外伝・張嶷伝 『一人も斬らなかった』 (〜254年)
序 死亡記事
史書には、こう書かれている。
《嶷、風湿を得て、疾病なり》
《嶷、疾を扶けて出でて征し、遂に戦没す》
——張嶷は風湿を病んで歩けなくなり、病を押して出陣し、戦って死んだ。
◆
この二行は、この世界でも、変わらなかった。
死に方の変わらぬ男の伝を、なぜ書くのか。
——越巂の十五年が、史書に書かれないからである。
夷の首領三十人を、一人も斬らずに降した十五年。前任の太守は二人とも首領を殺し、二人とも叛かれた。張嶷は、殺さなかった。
理由を聞かれると、この人は決まってこう答えた。
「敗因簿に、書いてあった」
——負けたことのない男が、負けの記録で国境を治めた話である。
第1話 教わりに参りました
建興十一年。張嶷は三十を過ぎ、越巂へ行けと言われた。
前任が二人続けて失敗した土地である。一人は殺され、一人は逃げた。
◆
赴任の前、張嶷は一つ願い出た。
「陛下。越巂へ参る前に、伺いたい方がございます」
「誰ですか」
「馬謖どのでございます」
部屋が、静かになった。同席していた費禕が、筆を止めた。
街亭で五千六百人を死なせた男である。その名を、栄達の入口で口にする者はいない。
「なぜですか」
「越巂におられますゆえ」
「……それだけですか」
張嶷は、少し黙った。そして、正直に言った。
「それだけでは、ございませぬ。——私は、負けたことがございませぬ。三十を過ぎて、一度もございませぬ」
「……」
「負けたことのない者は、負け方を知りませぬ。知らぬまま、二人が失敗した土地へ参るのは、危のうございます」
◆
勝ち続けている男が、負けの専門家に弟子入りを願い出た。
この国の官界で、これを出世に不利と考えぬ者はいなかった。張嶷本人を除いて、である。
願いは、許された。
◆
越巂で、張嶷は馬謖を訪ねた。
「教わりに参りました」
「何をだ」
「負け方でございます」
馬謖は、しばらくこの若い武人を見ていた。そして、最初の講義は一言だった。
「命令書を、読むな」
「……読まずに、どういたします」
「読んだ後、書いた者に聞け。——書いていないことを」
街亭の男の、これが結論である。命令書を読んで登った男は、読むことと確かめることの違いに、五千六百人分の値札が付いていることを知っていた。
◆
張嶷は、その日、敗因簿の写しをもらった。越巂の分だけで、六十件。
一件目に、こうあった。
《建興六年 街亭 馬謖幼常》
《敗因——命令を読んで、登った》
《死者五千六百》
「なぜ、一件目がご自身でございますか」
馬謖は、答えた。
「私が、一番よく知っておるゆえ」
第2話 数えに来た
越巂の敗因簿六十件のうち、十一件が同じことを書いていた。
《招いて、斬った》
《その後、叛かれた》
十一件のうち九件が前任二人のもので、残る二件はもっと古い。三十年前から、同じことを繰り返しているのである。
◆
「なぜ、皆が同じことをいたしますか」
「効くからだ。……一度は、効く。そして、二度目からは効かぬ」
理由も、簿に書いてあった。
《招いて斬れば、その場は収まる》
《次の者は、招かれても来ない》
《来なければ、こちらから行く。行けば、兵が要る。兵が要れば、費用が要る》
《一度斬るごとに、次が高くなる》
——恐怖は、値上がりする通貨である。敗因簿は、その相場表だった。
◆
張嶷は、最初の一年、誰も招かなかった。
代わりに、自分から出向いた。護衛は、五人。少ない。
——多いと、討ちに来たように見える。
◆
最初の首領は、狼路という。会うのに三月かかり、三度断られ、四度目に会えた。
狼路は、開口一番こう言った。
「斬りに来たか」
「来ておらぬ」
「では、何をしに来た」
張嶷は、答えた。
「数えに来た」
◆
狼路は、意味が分からなかった。張嶷は、続けた。
「三十年で、十一人斬られておる。そのうち、九人はそちらの一族だ」
「知っておるのか」
「書いてある」
「誰が書いた」
「蜀の者だ」
「……斬った者が、書いたのか」
「斬らなかった者が、書いた。……そして、なぜ斬ってはならぬかを、書いてある」
「なぜだ」
「次が、高くなる」
◆
その日、狼路は降らなかった。そして、張嶷を殺さなかった。
一年後、自分から来た。理由を、後に言っている。
