第77話 張飛、誰も殴るな
【章武元年|閬中】
「殴るな」と十一年言い続けた結果、この人は殴らなくなった。
そして、部下が二人、消えた。
◆
張飛は怒っていた。
荊州を失ったこと。関羽が負傷したこと。呂蒙が奇襲を仕掛けたこと。父がすぐに呉を攻めないこと。法正と諸葛亮が戦を止めること。
そして、関羽本人まで呉討伐に反対していること。
全てが気に入らない。
閬中の軍議で、張飛は机を叩いた。机が割れた。
「俺たちは、いつまで待つ!」
部下たちは黙っている。
「雲長が生きて戻ったからよいというのか! 死んだ兵は戻らぬ! 荊州に残った民はどうなる!」
誰も答えない。
この人が怒っているのは、待つことに、ではない。待つ理由を、自分で言えないことに、である。
兄が待てと言う。弟が待てと言う。丞相が待てと言う。そして、この人には、待つ理由を組み立てる言葉がない。
そして、言えない理由を抱えた人は、期限を短くする。
「三日だ!」
張飛は命じた。
「三日以内に、兵一万を出せるよう整えよ!」
部下の顔色が変わる。
三日では、足りない。食料。武器。馬。船。兵士の家族への連絡。全てを整えるには、少なくとも十日。
担当者の范彊が、恐る恐る言った。四十がらみの、痩せた男である。
「将軍」
「何だ」
「三日では、全てを整えることは難しいかと」
張飛の目が見開かれる。
「難しい?」
「はい」
「敵は待ってくれるのか!」
「しかし」
「できぬ理由を並べるな!」
張飛は立ち上がった。拳を握る。
「できぬ理由を並べるな」。十一年前、関羽が糜芳へ言ったのと、同じ台詞である。
そして、あの二人は、同じ人から教わっていない。同じ場所で、同じように追い詰められただけだ。
将が追い詰められると、同じ言葉が出る。そして、その言葉を聞いた部下も、同じ場所へ行く。
◆
俺たちは、張飛の部隊へ特別な記録制度を入れていた。
怒鳴った回数。殴った回数。命令変更。部下からの反対意見。副官が記録する。
一日八回まで怒鳴るという、本人だけが理解している謎の基準も残っていた。なぜ八なのか、俺は一度も聞いていない。聞くと、たぶん、もっと増える。
その日、張飛は既に七回怒鳴っていた。
「将軍」
副官が小声で言う。
「今ので八回目です」
張飛の拳が止まった。
「八回か」
「はい」
「ならば、もう怒鳴れぬのか」
「殿下との約束では」
張飛の顔が赤くなる。怒鳴らないために、さらに怒っている。
范彊が頭を下げたまま待つ。張飛は拳を震わせた。
殴らなかった。代わりに、机の残骸を蹴った。
「三日で用意せよ」
低い声。
「できなければ、軍法で処罰する」
殴らなかった。しかし、恐怖は消えていない。
◆
十一年前である。公安の練兵場で、俺は三つで、この人の足元にしがみついた。
「なぐらないで」
そして、この人は言った。
「戦場では、優しさが人を殺す」
正しかった。そして、間違ってもいた。
俺は、あのとき何も言い返せなかった。代わりに、木簡を一枚おろした。
《殴られた者》
一行目に、王阿三と書いた。
十一年で、六十一人になった。そして、去年は三人である。一昨年は五人。成都へ来る前の年は、二十五人。
減っている。十一年かけて、二十五を三にした。
そして今日、この人は「三日以内に」と命じた。
能力画面の遠隔情報が赤くなる。
【張飛部隊】
部下恐怖 82
本音報告率 19
命令達成可能性 11%
張飛
感情制御 11
暴力抑制 上昇
威圧依存 依然高
暗殺危険度 21% → 48%
殴らなければ安全。そう単純では、なかった。
怒鳴る。処刑を示唆する。不可能な期限を押し付ける。逃げ道を塞ぐ。暴力の形が、変わっただけである。
十一年、俺は「殴った数」を数えてきた。そして、数えた項目だけが、減った。
十年前、犍為郡で学んだはずである。
《測ると、測ったものが増える》
《測らないものは、壊れる》
数えていない暴力が、残っていた。そして、俺は、六十一という数字を見て、うまくいっていると思っていた。
◆
閬中から異常報告が届いた。表紙には、こうあった。
《翼徳将軍、誰も殴っていない》
その下。
《ただし、部下二名が行方不明》
俺はすぐに立ち上がった。
「范彊と張達ですか」
報告者が頷く。
歴史では、この二人が張飛を殺す。無理な準備を命じられ、期限を守れず、処罰を恐れ、寝ている張飛を殺し、首を持って呉へ逃げる。
「追手を」
趙雲が言う。
「待ってください」
俺は《離反前報告制度》を確認した。孟達のために作った仕組みである。上司へ言えない不満を、別の担当者へ提出できる。
七年前に作った。そして、張飛軍にも導入していた。
閬中の相談担当は、若い書記だった。名を、楊戯という。二十歳になったばかりだ。
そして、七年、一件も使われていない。
俺は、この制度が死んでいると思っていた。去年、蔣琬が「経費だけがかかっております」と言ったとき、俺は返す言葉を持たなかった。
夜。その書記から、緊急の封書が届いた。
《范彊、張達の両名が、相談所へ出頭》
俺は息を止めた。続き。
《両名は、将軍を殺害して呉へ逃亡する計画を立てたと自白》
《実行前に相談制度を思い出し、出頭した》
《現在、拘束中》
未来が。また、実行直前で止まった。
七年、一件もなかった。そして、一件目が、殺人計画だった。
窓口というのは、たぶん、こういうものである。
普段は誰も来ない。そして、いちばん重いものが、最初に来る。
