第55話 大丈夫、終に老兵と伍を為さず
関羽が、前将軍の印綬を、受け取らなかった。
理由は、序列だった。
——黄忠と、同じ列に並べられたからである。
◆
建安二十四年の秋。
費詩が、荊州から戻ってきた。
顔が、青かった。
——馬を、二頭潰したという。
急いだのではない。
逃げてきたわけでもない。
……
——ただ、早く報告したかったのだろう。
◆
「殿下」
「公挙どの」
——費詩。字を公挙という。
犍為の出。
元は劉璋の臣で、綿竹の県令だった。
そして、劉備が来たとき、城を開いて降った。
——降った男である。
そして、この国で最も、正論を正論のまま言う男でもあった。
```
【費詩 字・公挙】
政務 81/弁舌 91/胆力 88
正論 100
迎合 4
出世意欲 11
固有特性
【言うべきことを言う】
相手の地位・機嫌にかかわらず、正しいと信ずることを述べる。
【出世しない】
当該特性により、生涯、高位に就かない。
```
——迎合、四。
劉巴の社交八より、低い。
この国は、人選が偏っている。
◆
「関羽将軍は」
俺が聞くと、費詩は答えた。
「印綬を、お受けになりませんでした」
——
広間が、静かになった。
諸葛亮の羽扇が、止まった。
「……理由は」
「申し上げます」
費詩は、姿勢を正した。
そして、そのまま復唱した。
——たぶん、忘れられなかったのだろう。
「大丈夫、終に老兵と伍を為さず」
——
◆
大丈夫——男子たる者。
老兵——黄忠のことである。
伍を為さず——同じ列に並ばない。
……
——「男が、老いぼれと同列に置かれてたまるか」
そういう意味だ。
◆
張飛は、この場にいない。
巴にいる。
もし、いたら、大笑いしていただろう。
そして、黄忠も、この場にいない。
漢中にいる。
——伝わらないほうがいい。
……
いや。
伝わる。
必ず、伝わる。
そういう言葉は、必ず伝わる。
◆
俺は、視界を確認した。
```
【関羽 字・雲長】
名誉重視 100
序列意識 97
現在の状態
【同列拒否】
備考
この人物は、
自分より格下と判断した者と並ぶことを、
自らの価値の低下と認識します。
```
——名誉重視、百。
十二年前、初めて見た数字と、同じである。
そして、序列意識九十七は、今日、初めて表示された。
……
——今まで、比べる相手がいなかったのだ。
張飛は弟である。
趙雲は格下だと思っている。
馬超は新参だ。
……
——そして今日、初めて、四人が横一列に並べられた。
◆
「公挙どの」
「はい」
「それで、どうされましたか」
——
費詩は、答えた。
「説きました」
「……はい」
「受け取られました」
——
俺は、そこで、身を乗り出した。
「何と、言われたのですか」
——
費詩は、少し黙った。
そして、言った。
「長うございます」
「構いません」
「では、そのまま申し上げます」
◆
費詩は、こう説いたという。
◆
> 「およそ王業を立てる者が、用いる人は、一つではございませぬ」
> 「昔、蕭何と曹参は、高祖と若き頃よりの旧き交わり」
> 「陳平と韓信は、楚から亡命して後に至った者」
> 「そして、位を論ずれば、韓信が上でございました」
> 「されど、蕭何・曹参が、それを恨んだとは聞きませぬ」
——
> 「いま漢中王は、一時の功をもって、漢升どのを高くされました」
> 「されど、王の心中の軽重が、将軍と同じでございましょうか」
——
> 「王と将軍は、一体にして、禍福を同じくし、休戚を斉しくする間柄」
> 「官号の高下を、なぜお計りになりますか」
——
> 「私は使者にすぎませぬ。命を奉じて参っただけでございます」
> 「将軍がお受けにならぬなら、それでよろしゅうございます」
> 「私は、そのまま帰ります」
——
> 「ただ、後になって悔いられるのを、惜しむのみでございます」
◆
——広間が、静かになった。
そして、俺は、その論の構造を、二度反芻した。
……
——うまい。
恐ろしく、うまい。
この人は、三つのことを、順にやった。
一つ。前例を出した。
——「蕭何は、韓信より下だった。それでも恨まなかった」
関羽が敬うのは、漢の建国である。
その建国の功臣が、同じ目に遭っている。
二つ。「王の心の中の重さ」と「官号」を、切り離した。
——「官号が同じでも、王のあなたへの思いが同じとは限らない」
……
——これは、詭弁に近い。
だが、関羽には効く。
この人は、劉備からの評価だけを見ている。
三つ。最後に、退いた。
——「受けなくてよい。私は帰る」
……
——押していない。
関羽は、押されると絶対に退かない。
そして、押されないと、自分で動く。
◆
「公挙どの」
「はい」
「あなたは、これを、その場で考えたのですか」
——
費詩は、答えた。
「いいえ」
「では」
