第125話 孔明、生きて帰る
【建興十二年|成都】
成都で、俺は勅を出した。帰還命令である。
そして、十日後、返書が来た。
《承りました》
《ただし、麦が実るまで》
俺は、その一行を読んで、木簡を置いた。
麦が実るまで。二月である。そして、医官の見立ては、一月だった。
◆
俺は、関羽を呼んだ。七十五である。
そして、去年、閬中まで車で七日かかった。漢中から五丈原までは、その倍である。
「叔父上」
「……陛下」
「五丈原へ、行っていただけますか」
関羽は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「何をする」
俺は、答えた。
「旗を、降ろさせてください」
関羽の動きが、止まった。
十五年前である。樊城。この人が、旗を降ろした。六十年の生涯で、初めてだった。
「陛下」
「はい」
「勅は、出されたのであろう」
「出しました」
「そして」
俺は、答えた。
「麦が実るまで、と返ってきました」
関羽は、少し笑った。そして、こう言った。
「あの男らしい」
「はい」
「条件を付けて承る」
「——」
「二十七年、そうであった」
「叔父上」
「うむ」
「勅では、退きません」
「退かぬ」
俺は、言った。
「降ろしたことのある人でなければ、言えません」
長い沈黙があった。やがて、関羽は、こう聞いた。
「車で、何日だ」
俺は、答えた。
「十六日」
「馬なら」
「七日」
関羽は、立ち上がった。そして、こう言った。
「馬で行く」
「叔父上」
「うむ」
「乗れません」
この人は、答えた。
「乗る」
「……」
「降りられぬだけだ」
俺は、そこで、止めなかった。止めれば、間に合わない。そして、この人は、それを知っている。
糜芳を、同行させた。五十を過ぎている。武備学舎で、関羽の下にいる。十年である。
そして、この人も、一度逃げかけた。十五年前、荊州で、辞表を書いた。
「子方どの」
「陛下」
「叔父上を、頼みます」
糜芳は、頭を下げた。そして、こう言った。
「祭酒は、落ちませぬ」
「……」
「落ちる前に、降りられます」
俺は、そこで、一つ聞いた。
「子方どの」
「はい」
「なぜ、そう思われますか」
この人は、答えた。
「降りたことのある方でございますゆえ」
「そして、私も、降りかけました」
八日かかった。七日では、なかった。
◆
五丈原作戦、百二十一日目。諸葛亮は、自分で立てなくなった。
意識はある。言葉も出る。だが、少し話すだけで疲れる。
「軍議を」
諸葛亮が言う。医官が、首を横に振る。
「なりません」
「撤退前に」
「王平将軍が行っております」
「魏延は」
「後衛準備」
「楊儀は」
「輸送表を作成」
「費禕は」
「各部隊を調整」
諸葛亮は、天幕の天井を見る。自分がいなくても、軍議が進んでいる。
「問題は」
「発生しております」
医官が、正直に答えた。
「しかし」
「丞相が起きなければ解決できない問題ではありません」
諸葛亮は、少しだけ笑った。
「陛下に似てきましたな」
◆
前線会議。王平が中央に座る。魏延は不満そう。楊儀は苛立っている。費禕は既に疲れている。
「撤退順序を読み上げます」
楊儀が言う。
第一——負傷者。
第二——屯田に協力した民で、蜀への移住を望む者。
第三——兵糧と医療部隊。
第四——主力歩兵。
第五——諸葛亮の護送隊。
第六——後衛。
魏延が、机を叩く。
「なぜ丞相が第五だ」
「先に動かせば」
楊儀が答える。
「仲達へ異変を知らせる」
「最後へ置けば危険だ」
「第五は最後ではない」
「後衛は私だぞ」
「だから最後だ」
「私を捨てるつもりか」
楊儀が、口を開く。費禕が、先に言った。
「相手を反乱者、または殺害意思ありと呼ぶことは、禁止されています」
二人が、黙る。緊急計画の条文である。既に感情が、そこへ向かいかけていた。
「魏延将軍」
王平が言う。
「後衛をお願いします」
「私が、なぜ貴殿の命令へ」
「陛下の計画です」
「戦える兵が残っている」
「兵糧は五十八日です」
魏延が、止まる。
継続禁止条件。丞相と連絡不能。皇帝から継続命令なし。兵糧六十日未満。三つ全て、成立。
「五十八か」
「はい」