「あの男は、我らを数えた。そして、数えた紙を見せた。……斬るつもりなら、見せぬ」
◆
十五年で、三十人が降った。一人も、斬っていない。
張嶷は全員の名を簿に書いた。姓名。一族。年齢。降った日。率いていた者の数。
書式は、費禕のものと同じである。
——降人の名簿は、蜀に一つしかない。
成都の宴の席次を決めていた男と、越巂の山を歩いていた男が、同じ帳面の同じ欄を埋めていた。この国は、そういう作りになっている。
第3話 痛む日を、数えた
四十を過ぎた頃から、足が痛んだ。雨の前に、特に痛む。
そして張嶷は、痛む日を数えるようになった。数えたのは、馬謖に習ったからである。
「痛みは、書け。いつ、どこが、どれくらい」
「……何のためでございましょう」
「動けなくなる日が、分かる」
◆
張嶷は、十年数えた。
延熙元年——年に十八日。
延熙五年——年に四十七日。
延熙十年——年に百十日。
延熙十二年——二百を超えた。その年、杖をついた。
◆
杖をついた最初の日、張嶷は馬謖のところへ行った。
「杖をつきました」
馬謖は、顔を上げた。そして、聞いた。
「何年かかった」
「十一年でございます」
「……予測より」
「二年、遅うございます」
馬謖は、頷いた。
「二年、儲けたな」
見舞いの言葉として、史上最悪の部類である。そして張嶷は、この一言で笑った。
——痛みを帳簿にする男どうしの、これが礼儀だった。数えていれば、失う日ではなく、儲けた日が見えるのである。
◆
歩けなくなっても、張嶷は山へ行った。輿である。
三十人の首領の集落を、年に一度ずつ回った。輿の上から、名を呼んだ。子の名も、孫の名も呼んだ。
「歩けぬのに、来るのか」と狼路が聞いた。
張嶷は、答えた。
「歩けぬから、担がれて来られる。……歩けるうちは、忙しくてな」
終章 止まらなかった
延熙十七年。魏の狄道で、戦況が崩れた。
張嶷に、出陣の下命があった。五十九。杖をついて、五年目である。
◆
発つ前、馬謖のところへ行った。最初の弟子入りから、二十一年になる。
馬謖は、六十五になっていた。そして、開口一番こう言った。
「行くな」
「……」
「敗因簿に、書くことになる」
張嶷は、しばらく黙っていた。そして、言った。
「参軍どの。二十一年前、命令書を読むなと教わりました」
「うむ」
「読みませなんだ。……書いた方に、聞いて参りました」
「何と言われた」
「行けと」
「では、聞いた上で断れ。お前は、歩けぬ」
張嶷は、少し笑った。
「参軍どのは、生きて帰られた方です。そして、三十二年、それを背負っておられます」
「……」
「私は、背負えませぬ。——歩けませぬゆえ」
◆
成都で、皇帝が最後に一つだけ聞いた。
「伯岐どの。幼常どのは、何と仰いましたか」
「行くな、と」
「……」
「そして、私は行きます」
◆
狄道で、張嶷は戦った。輿の上である。
魏の兵を、自軍の倍以上斬った。
そこで、死んだ。五十九である。
◆
報せを受けた馬謖は、その日、何もしなかった。
翌日、敗因簿を出した。そして、新しい一件を書こうとした。
書けなかった。三度、筆を取り、三度とも置いた。
四度目に、こう書いた。
《延熙十七年 狄道 張嶷伯岐》
《敗因——》
そこで、止まった。四日、考えた。
五日目に、書いた。
《敗因——なし》
そして、その下に。
《歩けぬ者が、行った》
《止めたのは、私である》
《止まらなかった》
◆
馬謖は、そこで一つ足した。千三百八十六件のうち、唯一の付記である。
《本件は、敗因ではない》
《ゆえに簿から外すべきである》
《外さぬ》
《理由——外せば、忘れる》
◆
越巂の三十人は、張嶷の死後も、一人も叛かなかった。
理由を、狼路の子が言っている。
「あの男は、我らを数えた。そして、斬らなかった。……斬らなかった者の名は、覚えておる」
◆
皇帝は、木簡を出した。
《渡したもの》
新しい行を書いた。
《張嶷 字・伯岐 五十九》
《三十人。一人も斬らずに降した》
そして、横に小さく。
《歩けなくなってから、五年目であった》
◆
痛む日を数えた竹簡は、越巂に残った。
最後の頁の日付は、出陣の前日である。数字の横に、本人の字で一行だけあった。
《本日、痛まず》
雨の前は痛む男である。
——狄道へ発った日、越巂は晴れていた。




