↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第五部 父と子——復讐という名の事業

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/174

第72話 生きている弟の仇討ち


【建安二十五年|成都】


父と関羽が再会した日。漢中王府の大広間には、誰も近づけなかった。


父は上座に立っていた。関羽は、その前へ膝をついていた。


俺。諸葛亮。龐統。法正。張飛。趙雲。主要な人物だけが、少し離れた場所から見守っている。


    ◆


父は関羽の顔を見たまま、しばらく何も言わなかった。


生きている。弟が生きて戻ってきた。その事実を確かめるように。


「雲長」


父が呼んだ。


「兄者」


関羽が顔を上げる。


次の瞬間。父は関羽へ駆け寄った。両腕で抱き締める。


「生きていた」


声が震えていた。


「本当に、生きて戻った」


「ご心配をおかけしました」


「馬鹿者」


父は関羽の肩を強く掴んだ。


「なぜ、あれほど奥まで進んだ!」


「申し訳ありません」


「なぜ早く退かなかった!」


「申し訳ありません」


「なぜ——」


父の声が途切れる。


怒っている。泣いている。喜んでいる。複数の感情が、同時に溢れていた。


能力画面を開く。


【劉備】


関羽生還への安堵 100

関羽への怒り   76

呉への怒り    100

自責       88

王としての屈辱  94

復讐衝動     87


心理状態 整理不能


感情が、絡まりすぎている。父自身にも、何に怒っているのか分かっていない。


十三年、この視界を見てきて、「整理不能」は初めてである。数字は、いつも整理されている。整理できないというのは、たぶん、数字が出せないという意味だ。


関羽が生きている。ならば仇討ちは必要ない。理屈では、そうなる。


しかし、父の怒りは関羽の死だけを原因としていなかった。


荊州を奪われた。弟を包囲された。呉に出し抜かれた。漢中王となった直後に、天下へ弱みを見せた。自分が漢中で勝っている間に、関羽を一人にした。


全てが、混ざっている。


十二年、俺は原因を一つずつ消してきた。そして、原因が六つある感情には、六つ消さないと届かない。


今日、消えたのは、いちばん大きい一つだけである。


    ◆


父は関羽から手を離した。


「雲長」


「はい」


「傷が癒えたら、軍を整えよ」


広間の空気が変わった。


「孫権へ使者を送る」


父の声から、涙が消える。王の声になった。


「荊州を返すよう求める」


「兄者」


「拒めば、討つ」


関羽は頭を下げたまま、答えなかった。


張飛が立ち上がる。


「当然だ!」


拳を握る。


「江東の鼠どもめ! 雲長を追い詰め、我らの地を奪った!」


「翼徳」


関羽が呼んだ。


「何だ」


「座れ」


張飛の目が大きくなる。


「なぜだ」


「私は、呉討伐に反対する」


広間が、静まり返った。


父が関羽を見る。


「雲長」


「荊州を失った責任は、私にあります」


「呉が卑劣な策を」


「策を見抜けず、退く時期を誤ったのは私です」


「お前は勝っていた!」


「だからこそ退けませんでした」


関羽は正面から父を見た。


「呉軍が動く兆候は、殿下から何度も伝えられていた」


「雲長」


「糜芳と士仁を恐怖で縛り、報告を隠させたのも私です」


張飛が口を開きかける。関羽は続けた。


「呉へ責任がないとは申しません」


声は強い。


「しかし、私の失敗を隠すために戦を起こしてはなりません」


父の顔が固まった。


関羽が、自分へ反対している。しかも、自らの失敗を認めた上で。以前の関羽なら、考えられない。


そして、この人がこう言えるのは、去年、報告書に全部書いたからである。


書いた人は、二度目から、口で言える。


「呉が荊州を奪ったことは事実だ」


父が言う。


「はい」


「我らの兵を殺した」


「はい」


「それを許せと?」


「許す必要はありません」


関羽は答えた。


「許さずとも、戦わぬことはできます」


魯粛から学んだ言葉かもしれない。国と国の関係は、感情だけで決めない。


三年前、この人は敵国の重臣に「あなたも同じです」と言われて、黙った。そして今日、その人の言葉で、兄を止めている。


死者は、こういう形で、まだ働く。


    ◆


父の視線が俺へ向いた。


「阿斗」


「はい」


「これは、お前が雲長へ言わせているのか」


胸が痛んだ。


「違います」


「お前は、以前から呉との戦を止めようとしていた」


