↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第七部 北伐——取ったものを、手放す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
116/174

第114話 泣いて馬謖を斬りません


【建興六年 春|成都(街亭の報)】


街亭敗北の報告を受けたとき、諸葛亮(しょかつりょう)は、何も言わなかった。


赤い封を、一度読む。二度読む。三度読む。


馬謖(ばしょく)本人の文章である。


《私の判断錯誤》


《王平の反対を退けた》


《水を軽視した》


《街亭保持不能》


《北伐軍撤退を提案》


諸葛亮の手が、震えた。


「丞相」


龐統(ほうとう)が、声をかける。


「幼常は」


「生きています」


「——」


「王平軍と合流」


「兵の半数以上を救出」


諸葛亮は、目を閉じた。安堵。怒り。自責。全てが、混ざる。


「私が」


諸葛亮は言った。


「任命しました」


「陛下は、共同指揮を命じました」


龐統が答える。


「それでも」


「——」


「幼常を作戦責任者へ推したのは、私です」


劉備(りゅうび)が、東方大演習の最終責任を認めたように。諸葛亮も、自分の責任を認める。


    ◆


「撤退します」


諸葛亮は決めた。


南安。天水。安定。呼応した人々。獲得しかけた土地。全てを、簡単には捨てられない。


だが、街亭を魏軍が押さえれば、補給線が危険になる。張郃軍と曹真軍に挟まれる前に、戻る必要がある。


そして、この人は、一つだけ、重要なことをした。


呼応した豪族の名簿を、持ち帰った。三十一家である。


「丞相」


龐統が聞いた。


「その簿は」


諸葛亮は、答えた。


「置いていけば、魏が読みます」


「——」


「そして、この者らが殺されます」


そして、こう続けた。


「持ち帰れば、我らが読みます」


「——」


「そして、次に参ったときに、訪ねられます」


趙雲(ちょううん)。龐統。魏延(ぎえん)。各部隊へ、撤退命令が出る。


成都へは、諸葛亮自身が上奏した。


《第一次北伐、所期の目的を達せず》


《街亭の人事および指揮体制に、臣の誤りあり》


《帰還後、処分を受ける》


俺は、処分の前に、全記録の提出を命じた。


誰が、いつ、何を提案したか。反対したか。決めたか。報告したか。制度どおり、事実を並べる。


    ◆


北伐軍が、漢中へ戻る。馬謖は、逃げなかった。成都へ帰る。


途中で失踪し、処刑を恐れて逃げたという歴史もある。この世界では、自分から宮殿へ来た。


広間。諸葛亮。王平。馬謖。龐統。趙雲。魏延。関羽(かんう)張飛(ちょうひ)法正(ほうせい)蔣琬(しょうえん)費禕(ひい)董允(とういん)。全員が、いる。


「馬謖」


俺が呼ぶ。


「はい」


馬謖は、膝をついた。


「街亭で」


「——」


「命令された役割を守りましたか」


「守りませんでした」


「王平殿の地形判断を」


「退けました」


「緊急権限を使い」


「山上へ主力を置きました」


「結果は」


「街亭を失い」


馬謖の声が、震える。


「多くの兵を死なせました」


「死者は」


蔣琬が、記録を読む。戦死。行方不明。捕虜。合計、約五千六百。


史実より、少ない。それでも、五千六百人である。


「言い訳は」


俺が尋ねる。


「ございません」


「魏軍の数が多かった」


「事実です」


「張郃が優秀だった」


「事実です」


「水量情報が不十分だった」


「事実です」


「では」


「それらも原因です」


馬謖は言った。


「しかし」


「——」


「最終判断は、私です」


父と、同じ言葉である。諸葛亮が、目を伏せる。


軍法では、命令違反。重要拠点喪失。多数の死者。死罪が、検討される。馬謖自身も、覚悟している。


「丞相」


俺は諸葛亮を見る。


「処分案を」


諸葛亮は、長い間、答えなかった。


「死罪が」


声が、掠れる。


「軍律上、相当と考えます」