「楊儀が、少なく報告しているのでは」
楊儀の顔が、赤くなる。
「監査担当も確認しています」
費禕が、別の台帳を出す。複数経路である。三年前、李厳の件の後に作った制度だ。楊儀一人では、数字を変えられない。
魏延は、長い間、台帳を見た。
「分かった」
最後に、言った。
「後ろを守る」
楊儀が、何か言おうとする。費禕が、先に睨む。
今は、勝ち誇る言葉も、侮辱も、不要である。
「楊儀どの」
王平が言う。
「道を閉じないでください」
歴史では、楊儀が先に撤退し、魏延が道を焼いたとも、双方が互いを反乱者と訴えたとも伝わる。
今回は、橋、道、撤退地点、全て共同台帳にある。変更には、王平と費禕の署名が必要。
「分かっております」
楊儀は、答えた。
「魏延軍の物資も」
一瞬、言葉に詰まる。
「規定どおり残します」
好きでは、ない。それでも、仕事はする。
【五丈原緊急撤退】
王平——全体統括
魏延——後衛
楊儀——兵站・部隊整理
費禕——調整・軍令伝達
内部衝突危険度 27% → 8%
◆
蜀軍は、すぐには動かなかった。
普段どおり、朝の太鼓。旗。炊煙。斥候。諸葛亮の車も、陣内を移動させる。本人は、乗っていない。
司馬懿へ、異変を悟らせない。
夜、負傷者と民間人が、小集団で出る。十二年前、龐統が夷陵で使った手である。分散撤退。
二日目——兵糧部隊。三日目——主力の一部。
魏軍の斥候は、蜀陣の数が減っていることに気付く。
「追撃を」
郭淮が求める。司馬懿は、慎重だった。
「諸葛亮の車は、まだ見える」
「兵が減っております」
「伏兵かもしれぬ」
諸葛亮の名が、生きているだけで、魏軍を止める。
だが、その名へ、永遠に頼ることはできない。
四日目、諸葛亮の護送隊が動く。大きな車ではない。普通の負傷兵用の車である。布で囲う。護衛も、過剰に付けない。
魏延軍が、東側で旗を多く掲げる。
楊儀は、魏延部隊へ予定どおり兵糧を送った。
「一日分多い」
魏延が言う。
「後衛は消費が増えます」
楊儀は、顔を見ない。
「余れば捨ててください」
「恩を売るつもりか」
「規定です」
最後まで、仲が悪い。それでも、兵糧は届いた。
五日目、司馬懿が追撃を決める。蜀軍の陣が、本当に空になり始めた。
魏軍が進む。その前へ、魏延の旗。王平の太鼓。複数の山で、同時に上がる。
兵数は、多くない。だが、撤退訓練を受けた部隊が、順番に姿を見せる。
攻撃しては退く。追われすぎない。橋を渡った後も、すぐに壊さない。最後の部隊まで確認し、その後に落とす。
十二年前、馬鞍山で、翼徳叔父上が同じことをした。そして、その手順は、いま教範になっている。
魏延は、敵将を倒せる場面でも、深追いしなかった。
「文長様」
若い将が叫ぶ。
「今なら仲達の先鋒を」
魏延は、槍を構えたまま、魏軍の背を見る。追いたい。突破力百。独立行動九十八。
「我らの目的は」
歯を食いしばりながら、言う。
「丞相を帰すことだ」
自分へ言い聞かせるように。馬を、返す。
【魏延】
追撃意思 94
実行 中止
新規特性
【勝機を捨てて後ろを守る】
六年前、この人は子午谷を検証して、自分の案を潰した。そして今日、自分の勝機を捨てた。
二度とも、自分でやった。
◆
諸葛亮の護送隊は、漢中へ到達した。俺は、成都から漢中へ出ていた。
父との約束では、皇帝が危険な前線へ出ない。漢中は、後方である。
だが、董允は不満そうだった。
「陛下の休沐日が、二日遅れております」
「丞相が危険です」
「帰還後に、三日取得してください」
「増えています」
「規則違反分です」
こんな時でも、厳しい。
車が、城門へ入る。諸葛亮は、目を閉じている。
「丞相」
俺が呼ぶ。ゆっくり、目が開いた。
「陛下」
声は、小さい。
「お迎えに来ました」
「北伐は」
「終了しました」
「成果は」
「全軍帰還中です」
「司馬懿は」
「追撃を止めました」
諸葛亮は、しばらく黙った。
「長安を」
「取っていません」
「そうですか」
悔しさが、表情に出る。
「ですが」
俺は続けた。
「丞相は帰りました」
「それを」
諸葛亮は、苦笑する。
「成果と申されるのですか」
「最大の成果です」
「陛下は、甘い」
「丞相は、自分に厳しすぎます」