「はい」


「雲長を救ったのも、呉と和するためか」


「叔父上を救いたかったからです」


「国のために必要だからではないのか」


「国に必要です」


俺は答えた。


「ですが、それだけでは、ありません」


「では、何だ」


「家族だからです」


父の眉が動く。


「父上が、叔父上を弟として大切にするように」


俺も関羽を叔父として大切に思っている。


「だからこそ、叔父上の命を戦争の理由に使わないでください」


「命を使う?」


「叔父上は生きています」


父の顔が赤くなる。


「生きていても、傷つけられた!」


「では、叔父上が戦わないでほしいと言っても、戦うのですか」


広間が静まる。父は関羽を見る。関羽は目を逸らさない。


「兄者」


「何だ」


「私のために戦うと申されるなら」


関羽は言った。


「私の願いを聞いてください」


父の手が震えた。


仇討ちとは、死者の願いを勝手に決める行為である。


そして、この人は生きている。だから、願いを本人が言える。


それが、十二年かけて手に入れた、いちばん実用的な成果だった。


「今、呉へ攻めれば」


関羽は続ける。


「魏が喜びます」


荊州を失った蜀。荊州を得た呉。既に互いに傷ついている。ここで全面戦争を始めれば、北の魏だけが力を蓄える。


「ならば、地を奪われたままにせよと?」


父が問う。


「交渉してください」


「孫権が返さなければ」


「今は国を整えるべきです」


「いつまで待つ」


「勝てる条件が整うまで」


関羽は、勝利を否定していない。永遠に荊州を諦めるとも言っていない。今、怒りだけで戦うことを止めようとしている。


父は上座へ戻った。


「皆、下がれ」


「父上」


「一人にしてくれ」


声は疲れていた。


俺たちは礼をして退出した。関羽だけが、その場へ残ろうとする。父が言った。


「雲長もだ」


関羽の顔が傷ついた。それでも頭を下げ、広間を出た。


「孤独な玉座」という特性は、まだ表示されていない。


そして、この日、たぶん、生えた。


    ◆


扉が閉まる。張飛が関羽へ詰め寄った。


「なぜ兄者へ逆らった!」


「逆らっておらぬ」


「呉を討つなと言ったではないか!」


「兄者を死なせたくない」


張飛が止まった。関羽は俺を見た。


「殿下は申された」


父が呉へ向かえば、今度は父が帰ってこない。


「私は生きて戻った」


関羽の声は低かった。


「そのために、兵が死んだ。城を失った。旗も降ろした」


張飛は何も言えない。


「その私が、兄者へ死地へ行けとは言えぬ」


関羽救出プロジェクトは。関羽一人を救っただけでは、なかった。


救援を受け。撤退し。敗北を記録した経験が。父を止める言葉へ変わっていた。


十二年前、俺はこの人を「制度の敵」だと思っていた。そして今、この人が、いちばん重い制度になっている。


生きて、失敗した人だけが持てる権威である。


だが、劉備の能力画面は変わらない。


呉討伐意思 72% 変化なし


関羽の言葉は届いた。しかし、怒りを消すには足りなかった。


    ◆


「父上の怒りを、分ける必要があります」


俺は言った。諸葛亮が頷く。


「何に怒っておられるかを、主公ご自身が理解しなければなりません」


龐統が言う。


「怒りの分析などしている間に、呉は荊州を固めます」


法正が咳をしながら笑った。


「士元殿は、まだ攻めるおつもりですか」


「勝てるなら」


「今は勝てません」


法正が即答する。龐統の目が細くなる。


「珍しい。孝直殿が戦を止めるとは」


「私は復讐を嫌っておりませぬ」


法正は平然と言った。


「勝てない復讐を嫌っているだけです」


相変わらずである。しかし、その顔色は悪かった。


【法正】


身体疲労 91

発熱   中等度

咳    持続

食欲   低下

休養意思 3


予測重大危機 西暦二二〇年


残り時間 短縮中


父を止められる可能性が最も高い男が。別の死へ近づいていた。


十二年前、俺はこの人の年表に丸を描いた。「病は、どうやって変える」と思ったからだ。


そして、去年、俺は龐統の四角を守った。兜である。


病に、兜はない。


    ◆


成都へ戻って、三日目。俺は、糜竺のところへ行った。弟の異動の件である。


糜芳(びほう)は、成都の商業調達部門にいる。三か月の引き継ぎを終えて、先月、着いた。


「殿下」


糜竺は、深く頭を下げた。


「弟の件、忝のうございます」


「仕事です」


「……」


「そして、あの人は、まだ働いています」


「はい」


「それが、いちばん大事です」


