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代償




















金色の髪の女を、メイヴィスはとっくに見失っていた。森へ入ってから数十分は経っている。流石に走り続けることはできないので、今はゆっくりと木の下を歩いている。

森の奥は日当たりが悪く、日陰が多い。そのおかげでまだ動くこともできるが、後のことなど何も考えずに飛び出してきたメイヴィスが、帰り道などわかるはずもなく。


「無謀すぎたわ……クリスタ様も見失うし」


あれが本当にクリスタだったのか、確信はない。だが確かにあの瞬間、誰かがそこにいたのだ。

方向もわからぬまま歩いていると、太陽がよく当たる開けた場所が見えた。そこには大樹が立ち、葉が風に揺れている。


「クリスタ様?」


その前に誰かが立っていた。後ろ姿だが、髪型は間違いなくクリスタのものであった。落馬して治療を受けているはずの彼女がなぜ、たった一人でこんな森の奥にいるのか。メイヴィスは理解に苦しんだ。

クリスタはじっと大樹を見上げ、やがて離れた。声をかけるなら今だと、メイヴィスは口を開く。


「クリスタ、さ……?」


突然、体の力が抜けた。声も最後まで音にならず途切れ、メイヴィスは受け身も取れずに地面に倒れる。クリスタはメイヴィスの声が聞こえていなかったのか、そのまま立ち去ってしまった。

メイヴィスはしばらく動けずにいた。手足に力が入らない。起き上がりたいのに、起き上がれない。意識はあるのに、何もできない。

どうしてこんなことに、とメイヴィスは考える。が、答えは出ない。


「動くなって言ったのに動き回るから、体が限界を迎えたんだよ。ったく、何してんだよ」


置いてきたはずの精霊の声がした。コーディはどこからともなく現れ、倒れて身動きの取れないメイヴィスの顔を覗き見る。


「こっ」

「喋るな喋るな。熱出すぞ」


ふとコーディの視線がメイヴィスから外れる。そして目を見開いたかと思うと、コーディは飛び退いた。


「……?」


頭の横で草を踏み締める音がした。コーディのものではない。誰かがいる。

首どころか目も動かせないメイヴィスは、身構えた。誰かの靴が目の前に降ってきて、次に膝が地面をついた。


「そなたはここで何をしている」


いつぞやの時も同じセリフを聞いたような、とメイヴィスは思った。倒れていることについては特に疑問はないらしい。


(クリスタ様の姿が消えて、慌てて追いかけてきた、と)


「……」


クリスタのことを伝えようと口を開くが、声が出ない。サイラスはため息をついて、メイヴィスの体と地面の間に腕を滑り込ませた。

浮遊感に気持ち悪さを覚えたメイヴィスは、抵抗せずに目を閉じる。サイラスは抱えたメイヴィスを大樹の下まで運んでやった。葉の茂った木陰は涼しく感じられ、ややパニックに陥ったメイヴィスの気持ちを落ち着かせた。

乱れた息を整え、飛びそうな意識を掴みながら、メイヴィスは再び口を開く。その数分間、サイラスは何も言わずにメイヴィスを見守っていた。


「クリスタ様が、あちらへ」


ここでようやく体が動いてくれたので、クリスタが消えた方を指差す。サイラスはそちらをチラリと見た後メイヴィスに視線を戻した。


「殿下がいらしたのなら、私は先に、戻ります。クリスタ様を、どうかよろしく、お願いします」


できる限り頭を下げ、視界に見えるサイラスの靴がそのまま立ち去るのを待つ。しかし、いつまで経っても去る気配はなかった。

不思議に思って顔をあげると、サイラスが突然メイヴィスの足を掴んだ。メイヴィスを睨みつけている。


「これは?」


少し持ち上げられた足は、裸足で歩いてきたことで出血していた。道は草が生えている場所だけではない。日の届かない小径は小石だらけで、草を掠ったかすり傷だけではなく、足裏も傷ができていた。痛みがなかったせいで気が付かなかったのだ。だが、咎めるほどでもない。


「これは、慌てて飛び出してきたので」


そこで初めてメイヴィスはサイラスに抵抗し、足をスカートの下に隠す。


「お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません。私は一人で戻れますので、早くクリスタ様を」


それでもサイラスはじっとメイヴィスを見つめ続けている。だが、これ以上話すことは何もない。

視線が痛いメイヴィスは何とか立ち上がって、帰り道であろう方角へ駆け出す。そうして、無理矢理会話を終わらせた。
















「侯爵令嬢、また倒れるぞ」


サイラスの視界から外れる場所まで足早に歩いていると、胸元から声が聞こえた。


「あなた……どこにいるの?」


足を止めて細木に捕まり、尋ねる。胸元が光り、コーディが現れた。


「うわっ、一体どこから」

「ブローチだよ。さっき触った時に細工を施した」


さらりととんでもないことを宣う精霊に、メイヴィスはついていけない。


「ただこのブローチ、王家のものってだけあって意識移すので精一杯! 術なんか使えそうにない」


オルティエの初代女王が『男が触れると災いをもたらす』と残した言葉と何か関係があるのだろうか。


(コーディは人間じゃないけど、男にカウントされるのかな?)


女王の意向はメイヴィスには推し測れない。


「じゃあ、帰り道もわからない?」

「……そうだな。この森、複雑で道なんか覚えられん」


詰みだ。だが、メイヴィスは一人きりではないことに安堵していた。


「ごめん」

「謝るのは私の方よ。無計画に飛び出して、あなたを巻き込んだ」

「お前のせいだなんて思ってねえよ。一人にしておけなかったんだ」

「それでも、追いかけてきてくれて、ありがとう。私、あなたのおかげで寂しくないわ」

「……そうかい」


出会った当初、コーディは退屈だと不満を漏らしていた。そしてメイヴィスは、次の主人に願いを託せと返した。コーディにとって、メイヴィスは友人となったが、その生死は心底どうでもいいはずだ。メイヴィスがいなくなったところで、コーディも消えるわけではない。

だが、コーディは術が使えなくなってもメイヴィスを追いかけてきてくれた。その事実が、メイヴィスには嬉しかったのだ。コーディ本人が後悔していたとしても。


「喉が渇いたから、早く戻りたいわ」

「侯爵令嬢〜、痛みがないからって動き回るなよ〜」


メイヴィスは足元を見る。微々たるものではあるが、歩いてきた道に血痕が残されていた。


「痛くないって、素敵ね」

「答えになってねえよぉ……」


苦しくないわけではない。が、痛みを感じないというだけでメイヴィスの心は救われていた。























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