軽い相談が積み上がってから重い相談が来るのではない。軽い相談は、そもそも来ない。軽ければ、我慢するからだ。
【張飛暗殺事件】
計画 発生
実行 未遂
范彊・張達
殺意 高
張飛への恐怖 100
呉への忠誠 0
逃亡希望 100
自首意思 成立
張飛生存予測 52% → 78%
まだ安全では、ない。
二人を処刑すれば、張飛は生きるかもしれない。だが、部下は、正直に相談しても殺されると学ぶ。次の者は、相談しない。
七年待って、一件目である。ここで殺せば、次の一件目は、たぶん来ない。
そして、次の一件目は、たぶん、実行された後に発覚する。
◆
「閬中へ行きます」
俺は言った。関羽が立ち上がる。六十一である。
「私も行く」
「叔父上は休んでください」
「翼徳の問題だ」
「だからです」
関羽だから言えることがある。張飛が最も敬愛する兄。同時に、張飛の怒りを刺激する可能性もある。
「阿斗」
関羽が俺を見る。
「翼徳へ、何をさせるつもりだ」
俺は答えた。
「謝ってもらいます」
関羽が目を見開いた。
「部下へ?」
「はい」
張飛が、自分を殺そうとした部下へ。不可能な命令を出した。恐怖を与えた。逃げ道を奪った。その責任を認める。
関羽が苦い顔をした。
「死罪より難しいぞ」
関羽自身が、糜芳へ謝るまでに多くを失った。荊州を、兵を、旗を。
「分かっています」
「翼徳は、雲長ではない」
「叔父上も、以前はできませんでした」
関羽は何も言えなくなった。
「孔明」
「はい」
「父上へ報告してください」
皇帝となった父へ。弟の部下が、弟を殺そうとした。
父の怒りは、呉だけでなく二人にも向かう。即座に処刑を命じるかもしれない。
「異議制度を使います」
俺は言った。
暗殺未遂。本来なら死罪。しかし、自首した。実行していない。上司側の不当な命令と恐怖も原因にある。
単純な処刑では、問題を隠す。
先月作ったばかりの制度である。そして、最初に使う相手が、皇帝の弟の暗殺未遂犯になった。
制度は、いちばん使いにくい場面で、最初に試される。
そこで一度使えなければ、二度と使われない。そして、二度と使われない制度は、書いてある分だけ、あることになっている。
◆
俺たちは閬中へ向かった。道は、二十日である。
その頃、范彊と張達は、牢の中で震えていた。二人は書記へ、こう話したという。楊戯が、そのまま写している。
「将軍を憎んでいたのでは、ない」
「殺さなければ、自分たちが殺されると思った」
裏切りは、憎しみだけから生まれるのではない。恐怖からも生まれる。
二年前、糜芳が同じことを言った。
「私は将軍が怖い」
「失敗すれば斬られると思っている」
同じ台詞が、別の将の下で、また出た。そして、二人とも、殴られてはいない。一度も、である。
そして張飛は、二人が自首したことを、まだ知らない。自分の寝室で酒を飲み、翌日の処罰を考えている。
俺たちが着くのは、三日後だった。
視界に最後の警告が現れた。
【張飛救出プロジェクト】
対象 張飛 字・翼徳
期限 一日以内
主要課題
・范彊、張達の処遇
・張飛の謝罪
・不可能な命令の撤回
・恐怖依存型指揮の停止
・劉備による即時処刑命令の回避
最高難度項目
張飛に、自分が悪かったと認めさせる。
関羽のときと、同じだった。
強い人間を救うためには、本人の強さを否定するのではなく、その強さが周囲を壊した事実へ、向き合ってもらわなければならない。
幼い頃から何度も言ってきた。
「張飛、誰も殴るな」
だが。殴らないだけでは、足りなかった。
前世で、俺は再建の現場に入るたび、同じことに驚いた。
最初に上がってくる問題が、いつも、いちばん重いのである。
軽い問題は、上がってこない。現場が飲み込むからだ。上げるには、手間がかかる。書式があり、承認があり、説明を求められる。その手間を払う価値があるのは、もう自分では抱えきれないものだけである。
だから、窓口が一つしかない組織では、軽い相談は永久に来ない。そして、ある日、いちばん重いものが、いきなり来る。
七年前に作った経路の、一件目がこれだった。
不満でも、異動願いでもない。殺すつもりです、である。
俺は、その経路を「早めに気付くための仕組み」として作った。作ったものは、そうならなかった。手遅れを、手遅れになる前日に知らせる仕組みになっていた。
一日は、一日である。ないよりは、いい。
そして、七年で一件というのは、そういう意味である。
十一年かけて、俺はこの人に、殴らない方法を教えた。そして、怒らない方法は、教えていない。
たぶん、俺自身が、それを知らないからである。
〈あとがき〉
「殴らなければ安全。そう単純ではなかった」——数えた項目だけが減り、数えていない暴力が残っていました。犍為郡の教訓の、いちばん痛い応用です。
そして七年ぶりに使われた《離反前報告制度》。一件目が、殺人計画でした。「普段は誰も来ない。そして、いちばん重いものが、最初に来る」。軽い相談は、そもそも来ません。軽ければ、我慢するからです。
范彊と張達の言葉は、二年前の糜芳と同じです。「殺さなければ、自分たちが殺されると思った」。二人とも、殴られてはいません。
《劉禅文庫 蔵書その四十五『ターンアラウンド・マネジャーの実務』——最初に上がってくる問題は、いつもいちばん重い。軽い相談は、手間に見合わないから、来ない》
次回、張飛が部下に謝ります。死罪より難しい、とされている作業です。