諸葛亮の手を握る。細い。力がない。
二十七年前、この人は俺の手に手を添えて、母の名を書いた。そして今、俺が握っている。
「孔明」
関羽も、来ていた。
「雲長どの」
「生きて帰ったな」
「不本意ながら」
「不本意でよい」
関羽は、言った。
「私も、旗を下ろした時は不本意だった」
張苞が、後ろから顔を出す。
「父も、敵から逃げたと申しておりました」
「誇ることではない」
関羽が言う。
「全員帰したぞ」
「それは誇れ」
二人の会話に、諸葛亮が小さく笑った。
龐統。蔣琬。費禕。董允。王平。魏延。楊儀。全員、生きている。
衝突もした。命令の解釈でも争った。それでも、同じ国へ帰った。
【五丈原作戦・最終評価】
作戦目的
長安攻略 対象外
魏軍拘束 達成
屯田検証 達成
関中情報収集 達成
将兵育成 達成
全軍帰還 大部分達成
諸葛亮生還 達成
諸葛亮死亡予測
西暦二三四年 → 回避
生命危険度 赤 → 橙
歴史変動率 32.1% → 58.7%
未来情報信頼度 70.6% → 38.4%
三十八・四である。俺の知っている未来が、六割、当たらなくなった。
二十七年、この数字は俺の武器だった。そして、俺が変えた分だけ、減っていく。
武器が減って、国が残る。たぶん、それでいい。
◆
諸葛亮は、死ななかった。だが、以前と同じようには働けない。
医官の判断——長距離遠征禁止。夜間執務禁止。一日決裁十件以下。十日に二日の休養。北伐最高指揮官、退任。
諸葛亮は、その内容を読んだ。
「陛下」
「はい」
「これは、隠居ですか」
「療養です」
「同じです」
「違います」
「何が」
「意見は聞きます」
「決裁は」
「十件まで」
「軍議は」
「週二回」
「北伐は」
「次の世代が考えます」
諸葛亮の目が、揺れる。
「私は」
声が、掠れる。
「先帝との約束を」
「果たしました」
「中原を定めておりません」
「父上の最後の約束です」
白帝城である。
《孔明一人へ、全てを背負わせるな》
《休め》
「丞相が」
俺は言った。
「生きて帰ることも、父上との約束です」
諸葛亮の目から、涙が落ちた。
「陛下」
「はい」
「私は」
長い間、言葉を探す。
「何をすればよいのでしょう」
仕事を失った人間の問いだった。丞相。軍師。北伐指揮官。それらを外したとき、自分に何が残るのか。
四年前、趙雲が同じことを聞いた。
「役に立たない日も、ここにいてよかったのでしょうか」
そして、俺は「何もしなくても、叔父上は叔父上です」と答えた。
今回は、違う答えを持っていた。
「教えてください」
俺は答えた。
「誰に」
「私たちへ」
蔣琬。費禕。董允。王平。馬謖。若い官吏。将。
「答えを決めるのではなく」
「考え方を」
「失敗も」
「休み方も」
諸葛亮が、苦笑する。
「休み方を、私が」
「失敗例として」
「陛下」
少しだけ、以前の顔に戻る。
「冗談を申されるようになりましたな」
「父上に似ました」
「そこは似なくても」
周囲から、笑いが起きた。
◆
俺は、正式な勅令を出した。
諸葛亮——丞相職は維持。ただし、日常行政の執行責任を蔣琬へ移す。外交調整を費禕。宮中と諫言を董允。軍事制度を王平、魏延、関羽らの評議へ。
諸葛亮は、国家戦略顧問。後継者育成。重要案件の審議。
仕事を、決める者から、育てる者へ変える。
【蜀漢統治体制・第二次更新】
諸葛亮への業務集中危険度 49% → 18%
英雄依存指数 74 → 41
主要執行者
行政 蔣琬
外交 費禕
宮中 董允
軍事 複数将評議
戦略 諸葛亮・龐統
最終責任 劉禅
新規状態
【丞相がいなくても、軍は帰れる】
父が死んだとき、諸葛亮へ国を託す未来があった。諸葛亮が死んだとき、魏延と楊儀が争い、軍が割れる未来もあった。
今回は。父は死んだ。それでも国は動いた。諸葛亮は倒れた。それでも軍は帰った。
英雄がいなくても。完全ではないまま、迷いながら、争いながら、国は動けるようになっていた。
諸葛亮は、漢中で三か月療養した後、成都へ戻った。城門の外、大勢の民が迎える。
「丞相」
「孔明様」
諸葛亮は車の中から、手を上げる。
以前なら、到着したその日に執務室へ入っただろう。今回は、董允が車の進路を変えた。
