たとえば神に見捨てられても
「……」
無味乾燥な丸裸の大地が広がっていた。見渡すかぎり、赤茶けた地面が広がっている荒野だ。およそ東京の景色とは思えなかったが、星の見えない汚れた空だけはしっかりと大都会の名残を残していた。
クレーター状に沈降した地面からは、月が遠く見える。いったいどれくらいの深さなのだろう。元の位置まで戻るのに、小山を登り切るくらいの労力は必要そうだ。
傍らに倒れていた彼女の顔は、青ざめている。
「嘘、嘘だ……」
いつも飄々(ひょうひょう)としていたシスイが、呆然として空をみあげている。
「あたしは、何もできなかったの……?」
絶望しきった表情で、涙を流す。悲しいというより、悔しそうだった。これだけの力を手に入れるのは、並大抵のことではない。たとえ大多数の人が悪と断じる目標のためだったとはいえ、彼女の真剣さはどんな崇高な行為にも劣らず本物だ。全霊を懸けた夢が砕け散り、少女は震えながら涙を流していた。
差し伸べかけた手が、止まる。
シューノには、懸ける言葉が見当たらなかった。一度は彼女を手に掛けようとした自分が、慰めていいものかどうか。どうにかしてやりたいという想いはどうしようもなく募っているのに、どうすることもできない。
迷っていると彼女の体が、まるで見えない手に摘ままれてでもいるように、すぅっと浮いた。そしてそのままするすると空へ上っていき、クレーターを超え、遥かな高みで磔になる。
彼女を縛るのは血色の六芒星、《ブラッドアーツ》の代償だ。シスイは、巨人の一撃の対価に自らの命を捧げていた。
巨人が再び、拳を引き絞る。悪魔に奇跡は訪れない。さきほどの奇跡をなしたヒーラー陣のMPは今度こそ本当に零だ。次の瞬間には避け用のない無慈悲な一撃が、少女の体を粉砕する。
しかしシスイの表情にはもう色がない。涙も枯れ果て、全てを諦めた無感動な眼がただぼうっと空を見上げていた。
ああ、駄目だ。
少女の絶望で世界が壊れるのは見過ごせても、それだけは。
そんな終わり方は――許せない。
「やってこい――我が認める唯一の最後(Komun
du du letzer,denn ich anerkenne)。この肉体の網にひそまる、もう癒えることのない痛みよ(Heiloser Schmerz im leiblichen Geweb)……」
シューノは我知らず、唱えていた。それは黒色の《ブラッドアーツ》。
命と引き換えに放つ、《悪魔の怒り(デモンレイジ)》。
「やってこい! お前はシン! 俺の罪――!」
全身の肉体が張り詰めて破裂する。赤い血が全て流れ果てた後に、どす黒い血が新たに湧き出す。シューノの中の彼女がやってきたのだ。
黒の女王が。
鎖の解かれた野獣のように、悪魔は雄叫びをあげて地を蹴った。放たれた巨拳とシスイの間に割って入り、黒剣を光すら断つ速度で振り下ろす。目のくらむような爆発の後には、身長の数百倍はある巨山を止める、魔人の姿があった。
「シュー……ノ?」
シスイはおそるおそると言った様子で話しかける。それほどまでに彼の姿は豹変していた。瞳は金色に輝いていて、短髪だった髪は長く、腰元にまで達している。背にはホログラム処理されたかのように色を変えて輝く十二翼。およそ一プレイヤーが取りうる姿ではない。本当にこれはシューノなのか。
しかし、そんな疑問はすぐに払拭された。
「やっと、君の側に帰ってこれた」
悪魔は横目で後ろをみやると、満足気にそう言った。思わず、シスイの両目からは枯れたと思っていた涙が溢れ出す。
「シューノ……」
その行動で、全ては自分の誤解だったのだと信じられた。あの日本当に逃げ出していたなら、今この場面で守ってくれるわけがない。申し訳無さと、感謝の気持ちが膨れ上がるも、言葉にならない。ただ、涙となって目元からこんこんと流れだした。
もういい、と、そう思えた。
最後の最後で、救われることができたのだ。
生きていて良かったと、初めてそう思えたのだから。
神に見捨てられても、悪魔は側にいてくれた――。
「逃げて、シューノ。あたしはもう大丈夫」
彼のHPは恐ろしい速度で削れている。このままの状態では長く持たないだろう。
召喚主であるシスイにはだれよりもよく分かっていた。この巨人――《エミーゴ・エタルノ》を倒すことはできない。死の運命からは逃れられはしない。
だから逃げてというのに。
「どうして……!?」
彼はシスイの前に立ち続けた。刻々と刻まれる死へのカウントダウンを無視して。
「シューノ! 早くその状態を解除して!」
シスイには分かっていた。このHPの減りは、巨人の攻撃からきているものではない。それはこの異様な力の代償だ。これだけの力が《ブラッドアーツ》でないわけがない。
そして同時に分かっていた。時間経過と共に少しづつ代償を支払うタイプなら、ギリギリで解除することにより一命を取り留めることができる。自分のような使ったが最後、というタイプではない。
だが。
「あたしなんかのために――死なないでよっ!」
HPは半分を割り、瞬きするまもなくレッドへ突入する。
そして――
「限界だよッ! シューノ!」
命の秤が尽きる。
その時に。
「ありません」
ありえないことが起こった。悪魔に奇跡が起こったのだ。
神は悪魔のために天使を遣わした。
「あんた、なんで……」
飛翔呪文。そして今かけている《ヒーリングⅤ》。
「どうして使えるのよ、それ……。あんたのMPはもう零なはず……なのに」
一つだけ、心当たりはあった。初歩の魔術師のスキルに、自分のHPをMPに変換するものがある。
だが消費MPの少ない初歩呪文しか覚えていないころならいざしらず、そんな大呪文を、ましてやHPの少ないヒーラーが使うなんて……。
「あんた、自分のHP見えてんの……?」
「はい」
「バカじゃないの。あたしはあんたを殺そうとした敵なんだよ? はやくシューノを連れて逃げてよ、お願いだから」
「……残念ですが、聞けません。わたくしも、きっと彼も」
「わかんないよ――!」
シスイは顔をくしゃくしゃにして叫んだ。
「もう死んじゃう。限界だってことがわかんないの!? どうしてあたしなんかのためにそんなことするんだ!」
「……ですから」
苦しげに顔を歪めながらもきっぱりと、エーリエルは言った。
「限界なんてないのですよ。人を……愛するのに」
巨人の山のような拳に、太い亀裂が走る。シューノの黒刀と接する地点から生じたそのひび割れは、拳から腕、頭頂から股にまでも走りぬけ――ついには巨人を二つに割った。
崩壊したのではなく、シューノが倒したのだ。巨人はすぐにぼうっと薄光しはじめ、さらさらとした砂状になって辺りに降り注いだ。
しかし奇跡にも、代償が求められる。
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