馬謖の肩が、震える。


諸葛亮の目には、涙があった。才能を信じた。期待した。育てた。その人物を、自ら斬る。


歴史の場面が、目の前へ近づく。


「理由は」


俺が尋ねる。


「軍令を守らなければ」


諸葛亮は答える。


「今後、誰も命令に従いません」


「自ら失敗を報告したことは」


「考慮します」


「指揮権を王平へ渡したことは」


「考慮します」


「兵を救出したことは」


「考慮します」


「それでも死罪ですか」


諸葛亮は、答えられない。


    ◆


法正が、口を開いた。五十二である。去年から、立てない日が増えている。そして、この日は、椅子に座っていた。


広間で、椅子に座るのは、この人だけである。


「死罪とすれば」


「——」


「自ら報告した者も」


「隠して逃げた者も」


「——」


「結果は同じです」


諸葛亮が、法正を見る。


「軍律は、結果だけではありません」


「ならば」


法正は言った。


「命令違反を隠さず報告したことも、軍律へ入れるべきです」


この人が、軍律を増やせと言っている。私怨八十八の男が、である。


そして、その理由は、たぶん、二十年前にある。


「素行が悪い」と書かれた人は、書かれ方を変える話にしか、興味がない。


董允も言う。


「陛下」


「馬謖殿は、重大な規定違反を犯しました」


厳しい。


「ただし」


「——」


「死刑以外の処分を選ぶ余地があります」


「休昭殿が?」


俺は、少し驚いた。


「規則は、目的のためにあります」


董允は答えた。


「軍の統制と、再発防止のためです」


「——」


「死刑が最も再発防止へ有効とは限りません」


王平(おうへい)が、ゆっくり手を上げた。高官の会議で、自分から話すことに慣れていない。自己宣伝、二である。


「王平殿」


「はい」


「意見を」


王平は、馬謖を見る。


「幼常殿は」


「——」


「山へ上がりました」


「私の言葉を聞きませんでした」


「多くの兵が死にました」


馬謖が、顔を伏せる。


「ですが」


王平は続ける。


「最後には、指揮を渡しました」


「報告もしました」


「逃げませんでした」


「斬るべきですか」


俺が尋ねる。王平は、長く考えた。そして、こう言った。


「斬れば」


「——」


「次の戦で、幼常殿は失敗しません」


当然である。


「しかし」


「——」


「誰も、幼常殿のような失敗から学べません」


失敗した本人が、なぜ間違えたか。どの感情が働いたか。どう制度を解釈したか。それを、話せる。


「生かして」


王平は言った。


「水を運ばせてください」


広間が、静まる。


「水を?」


「兵が一日に飲む量を」


「——」


「自分で運べば、忘れません」


王平らしい処分案だった。そして、この人は、四十年、それを運んだ側にいた。


    ◆


俺は、最終決定を下した。


馬謖。軍事独立指揮権を剥奪。官位を三段階降格。俸禄半減。五年間、王平の配下として勤務。


担当——地形調査。井戸。水路。食料。兵站。歩兵訓練。


さらに、街亭失敗報告書を作成。軍学校で、全指揮官候補へ講義する。


《なぜ私は山へ登ったか》


《なぜ王平の言葉を聞けなかったか》


《なぜ失敗を早く認められなかったか》


自分の恥を、何度も話す。ある意味、死罪より苦しい。


そして、講義の場所は、武備学舎(ぶびがくしゃ)である。祭酒は、関羽。


四年前、この人は「二十人の前で申したことは、十七人の前で取り消す」と言った。そして、いま、弟子は四十八人になっている。


「陛下」


馬謖が、顔を上げる。


「私は」


声が、震えている。


「生きてよいのでしょうか」


「許したわけではありません」


俺は答えた。


「責任を、生きて取ってください」


馬謖は、床へ額をつけた。


「謹んで」


「——」


「お受けいたします」


【馬謖処分】


死罪 回避


処分

 ・官位三段階降格

 ・軍事独立指揮権剥奪

 ・俸禄半減

