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東京へ……

パリの屋敷を引き払い、モナコに帰った。


私は、仕事をセーブして、モナコ周辺諸国の仕事だけすることにした。


ジストニアのチャリティーコンサートや、モナコ国内のリサイタルにしぼった。


そして、延び延びになっていた日本の子供たちに会いにいくことにした。



アンナは、もうフランス政府から年金をもらう年になったから、やめてのんびりしたいっていうのを、引き止めて、エレインのヌヌ(子守)の仕事だけやってもらってる。



日本の子供達は、もう中学生になっているはず。


忙しくても、毎週便りは送ってた。養子にいった子は、返事をくれるようになったし、実家の跡取り息子は、未開封のまま送り返してくるのをやめた。



日本が春休みになるころ、行こう。会ってもらえなくてもいい。恨みごとを言われて、ののしられてもいい。


私が愛してるってことを伝えたいのよ。


日本に行くのは、ずっと怖かった。あの人がいない日本になんか、帰りたくなかった。いないってことを、思い知るのが、耐えられなかった。


いろんなことに、臆病だった。今は、そうじゃない。支えてくれる人がいるってことは、人を強くするのね。


あの人を失っても、右手を失っても、まだ私は生きてる。絶望もしてない。あの人の忘れ形見の息子たちとの、失われた絆を取り戻す。それが次の挑戦だわ。




...*...*...*...*...*...*




三月。


十何年かぶりの日本。もう東京の地を踏むことはないと思ってた。


モナコと違って、冷える。でも、空港から、都内までの車窓からみる景色は、もう桜が咲いていた。南仏のアーモンドの花を見たとき、桜みたいだと思ったけど、やはり桜は、独特の雰囲気がある。




花曇りの空。


品川の実家を訪れた。



執事には、訪問を伝えてある。夫は、ロスから、ほとんど戻らない。ただ、息子が会いたがるかどうかは、わからないと言っていた。執事の話だと、跡取り息子は、少々…いや、かなり…わがままで、乱暴者らしい。


無理のない話だ。二親に捨てられたも同然で、育ってきたのだから。会ってくれたとしても、今さら、母親づらするな!ぐらいは言われて当然だわ。



執事が、私の来訪を伝えると、なんと息子はあってくれるという。ただ、婚約者も同席なら、と言ってる。


「もちろんよ!婚約者を紹介してくれるなんて、うれしいわ!」


「いや…奥様。ぼっちゃまが、勝手に婚約者と言ってるのは、実はメイドでして…。」


「それがどうしたって言うのよ?私の息子だわ。私の恋人も庭師の息子だったもの。結ばれなかったけど、本当に愛し合ってたわ。知ってると思うけど。」


「はあ、それが…そのメイドが…少々…」


「もう、いいわ!二人に会わせて。」




執事が、少女時代を過ごした、スペイン風の屋敷の応接室に案内する。そこかしこに少女時代の思い出がある。





いきなりアメリカ人の将校たちの前で、ベヒシュタインを弾かされたあの部屋。壁紙は新しくなってたけど、ありありと思い出せる。


占領軍の将校たちの、小さな女王のように振舞ってた私。恋を知る前の、傲慢で、恐れ知らずの少女の私がいる。



「今日は、あなたのために弾いてあげるわ。プレゼントしてくれた碧玉エメラルドの髪飾り、とても気に入ったから。」



思い出にふけっていると、不意にドアが開いた。


私は息をのんだ。かつての、あの人が、そこにいたから……。



「さあ、ご挨拶するのよ!お母さまに!」



息子より少し年上の女の子に、背中を押されて、あの人そっくりな息子が、そっぽをむきながら、なにやらモゴモゴ言った。


「男ははっきり!」



女の子が、大きな声で気合をいれると、びくっとして


「お…お久しぶりです!お母さま!」


と、言ってくれた。



「では、私はこれで…。お二人でつもる話があるでしょうから…。」



女の子が出て行きかけると、息子はそれを許さない。おまえが、同席しなけりゃ、こんな女と会ってられるか!と言ってる。



私は、事情が飲み込めてきた。


息子は、彼女に言われて、気が進まないのを無理やり、私に会ってくれたのだ。息子が私を見る目は、まだ敵意に似たものが宿っている。


「あなたも、同席してくれる?息子がお世話になってるようね。」


「とんでもない!奥様。この馬鹿ガキ…じゃない、ぼっちゃまによくしてもらってるのは、私の方です。スクリャービンコンクルのこと、聞きました。本当に勇気があるなって感激しました。」



「あら…本当に、あのときはファイナルにふさわしくて弾けそうなものがあれしかなかっただけなの。今ならもっと、レパートリーがあるわ。」


「でも、左手だけでも、ピアノをあきらめないって、すごいと思います。な…そうだろ!ぼっちゃま!」


「あ……はい。オレ…ボクもそう思います。お母さま。」




どうやら、息子はこの女の子に、かなりまいってるらしい。反感をまだ持ってるのに、私に会ってくれてるのも、彼女の力なんだろう。これは…面白いわ。この女の子と仲良くした方が、手っ取り早いわ。


