日常
あの制度が始まって、5年が経った。
テレビは静かだった。
かつて毎日のように流れていた殺人事件のニュースは、ほとんど姿を消した。
代わりに流れるのは、「円滑な最期」や「遺族の感謝」といった、綺麗な言葉。
~マーダーサブスクライブ~
人はそれを「マダサブ」と呼んだ。
最初に聞いたとき、ふざけた名前だと思った。
だが、5年も経てば違和感は日常に溶ける。
人間は、慣れる生き物だ。
私は慣れなかったが。
湯呑みから立ち上る湯気を見つめながら、古びた机に肘をつく。
この部屋も、5年前から何も変わっていない。変わったのは、私の肩書きくらいだ。
元刑事。
それだけだ。
携帯が震える。
通知はニュースアプリだった。
『本日もマダサブによる施行件数は安定。利用者満足度は過去最高を記録』
……満足度。
思わず鼻で笑う。
死に満足も何もあるか。
画面を消そうとして、指が止まる。
記事の下に、小さく名前が載っていた。
執行担当:Sランクキラー 《ルーベル・コル》
その瞬間、10年前に時が巻き戻る。
血の匂い。
白いタイル。
動かなくなった死体。
あの頃、私は確信していた。
「こいつは、またやる」
だが、逮捕はできなかった。
いつも結果だけを残して、行方をくらます。
そして今。
ルーベルは、国家に認められている。
合法的に、人を殺している。
湯呑みを置く音が、大きく響いた。
「ふざけるなよ……」
誰に向けた言葉なのか。
制度か。国か。
それとも奴か。
棚から一冊のファイルを取り出す。
埃をかぶったそれは、5年前に打ち切られた事件の記録だ。
ページをめくる。
被害者の名前。
写真。
現場の記録。
そして、共通点。
すべてが、無駄なく終わっている。
あいつは変わっていない。
ただ、立場が変わっただけだ。
犯罪者から、制度へと。
再び通知が鳴る。
ー氏名:権藤 大輔ー
ー年齢:72歳ー
ー性別:男性ー
ー希望執行員:未定ー
私は立ち上がる。
膝が少しだけ軋んだ。
「歳だな」
思わず苦笑する。
55年の年季が入った体は
もう若くないことを教えてくれる。
だが、関係ない。
奴はまだどこかで生きている。
終わらせていないのは――私だ。
机の引き出しを開ける。
奥にしまってあった拳銃は、すでに返納済みだ。
代わりに残っているのは、古い手帳とペン。
それでいい。
あの男を追うのに、資格はいらない。
必要なのは――信念だけだ。
テレビの音が、遠くで流れる。
『本日も、穏やかな最期が提供されました』
その言葉に背を向けて、私は外に出た。
青く澄んだ空が広がっている。
こんな世界で、本当に“殺人”が減ったと言えるのか。
そんな疑問を、誰も口にしない。
だからこそ、
私がやるしかない。
ルーベルを、もう一度見つける。
そして今度こそ、
「終わらせる」




