57話 下級文官試験の朝
雲一つ無く晴れて澄み切った青空が美しい朝。
──いよいよクレマンが下級文官試験を受ける、運命の日がやって来た。
今日はいつもよりも早起きをした。何でも良いからクレマンの役に立ちたくて。
私は普段の役目とは逆に、ファーロウ家の馬車でクレマンを迎えにオルドリッジ子爵家に行った。
試験が行われる王宮の少し手前で……「良い朝だから、少し散歩をしないか?」とクレマンに誘われ、私たちは馬車を降りた。
試験まで時間に余裕を持たせて、早めに屋敷を出て良かった。
私たちは並んで朝の清々しい光を浴びながら、王宮へと続く道を歩いた。
「こうして散歩をするなんて、久しぶりね」
「そうだね。お互いずっと忙しかったから。ふふっ……僕たちには贅沢な時間だね」
「ええ」
以前よりも逞しくなったクレマンにエスコートされながら。
スゥ──ッ…… ハァ──ッ……と、少しだけ目を閉じて、深く深呼吸をする。
「今日は下級文官の試験を受けるのに、ちょうど良い日ね」
「そうだね。気持ちの良い日になって良かったよ」
「いよいよね、クレマン……」
「うん」
私たちは数日前に学園を卒業した。その後すぐに中央神殿で“成人の儀”を受けて、今では立派な大人の紳士と淑女となった。
「それでクレマンは試験に合格する自信はあるの?」
(実はそれが心配で、心配で……)
どうしても我慢できず、今まで遠慮して避けていた話題を持ち出した。
私の胸は昨夜からずっと、緊張でドキドキしている。おかげでほとんど眠れなかった。薄っすらと目の下にくまができ、珍しくお化粧をして誤魔化している。
「うん、そうだなぁ……やれることは学園で全部やって来たし。だから半年前よりは自信があるよ」
「……それは良かったわ」
私の歩幅に合わせて長い足でゆったりと歩くクレマンを、横目でチラリと見て観察した。
従妹のパトリシア嬢のせいで、クレマンが婚約破棄騒ぎを起こした半年前よりも。
クレマンの身長は明らかに伸びていて、長い手足も太くなり。思春期の名残りでふっくらとしていた頬も、今は丸みが削げ落ちシャープになっている。
持っている雰囲気は出会ったころと変わらず穏やかだけど。
今はその穏やかさの中に『覇気』のようなものが宿り、力強さをあわせ持つようになっていた。
以前のクレマンは『性格は良いけど、少し鈍くて流されやすい人』……という印象だったけど。
そんな子供っぽくて優柔不断気味なところが無くなると。クレマンはガラリと大人っぽくなった。
「あれだけクレマンは猛勉強していたしね」
(試験を受けるクレマンの方が、私よりも遙かに落ち着いて見えるわ。本当に大丈夫そうね。良かった!)
そんなクレマンを見ている私の方が、緊張でドキドキが止まらない。
「後は『運を天に任せる』……て、感じかな」
「ふふふっ……そう」
私はホッと小さなため息をついて微笑んだ。
隣を歩く背の高いクレマンを見上げながら。私は普段通りの姿に少しだけ安心しつつ。
……でも、『こんなにのんびりしていて大丈夫なの?』 と、臆病な私はやっぱり心配になった。
ここでクレマンが文官試験に落ちれば、私たちの婚約は解消となる。それはお父様との約束だから。今さら破ることは出来ない。
──だから。
「私の方が緊張しているわね。あなたを見習いたいわ」
「うう~ん。勉強もだけど。ミレイユとの婚約を辛うじて継続したばかりの頃は、そのことで頭がいっぱいで。とにかく、漠然とした考え方をしていたんだけどね」
「そうだったの?」
「ふふっ……ミレイユに気づかれなくて良かった」
「私にはそうは見えなかったわ」
「でも今はね、僕に必要なものが何かハッキリわかっているから。何をすべきか、考えもしっかりと纏まったし。おかげで自信があると言うか……」
「クレマンに必要なもの?」
(確かにあの頃のクレマンと比べると。今はとても頼りになる人だと。そんな印象をクレマンに持つようになったわ)
クレマンは私を見下ろし、目を細めてニコリと笑った。
「前はそれが婚約継続の条件だったから目指していたけど。今は自分の意志で下級文官の試験に合格して、王立騎士団でしっかりと働きたいと思っているんだ!」