「荊州へ向かう道中、二十日、考えておりました」
——
「受け取られないと、思っていたのですか」
「はい」
——
「なぜ、分かったのですか」
——
費詩は、少し首を傾げた。
そして、こう言った。
「名簿を、見ましたので」
——
「……名簿?」
「はい」
「四方将軍の順でございます」
——
「前・右・左・後」
「はい」
「そして、漢升どのが、後でございます」
——
「関将軍は、前でございます」
「はい」
「一番上でございます」
——
費詩は、言った。
「それでも、お怒りになると思いました」
◆
俺は、そこで、聞いた。
「なぜですか」
——
費詩は、答えた。
「関将軍は、上がお嫌いなのではございませぬ」
「……」
「横が、お嫌いなのでございます」
——
俺は、その一言で、十二年分が繋がった。
◆
——横。
……
関羽は、劉備の下にいることを、少しも嫌がらない。
諸葛亮が上位でも、怒らない。
——上下は、いい。
そして。
横に、誰かが並ぶと、耐えられない。
……
——十二年前、俺は評価表を見て、こう書いた。
> 《この評価表には、「味方」の欄がない》
——
違った。
……
「味方」の欄が、ないのではない。
——「同僚」の欄が、ないのだ。
この人には、主君と部下と敵しかいない。
そして、同輩という関係を、生涯、持ったことがない。
◆
俺は、費詩へ頭を下げた。
——十二である。
王太子である。
そして、下げた。
「殿下?」
「ありがとうございました」
「……いえ」
「あなたが行かなければ、叔父上は受け取りませんでした」
——
費詩は、少し困った顔をした。
そして、言った。
「殿下」
「はい」
「一つ、申し上げてよろしいか」
「どうぞ」
——
費詩は、迎合四である。
この人が「申し上げてよろしいか」と言うときは、たいてい、聞きたくない話である。
◆
「私は、二十日かけて、あの論を組みました」
「はい」
「そして、通りました」
「はい」
「——ですが」
——
「あの論は、一度しか使えませぬ」
——
「……」
「次に同じことが起きたとき、私はもう、蕭何の話は使えませぬ」
——
「そして、次は、必ず起きます」
◆
俺は、その日、木簡に書いた。
《いちどしか、つかえない手を、つかった》
——
そして、その下に。
《次は、ない》
……
——費詩の言うとおりだ。
説得は、在庫である。
使えば、減る。
そして、同じ人に、同じ論法は二度効かない。
……
——十二年、俺はこの人を説得してきた。
報告制度。数字での記載。異常値の即報。戦死者名簿。
——全部、違う論法を使った。
そして、在庫が、そろそろ尽きる。
……
——残っているのは、一つだけだ。
> 「若君の申されることを、一つだけ、聞くことにする」
——五年前、雒城の報せが来た日に、この人が言った。
そして、去年、関羽はそれを「監査に使われた」と誤解した。
俺は、四行の返書を書いた。
> 《違います》
> 《あれは、一つでは、ありません》
> 《一つは、まだ、使っていません》
——
返事は、来なかった。
◆
——そして、その月。
関羽が、北へ動いた。
◆
報せは、突然だった。
樊城。
曹仁の守る城である。
——関羽が、包囲した。
俺は、その報せを聞いて、地図の前で固まった。
「誰が、命じましたか」
——
誰も、答えなかった。
諸葛亮が、静かに言った。
「荊州の軍事は、雲長どのの職掌でございます」
「はい」
「樊城は、荊州の北でございます」
「はい」
「職掌の内でございます」
——
俺は、そこで、拳を握った。
……
——正しい。
四年前、俺たちが職掌表を作った。
そして、荊州の軍事は関羽に渡した。
……
——渡した以上、動かせる。
そして、動かす前に相談する義務は、書いていない。
◆
俺は、視界を開いた。
```
【関羽 字・雲長】
現在の行動 樊城包囲
兵力 推定 三万
背後 南郡(糜芳)/公安(士仁)
荊州孤立危険度 27% → 41%
新規危険
・北進による荊州の空洞化
・呉との相互不信の増大
・兵站線の延伸
```
——四十一。
十四、上がった。
そして、まだ何も起きていない。
——ただ、北へ進んだだけである。
◆
その夜、俺は死亡年表を開いた。
二一九——関羽。丸。
——今年である。
そして、秋である。
……
——あと、何月あるのか。
俺は、覚えていない。
「関羽が死ぬのは二一九年の暮れ」——それだけだ。
月も、日も、知らない。
……
——十二月かもしれない。
十一月かもしれない。
そして、もう十月だ。
◆
俺は、木簡を握りしめた。
そして、諸葛亮のところへ行った。
——真夜中である。
明かりが、点いていた。
当たり前だ。
◆
「せんせい」
「殿下?」
「荊州へ、行きます」
——
羽扇が、落ちた。
次回 第56話「私が、荊州へ行きます」




