トゥーランドット③
「正直言うとさ、今回は盛大に失敗しちゃったよ。君たちを疑心暗鬼にさせてお互いに殺し合わせようっていろいろ仕組んでたのに、かけらも疑わないんだもんな」
どんなにマトモそうに見えても、やつぱり色付き(カラード)はみんな異常だね――とシスイは続けた。
「その口ぶり、その力……」エーリエルは杖をシスイに向けて構える。「あなたもカラードですね」
「ご明察」にっ、と犬歯をむき出しにしてシスイは笑う。「はじめまして、翠色。あたしが黄色だよ」
二人がなにについて話しているのか、シューノにはわからなかった。しかしそんなことは重要じゃない。重要なのは、今このタイミングでシスイがその姿を現したということだ。奇襲という選択もできたはずなのに、なにか狙いがあるはずだ。
シスイは続ける。
「あんたの戦い方は見せてもらったよ。そんであんたがどういう奴なのか、どういう方向に異常なのかも全てわかった」
「たったあれだけの時間で、わたくしを理解したと?」
「あんたは分かりやすいよ。あたしの真逆だから」
「真逆……?」
「あたしはなにがあっても信じない。あんたはなにがあっても信じる。……イライラするよ、あんた。そこの黒ずくめも心底嫌いだけど、あんたは別格だ。天敵ってやつがあたしにいるとしたらあんたのことだね。つま先から頭のてっぺんまであたしの否定で、あんたはできてる」
だから――とシスイは続けた。
「決心したよ。もともと自分の命に執着がある方じゃないしね。どうしようもなく殺したい奴を二人やれるならいいやって、さ――!」
口の端を思い切り引き上げて、シスイは悪魔的に笑う。その小さな口からのぞく赤黒い舌が、奇妙にのたくった。
「ελωι ελωι λιμα σαβαχθανει(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)」
すると、「キィイイイイイイイイイイ」とおよそ人間の声帯が発するとは思えない可聴域ギリギリの金切り音が、大気を震わせた。まるで子どものコウモリが親に助けを求めるかのような、異常な叫び声だ。
しかしそれは、後に続く異常のほんの先触れに過ぎなかった。
「シューノ!」凜花が絶叫する。
カテドラルの建物が黒く変色してゆく。地の底からマグマのようなものが湧き上がり、地響きとともにカテドラルの全高をどんどんと押し上げていった。その高さは脇に立つ全長60メートルの鐘塔を軽々と超え、信じられないことに、頭頂は雲を突き抜ける。冷えて固まったマグマ様のものでできたその“巨大なもの”の表面は、枯木のようにひび割れており、いまにも折れそうなほど細く、上方では重力にまけてたわんでいた。
それが突然、爆発したように膨張する。いきなり空気を入れられた風船のように、体積は一瞬で数十倍にもなった。どくんどくんと小爆発を繰り返し、“巨大なもの”は肥り続ける。
三人は、見ていることしかできなかった。これだけの大きさを誇るものに、ちっぽけな自分達が何かをできるビジョンが見つからない。それは完全に人間の想像力を超えている。
「あはははははっ! いいながめ!」
シスイは上空で笑う。呼び出した怪鳥型モンスターの背に乗り、シューノ達を見下ろしている。
「どうする!? ねぇ、どうせ考えているんでしょう!? どうしたらこいつを倒せる? どうしたらそこいらで寝てる奴らを助けられるんだ? ってさ! ほら、最後の一瞬まで足掻きなよ!」
「――くそッ」
召喚主を倒せば――と上空のシスイに向かって跳躍しようとしたシューノを、エーリエルが止める。
「危険です。あれだけの物体のコントロールが無くなれば、大惨事になってしまう」
「あんなものをコントロールされる方が危険だろ!」
「だからといって早計です。貴方の一挙手一投足に、数千万の人命がかかっていると理解してください」
「だったらどうしろって言うんだ!」
感情にまかせて叫ぶも、エーリエルは動じない。その眼はじっと“巨大なもの”に注がれている。