「んん? 最初から、それが目標だったでしょう?」
「いや、違うよ。忘れたの? ……ルドヴィク卿が提案した目標は、僕を『王立騎士団の鍛錬に参加させて性根をたたき直す!』という話だっただろう?」
クレマンが下級文官になるのは、鍛錬を受けるための手段として、私のお父様が提案した。
……しかもお父様はクレマンが文官試験に失敗し、婚約解消になるのを狙っていた。
ミレイユは手のひらを、パチンッ… と打ち合わせた。
「ああ! そうだったわね。何だか、すっかり忘れていたわ」
「……もちろん。試験に受かって騎士団付きの文官になれたら、ルドヴィク卿の言う通り、鍛錬を受けたいよ」
クレマンは視線を私から自分の手に移し。手のひらを握ったり、開いたりして、ジッと見つめた。
隣を歩きながらクレマンの大きな手のひらをのぞくと。毎日、剣を振り続けて出来たマメが見える。
「うん」
(そうね。クレマンは猛勉強の合間に、毎日何百回も剣を振り続けて、騎士団の厳しい鍛錬について行くための、身体づくりもしていたのよね)
学園生の男子は全員、基本的な剣術の講義が必須科目だから、学園でも学んでいるけれど。クレマンはそれに加えて週に一度、剣術の先生を招いて指導も受けている。
アルブライトン公爵家のジョゼフに、私が襲われたのがきっかけで、クレマンは剣術にも力を入れるようになった。あの暴行事件はクレマンの心にも傷痕を残した。
この半年は友人と遊んだり。ボンヤリとしている時間などクレマンには皆無だった。
そんな忙しいスケジュールの中で、クレマンは努力し試験で結果を残した。順調に自分は成長していると、自覚があるから自信もあるのだ。
「僕はね、王立騎士団の取り調べを受けた時にね。騎士たちが四大公爵家の権力にも、知恵と勇気で対抗して、負けなかった姿をこの目で見たから」
「ああ、あの時のことはお父様も、クレマンは幸運だったと言っていたわ」
クレマンは首を横に振った。
「それは違うよ、ミレイユ。僕が幸運だったのではなくて……王立騎士団の騎士や、騎士団長がすごく有能だったから、僕は難を逃れたと思うんだ」
クレマンはマメだらけ手のひらをギュッと握り、拳を作った。
「ああ。ええ……確かに、そうね。私もそう聞いたわ」
(そうだわ。お父様は公爵家に都合良く、好き勝手にやらせないために。事件の夜は騎士団長が目を光らせていたと言っていた)
「それで僕は知ったんだ。本当に誰かを守りたいなら、王立騎士団の騎士たちのように、有能でなければいけないと」
今までボンヤリしていたクレマンに、しっかりとした『覇気』が宿った理由がここにあった。
子供の頃から騎士を目指して、鍛錬を続けていないクレマンが、王立騎士団に騎士として入団するのは難しい。
だが、私のお父様やルドヴィクお兄様の提案にのり。騎士団付きの執務を補佐する文官になら、一般人のクレマンにもなれる。
それがクレマンでも実現できる。一番、理想に近い姿だ。
「半年前のボンヤリと文官試験を受けようとしていた時と今では、ぜんぜん僕の気持ちが違うんだ。だから僕はここまで頑張れた」
「クレマンの言いたいことが、わかった気がするわ」
(夜会でジョゼフに襲われて以来。不安に怯える私を支えてくれたクレマンはずっと心の奥で、そんなふうに考えていたのね)
やっぱり私はクレマンと結婚したい。一生を共に生きるなら、この人の妻になりたい。
「全部、ミレイユのおかげだよ? ミレイユと出会わなければ、僕はきっと……大切なことに何も気づかず。何も変わらなかったと思うから。だからこれからも、ミレイユをもっと、もっと! 好きになって行くんだ」
「私もクレマンが、前よりずっと好きよ! だから絶対、試験に合格してね?」
王宮の入り口前まで来ると、私はクレマンと向き合い、大きな手を取りギュッ! と握った。
クレマンも私の手をキュッ! と握り返す。
「ミレイユ、僕は合格するよ」
二日間かけてすべての試験を終えたクレマンに、王宮から下級文官試験に合格したと通知が届いたのは一ヶ月後のことだった。




