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お守り

2026.05.24 改稿






髪飾りを隠しに行ったはずのヴィオラは、どれほど待っても帰ってこなかった。状況が読めないメイヴィスは、ごろんと寝そべったまま寝返りを打つ。目を開けたわけではない。言いつけ通り閉じたままだ。

体感30分は待った。これ以上律儀に待つこともないのかも知れないが、ヴィオラの真意がわからない以上、余計なことをしたくはなかった。ごろん、とまた寝返りを打つ。同じ方向に、ぐるんと。幸い何にもぶつからない。柔らかい草は、温かくて気持ちが良い。眠ろうと思えば眠ってしまえそうだ。


「おい」


少し遠くから、草を踏み締める音がした。ヴィオラが戻ってきたのかと思いきや、降ってきた声は成人男性のもので。


「……」


迷うことなく無言を選んだ。眠ったふりをしていれば立ち去ってくれることを期待したからだ。今、ヴィオラ以外の問いかけに応えても意味はない。


「おい!」


肩を掴まれ、やや乱暴に揺さぶられる。どこか焦りを滲ませているように感じ、メイヴィスは観念して目を開けた。こちらを至近距離から覗き込む、紫がかった瞳と目が合った。


「国王陛下」


肩から手が離れたので体を起こす。するとヴィンセントは、「お前の王ではない」と一蹴した。他国の人間であろうと、ヴィンセントが王であることに違いはないのに、とメイヴィスは眉を顰めたが、「左様ですね」と返すに留まり、詫びることはしなかった。


「ここで何を?」


尋ねられ、「宝探しです」と答える。


「こんなに草まみれになってか?」


言われてメイヴィスは自分の体を見下ろす。寝転がったせいで緑色の細かい葉が無数にくっついていた。


「気持ちが良くて、つい」


適当に葉を払う。取りにくい草を取ろうと裾を持ち上げたその時、今度はヴィンセントが眉間に皺を刻んだ。


「おい。何故お前は靴を履いていないのだ?」

「あっ」


慌てて隠してももう遅い。ヴィンセントは返事を聞くまで立ち去らないだろう。オルティエを出る前に作ってしまった足の傷は、とっくに癒えている。城の中を歩き回るだけではそうそう新しい怪我はできない。しかしかけられる視線の圧に、メイヴィスは屈服した。


「……初日に、ロージー様から服と靴を頂いたのですが、私は昔あの手の靴で怪我をしてしまって、今もたまにですが痛むのです。そういう事情で、履けなくて」


半分嘘である。怪我をしたのは本当だ。躓いて足を捻った。だがもう痛くはない。当然履けるに越したことはないのだが、社交界にも出ず、ほとんど出かけることもしないメイヴィスにとって、新しく靴を買わなければならない理由はどこにもなかった。私財もほとんど持ち合わせていないのだから、尚更。


「あの手の靴? 他のものと何が違うのだ?」

「……踵の高い靴です」


笑われるだろうと、メイヴィスは届くのか怪しい声量でぽつりと囁く。貴族にとって、ヒールのない靴は子どもの履き物だ。社交界にデビューすると同時にそういったものも卒業するのが普通である。だがメイヴィスは普通とはかけ離れている。


