トゥーランドット①
「ちょっと――」
エンド・レイドで講堂の壁面を破壊して空中へ躍り出ると、抱きかかえた凜花が叫んだ。
「無茶しすぎ! わたしは《ペインキラー》じゃないのわか――」
眼下にはミニチュアのような街灯や車。二十一階建て、地上から百十五メートル離れた高所から飛び出したのだから無理もない。一瞬の無重力状態が終わって、上から押し付けられるような落下Gがかかりはじめると、内蔵が浮くような独特の感覚が体を襲った。
「うっ――きゃあああああああああああああッ!」
耳元で鼓膜を破るような悲鳴、逆風に巻かれてばさばさと上向く髪がちくちくと痛い。けれど今はそんなことにかまっている余裕はなかった。エンド・レイドを持つ右手に渾身の力を込め、覚悟を決める。
「ハアァッ!」
気合とともに叫んで、ビルの壁面に大剣を突き刺す。あらかじめ予想していたように、右半身をまるごと持っていかれるかのような抵抗、急激な制動に自分が大砲の弾にでもなったかのような圧力がかかる。HPバーは、全開からレッドまでごっそりと削れていた。
しかしその甲斐はあって、金属と金属が高速で擦れる耳障りなブレーキ音が鳴り響くなか、ゆっくりと速度が落ちていき、遂に地上二階程度の高さで止まる。シューノは壁を蹴って地上に降り立った。
「ば、ばかやろう……」
息も絶え絶えと言った様子でつぶやく凜花だったが、その掌からはエメラルドグリーンの光が漏れだしている。《ヒーリング》のエフェクトだ。
「ごめん……ありがとう」
簡潔に告げて、シューノは疾走を再開する。
シスイは自身の正体を明かした後、チェシャ猫のように笑いだけを残して消えていた。逃げた、と考えるべきだろう。最強の戦力であるゴーストを倒され、完全な隙をついたかに見えた奇襲は失敗しているのだ。もはやシューノに対抗しうる術はない、そう判断して退却した――と。しかしシューノはどうしても拭えなかった。今も彼女の掌の上で転がされているような感覚……。
けれど現状、他に選択肢はない。彼女を殺してでも人を守ろうとした。実際に彼女を殺してはいないとしても、あの瞬間の決意、彼女だと信じた体に刃を通した時の痛みを無駄にすることなんてできない。彼女を殺したのに誰も救えない、そんな結末が許せてたまるか。
シューノのSTR値では、人一人を抱きかかえているハンデなんてないようなものだ。全力を出せば、行きに二十分かかった道のりは一分未満に短縮される。
しかし、どんなに高速で駆けようとも、時間は戻らない。ビルに閉じ込められていた時間はあまりに長く、そしてシスイの計略は完璧だった。近づくにつれてシューノは悟り始めた。このあたりには火薬と硝煙、削れた金属が放つ独特の臭い……大規模な戦闘が起こった場所でのみ香る死の芳香が立ち込めている。その割に、銃撃の音も悲鳴も聞こえない。
それは、全てが終わってしまったことを意味しないか。
考える。もし自分が騎士団と戦ったら、殲滅までにどのくらいの時間がかかるだろうか。どうシミュレーションしても、十分以上かかることはありえなかった。
だから、その光景を見た時に、驚きはなかった。
「あ……」
凜花が唖然として声を挙げた。彼女は急いで地上に降りる。
そこに広がっていたのは、異常な景色だ。夥しい数の人間がアスファルトの地面の上に、無造作に倒れている。たくさんの人がいるのに、全く音のない静寂の空間。
ジェノサイド、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
眼を覆いたい気持ちと、それをしてはならないという義務感が胸のうちで戦う。全ては自分の責任だ。この惨状は、自分で起こしたものだ。少なくとも眼に焼き付けておく義務があるのではないか。せめてもの罰として。
しかし凄惨すぎて、一向に現実感が湧いてこない。
今見ている光景が全てモノクロームに染まっていたなら、昔の時代に起きた大戦の写真なのだと、少しはリアリティも出るのに……そう思った。
しかし、違う。
気づいた。それは写真にしては、あまりにヒロイックに過ぎる光景なのだということに。
全ての人間が倒れた山の中で、たった一人だけが立っている。手にした杖を支えに、かろうじてと言った様子ではあるものの、それでも、確かに。彼女一人の存在が、酷すぎる現実を切り取った映像を、一幅の聖女画に変えていた。
《ペインキラー》《デッドレイズ》、エーリエル・エルター。
倒れている人間の脈をとっていた凜花が、驚きの声をあげた。
「生きてる!? これみんな、寝てるの……?」
セクハラなどに悪用される危険があるため、どのワールドでも《睡眠》デバフを与えるスキルは高位の聖職者にのみ与えられるハイレベルなものだ。当然消費MPなどの使用コストはその分大きく、連発ができるようにはなっていない。今眼下に広がっているような、万の桁にも及ぼうかという人数を眠らせることなんて不可能だ。
しかし、それはあくまで一般論を言えばの話。
彼女は常識では図れない。できたのだ。やってくれたのだ。
けれど流石に、《戦術眼》で彼女を見るとMPがもう尽きかけていた。
のみならず、HPバーまでなぜか半分まで削れている。
「エーリエル、どうした!?」
(つづく)
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