「休昭どの」
諸葛亮が尋ねる。
「宮殿は、あちらです」
「本日はご自宅です」
「陛下への帰還報告が」
「既に費禕どのが提出しました」
「私自身の」
「明日です」
「まだ昼です」
「医官の命令です」
諸葛亮は、俺を見る。助けを求めている。
「丞相」
俺は言った。
「生きて帰ることが仕事です」
「帰りました」
「では、次は休むことが仕事です」
諸葛亮は、長く息を吐いた。
「承知しました」
車は、宮殿ではなく、諸葛亮の家へ向かった。庭に、粟がある。《二畝》である。
十一年、黄夫人が刈り続けている。
視界に、表示が現れた。
【第六段階完了】
皇帝就任——孔明を休ませろ
達成項目
・若年皇帝体制の安定
・呉との同盟再建
・孟達離反回避
・劉封処刑回避
・街亭壊滅回避
・馬謖処刑回避
・李厳兵站虚偽の制度化防止
・魏延、楊儀内戦回避
・諸葛亮五丈原死去回避
・丞相権限分散
未達成項目
・魏の打倒
・漢室旧都回復
・天下統一
新たな目標
英雄が生きている間に、
英雄がいなくても動く国を完成させる。
長安は取れなかった。魏も滅びていない。天下も統一していない。
それでも、孔明は生きて帰った。
そして、蜀漢は初めて、英雄の死を前提にせず、英雄から仕事を受け取ることができた。
次の時代が始まる。英雄たちの国ではない。英雄がいなくても残る国である。
◆
五丈原の陣で何があったかを、俺が聞いたのは、半年後である。
王平が、一度だけ話した。
「陛下」
「はい」
「祭酒は、何も仰せになりませんでした」
「何も」
「はい」
「では、何を」
王平は、答えた。
「座っておられました」
俺は、そこで、息を呑んだ。
九年前である。南征のとき、俺は関羽に留守を頼んだ。そして、こう言った。
「座っていてください」
「それだけです」
「子均どの」
「はい」
「何日、座っておられましたか」
王平は、答えた。
「三日」
「そして、丞相は」
「三日目の夜に、筆を置かれました」
そして、こう言ったという。
「雲長どの」
「うむ」
「何か、仰せになってください」
そして、関羽は、こう答えた。
「言わぬ」
「……なぜ、でございましょう」
「言えば、お前は理で返す」
「……」
「そして、私は理で勝てぬ」
諸葛亮は、しばらく黙っていたという。そして、こう聞いた。
「では、なぜ来られました」
関羽は、答えた。
「見に来た」
「……」
「十五年前、お前は荊州に来なんだ」
樊城である。あのとき、諸葛亮は益州にいた。そして、荊州へは、行けなかった。
正確には、行かなかった。
二十年前、この人は俺の書状にこう返してきた。
《私は、荊州を守ることより、益州を痛めぬことを選びました》
《これは、選択でございます》
そして、二十年、それを誰にも言っていない。
「私は、一人で降ろした」
「……」
「誰も、見ておらなんだ」
そして、この人は、こう続けた。
「今度は、見ておる」
王平は、そこで言葉を切った。そして、こう言った。
「陛下」
「はい」
「丞相が、泣かれました」
「——」
「二十七年、お仕えして初めてでございます」
翌朝、退却が始まった。麦は、刈らなかった。
関羽は、自分の馬に乗れなかった。三日、座っていたからである。
車で、帰った。十六日かかった。
成都で、俺は門に立っていた。そして、車が着いたとき、関羽は寝ていた。
起きなかった。三日、起きなかった。
そして、四日目に起きて、こう言った。
「授業は」
〈あとがき〉
「降ろしたことのある人でなければ、言えません」。そして「乗る」「乗れません」「降りられぬだけだ」。
「祭酒は、落ちませぬ。落ちる前に、降りられます」——十五年前、荊州で辞表を書いた人が、そう言いました。
「言えば、お前は理で返す。そして、私は理で勝てぬ」「では、なぜ来られました」「見に来た」「十五年前、お前は荊州に来なんだ」。
「私は、一人で降ろした。誰も、見ておらなんだ」——「今度は、見ておる」。
三日、座っていました。九年前、主人公が頼んだ職です。職掌表には、書けません。
そして四日目に起きて、「授業は」。
次回、第126話「運ばずに済む方法があれば、許します」。




