「夢で死んでも実際には死なないのが普通だとは思けど、こんな睡眠時無呼吸症候群みたいなものが勃発したらそれもあり得るって。うんうん。ん?」


 ……いや? 夢、なのか?


 確かに、これまでが夢だったと思えるような無傷の肉体はある。しかし、ただ一つ。一つだけこれまでの体ではあり得ないものがあってしまった。




 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO




「何これ?」


 いつの間にか視界に浮かんでいたのは長方形の青いウィンドウ。非現実的すぎて触って確かめようと手を伸ばすも、簡単にすり抜けて指に触れることはない。


 医者がするにしては手がこみすぎていて、コンプライアンスの欠片もない文面。それにこの最初の文面。『転生ポイント』なんて、まるで今の状況を物語っているようじゃないか。


 自分を中心に部屋が回る。本棚、机、本、照明、棚……。やっぱりだ。ここは普段寝ている俺の部屋じゃない。つまりこれは……。


「転生……したってことかー」


 はぁー、と長く息をつくと歪んでいた世界が戻ってくる。生きていられることへの安堵。それと同時に失ってしまった自分という一つの命への喪失感。そのどちらもが同じぐらいの配分で吐き出されていた。

 それでも、ひとまずはこれはやらないといけない。こんな質問を目の前に放置していたくない。



 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO



「NOだよ。折角転生したなら精一杯楽しむよ」


 すると、「ですよねー」と言いたげに早足でウィンドウが消えていった。



 転生した瞬間に動き回れるほどの気力はなくて、顎を机に乗せたままぼんやりと机の上の景色を眺めていた。


 机の右側には青黒い羽ペンとアメジストらしき結晶の生えたインク瓶。

 奥にあるオレンジ色の温みのある光を放つ楕円状のテーブルランプ。

 俺の心臓に規則的な動きを思い出させてくれたありがたい木製の置時計。

 失くしてしまったとでも言いたげに真ん中の一ヶ所だけを空にした本立て。


 そんな並ぶ本の背表紙を目を細めて見つめる。辛うじて文字として認識できる並びのそれは、持ち得る知識では解読することはできなかった。

 それでも興味本位で本に手を伸ばしてみる。けれど、不思議なことに、指先は薄い空気一枚を挟んでその上を滑っていった。


「触ることもできない……か。何が何やら」

 

 頭を悩ませ俯き、顎が滑って額を机に打ちつけた。


 一般的な転生と言われればどんなものが思い浮かぶだろうか。


 家族に迎え入れられながらの穏やかなスタート?


 女神やゼウスっぽい神による解説付きの親切で劇的なスタート?


 どちらにしても、少なからず世界に適応するために必要な知識が得られるスタートラインに立つものが一般的だろう。しかし、実際はどうだ。字も読めなければ、謎の力で物にさえ触れられないときている。スタートラインとしてはあまりにも不親切な設計だ。


「ナビゲーターの必要性を改めて実感させられるよ。あるのとないのだと混乱の度合いが違う……」

 

 心の声ならぬ本音の弱気。けれど、実際わからないことが多すぎて頭が擦り切れそうになっているのが現状だ。


《転生ポイント6》 


「転生ポイント……、あの意味もいまだに不明だし」


 それでも、このまま摩訶不思議な書斎にいるのは不安だった。動き出すのにも勇気はいるが、とどまり続けるほどの勇気はいらない。

 

 触れることができる椅子を引いて立ち上がり、少し高い視点から部屋を一望する。一望できるだけの広さと障害物の少なさだ。動線の確保がきちんとなされた部屋は、住んでいた者の几帳面さを物語っている。


「誰が住んでいたんだろね」


 つきっぱなしの照明に、動き続けている時計。この二つから、この部屋は主が離れて間もない状態なのは想像ができるが、いまいちその主の姿は想像できなかった。


「そして、そこに転生してきた有畑奏真。順当に考えれば、ここの持ち主と入れ替えられたってところか。中身だけを入れ換えるのが通例だと思っていたよ」


 基本的に虐められていた生徒や立場の弱い下っ端使用人なんかが、特殊能力を持った異世界人と入れ替わるみたいなのがお約束だ。けれど、残念なことに入れ替わってしまったのは、泥棒にも負けるような一般男。逆に向こうで死んでいる俺とこっちの強者が入れ替わって、逆異世界転生なんかが起こっているかもしれないが、わかりっこないのでそちらは考えないでおく。


