外伝・張飛伝 『我慢の袋は、縫い目が曲がる』 (〜233年)
序 死亡記事
史書には、こう書かれるはずだった。
《飛、士卒を愛せず》
《帳下の将 張達・范彊、飛を殺す》
《其の首を持ちて、孫権に奔る》
——張飛は部下をいたわらなかった。部下の張達と范彊に寝首をかかれ、首だけが呉へ旅立った。
◆
そうならなかった。
理由は、二つある。
一枚の木簡と、一つの袋である。
木簡の一行目は、三歳の子の字だった。歪んで、傾いて、半分が仮名である。
《王阿三》
袋の中身は、石だった。
殴らなかった数である。
第1話 三十四と、六十一
公安の練兵場である。
張飛は、動きの鈍い兵を三度殴った。
足元で、三歳の子が言った。
「三回、立った」
それから、しがみついて言った。
「なぐらないで」
張飛は、答えた。
「戦場では、優しさが人を殺す」
三歳は、言い返してこなかった。当然だと、張飛は思っていた。
言い返す代わりに、その夜、木簡を一枚おろしていたとは、思っていなかった。
一行目——王阿三。
◆
翌年、西への出陣が決まった。益州である。
別れの日、幼い甥は、木簡を張飛に見せた。二行、書いてある。
一行目は、名前の列。
二行目は、数字が一つ。
《三十四》
「……これは、何だ」
「とめた、かず」
「誰が」
「おれ」
張飛は、長いこと黙っていた。
——この子が袖を引くたび、拳が止まっていた。それを、数えられていた。
◆
「……阿斗」
「うん」
「西では、誰が止める」
甥は、答えられなかった。
張飛は、少し考えて、言った。
「……自分で、数えるか」
「かぞえる」
「うむ」
「——」
「なぐらなかった、かずを」
「なにで、かぞえる」
張飛は、腰の袋を叩いた。
「石でも入れておく」
◆
袋は、それから二十三年、張飛の腰にあった。
ここで、この男の妙な頭の造りについて述べておく。
張飛は、数える猛将である。閬中の部下の数を、自ら数えた。三千二百十一まで、間違えずに数えた男である。
そして、自分の袋の石だけは、数えなかった。
范彊が後年、理由を聞いている。答えは、こうだった。
「数えると、減った気になる」
「……増える一方でございましょう」
「気の話をしておる」
理屈になっていない。なっていないが、袋は重くなり続けた。
◆
一方、成都の甥も、数え続けていた。
《殴られた者》の木簡である。
十一年、誰にも見せなかった。
十一年で、六十一人になった。
第2話 六十一という数
章武元年である。
即位式の翌日、皇帝は東方軍の再編準備を命じた。
そして張飛は、閬中の兵へ命令を出した。
《三日以内に、東征準備を完了せよ》
三日。武器。食料。衣服。船。
不可能な期限だった。
◆
その夜、太子は木簡を出した。《殴られた者》である。
数えた。十一年で、六十一人。
去年は三人。一昨年は五人。成都へ来る前の年は、二十五人。
減っている。確実に、減っている。太子は、うまくいっていると思っていた。
そして、気付いた。
——殴らない暴力を、数えていない。
怒鳴る。処刑を示唆する。不可能な期限を押し付ける。逃げ道を塞ぐ。暴力の形が、変わっただけである。
数えた項目だけが、減った。
◆
閬中から、異常報告が届いた。表紙には、こうあった。
《翼徳将軍、誰も殴っていない》
その下。
《ただし、部下二名が行方不明》
◆
二名は、范彊と張達である。
将軍の寝所を、夜、窺った。そして、入れなかった。
翌朝、二人は自ら出頭した。牢の中で、書記にこう話している。
「将軍を憎んでいたのでは、ない」
「殺さなければ、自分たちが殺されると思った」
そして、記録には一行、付いている。
《両名とも、殴られてはいない。一度も、である》
殴られていない者が、恐怖で動いた。裏切りは、憎しみだけから生まれるのではない。
◆
太子は、関羽と諸葛亮を連れて、閬中へ向かった。道は、二十日である。
皇帝の怒りは早馬より速く、死刑の命令書が先行していた。弟を殺されかけた父である。
太子は、先月作ったばかりの制度を使った。異議制度である。
——制度は、いちばん使いにくい場面で、最初に試される。そこで使えなければ、二度と使われない。
◆
成都の評議で、法正が言った。
「陛下。私は復讐を好みます」