「では言えばよかったではないか。裸足で歩き回る令嬢など前代未聞だ」

「……」


俯いて黙り込んだメイヴィスに、ヴィンセントは笑うどころかため息をついて立ち上がる。


「踵のない靴なら良いんだな」


確認するように尋ねたその時。


「侯爵令嬢様〜!」


ようやくヴィオラが戻って来た。小さな手には踵のない靴が収まっている。


「こちらをどうぞ!」


兄の方など見向きもせず、ヴィオラはメイヴィスに靴を履かせようとする。


「なぜ……」


疑問がこぼれ落ちた。ヴィオラにも靴を履いていないことが知られている。


「先ほどつま先が見えまして、もしかしたらと思ったんです。気にしないでください」


ヴィオラは兄と違い、メイヴィスに何も尋ねなかった。


「あ、あの。自分で履けますから」

「そうです?」


ヴィオラはにこにこと靴を差し出す。メイヴィスが靴を履こうと頭を下げると、ヴィオラはメイヴィスの髪にくっついたままの葉っぱを剥がし始めた。


「湯浴みしましょうか」

「おい」

「靴の具合はどうですか?」

「こらヴィオラ」


妹は兄の言葉に耳を傾けようとはせず、存在しないものとして扱っている。メイヴィスは反応に困ったが、自分が話しかけられていることに変わりはないので返事をした。


「ピッタリです……ありがとうございます」

「いいんですよ。お待たせしてしまって申し訳ございません」

「い、いえ。私こそ、目を閉じているよう言われたのに」

「そのまま移動されないようにそう言っただけなので、大丈夫です!」


先に立ち上がったヴィオラが、メイヴィスに手を差し出す。その手をとって、メイヴィスは立ち上がった。


「靴擦れがありましたらおっしゃってくださいね」

「は、はい」


相手のペースに呑まれてる、とメイヴィスは思った。このパワフルさはどこぞの少女を思い出す。


「では参りましょうか」


ヴィオラは最後まで兄に声をかけることなくメイヴィスを連れて行く。が、兄王はそれ以上何も言わなかった。王妹という立場でありながら、ヴィオラはメイヴィスに対して敬語を使い、気を遣った。本来、メイヴィスは監禁されていてもおかしくない。城の中で自由にさせているとうっかり国の機密事項に触れてしまうかもしれないからだ。その時は本当に首が飛ぶだろうが、それもまた手間がかかる。


(兄君がこの国の王……ということは、ご両親は)


本人たちに尋ねる勇気はなかった。ノワールの城に来てからひと月が経とうとしているが、それらしき人物との接触はない。それが答えなのだろう。


「あの、殿下。先ほどの髪飾りは如何されたのですか」


宝探しをしようと言ってヴィオラは靴を持って帰ってきた。しかしヴィオラの頭に飾りは戻っていない。


「あれはまたいずれ侯爵令嬢様に探していただきます。それと、私のことは名前で呼んでください」

「名前……」

「ヴィオラと申します」

「ヴィオラ様?」


要望通り名を呼ぶと、ヴィオラは満足そうに頷いた。その笑顔の眩しさにメイヴィスは目を細める。


「ではヴィオラ様、私に敬語を使うのはどうかおやめ下さい……私は王族でもない、敵国になるかもしれない国の人間です。ヴィオラ様の方が身分はずっと上ですから」


懇願すると、ヴィオラはゆっくりと首を振った。


「いいえ、侯爵令嬢様。私は確かに王族ですが、権力を持っているわけではありません。王の血縁者というだけで、何も偉くはないのです。敬語に関しては、上品に見えるので気に入っているんです」


王妹殿下は何やら事情を抱えているらしいということしかわからなかった。


「……そうですか。差し出がましいことを言いました」

「お気になさらず。自分が変わっている自覚はありますから」


ヴィオラは宣言通り、メイヴィスを浴室へ連れて行って体を清めた。しかし垢まで落としてくれたので、長風呂になってしまった。


「侯爵令嬢様、ご気分はいかがですか? クラクラするとか気持ち悪いとかありませんか?」


部屋まで誘導するだけではなく、尋ねながら髪まで乾かしてくれた。


「あの、自分でやります」


あまり世話を焼かれるとむしろ困惑する。オルティエではここまでピッタリ寄り添われることはなかった。そして相手は隣国の王妹殿下。そんな彼女に膝をつかせている。


「何かご不快でしたか?」

「そうではなく……お手を煩わせる必要はありませんから」

「侯爵令嬢様。これはせめてものお詫びです。ノワール……主に兄様ですが、私たちがやったことを考えれば、ふんぞり返っていたって誰も文句は言わないでしょうし、私が言わせません」

「でも……」


困って俯いてしまうと、ヴィオラも眉根を下ろす。


「侯爵令嬢様は、長い間お一人で生きていらしたのですね」

「? 私は、一人ではありませんでしたよ」


一人で生きられるほど、メイヴィスは強い人間ではない。シャロンがいて、コーディがいて、ようやく生活することができた。


「では、侯爵令嬢様を心から愛してくださる方は、いらっしゃいますか?」


メイヴィスは思わず笑ってしまう。


「私には、愛はわかりません」


愛とは何かわからなくて、書物を漁ったこともある。ただどれもピンとくることはなく、理解とは程遠い。親愛、友愛、恋愛。どれも無縁だ。


「……でしたら、やはり侯爵令嬢様はお一人だったのです。一人に慣れてしまっているから、私がそばにいることを苦痛に感じているように見えます」

「そんなこと……」


苦痛というより、居心地の悪さは感じていた。しかし、シャロンやコーディに対して同じように思ったことはない。その違いは何なのか。身分だけではないのだろう。


「……」


メイヴィスは恐れていた。自分と関わった人間が、不幸になることを。現にシャロンはいなくなり、コーディも姿を見せない。ヴィオラについても不安が募る。だがそれを本人に伝えようとは思わない。


「私は、ただヴィオラ様の手を煩わせたくないだけです。本当に、それだけで」

「……そうですか」


ヴィオラはメイヴィスの髪を梳いていた手を止め、メイヴィスの背中にしがみついた。


「?」


何をしているのかよくわからず、困惑していると、ヴィオラはすぐ離れて「少しお休みになってください」と退室していった。急に眠気に襲われ、メイヴィスはベッドに横になる。そこから先の記憶は途切れた。



















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