「考えてください、誰も命を失わない方法を」
「そんなの――」
あるわけないだろ! という言葉を噛み殺す。言っても無駄だ、こいつには。“誰も命を失わない”と言った。この期に及んであいつ、シスイを助けることまで考えているなんて、正気の沙汰じゃない。
シューノは知った、キリスト然りジャンヌ・ダルク然り、なぜ聖人と呼ばれる存在は味方に裏切られて死ぬのか。それはつまり、計算ができないからだ。ありえない最善を夢想するだけで、現実が見えていないからだ。
いざというときは、こいつもやるしかない……。
シューノがエーリエルを見る目は、いつのまにかぞっとするほど冷たいものに変わっていた。
そうこうしているうちに、目の前の“巨大なもの”の動きは止まった。単純に膨張するのを止め、さなぎから蝶が羽化するように内側から何かが姿を現す。
それは辛うじて人型と表現できるだろうか。うろこ状の体表が休みなく蠢いていて、頭部は食虫花のように開いているが、二本足で立っていて両手がある。圧倒的な質量で地を睥睨するその“蠢動するもの”は、弓を引き絞るようにゆっくりと前腕を動かした。まさか、あれをそのまま叩き落とす気なのだろうか。あまりに巨大なその拳は、天球に輝く満月の十倍以上はある。まるで迫り来る隕石だった。
無力感が全身を支配する。それはあまりに違いすぎた、蟻にも満たないこの身にできることはない。
だからシューノは、何かができる可能性のある唯一の人間に叫んだ。
「シスイ! あんなものが落ちれば、お前だってどうなるかわからないぞ!」
「あはは、もう少し頭働かせて喋ったら? 言ったはずだよ、あたしの命なんてどうでもいいって」
「貴女、これは……」エーリエルが言った。「《ブラッドアーツ》……」
「そ。これがあたしの命の値段ってわけ。どう? けっこう良い値がついたと思わない?」
シスイは“蠢動するもの”を見上げて満足気に微笑む。
「……これだとどのくらいいくのかな。星が砕けるといいんだけど」
「なぜそんなことをするのです……! この一撃で四色を一気に倒せたとしても、自分の命と引き換えでは意味が無い!」
「あるんだよ、それが」
シスイは感情のこもらない声で言った。
「全てを滅ぼすことがあたしの望みだから。言ったでしょう、あたしはアンタの反対だって」
「そんな……」
エーリエルは言葉を失った。その答えはきっと彼女にとっては目の前の巨人よりも想像の埒外にあるものだったろう。救うもの、滅ぼすもの、たしかに彼女たちは対極だ。
そして。
自分の命すら大事だと思わない人間を、説得することなど不可能だ。
シューノはシスイの言葉を聞いて悟った。目の前の天を衝く巨人は、彼女の絶望の深さだったのだ。そしてその産みの母がシスイなら、その父親は紛れも無く自分だということも。
全てはあの日、帰れなかったことから起こったのだから。
しかし、それだけじゃない。生みの親は自分達であったとしても、これを育てたのはシスイを取り巻く世界だ。彼女がリアルで、ネットで、どんな境遇にいたのかはわからない。わからないが、何もないところからこんなものは生まれない。相応のなにかがあって、シスイの中の闇をどんどん育てていったのだ。彼女は生まれついての悪じゃない、それはよくわかっているから。
「神よ、神よ、なぜ私を見捨て給いしか(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)」
ふと、彼女が命がけで唱えた、呪文の意味がわかる。
そうだ。
この拳は、自分と世界が受けるべき、裁きの鉄槌なのだ――。
巨人の振りかぶった拳が、ゆっくりと落ちてくる。その様子はまるで、空に蓋をするように見えた。視界が暗く塞がっていく。
「ごめんな……シスイ」
今度は彼女に届く声をだせた。せめてそれで、よしとしよう。
巨拳の大きな影の下で、二人は見つめ合っていた。
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