トゥーランドット④
彼女から受け取った杖を手に持つと、全身の毛穴が開いたような感じがした。早朝に気持よく走ってシャワーを浴びた後のような、なんでもできそうな気分。これが《神話級装備》の威力なんだ、とわたしは状況も忘れて興奮する。なるほど、これを手に入れるためならたしかになんだってやる。MPなんて装備する前の十倍以上だ。
「全てはスキル効果が発動するタイミングです。直撃する瞬間に詠唱を完了すれば、破壊される前に再生できます」
無茶言うよな……とわたしは苦笑いを返す。それができるならわたしは一般プレイヤーやってないっていうか、人間やってない。TASの領域でしょうよそこはもう。
逃げたいよ、怖いよ。なんなんだよあの怪物は。デカ過ぎなんだよ。なんでわたしみたいなフレと型落ちのダンジョンもぐって一喜一憂してるような典型的himeヒラに、めちゃくちゃな数の命がかかってるの? バカなの?
「でもまぁ……」
やるしかない。わたしがやるしかないんだ。
大きく深呼吸して、杖を高く掲げる。その様子を見て、エルエルが宣言した。
「展開、呪文集中陣――」
わたしたちの足元に、白光する魔法陣が浮かび上がった。この効果圏内にいるヒーラー二名による共同詠唱で、威力。効果範囲は倍に、消費MPは半分に減少する。
ここからは無駄口はたたけない。いちにの――と声でタイミングは測れない。なにか声を発すれば、それがスタートになる。わたしは上空を見つめ、詠唱のタイミングを図っているエルエルの表情に集中する。彼女の口が開いた瞬間、詠唱開始だ。張り裂けそうな心臓の鼓動を聞きながら、わたしは待った。さっきまであんなにゆっくりに見えていた拳は、近づくにつれてどんどん速度を増している。わたしは思わず怖くなって、杖をもっていない左手でエルエルの右手を握ってしまった。
彼女の手もまた、汗をかいている。
突然、離陸する飛行機を飛行場いっぱいに並べたような、凄まじい音が鳴り始めた。高速で落下する巨人の拳に、大気が悲鳴をあげている。これじゃあエルエルの詠唱を聞いて速度を微調整することもできない。――予想外の事態だ。
しかしそんなことはお構いなしに、彼女の口が開いた。
もう、信じるしか無い。
「おお夜よ去れ!(Dilegua, o notte!) 星よ沈め!(Tramontate, stelle!)」
呪文には定められたリズムがある。完璧なリズムで奏でることで、リズムボーナスとして微量の恩恵を受けることができる。殆どのヒーラーが気にしていない要素だけど、彼女ならきっと正しく唱えるだろう。彼女、《完璧なヒーラー(パーフェクト・ヒーラー)》なら。
「夜明けとともに私は勝つ!(All'alba vincerò!) 私は勝つ!(vincerò!)」
そしてわたしは、歌が好き。合唱部に入る勇気も、カラオケに行く友達もいなかったけれど、気に入った曲は胸の中で何度も何度も歌っていた。
そしてこの曲も、そんなお気に入りの一つだ。
この呪文に出会った時は驚いたなぁ。小さいころ、バレエを習っていた時に聞いたアリア、『トゥーランドット』。このゲームの詠唱文は全て実在する詩や名句からとられているってことは知っていたけれど、それにしてもびっくりする再会だった。
そして、こんな所で歌うのがこの曲だなんて。
きっと神様はいるのだろう。わたしは自然にそう信じられた。
――だから、大丈夫。
最後の一小節を口にする。思わず、握った手にぎゅっと力がこもった。
「誰も寝ては――ならぬ!(Nessun dorma!) リザレクションッフィィイイイイイイルドォ――!」
お読み頂き感謝です♪