私は、無愛想な息子はほっといて、彼女とたくさんおしゃべりした。賢くてしっかりした子だった。こんな素敵な子を彼女にするなんて、息子は趣味がいいわ。




二人のなれそめも、彼女から聞いた。



執事の言うように、わがまま放題で、乱暴者の息子が、新参のメイドとして働いてた彼女に、嫌がらせをした。床を磨いてる彼女の前で、わざと床にツバを吐いたりして、ここもきれいにしとけ!とか言ったらしい。


気の強い彼女は、息子をひっぱたいた…なんてもんじゃなく、かなりのダメージを負わせたらしい。


体の大きな息子が全然叶わなかったくらいだから、かなりの強者だ。



それからも、懲りずに彼女に、嫌がらせしてた息子だったけど、その度にひどい目にあってた。でも、息子は恋に落ちてたんだろう。最初に彼女に殴られた時から。


生まれた時から、この家の当主として育てられ、傲慢で手のつけられない息子が、彼女の言うことなら、素直に、従ってるらしい。



なんだか、この女の子が、私と息子の橋渡しをしてくれそうだ。


「奥様、今日はお屋敷にお泊りにならないのですか?」


「ええ。ホテルをとってあるわ。夫に内緒で、息子に会いに来てるの。長居できないわ。」


「奥様のお部屋…そのままにしてありますよ。見ていかれますか?」



私の部屋。部屋の前には、あの人と過ごした庭がある。見にいくのが怖い気がする。でも…。


あの人が植えたバラは、まだあるのかしら…。



「見せてもらうわ。」


案内されるまでもなく、中庭を通って、自分の部屋のある別館まで近道をする。バラに埋れた屋敷。大きなミモザにライラック。


あの頃のままだ。



私の部屋の前の庭には、あのバラがつぼみをつけていた。


薄紅色の花びらに、濃いピンクの縁取りのあの人が植えたバラ。


プリンセス・ドゥ・モナコの株が、いきいきと生い茂っていた。





ああ、あの人はここにいた。まだ、生きてる。私と、息子の再会を喜んでくれているに違いないわ。




朽ちかけたブランコ。ここに座って、ドキドキしながら、あの人が庭仕事をするのを見ていた。手伝いたくて、リーヴァイスを買ったっけ。




夜中、蛍を見に連れてってもらって、初めて、あの人と接吻した。



幸せな思い出が、心の中を満たす。やはり、来てよかったわ。




「なあ、オフクロ…。」


さっきから、私から目をそらしてばかりいた息子が、私の目を見て言った。ぶっきらぼうにオフクロって私を呼んだ。



あの人も、ぶっきらぼうな話し方をした。なんて、似てるんだろう。


「あんたの部屋、こいつに使わせたいんだ。」


「何言ってるんだよ!この馬鹿ガキが!あたしはメイドなんだからね。使用人部屋で十分だって言ってんだろが!」




私は、息子にもったいぶって、言った。


「そうねえ。どうしようかしら…。一つ条件があるわ。」


「なんだよ?」


「二人の結婚式に、私を招待してくれること。」


「オフクロ…反対しねえのか?親父や執事は…付き合ってるのだって反対してんだぜ。」


「馬鹿ガキが!あたしは、おまえとなんかと、つきあってない!奥様!あたしはメイドだし、三つも年上だし、ぼっちゃまも大きくなったら、いいところのお嬢様に自然と目が向きますよ。あたしは、世話係みたいなもんで、彼女ってわけでは…。」


私は彼女に言った。


「あら、残念だわ。まず、あなたの心をモノにしなきゃね。でも、お部屋のことはOKよ。あなたに使ってほしいわ。初めての息子の頼みですもの。」


「あたしは、いいんですってば!」


「うるせえ!今日からおまえの部屋はここだからな。執事に荷物を運ばせる。」


「うるせえって、誰に口きいてんだよ!この馬鹿ガキがあ!勝手なことするな!」


息子が彼女に耳を引っ張られて、悪かったって言ってる。ふふふ…。なかなかいいカップルじゃないの。



「息子をよろしくお願いね。あの人に似て、頑固でぶっきらぼうだけど、優しいところもあるはずよ。あの人は、優しい人だったから。」


「オフクロ…。オレ、親父の子供じゃないんだろ。昔からいる使用人が、話してるの聞いたぜ。庭師の息子だって。」


「知ってたの。そうよ。あなたは私の恋人の子供よ。とても愛してた人のかけがえのない子供よ。ずっと会いたかった。あなたをつれて、駆け落ちして、しばらく一緒に暮らしてたわ。私がバーで、ピアノ弾きの仕事から帰ると、あなたは父親とすやすや眠ってたわ。」



「オレの本当のオヤジ死んだんだってな。」



「そうよ。増水した川で、溺れてる子供を助け上げて、自分は死んでしまったの。優しくて、強い人だった。あなたも、その血を受け継いでるわ。強くて、優しい男になるのよ。」


「…ああ。」



「彼女を連れて、いつかモナコにも来て。」


「ああ。」



あんなに、かたくなだった息子が、素直にうなずいてくれた。


「じゃあ、またね。私はもう一人の息子に、会わないといけないから。」


「もう一人の息子だって?」


「あなたの双子の弟よ」






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