黒い墓標
目の前の女を思い切り蹴り上げる。小柄な体が宙に浮いて、廊下をごろごろと転がった。
「なんだ、君もそうだったのか……」
かつかつと近づいて、思い切り踏みつける。全ての体重を乗せた容赦のない踏みつけに、苦悶の声が上がった。――気持ちがいい。初めて自分にこんな昏い感情があることを知った。今までは必死に抑えてきたのだろう。この愉しみは、わが身を滅ぼすから。
だからこそ気持ちがいいのかもしれないが。
――ただ……。
この女が同じ“プレイヤー”であった以上、遊んでいる余裕はない。早いところ始末して、別の無害な標的を探すべきだ。
それはわかっているけれど。
「君もさ」
女に話しかけてしまう。更なる嗜虐の快楽を求めて。
「バカなことをしたよね。“力”が使えるのならさ、ほかにやりようがあったでしょう。回復専門のビルドにしても、ひとつくらい攻撃スキル、あっただろうに。君は千載一遇のチャンスを棒に振ってしまったんだ。“死体”に回復魔法を使うなんて」
《wonder land》系列のゲームにおいて、《死》は絶対だ。そこから復活するには、『24時間のゲーム・プレイ不可』というデス・ペナルティを支払う以外に方法はない。脳を錯覚させて現実と違わないゲームプレイを成立させているVRゲームにおいて、《死》の経験はとりわけショックが大きい。連続でそのダメージを受ければリアルボディに障害が発生することもあり、安全上の配慮から、蘇生アイテム・スキルは全面的に禁止されているのだった。
だから男は嘲り笑う。
「それとも、まだ生きてるとでも思っちゃったのかなぁ? うちの彼氏は不死身なんですって? マジ笑える。てめーの彼氏はヒーローなんかじゃねぇんだよ。ただの有機体、ただのホモ・サピエンス。燃やされりゃ、死ぬの。燃えるゴミなの」
きっ、と足下の瞳がにらみつけてくる。全身が震えた。この強い心を折ることができたら、いったいどれくらい気持ちいいのか。
「なんか、まだあんまわかってないみたいだね。そう~だ! じゃ試してみる? お前の脚一本燃やしてやるよ。これでさ、どんだけ熱いか、痛いかわかるでしょ」
そのさまを想像したのか。一瞬、恐怖にひきつった表情を浮かべる女。その微かな表情さえ最高に良かった。絶頂の予感に頬が緩む。
ことさらにゆっくりと、《ファイア・イェーガー》を詠唱する。
「騙されないものは(Les non-dupes)――」
彼女の表情を注視する。だんだんと顔面筋肉が強張っていくのが見て取れる。今にも叫びだしそうな顔。細かく唇が震えている。
ぽろりと、その大きな瞳から涙の粒が溢れた。
――くふ。
歓喜の笑みを漏らしたのも、束の間。
不可解な事態が起こる。
「……は?」
笑っている。女は表情を一変させ、涙を流しながら笑っていた。それはまるで母親に抱き抱えられる寸前の赤ん坊のような、安心しきった笑み。
そして気づく。女はもう自分を見ていない。その眼の焦点は、自分を通り過ぎた後方で結ばれている。
その瞳の中に映っているのは、真っ黒な墓標。
「はぁ……」
不思議と、心は凪いでいた。そもそも自分は、最初からこうなることを望んでいたのかもしれないとさえ思う。今の自分の感情を言い表すのにもっとも相応しい言葉は、『安心』だった。
子どものころからずっと、特撮物が好きだった。
悪は、最後に裁かれなければならない。
「ほんとに不死身なのかよ。それとも愛の奇跡? かっこいいな、ヒーロー」
ただ、振られた役割はきっちりと全うしなければいけないと思う。悪者の役を与えられたからといってふてくされていては、肝心のヒーローが輝かない。
深呼吸して、再び呪文を叫んだ。
「騙されないものは彷(Les non-dupes)――!」
言い切れず、飛んでゆく。今自分はありえないものを見ている。上体のない自分の体を真正面から見ている。
しかしそれも一瞬のこと。すぐに黒い緞帳が下りて、何も見えなくなる。
なにが起こったのかはわからない。だけれど、深く安堵していることだけは確かだった。
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