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誰が為に  作者: 島山 平
29/42

4日目 (3)

 夢を見ている。はっきりとそうわかるのは、目の前に麻耶子がいるからだ。ソファーに腰掛け、手元の文庫本に視線を落としている。横顔を見ているだけで、こっちまで安心してしまう。彼女がすぐ側にいるはずなどないのに。

「麻耶子だよね?」

 恐る恐る声を掛ける。麻耶子が顔を上げ、声の在処を探すように辺りを見渡す。

「こっちだよ」

『あぁ。いつからいたの?』

 文庫本を閉じ、柔らかに微笑んだ。彼女の笑顔を見ただけで、これまでの苦労なんて吹き飛んでしまう気がした。

「今きたとこ、かな。何読んでるの?」

『〈そして誰もいなくなった〉もう何度目かわかんないけど』

 恥ずかしそうに口元を本で隠す。その仕草も彼女の癖だった。

「どうしていなく―――」

『この建物で何が起きているのか、智博(ともひろ)くんはわかってる?』

 名前を呼ばれ、懐かしさで頭がクラクラした。『智博くん』昔から、麻耶子にそう呼ばれていたことを思い出す。

「麻耶子にはわかるの? ていうか、事件のこと知ってるの?」

『もちろん。ずっと近くで見てたから。大変だったね』

「どこにいた? それも嘘なんだろ?」

『いつも嘘付いてるみたいな言い方。それは智博くんでしょ』

 からかうように睨んでくる。冗談のつもりかもしれないけれど、全く笑えなかった。ボクは彼女に適当なことを言ってばかりだからだ。

『まぁ許してあげる。―――冗談は置いといて、タイムリミットはあと数時間しかないよ? 脱出するか、真相を暴くかしないと』

「もう麻郎さんはいないんだ。脱出するしかない」

 麻耶子の居場所を突き止めるという願いは叶わなくなった。こうして夢では会えても、実際に触れ合うことはできない。

『わたしからヒントをあげる』

 右手の人差し指を立て、もったいぶった様子で言う。

『この建物から出る方法がわかれば、事件の真相も見えてくるのよ』

「その二つが繋がっているってこと?」

『うん。だっておじいさんはわざわざこの建物にみんなを呼んだんだもの。ただの宿泊施設なわけないでしょう?』

 麻耶子には全てがわかっているとでもいうのか。金子が言うには、麻耶子は三ヶ月ほど前にこの屋敷へきた。麻郎に会いにきて、二日ほどでここを発った。その間に、建物の秘密を教えてもらった可能性はある。

「確かに出られるんだね?」

『そう。智博くんが諦めなければ。―――もう一個だけヒントあげちゃおう』

 首を捻り、考えるように宙を見つめる。それも終わり、麻耶子が笑顔で口を開いた。

『おじいさんの部屋から見つかったものあったでしょう? 丸いスイッチみたいなもの。あれね、バカにしちゃダメだよ』

「押しても何も起きなかった。扉が開くこともなかった」

 何度も試したのだ。ナベと松本だってそうだ。

『みんな発想が貧弱なんだもの。笑っちゃいけないって我慢してたけど、そんなことじゃ一生出られないよ?』

 哀れむような視線を受ける。悔しさよりも、答えに辿り着けない自分の不甲斐なさに涙が出そうになった。

「どういう意味? 普通に使ってたんじゃダメなの?」

『もう・・、ほんとにだらしないなぁ。この建物の意味を考えて。どんな形をしていて、部屋はどう配置されてる? それを考えたら答えはひとつしかないのに』

 子供を諭すような麻耶子の口調だった。

 頭の中で彼女の言葉の意味を考え直してみても、まだわからない。じっくりと考えたいけれど、今は麻耶子との時間を大切にしたかった。

『もうそろそろ行かなくちゃ。智博くんも、いつまでも寝てる場合じゃないのよ。早くしないと死んじゃうんだから』

 文庫本を持ったまま立ち上がり、麻耶子は今にも立ち去りそうな様子だった。待って欲しい。彼女には訊きたいこともある。謝りたいことだってある。どれだけ時間があっても足りる気がしない。

「麻耶子!」

 動き出した麻耶子が素早く振り返った。何を言われるのか全く理解できないという様子で。

「俺のこと、怒ってるよな」

『なんのこと?』

「麻耶子に言ったこと―――。あれが麻耶子を傷付けた」

 麻耶子は取り乱すことなく小さく微笑んだ。

『わたし、けっこう鈍感だから。人から言われた言葉とか、すぐに忘れちゃうんだよね』

「嘘だ! だって・・、だからいなくなったんだろ?」

『智博くん』

 麻耶子から真直ぐに視線を受ける。彼女の言葉に耳を傾けるしかなかった。

『ここから出ても、会いにきちゃダメだよ?』

「麻耶子・・」

『今はわたしのことなんていいから。ちゃんと脱出することだけ考えて』

 麻耶子が歩き出し、二度と振り返ることはなかった。彼女の背中に掛ける言葉を探しながら、ボクは、ゆっくりと瞼を開けた。


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