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Frange ruinam   作者: S
魂編
17/38

気魄

私達は、ネブラの背中を追うように飛んで行った。やがてネブラが減速し、静かに地に降り立つ。そこは、シニステル領の最南端だった。


目の前には、古びた建物がそびえ立っていた。壁は黒く変色し、窓は割れ、まるで長い年月、誰からも忘れ去られていたかのようだ。


「なんか怖い……」


モラはそう言うと、私の袖を掴んだ。その手は、わずかに震えている。


「ここで間違いないんだよね」


「あぁ。ここから、濃い魂の気配がする」


ネブラは建物を見上げたまま、低く答えた。


私達は慎重に扉を押し開け、中へ入った。ギィ……と、鈍い音が静寂の中に嫌な響きを残す。


中は広い部屋になっていた。机や棚が並び、紙や本が無造作に積まれている。空気は淀み、カビと古紙の混ざった匂いが鼻を突いた。


「スパティアはいないの?」


モラが小声で周囲を伺う。


「見た感じはな」


ネブラは机に歩み寄り、散乱した資料に目を通し始めた。そこにあったのは、魂、魔力、そして神についての記述だ。だが、肝心の飛躍的な術について書かれた書物はない。


その時だった。


「えっ……」


奥の扉を開けたモラが、短く悲鳴のような声を漏らした。私達が駆け寄り、その光景を目にした瞬間――言葉を失った。


奥の部屋には、異形の存在が並んでいた。人の形をしているが、人ではない。皮膚は歪み、裂け、腐りかけたように変色している。四肢の長さは不揃いで、顔と呼べるものすら曖昧だった。


だが、そこから放たれる不吉な気配は――あのアニムスに酷似していた。


「これは……」


ネブラが忌々しげに呟いた瞬間、空間が歪み、スパティアが姿を現した。その口元には、薄ら笑いが浮かんでいる。


「……やはり来たか」


ネブラが武器を構えた瞬間、眩い光が視界を埋め尽くした。私は反射的に目を細める。


そして――光が消えた時。スパティアの姿は、霧のように消えていた。代わりに、並んでいた異形たちが、一斉にこちらを見た。


「えっ、何……こっち見ないでよ!」


「来るぞ、構えろ!」


ネブラの鋭い声と同時に、異形たちが襲いかかってきた。歪んだ脚が、重力を無視したような不自然な速さで距離を詰めてくる。


最初の一体が、腕を振り下ろした。ネブラのハルバードが正面からそれを受け止める。重い衝撃が床を震わせるが、ネブラは眉一つ動かさない。


「この程度か」


ネブラが力で押し返した瞬間、別の異形が私の死角から迫っていた。


「っ!」


私は一歩前に踏み出し、拳を握りしめる。迫る腕を紙一重でかわし、そのまま懐へ潜り込んだ。魔力を拳に集中させ、異形の胴を殴り抜く。鈍い、硬い感触。


「ルイーナ、下がって!」


モラの叫びと同時に、私の目の前に魔力のシールドが展開された。直後、別の異形の拳がシールドを叩き、激しい衝突音が響く。


「ルイーナ、今だよ!」


モラのシールドから魔力が放出された。その衝撃で異形が仰け反る。


「退け」


そこへネブラが踏み込む。流れるような旋回でハルバードを振り抜き、異形を正確に一刀両断した。


「気を抜くな、まだいるぞ」


「分かってる!」


次の一体が迫る。私は迎え撃つ。振り下ろされる腕を外側へ弾き、最大級の魔力を込めて――その顔面へ拳を叩き込んだ。


異形はそのまま崩れ落ち、身体から黒い光が引き抜かれるように溢れ出し、霧となって消滅した。


ようやく静寂が戻り、モラが肩で息をついた。


「……終わった、のかな?」


「あぁ」


ネブラは武器を消した。私も拳を下ろし、荒い呼吸を整えた。


「あれって、結局何だったの?」


「アニムスの試作品だろう。魂の集合体、その成れの果てだ」


「スパティアは何でこんな惨いことを……」


モラが悲しげに眉をひそめた。


「あいつが言っていた奪われた世界を取り戻すためだろうな」


ネブラは吐き捨てるように言った。


「えっと……あっ、奥に何かあるよ!」


モラが見つけたのは、古めかしいチェストだった。頑丈な鍵がかかっている。


「壊せ。お前の得意分野だろう」


ネブラの言葉に、私は「分かってるよ」と少し強めに言い返し、拳でチェストを粉砕した。中からは二冊の本が出てきた。


表紙にはそれぞれ、【72の神殺し】【魂の吟味】と刻まれている。


【72の神殺し】には、かつて72人もの神を殺害した、神業を成し遂げた魔が、処刑されるまでの物語が綴られていた。


一方、【魂の吟味】にはアニムスの恐ろしい性質が記されていた。


――魂の集合体は、多種多様な魂を繋ぎ合わせて作られるため、個々の感情や思考が混ざり合い、やがて全てが乖離して消滅する。


「つまりどういうこと? 」


モラの問いに、ネブラが冷静に答える。


「つまり、あの異形たちには心がない。スパティアの意志に従うだけの、空っぽの人形だということだ」


さらに読み進めると、アニムスには「魔力を反発させ、霧散させる」という性質があることも判明した。


「だから、あの時天使の攻撃が通らなかったのか……」


私は魔界ホテルでのことを思い出し、奥歯を噛み締めた。


「でも、さっきのは大丈夫だったし、それに魔力が効かなかったらどうすればいいの?」


「あれは、駄作だろう。それに、物理攻撃なら効く」


ネブラの答えは簡潔だった。魔力による干渉が無効なら、純粋な武力で叩き潰すしかない。


「……で、どうするの? 手がかりもこれで全部でしょ」


私は床に腰を下ろし、溜息をついた。するとネブラは、割れた窓の外を見据えて言った。


「いや、手がかりはもう要らない。向こうが仕掛けてくるからな」


「どういうこと?」


「ここから最低でも200mは離れているが、奴の視線を感じる。我々を利用している。この調子だとまたいつか仕掛けてくるだろうな」


ネブラは扉へと歩き出した。


「どこに行くの?」


「我々はまだ、力が足りない。今のままでは、スパティアには勝てないだろう」


一瞬、静寂が訪れた。


「……インフェリア領で、魔力を賞品とした闘技イベントが行われると耳にした。そこで底上げを図る」


「修行ね! よし、レッツゴー!」


モラが努めて明るい調子で拳を突き出す。


「遊びに行くんじゃないぞ」


ネブラの呆れたような溜息を背に、私達は新たな目的地、インフェリア領へと歩き出した。

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