全員が知っている。
「しかし、復讐には目的が必要です。両名を殺せば、陛下は何を得ます」
「正義だ」
「正義は、死体の数で測るのですか」
皇帝の手が、机を叩いた。法正は、頭を下げない。
「恐怖による服従なら得られます」
「それが軍律だ」
「いいえ。——恐怖による沈黙です」
◆
張飛の異議書が、読み上げられた。
《両名の死刑を望まぬ》
《俺にも責任がある》
皇帝の顔が、変わった。怒り。驚き。悲しみ。
「翼徳が……そのようなことを」
関羽の異議も読まれた。兄弟二人が、自分たちを守ろうとする兄へ、処刑しないでほしいと求めている。
皇帝は半刻黙り、赤い封を破った。
「死刑を取り消す」
◆
判決は、官位剥奪、八年間の監視付き労役。配置は前線ではなく、道路と堤防の整備。
そして、三行目。
《俸禄の一部を、張飛軍で暴力を受けた兵士の治療と家族支援へ充てる》
——六十一人である。
この一行を書いたのは、諸葛亮だった。十一年、誰にも見せなかった簿の中身を、この人は知っていたのである。
太子は、その一行を長いこと見ていた。
◆
張飛は、范彊と張達に謝った。
謝罪というものを、この男は五十年やったことがない。手順を知らないのである。
だから、口上の代わりに、涿郡の話をした。
若い頃の話である。肉を売っていたこと。怒鳴ると客が来なかったこと。それでも怒鳴ったこと。
范彊と張達は、意味が分からないまま聞いていた。
最後に、張飛は頭を下げた。下げ方が分からないので、戦場で敵将に一騎討ちを申し込む角度で下げた。ほとんど直角である。
「すまなんだ」
二人は、仰天して三歩下がった。謝られる稽古は、していなかったのである。
◆
五日後、閬中の門に掲示が出た。
《六十一》
数字が一つ。意味は書いていない。掲げさせたのは、張飛本人である。
参軍が、渋い顔で確かめに来た。
「将軍。あの数字は」
「儂が殴った部下の数だ。十一年ぶんである」
「……恥なら、仕舞うべきでは」
「仕舞った恥は、増える。掲げた恥は、増やせん」
◆
意味を書かなかったので、閬中では当然、揉めた。
新兵たちは門の前で首をひねった。
「値段ではないか」
「門は売っておらん」
「番地では」
「閬中に番地はない」
「将軍の御歳では」
「七つ多いぞ。言うなよ、絶対に言うなよ」
正解は、三日目に古参兵から教わる仕組みになっていた。
——将軍が殴った数だ。将軍が、自分で掲げておられる。
新兵は、たいていそこで二度、門を見上げたという。一度目は数字を。二度目は、それを自分で掲げる将軍というものを、想像するためにである。
第3話 袋は、自分で作れ
その年の秋、張飛の長女が太子妃に決まった。
決まる前、太子は本人に会っている。娘は十五で、入ってくるなり、こう言った。
「父が、申しておりました。『断ってよい』と」
「……翼徳叔父上が」
「はい。『阿斗は、悪い奴ではない。だが、お前が嫌なら、俺が断る』」
「——」
「『三十年、人を殴ってきた男が、娘を売るのは、筋が通らん』」
太子は、何も言えなくなった。
三月前に范彊と張達へ謝った男が、家では娘に同じことを言っていた。
——謝った人は、家でも謝り方を変える。そんな数字は、どの画面にも出ない。
◆
婚礼は、秋だった。
張飛は、泣かなかった。そして、一度も怒鳴らなかった。一日中、である。
記録に、こう残っている。
《この日、翼徳の声、聞こえず》
書いたのは、数字しか書かない古参の書記だった。十四年で初めて、聞こえなかったものを書いたのである。
◆
その夜、張飛は太子のところへ来た。酒を持って、飲んでいなかった。
「阿斗」
「翼徳叔父上」
長い沈黙のあと、この人は言った。
「殴らんでくれ」
「……叔父上」
「俺は、殴った。六十一人だ。……そして、家では、一度も殴らなんだ。不思議なものだ」
不思議ではない。家では、声が届くからだ。戦場はうるさく、家は静かである。
そして、この人には、たぶん、不思議なままでいい。
太子は、答えた。
「殴りません。……そして、数えます」
「何を数える」
「殴りたくなった数です」
張飛は、そこで初めて笑った。懐から袋を出し、石を一つ、渡した。
「袋は、自分で作れ」
◆
二年後の十一月、成都へ戻った張飛は、その袋を持ってきた。