 ひとまずはこの状況を正しく整理していくのが大切だろう。転生した。そこを最前提とし、次の動きを考えよう。


 眉間にシワを寄せて、先程のようなウィンドウを思い浮かべる。異世界に来たのであれば、自分のステータスを知るための便利機能がついているのが基本。


「来い! ステータス!」


 …………。


「ステータスの確認は不可と。次にいこう」


 手がかりなし? いやいや、この異世界で俺の予備知識が雑念にしかならないのだと証明はできた。推測はあくまで推測だ。その一つが外れたぐらいで躓いているほど軟弱じゃない。


 机のちょうど目の前に置かれた、意味深な本とブックスタンドはひとまず無視して扉へと向かう。情報を集めるにはこの部屋だけでは不十分。直に世界を見て、人と会話をして、これからの方針を定めていこう。


 新しい世界へと飛び出そうとドアノブに手を伸ばす。伸ばして……握って……。


「…………ん?」


 ……ドアノブに触れられない。――扉が開けない。触れられないんだ。


 もう一度掴もうと試みる。今度は両手で輪を作り滑る余地を与えないようにしてドアノブに向かって輪を狭める。親指が重なり、徐々に狭まり、最終的に左右の親指の付け根にたどり着く。しかし、なくてはならないはずのドアノブの冷たい感触は手の中に存在せず、空気を押し潰すだけに終わっていた。


 握られた両手の中に汗が滲む。「ひょっとしたら」が徐々に確信へと変わり、今の置かれている状況に察しがつく。


 本が触れられないのはまだいい。けれど、扉が触れないのは問題だ。死活問題だ。


 この部屋には窓はなく、扉も一つしか見当たらない。壁には扉と同じように触れられない謎仕様の本の群れ。干渉することの叶わない壁が俺の四方を塞いでいる。


 もしかしてこれ……。


「監禁されてるんだけど」


 カチ……カチ……カチ。


 テンションと共に静まり返った部屋の中で、呑気に時計の秒針だけが動き続け、それが徐々に俺に焦りを植え付ける。


「いやいやいや。落ち着こう。これだけ立派な部屋なんだから、この家に他に誰かいる可能性はある。言葉が通じない可能性はあるけど、誰かが書斎にいるのを放置なんてしないはずだ! 誰か! 誰かいませんかー!」


 大声を出しながら扉を叩く。しかし、耳を澄ませ、人の足音や声を探しても、あるのは自分の困窮した声の残響だけ。部屋の構造のせいなのか、それとも本が音を吸っているのかはわからないが、まともに音も響かない。


「誰も……いない。嘘だろ」 


 机と椅子だけしか触れられる物のない監禁状態。ついでに食料や飲料も見当たらない。

 こんな状況に転生させられてどうすればいい。


「最初から詰んでるなんて展開……。いや、落ち着こう。まだ『アレ』がある」


 残された微かな希望へと目を光らせる。ここまで触れていなかった部屋の中央のブックスタンドだ。

 異質な存在感に賭けて近付いていく。そこには読めと言わんばかりに、こちらに茶色い表紙を向けた本が一つ。



 『転生書庫ビブライア』



「――日本語だ」

 

 意味ありげに目立つ箇所に配置された本と、この部屋で唯一無二の馴染みのある日本語のタイトル。そして、そこにあるのは『転生』の文字。まさにこの死にたての有畑奏真に向けるために置かれたような本だ。


