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禁忌の岬に響く、失われた友の名  作者: 流幻


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1/5

少年と龍

 人は死ぬ……必ずだ。

 だが俺のように友の記憶の中で生き続ける者もいる。

 龍は俺を忘れない……この世界が終わるまで。

 


 遥か昔の話だが、思い出を語ろう。

 俺の名はラルコーグ。

 今話している俺は違う。この幼い姿は、ただの借り物だ。

 出会った頃の俺の姿を、友がそのまま借りて海を眺めている。彼の正体は白き神龍、シュバイツ・グリア。

 創造神が直接生み出した、グリアの龍。その力が、すべてを変えた。

 すべては、あの岬で始まった。

 ゼルディア大陸の東端、龍の岬と呼ばれる場所。

 切り立った灰色の岩崖が果てしなく続く海に突き出し、波が激しく打ち寄せて白い飛沫を上げ続ける。

 潮風は常に塩辛く、朝には濃い白い霧が立ち込めて視界をぼやけさせ、夕方にはオレンジ色の陽光が岩肌を赤く染め上げる。

 風の音と波の音が絶え間なく混じり合い、まるで世界の果てにいるような、静けさと荒々しさが同居する土地だった。

 

 

 両親と旅をしていた俺は、まだ8歳だった。

 父は小さな行商人で、荷車に布や道具を積み、母はいつも穏やかな笑顔を浮かべ、俺の小さな手を優しく握って歩く女性だった。

 遠い親戚の村を訪ねる、ささやかな家族の旅。

 道中の野宿を繰り返しながら、俺たちは楽しげに話をしていた。

 父が「明日はもっと良い貝殻が見つかるぞ」と笑い、母が「ラルコーグ、危ないから近くにいてね」と声をかけていた。

 俺は父が拾った色とりどりの貝殻を貰い、はしゃいでいた。小さな手で拾い上げ、太陽の光に透かして眺めるのが好きだった。

 父が「危ないから近くにいろよ、ラルコーグ」と声をかけ、母が笑いながら俺の頭を優しく撫でる。

 

 普通の幸せな一日だったはずだった……突然、影が落ちた。

 中級魔物の群れだ。体は黒く影のようで、湾曲した鋭い爪と、赤く光る目が闇を浮かべている。

 数は六体以上。父が慌てて腰の剣を抜き、母が俺を抱き寄せて近くの岩陰へ押し込んだ。

「ラルコーグ、絶対に動かないで!ここに隠れてて!」

 母の声は震えていた。

 最初の一体が飛びかかり、父の胸を爪で深く裂いた。

 鮮血が噴き出し、灰色の岩を赤く染める。

 母の悲鳴が潮風に混じり、海鳥の鳴き声すらかき消した。

「……ラル……逃げ……て……」

 母が俺を突き飛ばそうとしたその瞬間、もう一体の魔物が母の肩に牙を突き立てた。

 肉が裂ける音と、母の短い叫びが響く。

 鮮血が飛び散り、母の体が崩れ落ちるように倒れた。

 

 俺は岩の狭い隙間に身をひそめ、震えながらそのすべてを見ていた。左肩に熱い痛みが走る。

 魔物の爪がかすめたのだ。血が滴り落ち、視界が赤くぼやけ、頭がくらくらした。

 死ぬと思った。両親の断末魔が耳の奥に残り、潮の香りと血の臭いが混ざり合って吐き気を催す。

 体が動かない。涙が溢れ、声も出なかった。

 ただ、岩の冷たさと、自分の血の温かさだけを感じていた。

 父の最後の言葉、母の叫びが、何度も頭の中で繰り返された。

 その時、巨大な白い影が空を覆った。

 鱗の輝きが、霧の向こうの月光を反射して岬全体を一瞬、白く染め上げる。

 低く、重く、しかしどこか優しい響きを持つ咆哮が響き渡った。

 強烈な風圧だけで魔物たちが吹き飛ばされ、岩が砕ける音が連続で聞こえる。

 魔物の短い悲鳴が途切れ、突然の静寂が訪れた。

 意識が遠のく中、柔らかな何か……巨大で温かな鱗の上に俺は横たえられていた。

 優しい息吹が体全体を包み、肩の傷から痛みがゆっくりと引いていくのを感じた。

 目が覚めた時、そこは岬の先端だった。

 柔らかい青白い光が反射し、遠くから海の波音が聞こえてくる。

 空気はわずかに潮の匂いがしたが、血の臭いは完全に消えていた。

 

「お前は生きている。残念だが、両親はもういない」

 低く、しかし穏やかで胸に響く声。

 目の前にいたのは、圧倒的な存在感の白龍だった。

 体長は数十メートルを超え、翼を畳んでも見上げると首が疲れるほどの大きさ。

 首を優しく曲げて俺を見下ろす黄金色の瞳には、怒りはなく、ただ静かな哀れみと、どことなく深く長い孤独が湛えられていた。

 俺は恐れなかった。痛みと悲しみで頭がぼんやりする中、自然に言葉が口をついた。

「俺はラルコーグ。シュバイツは……俺の友だ」

 名を聞いたわけではない。

 何故だろう……ただ、そう感じた。

 龍は一瞬、目を細め、ゆっくりと頷いた。

「シュバイツ・グリアだ。お前を、ラルコーグと呼ぼう。生きろ、友よ」

 それが、俺とシュバイツの出会いだった。

 

 シュバイツは俺を岬の先端にある小屋へ運び、傷を完全に癒した。

 この小屋、龍が入るには小さすぎる。

 中には変な石のテーブルがあるから来客がたまにあるのだろうか。

 龍の魔法は人間の癒し術とは比べ物にならないほど強力で、肩の傷跡すら残らなかった。

 血の臭いは消え、両親の記憶だけが胸の奥に重く残った。

 夜になると夢に見る。

 血に染まった岩、母の叫び、父の最後の言葉……目を覚ますと体が震え、涙が止まらなかった。

 