「阿斗。これを、見ろ」
受け取ると、思ったより、重かった。
「いくつですか」
「知らぬ」
「数えていないのですか」
「数えた」
「では」
張飛は、少し不機嫌そうに言った。
「途中で、分からなくなった」
三千二百十一まで部下を数えた人が、自分の石は数えられない。
「数えましょうか」
「よい。……数えると、減った気になる」
そして、こう続けた。
「減っておらぬ」
◆
晩年、袋は縫い直された。
二十年使った布が、破れたのである。
張飛は、自分で縫った。これが、ひどかった。縫い目が蛇行し、端が波打ち、口が閉まらない。二度ほどいてやり直し、三度目で「これは、こういう形の袋だ」と宣言して打ち切った。
閬中に立ち寄った関羽が、それを見た。
「……益徳。それは何だ」
「袋だ」
「袋は知っておる。なぜ、そのように苦しんでおる形をしておるのだ」
「貴様に儂の縫い目の何が分かる」
「分からんが、袋の気持ちなら分かる。逃げたがっておるぞ」
張飛は、関羽を殴りたくなった。我慢した。石を一つ入れた。
——兄弟間の、第一号である。
◆
八年の労役を終えた范彊は、閬中へ戻ってきた。
戻る先が、あったのである。
そして、袋の係になった。張飛が我慢するたび、石を差し出す係である。
張飛は文句を言った。
「儂が自分で入れる決まりだ」
「将軍は我慢なさると、石を叩き込まれます。袋の底が二度抜けました。縫い直すのは私です」
「……頼む」
終章 千八百三十一
建興十二年の冬、閬中。
張飛は、教練場で死んだ。六十八である。
朝の点呼の途中だった。新兵が、三百人並んでいた。そして、この人は、名を呼んでいた。三百人、全部覚えている。
四十年前、涿郡で「戦場では、優しさが人を殺す」と言った人が、最後に、三百人の名を一人ずつ呼んでいた。
半ばまで呼んだところで、倒れた。
担いだのは、二人である。
范彊と、張達。
——章武の年に、この人を殺すはずだった二人だった。
◆
前の日の夕、張飛は范彊に一つだけ命じている。
「明日、雨なら屋内でやれ」
それが、最後の命令になった。
雨は、降らなかった。屋外の点呼になった。
范彊は後年、こう言っている。
「雨が降っていれば、と思ったことは、ございませぬ」
「……なぜだ」
「あの方は、名を呼びながらがよい」
◆
遺品に、袋があった。
縫い目が曲がって、端が波打った、あの袋である。
范彊が、数えた。三日かかった。誰にも手伝わせなかった。
《千八百三十一》
西への別れから、二十三年分である。四日半に、一つ。
◆
范彊は、その数を成都へ送った。一行、添えた。
《将軍は、ご自分では最後まで数えきれておられませなんだ》
◆
返書は、すぐ来た。皇帝になっていた、あの子からである。
《数えました》
《千八百三十一です》
《それから、門の札は外さないでください》
◆
札は、残った。
《六十一》
章武元年に掲げられ、その後の十二年、一度も書き替えられなかった数字である。
殴った数は、三歳の甥が書き始めた。
止めた数は、幼い甥が数えた。三十四である。
殴らなかった数は、本人が貯めた。
そして、どの数も、最後に数えたのは、あの甥であった。
◆
袋は、教練場の壁の釘に掛けられた。
新兵が入るたび、范彊は門と壁を順に指差して、同じ説明をした。
「門の数字が、張将軍が殴った数。壁の袋が、殴らなかった数だ」
新兵は、たいてい聞く。
「どちらが重いのですか」
范彊は、毎回、同じ答えを返した。
「殴った方だ」
「石の方が多いのに、ですか」
「多い方が軽くなるように、将軍は二十二年、石を入れられた。……そういう袋だ」
◆
史書は、結局こう書いた。
《飛、晩年に至り、士卒に慕わるること父の如し》
《寝るが如くに卒す》
寝首をかくはずだった男が、その一行を書き役に何度も確かめさせた。
「《父の如し》は、確かに入れたな」
「入れました。三度目です、范彊どの」
「四度目を頼む」
◆
なお、名簿の一枚目は、皇帝の手元にある。
《王阿三》
三歳の字の横に、晩年の張飛が閬中で書き足した一行がある。婚礼の年、名簿の存在を知ったあとのことだ。
こちらの字も、相当に下手だった。武人の手である。
《この字に、首を拾われた》