「読めってことか」


 腰よりもやや高い位置に置かれたビブライア。それはこれまで見てきた本とは少し異なった形状をしている。


 まず最初に目を引くのはその大きさだ。茶色い丈夫な表紙は、世間一般でよくお目にかかる文庫本なんて大きさじゃない。


「巨人が持ったら文庫本。人が持ったらなんだろう? 携行不可本?」


 幼稚園児のリュックサックには入らない。高校の通学鞄でようやくサイズが並ぶ。携行するにはアタッシュケースほどの大きさが必要だ。

 ついでに厚みも並みじゃない。千ページを越える本を図書館で一度は目にしたことはあるだろう。あの持ちにくくて読みにくそうな、本という呼称が正しいのかもわからないあの品。当然この本はそれぐらいの分厚さがあるのだが、「千ページほどの分厚さがある大きい本」だけで留まらないのが異世界流。


「何でただでさえ分厚い本を二冊くっ付けてるのかな。ここまでくると悪意感じるけど。それにわざわざ逆方向にくっ付けなくていいんじゃない。前半は左に開いて、後半は一回閉じて真ん中ぐらいから右に開いていくの? それともひっくり返すの?」


 あろうことかこの本は二冊が合体した形状をしていた。片方だけで前述したようなサイズ感なのに、それが重ねられて結合されている。しかも、向きは逆という徹底された不便さだ。


「まあ、読みにくかろうが、監禁されてるし、読むしかやることがないんだけどね。こっちの茶色いほうが表でいいのかな」


 ひっくり返せば、下の黒いほうがスタートになるのだろうが、こうして意図的に置かれていると考えると、こちら側から読む代物なのだろう。なので、誰の意図かは知らないが、その思惑にまんまと乗せられながら、最初のページを指先で左に送る。


 一ページ目。巨大なページの中央やや上に表紙と同じタイトルが一つ。その下に作者の一つもなし。タイトル以外の情報はなく、ただただ空白で占められている。


「……次」


 特に思うところなくページを送る。すると今度は右側のページにそれなりの文量が規律よく並んでいた。


 


1 《この書庫では様々な生物への転生が可能となっております。転生する際には転生対象の名の記載されたページを開き、転生の意思を示してください。なお、転生の際には転生ポイントは消費いたしません》



2 《この書庫の閲覧権は所有している転生ポイントの数値により定まります。転生ポイントが要求値に満たない場合には閲覧はできません》



3 《転生ポイントは貢献度により加算もしくは減算されていきます。転生ポイントは種族変更いかんに関わらず、引き継ぎとなっております》



4 《転生ポイントの使用に関しましては、転生後にて可能となっております。また、使用した転生ポイントはいかなる場合でも返還されることはございません。ご注意ください》


※ 転生ポイントの基準を500とし、その基準を上回るもしくは下回る場合、転生先の境遇に上方もしくは下方の補正がかかります。  



 

 上から下に一度目を走らせ、そこからもう一度注視しながら読み返した。

 一行一行と読み進めると、次第に監禁状態という今の状況が勘違いだったのだとわかり、逆に胸が高まり始める。


「そういうことか! 転生書庫……ここってまだ転生したあとの世界じゃなかったのか!」


 ここまでは、転生した異世界で部屋に監禁されていたと思っていた。しかし、それは間違いで、正しくは転生する前の二つの世界の間にいたわけだ。

 いわば神の空間。案内人である神こそいないが、生まれ直しをするための施設だ。


「でも紛らわしい! 完全に勘違いして詰んだと思ったんだけど? でも、まあ、うん。下げて上げる手腕は見事だよ。死んだっていうダメージがかなり忘れられた」


 パチパチパチ。


 無駄に焦燥に駈られて汗をかいたが、今は完全にスイッチが切り替わった。


 視線を再び紙面に戻す。淡い明かりが瞳孔をくすぐる。目を軽く擦ってから文字を見つめ、また一つずつ解釈を広げていく。



1 《この書庫では様々な生物への転生が可能となっております。転生する際には転生対象の名の記載されたページを開き、転生の意思を示してください。なお、転生の際には転生ポイントは消費いたしません》



「様々な生き物に転生できる……。これが転生特典か。強みを見切り、有利な生物を選ぶってこと。効力の判断しずらいスキル云々よりは、シンプルでわかりやすいか」    


 転生と言われればおおよそ二つに分類される。

 

