悪夢再来
ヴィオラは渋々、オルガンを向いて演奏を始める。それに合わせてヴィンセントはメイヴィスを誘導した。ダンスと言っても、メイヴィスはほとんどヴィンセントに身を任せていた。引っ張られれば従い、押されれば下がる。腰に当てられた手がくすぐったいが、それどころではない。側から見れば、メイヴィスは足をバタバタさせてさぞ見苦しいだろう。幸いなのは、それを見守る人間も指摘する人間も嘲笑する人間も今ここにはいないことだ。メイヴィスはついていくのに必死で、視線が定まらない。ヴィンセントとの身長差のせいで一歩一歩に差ができ、時々転倒しそうになる。ヴィンセントはそれらのミスもすべてカバーし、曲は中盤に入った。
「おい。こちらを見ろ」
ずっと視線が定まらないメイヴィスに、指摘が入る。それに従い、視線をやや上に向けると、紫の瞳とかち合った。そこには、メイヴィスに対する侮蔑も怒りもない。当てはまる感情を、メイヴィスは見つけられない。しかし。
「……あ」
無意識に息を詰めていたメイヴィスは、足の力が抜ける。ガクンと膝を折り、調子の狂ったメイヴィスを見て、ヴィンセントはすぐさま支えに入った。
「おい!」
その結果、メイヴィスは体重をヴィンセントの胸に預けることになる。ドッドッドッとどちらのものかもわからない心臓の跳ねる音が全身に響き、メイヴィスはゆっくりと瞬きを繰り返す。しかし、何度目かの瞬きのあと、メイヴィスの瞼は開かなくなった。
メイヴィスは雪道に立っていた。音もなく、雪が降り積もっている。真夏かと思うほどの薄着であるのに、不思議と寒さを感じなかった。雪雲が空を覆い尽くしているのでわかりにくいが、時刻は昼前あたりだろうか。ザクっと雪を踏み締め、目を凝らす。かなり遠くの方に町の灯りのようなものが見えた。どうしてここにいるのかはわからないが、灯りの方に行きたくなるのは本能なのだろう。しかし、それでも、少し先に倒れている人間を見つけて素通りすることは、メイヴィスにはできなかった。
「あれは……」
白い髪に、雪が積もり始めている。うつ伏せで倒れているその人間の顔は、わからないが。
(私、か)
何の疑いもなく、ストンと答えが落ちてきた。
自分で自分を見ている。死んだにしては、奇妙だ。こんな雪道など、歩いた覚えはない。
「殿下!」
背中から、はしゃぐ男女の声が聞こえてきた。振り向かなくてもわかる。メイヴィスの記憶にある人間は、ごくわずかだ。
「……」
立ち尽くしているメイヴィスを追い越していったのは、サイラスとクリスタだった。腕を組んで、親密そうにしている。地面に倒れ、生きているかもわからないメイヴィスには目もくれず、さっさと先を行ってしまう。見えていないのかもしれない。メイヴィスはそう思った。
それから、ルーナも、カレンも、コーディも、ヴィンセントも、ヴィオラもメイヴィスの横を通り過ぎ、立ち去っていった。誰も、動かないメイヴィスには気がつかない。走り寄る者も、しゃがみ込む者も、ましてや手を差し伸べる者も、誰一人として、存在しない。
(……当然よね)
雪が積もれば積もるほど、倒れたメイヴィスは見えなくなっていく。だが、その存在が消えるわけではないのだ。埋もれるだけで、どこにも行けなくなる。いっそのこと、雪ではなく水に沈んでいたのなら。体は腐り、溶けて、永遠に見つからぬままでいられたのに。誰からも忘れられて、二度と、思い出されることのない存在に。
「……」
自分に歩み寄る勇気も通り過ぎるもなく、メイヴィスは進むことも戻ることもできなくなった。
雪が乱れてきた。それでもメイヴィスは、倒れている自分を前に何をすればいいのかわからなかった。このまま見送ればいいのだろうか。
一瞬ホワイトアウトした。それほど天気は荒れていた。晴れるのを待つ。すると、雪に埋もれていたメイヴィスのそばに、誰かがしゃがんでいるのが見えた。メイヴィスに降り積もる雪を払い、様子を窺っている。目深にフードを被っていたため、顔はよく見えない。その誰かが、こちらに顔を向ける。フードの下から、メイヴィスを睨みつけている。その憎悪が、わかるようでわからない。倒れたメイヴィスを慈しむような動作をしておきながら、同一人物であるこちらを恨んでいるように見える。
「あなたは、誰?」
問いかけると、また景色はホワイトアウトした。
自分の名を呼ぶ声が聞こえ、メイヴィスは目を開ける。倒れたメイヴィスを、ヴィンセントが支えていた。まだそこまで時間は経っていないのだろう。
「侯爵令嬢」
すぐに意識を取り戻したメイヴィスに、ヴィンセントはほっと息を吐く。
「……失礼しました」
すっと距離を取り、メイヴィスは立ち上がる。
「平気か?」
「はい」
緊張が限界を迎えただけの話で、特に異常はない。
「……やはり妙だ」
ヴィンセントがつぶやいたその時、どこかへ行っていたのだろうヴィオラがロージーを連れて戻ってきた。
「侯爵令嬢様」
すかさずメイヴィスの体を支える。もう一人で立てるほどには回復したのだが、またいつ倒れるかわからないからだろう。
「ヴィオラ、少し話がある。ロージー、彼女を部屋へ」
「承知しました」
ヴィオラはうんざりした顔をしているが、何も言わずにヴィンセントの方へ歩いていく。メイヴィスはロージーに支えられながら、部屋を出た。
「侯爵令嬢様、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「……はい。何でしょう」
オルティエの生まれとは言え、何か理由があって故郷を離れたのだろう。城で働いているということは、今はノワールの人間だ。ロージーの質問はヴィンセントの質問。ロージーに話した全ては、ヴィンセントの耳に入る。そのつもりで返事をした。
「侯爵令嬢様は、生まれつきお体が弱いのですか?」
「そうです」
「どんな症状が多いのですか?」
「基礎体力がないので、熱がよく出ます。睡眠時間も長いです。ほとんどベッドの上でしたね」
それでも、マリアよりはマシだった。
「成長すると良くなった例もよく聞きますが……」
「幼い頃よりは随分良くなりました。激しい運動をしなければいいくらいには」
最近のメイヴィスは、どちらかといえば虚弱体質よりも怪我による不調に悩まされている。
「では、変化はありましたか?」
「体調不良のですか? よく悪夢を見るようになりましたね。昔は、そんなことはなかったのですが」
「悪夢を?」
目を見開くロージーに、メイヴィスは苦笑した。
「でも、それだけです」
いずれオルティエには戻らなければならない。誰も望んでいなくとも。厄介なお荷物扱いをされても、結局メイヴィスのあるべき場所は、ノワールではない。そこでメイヴィスは、あることを思い出す。
「……そういえば。私もロージー様にお尋ねしたいことがあるのです」
ロージーは、なぜオルティエを出たのか、なぜノワールに来たのか、自分にまつわる話を濁していた。犯罪者であれば、いくら他国であろうとも城に匿ってもらえるはずがない。メリットがないからだ。引き渡した方が余程いい。そこに至るまでに何かがあったのは明白だ。メイヴィスはそれが知りたかった。
ロージーの表情が強張る。そして少しした後、観念したように微笑んだ。
「……そうですね。お話ししておきましょう。妃候補である、メイヴィス・ラングラー侯爵令嬢様。あなたは、このお話を知っておくべきです」