糜竺は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。


「殿下」


「はい」


「一人、お会いいただけませぬか」


部屋の奥に、女性が座っていた。四十を過ぎているだろうか。地味な衣。そして、姿勢が良い。


俺は、その顔を知っていた。十二年、毎日のように見ていた。葬儀の場にいた。評定の隅にいた。成都へ移ったときも、いた。


そして、一度も、話したことがなかった。


「……糜夫人」


「はい」


初めて、返事をされた。


俺は、その場に立ったまま、動けなかった。


十二年である。十二年、俺は簿を書いてきた。《名のない者》に、八十人以上。侍女の名。医官の名。粥を炊く老女の名。殴られた兵の名。そして、赤壁の降兵の名も。


この人の名を、俺は書いていない。一度も、書いていない。


理由は、簡単だった。この人が、何も言わなかったからだ。


そして、俺は十二年、「言ってこない人がいる」ことを制度で解こうとしてきた。


目の前にいる人には、一度も声をかけなかった。


「夫人」


「はい」


「なぜ、いままで、何も仰らなかったのですか」


糜夫人は、しばらく黙っていた。そして、初めて、口を開いた。


「……私は、徐州で、兄が差し出した者にございます」


「……」


「差し出された者は、口をききませぬ」


十二年である。十二年、この人はそう思って、この城にいた。


「夫人」


「はい」


「お名前を、教えていただけますか」


「……要りませぬ」


「いります」


「殿下」


糜夫人は、静かに言った。


「私の名を書けば、弟の名も、書かねばなりませぬ」


俺は、そこで、この人が十二年、何を恐れていたかを理解した。


この人は、弟が裏切ると思っていたのだ。そして、そのとき、自分の名が「裏切り者の姉」として残ることを、知っていた。


だから、名乗らなかった。十二年、である。


そして、この人は毎日、俺が簿を書いているのを見ていた。名前を書く子供を、である。


恐ろしかっただろう。


俺は、答えた。


「書きます」


「……」


「弟君は、裏切りませんでした」


「辞めると、書いただけです」


糜夫人の手が、震えた。そして、この人は、顔を伏せた。長いこと、伏せていた。


やがて、顔を上げた。そして、言った。


小さな声だった。俺以外には、聞こえなかったと思う。


俺は、頷いた。そして、聞いた。


「書いても、よろしいですか」


糜夫人は、少し笑った。十二年で、初めて見た顔だった。そして、こう言った。


「……お好きに」


「では、書きません」


「え」


「覚えておきます」


糜夫人は、しばらく俺を見ていた。そして、深く、頭を下げた。


八年前、孫夫人は「書いてはなりません」と言った。そして今日、この人は「お好きに」と言った。


許可を得てから、書かない。それが、俺がこの十二年で覚えた、いちばん贅沢な選択だった。


    ◆


その夜、俺は木簡を出した。


《名のない者》——八十三人。


そこへ書こうとして、手を止めた。


書かない。そして、忘れない。


俺は、別の木簡を出した。十二年前、母の名を書いた木簡である。そこには、諸葛亮(しょかつりょう)と二人で書いた、歪んだ一文字がある。


俺は、その隣に、何も書かなかった。代わりに、指で、なぞった。


三人になった。甘夫人。孫夫人。そして、糜夫人。


三人とも、名を知っている。三人とも、どこにも書いていない。


書かないという記録の仕方を、俺は三人から教わった。そして、教えたのは、三人とも女性である。


この時代の史書に、いちばん載らない人たちだった。



〈あとがき〉


第五部開幕。「生きている弟の仇討ち」という矛盾から始まります。


「私のために戦うと申されるなら、私の願いを聞いてください」——仇討ちとは死者の願いを勝手に決める行為で、この人は生きている。十二年かけて手に入れた、いちばん実用的な成果でした。


そして糜夫人。十二年、名乗らなかった理由が「弟が裏切ったとき、裏切り者の姉として残るから」でした。名前を書く子供を、毎日、見ていた人です。


次回、法正を休ませます。処刑命令を出して。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
72話迄読ませて頂いた感想です 関羽生存ルート達成ですね でもなぜかさらに息苦しくなってる… 蜀の国家生存ルートはやっぱり厳しい関門が沢山待ち受けてますよね… 劉封名前出てきたΣ(・□・;)
糜夫人、いたんか… だから甘夫人が死んだのか? 今後、どうなるんでしょう。 興味深いです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。