 スキルや能力が強い系。

 人間以外の生物として生まれ変わりその力を高めていく系。


 その後者にあたるのがこのビブライアということらしい。


「その転生のための本ってこと。ドラゴンとかスライムとか人外を選べるのは魅力的。……でも、何を選ぶかはもう少しあと。情報を先に頭に叩き込んでから推測しよう」



2 《この書庫の閲覧権は所有している転生ポイントの数値により定まります。転生ポイントが要求値に満たない場合には閲覧はできません》



 思い出してみると、最初のウィンドウで転生ポイントの表示はあった。確か、転生ポイント6。高いのか低いのかは基準がないので不明。けれど、現実的な価値観で言えば少ないだろう。


「あのー、えーとですね。じゃあ、その転生ポイント6ってどのぐらい閲覧できますか?」


 焦って適当なページを持ち上げようとする。しかし、ここにも扉と同じような仕組みが組み込まれており、触れられずに指が滑る。結局最後に残った一ページだけが、俺の質問への答えらしい。


「早速この本の厚さが無意味になったね」


 落胆。残りの分厚いページへの期待。そして、既にこの場で転生ポイントを得る手段がないことに気が付いてもう一度落胆。


「もういいや。この一ページの中から次の転生先を選ぶよ。次にいこう」


 虚しさに蓋をして、ページを戻して三つ目のルールへと目を向ける。



3 《転生ポイントは貢献度により加算もしくは減算されていきます。転生ポイントは種族変更いかんに関わらず、引き継ぎとなっております》



「これはまた……推測しがいがある文面だなー」


 ブックスタンドに肘をついて何度か読み返す。一つ一つ頭で整理する必要がありそうだ。


 『転生ポイントは貯められる』


 ここはポイントという名の通りであり、疑問を挟む余地はないだろう。しかし、次は疑問しかない。『貢献度』。はたして、これは何への貢献度なのだろうか。

 少なくとも俺は以前の世界において有畑奏真として6ポイントを貯めていたらしいが、それが何によるものかは皆目検討もつかない。さらには増減というシステム。何が貢献度を下げるかまで推測しなければならないようだ。


「わからないことだらけか。でも一つだけ。一つだけ明るい推測もできる。最後の文。《転生ポイントは種族変更いかんに関わらず、引き継ぎとなっております》ここだ!」


 『種族いかんに関わらず引き継ぎ』字のまんまに受け取れば、この先どの生物に転生しようとも俺の今ある6ポイントを持っていけるということになるだろう。

 ここに俺はビブライアの本質を見た。


「これは転生ポイントを貯め、転生しなおすことが前提の書き方だ。つまり、転生は『一度』だけじゃない」


 よくあるだろう。最初は弱くてすぐやられるが、次の段階では経験値などを駆使し初期キャラを強化したり、新キャラを解放するあれ。ビブライアの閲覧権や転生ポイントなどはそれに近い仕組みだろう。


「まぁ、どうやって転生しなおすかってところだけは気になるけど、そこはうん。ね。」


 ゲームであればまあわかる。ただ、今その状況に立たされているのはゲームのキャラじゃない。自分の体と魂を使ってどうやって転生しなおすのか。その条件はなんとなくわかる。


「死んだら次に転生ね。寿命が尽きるまでに転生ポイントを貯めるってことか。先が長いよ」


 体を目一杯反らして天井を見上げる。この転生に攻略法や近道はなさそうだ。


「……そこは転生してから考えようか。残りはルール4とおまけか」 



4 《転生ポイントの使用に関しましては、転生後にて可能となっております。また、使用した転生ポイントはいかなる場合でも返還されることはございません。ご注意ください》


※ 転生ポイントの基準を500とし、その基準を上回るもしくは下回る場合、転生先の境遇に上方もしくは下方の補正がかかります。  



「これはあってもなくてもいい説明だな。転生ポイントの使用もキャラの強化の話だろうし、転生してからしかわからない。最後の基準はー、うん。6ポイントでごめんなさい」


 普通の人間は500ポイントも稼ぐらしい。仕事の勤務日数だとか寿命だとかがビブライアの言うところの『貢献度』にあたるのかは知らないが、泥棒に殺された俺には、それらを貯めるだけのふんだんな時間は生憎となかった。

