気魄
私達は、ネブラの背中を追うように飛んで行った。やがてネブラが減速し、静かに地に降り立つ。そこは、シニステル領の最南端だった。
目の前には、古びた建物がそびえ立っていた。壁は黒く変色し、窓は割れ、まるで長い年月、誰からも忘れ去られていたかのようだ。
「なんか怖い……」
モラはそう言うと、私の袖を掴んだ。その手は、わずかに震えている。
「ここで間違いないんだよね」
「あぁ。ここから、濃い魂の気配がする」
ネブラは建物を見上げたまま、低く答えた。
私達は慎重に扉を押し開け、中へ入った。ギィ……と、鈍い音が静寂の中に嫌な響きを残す。
中は広い部屋になっていた。机や棚が並び、紙や本が無造作に積まれている。空気は淀み、カビと古紙の混ざった匂いが鼻を突いた。
「スパティアはいないの?」
モラが小声で周囲を伺う。
「見た感じはな」
ネブラは机に歩み寄り、散乱した資料に目を通し始めた。そこにあったのは、魂、魔力、そして神についての記述だ。だが、肝心の飛躍的な術について書かれた書物はない。
その時だった。
「えっ……」
奥の扉を開けたモラが、短く悲鳴のような声を漏らした。私達が駆け寄り、その光景を目にした瞬間――言葉を失った。
奥の部屋には、異形の存在が並んでいた。人の形をしているが、人ではない。皮膚は歪み、裂け、腐りかけたように変色している。四肢の長さは不揃いで、顔と呼べるものすら曖昧だった。
だが、そこから放たれる不吉な気配は――あのアニムスに酷似していた。
「これは……」
ネブラが忌々しげに呟いた瞬間、空間が歪み、スパティアが姿を現した。その口元には、薄ら笑いが浮かんでいる。
「……やはり来たか」
ネブラが武器を構えた瞬間、眩い光が視界を埋め尽くした。私は反射的に目を細める。
そして――光が消えた時。スパティアの姿は、霧のように消えていた。代わりに、並んでいた異形たちが、一斉にこちらを見た。
「えっ、何……こっち見ないでよ!」
「来るぞ、構えろ!」
ネブラの鋭い声と同時に、異形たちが襲いかかってきた。歪んだ脚が、重力を無視したような不自然な速さで距離を詰めてくる。
最初の一体が、腕を振り下ろした。ネブラのハルバードが正面からそれを受け止める。重い衝撃が床を震わせるが、ネブラは眉一つ動かさない。
「この程度か」
ネブラが力で押し返した瞬間、別の異形が私の死角から迫っていた。
「っ!」
私は一歩前に踏み出し、拳を握りしめる。迫る腕を紙一重でかわし、そのまま懐へ潜り込んだ。魔力を拳に集中させ、異形の胴を殴り抜く。鈍い、硬い感触。
「ルイーナ、下がって!」
モラの叫びと同時に、私の目の前に魔力のシールドが展開された。直後、別の異形の拳がシールドを叩き、激しい衝突音が響く。
「ルイーナ、今だよ!」
モラのシールドから魔力が放出された。その衝撃で異形が仰け反る。
「退け」
そこへネブラが踏み込む。流れるような旋回でハルバードを振り抜き、異形を正確に一刀両断した。
「気を抜くな、まだいるぞ」
「分かってる!」
次の一体が迫る。私は迎え撃つ。振り下ろされる腕を外側へ弾き、最大級の魔力を込めて――その顔面へ拳を叩き込んだ。
異形はそのまま崩れ落ち、身体から黒い光が引き抜かれるように溢れ出し、霧となって消滅した。
ようやく静寂が戻り、モラが肩で息をついた。
「……終わった、のかな?」
「あぁ」
ネブラは武器を消した。私も拳を下ろし、荒い呼吸を整えた。
「あれって、結局何だったの?」
「アニムスの試作品だろう。魂の集合体、その成れの果てだ」
「スパティアは何でこんな惨いことを……」
モラが悲しげに眉をひそめた。
「あいつが言っていた奪われた世界を取り戻すためだろうな」
ネブラは吐き捨てるように言った。
「えっと……あっ、奥に何かあるよ!」
モラが見つけたのは、古めかしいチェストだった。頑丈な鍵がかかっている。
「壊せ。お前の得意分野だろう」
ネブラの言葉に、私は「分かってるよ」と少し強めに言い返し、拳でチェストを粉砕した。中からは二冊の本が出てきた。
表紙にはそれぞれ、【72の神殺し】【魂の吟味】と刻まれている。
【72の神殺し】には、かつて72人もの神を殺害した、神業を成し遂げた魔が、処刑されるまでの物語が綴られていた。
一方、【魂の吟味】にはアニムスの恐ろしい性質が記されていた。
――魂の集合体は、多種多様な魂を繋ぎ合わせて作られるため、個々の感情や思考が混ざり合い、やがて全てが乖離して消滅する。
「つまりどういうこと? 」
モラの問いに、ネブラが冷静に答える。
「つまり、あの異形たちには心がない。スパティアの意志に従うだけの、空っぽの人形だということだ」
さらに読み進めると、アニムスには「魔力を反発させ、霧散させる」という性質があることも判明した。
「だから、あの時天使の攻撃が通らなかったのか……」
私は魔界ホテルでのことを思い出し、奥歯を噛み締めた。
「でも、さっきのは大丈夫だったし、それに魔力が効かなかったらどうすればいいの?」
「あれは、駄作だろう。それに、物理攻撃なら効く」
ネブラの答えは簡潔だった。魔力による干渉が無効なら、純粋な武力で叩き潰すしかない。
「……で、どうするの? 手がかりもこれで全部でしょ」
私は床に腰を下ろし、溜息をついた。するとネブラは、割れた窓の外を見据えて言った。
「いや、手がかりはもう要らない。向こうが仕掛けてくるからな」
「どういうこと?」
「ここから最低でも200mは離れているが、奴の視線を感じる。我々を利用している。この調子だとまたいつか仕掛けてくるだろうな」
ネブラは扉へと歩き出した。
「どこに行くの?」
「我々はまだ、力が足りない。今のままでは、スパティアには勝てないだろう」
一瞬、静寂が訪れた。
「……インフェリア領で、魔力を賞品とした闘技イベントが行われると耳にした。そこで底上げを図る」
「修行ね! よし、レッツゴー!」
モラが努めて明るい調子で拳を突き出す。
「遊びに行くんじゃないぞ」
ネブラの呆れたような溜息を背に、私達は新たな目的地、インフェリア領へと歩き出した。