 それから、友は生きていく術を教えてくれた。

 朝は岬の岩場で剣の素振りから始まった。

 シュバイツは巨大な姿のまま、尾で軽く風を起こし、俺の姿勢や足運びを矯正する。

「腰を低く保て。剣は力任せで振るうものではない。風の流れを使え。波の動きのように、自然にだ」

 最初のうちは剣が重くて、ただ振り回すだけで精一杯だった。

 足がもつれて転び、岩に膝をぶつけることも多かった。

 痛くて泣きそうになる俺に、シュバイツは決して苛立つことなく、ただ繰り返し同じ言葉で指導した。

 毎日、同じ動作を何百・何千回と繰り返した。

 午後は魔法の基礎訓練。

 属性の操作から始めた。掌に小さな火の玉を灯し、形を安定させる。

 水の流れを指先で操り、風を呼び起こして小さな渦を作る。

 土を固めて簡易の壁を作り、崩さないように保つ。

 詠唱をできるだけ短くし、魔力を細かく、しかし確実に制御する練習が毎日続いた。

「恐れるな。お前の魔力は、すでに人間の域を少し超えている。ただ、制御がまだ甘い。心を落ち着け流れを感じろ」

 

 夕方になると、実戦形式の訓練に移った。

 シュバイツが人間の姿を取るようになった。

 それは白い髪が綺麗な、俺と同じくらいの幼い少年の姿だった。

 背格好を合わせる事で訓練しやすいと感じたのだろう。

 白い髪が潮風に軽く揺れ、透き通るような白い肌。目だけが龍の目で、黄金色に静かに輝く。

 

 ある雨の降る日の訓練で、俺が火属性の魔法を暴走させてしまった。

 火の玉が急に大きくなり、辺りの草を焦がしそうになった瞬間、シュバイツの人間姿が素早く手を伸ばした。

 柔らかな指先から穏やかな魔力が流れ込み、暴走しかけた火を瞬時に抑え込んだ。

「大丈夫か、ラルコーグ」

 その声は静かで、どこか優しかった。

 俺は息を整えながら頷き、悔しさと安堵で涙を堪えた。

 

 夜になると、両親の死が繰り返し夢に出た。

 血の海の中で母が俺の名を呼び、父が剣を振りながら倒れていく。

 目を覚ますと一人震え、冷たい汗をかいていた。

 そんな時、シュバイツの人間姿が静かに傍らに座り、海を眺めながら話しかけてくれた。

「我は創造神が直接作り出した龍。長い時を、この岬でほとんど一人で過ごしてきた。お前のように龍の姿を見て恐れず、『友だ』と言ってくれた者は初めてだ」

 俺は小さく笑った。頰に残る涙の跡が冷たい。

「シュバイツは、ただの大きな友達だよ。怖くない……一緒にいてくれるだけで、俺は嬉しい」

 

 そんな日常が、ゆっくりと続いていった。

 小石を集めて投げて遊ぶ、シュバイツが人間姿で俺の隣に座って一緒に並べて遊ぶ日もあった。

 夜は小さな火を囲み、星を数えながら、俺が質問を投げかけ、シュバイツが淡々と答える。

 世界の成り立ち、魔法の理、5種族の歴史、創造神のこと。

 シュバイツはほとんど自分から多くを語らないが、俺の質問にはいつも丁寧に答えてくれた。

 孤独を抱えた龍にとって、俺は初めての「話し相手」だったのかもしれない。

 時折、シュバイツの黄金色の瞳の奥に、創造神の使徒としての重く長い運命が、静かに見え隠れしていた。

 

 訓練は厳しかったが、俺は必死だった。

 両親の仇を討ちたいというより、ただこの岬で生き延び、シュバイツの傍にいたいと思った。

 魔法の制御は徐々に上手くなり、剣技も龍の教えで人間離れしたものになっていった。

 最初は魔物の気配を感じただけで震えていた俺が、徐々に自力で中級の魔物を退けるようになるまで、数年かかった。

 シュバイツは俺の成長を、静かに、しっかり確かめるように見守っていた。

 ある晴れた午後、俺が初めて中級魔物を単独で倒した時、シュバイツは人間姿で軽く俺の頭を撫でた。

「お前は強い。友として誇らしいぞ」

 その言葉が、俺の胸に温かく響いた。

 

 数年が過ぎ、俺は15歳になった。体は引き締まり、魔力の制御もかなり安定した。シュバイツは俺に贈り物をしてくれた。

「これを、持っていけ。外の世界へ出て、冒険者として生きろ。だが、我の鱗だとは誰にも話すな。約束だ」

 それは、シュバイツ自身の鱗で作られた盾だった。

 見た目はごく普通の盾。表面に細かな龍の紋様が刻まれているだけ。

 だが、シュバイツが自らの鱗を丁寧に加工し、彼と俺の魔力を流し込んで強化したもの。

 所有者を固定し、あらゆる魔法と物理攻撃を大幅に防ぐ、特別な力を持っていた。

 俺は盾を両手でしっかりと抱き、粗末な家の入り口に立った。

 振り返ると、シュバイツの人間姿が岩の上に立ち、静かに手を軽く振っていた。

 白い髪が潮風に舞い、黄金色の瞳が優しく俺を見送る。

「行け、ラルコーグ。また会おう」

 俺は深く頷き、岬を後にした。背中に感じる海風が、シュバイツの温かさと、長い修行の日々を静かに思い出させた。


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