 めげる……とまではいかないにしても、妥当なポイントの数値に対して苦笑い。これが自分らしさであり個性でもあるのだからと胸に言い聞かせた。


「で、大まかにまとめると、これから転生して転生ポイントを稼ぎ、そこから強化、もしくは転生をしなおしながら、自分の求める最高な人生を掴むってこところか。……正直望みは高くはないけれど」


 わざわざ死んでまで再度転生して、もう一度人生をリスタートするなんて、自分の体で実践したいとは思えない。それに、特段「世界統一を目指す!!」だとか、「魔王を倒して世界を救う!!」だとかの目的もない。次の人生でほどよく平和に満足して終わりでいい気もする。


「保険ぐらいで考えておこう。やり直しが利く転生って認識でいい。問題はそこを踏まえて何を選ぶか。転生ポイントを貯めるつもりでいくのか、一発で満足できる人生を掴むのか」


 その辺りを悩みはしたが、そもそもなりたい生き物がこの先の見開き一ページにあるのかもわからなかった。なので、転生先を探すべく早々にページを捲った。


 注意書きから次のページへ。

 このページの両面には、様々な生き物の名前が記載されていた。見慣れた生き物から、ちょっと見慣れない生き物まで。一ページに三列に並んで二十行。それが左右のページに同じように並んでいる。そして、各々のページの下にはページ数らしきものも書いてあった。


 左のページには『1』、右のページには『5』。


「普通に本だとしたらページの数字だよね。『1』ページと『5』ページ。……2から4はどちらへ?」


 なんて冗談はいいとして、多分これはページの表記じゃない。ページ表記に見立てた転生ポイントの数値だ。

 片方が転生ポイント1で見れるページ。もう片方が転生ポイント5で見れるページ。そんな話だろう。


「だからこの次のページは開けない仕様なんだろうね」


 持っている転生ポイントが6であれば、次にあるであろう6のページを開けるのではと思うかもしれないが、それは大きな間違いだ。本という性質上、最低でも見開きにはページが二つ振り当ててある。今開いているページは1と5。となると、次のページを開けば自ずと6と6以上のページ(多分法則的に10)を目にすることとなる。


「まあ、ここだけでも百二十種類あるわけだから、気落ちする必要もないか。さてさて、何を選ぶかなー」


 仕方なくと呼ぶには贅沢すぎる数の生き物の名前に目を通す。草食の動物から肉食の動物。虫や魚まで。特に規則性なく思い出した順に書き綴ったような有り様だった。


「……ドラゴンとか悪魔はなし。王道の人間もなし……か。それにモンスターっぽいのもほぼなし。ゾンビ? ……ゾンビって生き物って認識でいいの?」


 転生の優先順位の上から三つどころか、上から十個程度消えた。異世界転生なのに異世界らしいものはほぼない。これが閲覧制限の弊害のようだ。


「人間になって、そこはかとなく王女様とか女騎士様と巡りあって運命的に結ばれる……とかは夢物語だったか。まあ、いいや。一見弱いと思われる生物で無双する展開とかもあるわけだし、気落ちはしないよ」


 指で差しながら一つ一つ名前を見ていく。さて、どういう方向性で動くか。


 何度か転生を繰り返す可能性。そして、肝心なのは貢献度。そして、その貢献度次第で転生ポイントは増えも減りもするっと……。


 様々な点を考慮しながら動いていた指先が、ついに止まる。その左側に描かれた名前を指差したまま強く俺は頷く。


「そうだな。最初はこれにしよう」


 ビブライアの転生方法を思い出す。まずは転生したい生き物の書いてあるページを開く。そして、あとは「転生の意思を示す」だったか。


 緊張と警戒をし続けていたこの部屋で初めて頬を緩める。そして、指先で名前を示したまま、自分のスタートを宣言する。



 ――死んだ後のストーリーを……。――二度目のストーリーの開幕を……。



「転生!」



 死んではじめるビブライア。第一話 ご愛読ありがとうございます!!


 自分なりにコツコツ、好きなように描いていきたいと思います。


 もっと読みたい! 面白い! という方は是非気軽に下のほうから高評価、ブックマークお願いします! 励みとして頑張っていきます!


 では、また次の話で! 

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