 ・王平配下五年

 ・兵站、地形、水利担当

 ・街亭失敗教育責任者


馬謖死亡危険度 黄 → 低


軍律への影響

 命令違反処罰 維持

 自発報告保護 確立

 失敗共有文化 上昇


    ◆


次に、諸葛亮である。


「丞相」


「はい」


「任命責任があります」


「承知しております」


「共同指揮の権限境界も、曖昧でした」


俺自身にも、責任がある。


作戦は馬謖。地形は王平。分けたつもりだった。


だが、山へ陣を置くことは、作戦でもあり、地形判断でもある。境界で、争いが起きた。


「私にも責任があります」


俺は言った。広間が、ざわめく。皇帝が、人事制度の失敗を認める。


「最終任命者として」


「——」


「街亭共同指揮制度を承認しました」


「丞相だけの責任ではありません」


諸葛亮が、顔を上げる。


「陛下」


「だから」


俺は続けた。


「丞相の降格は認めません」


「しかし」


「代わりに」


北伐人事制度の再設計である。


若手へ独立指揮を与える前に、小規模任務。副将。共同任務。撤退訓練。失敗報告。段階を、作る。


諸葛亮には、育成責任者として、その制度を完成させてもらう。


「処罰では」


諸葛亮が言う。


「ございません」


「責任です」


そして、北伐失敗後の休暇。七日。


「陛下」


「必要です」


「敗戦直後に」


「だからです」


董允が言う。


「丞相、それもなりません」


諸葛亮は、馬謖を斬らなかった。代わりに、自分と、馬謖と、制度の失敗を、記録へ残した。


    ◆


そして、その年の冬。谷から、報せが来た。


諸葛喬(しょかつきょう)が、死んだ。二十五である。


病だった。戦では、ない。糧を運ぶ道で、熱を出して、三日で死んだ。


報告は、潘濬(はんしゅん)の様式で来た。姓名。出身。年齢。死没地。死因。


十四年前、俺が作らせた様式である。楊阿七(ようあしち)のときに、作った。


そして、その欄に、諸葛亮の子の名が入った。


俺は、その竹簡を持って、丞相府へ行った。諸葛亮は、執務室にいた。働いていた。


「先生」


「陛下」


「これを」


俺は、竹簡を置いた。諸葛亮は、それを読んだ。


そして——筆を、置かなかった。


読み終わって、竹簡を巻いて、脇へ置いた。そして、次の竹簡を取った。


「……せんせい」


「はい」


「読まれましたか」


「読みました」


「……」


「陛下。梓潼の戸籍でございます。急ぎますゆえ」


俺は、その手を掴んだ。


二十一である。もう、袖を引く歳ではない。だから、手を掴んだ。


「先生」


「……」


「今日は、いけません」


「……」


「明日で、間に合います」


諸葛亮は、動かなかった。そして、こう言った。


「……間に合いませぬ」


「間に合います」


「陛下」


「間に合います」


俺は、繰り返した。


十九年前、母が、この人にそうした。同じ言葉を、同じ調子で、三度。


「間に合います」


三度目で、この人の手から、筆が落ちた。


諸葛亮は、しばらく、机を見ていた。そして、言った。


「陛下」


「はい」


「喬を、谷へ置いたのは、私でございます」


「はい」


「十年でございます」


「はい」


「そして、一度も、戻しませんでした」


「先生」


「はい」


「なぜですか」


この人は、答えた。十年、言わなかったことである。


「……戻せば、あの子が、諸葛の子として扱われます」


「はい」


「そうなれば、他の者が、遠慮いたします」


「はい」


「そして——」


諸葛亮は、そこで、初めて声が揺れた。


「あの子は、それを望みませぬ」


「望まないと、聞かれましたか」


答えは、なかった。そして、しばらくして、この人は、こう言った。


「……去年、書状を送りました」


俺は、そこで、顔を上げた。


「何と」


「瞻の字でございます」


「はい」


「陛下が、送れと申されましたゆえ」


「返事は」


諸葛亮は、竹簡を出した。一本である。そして、短かった。


俺は、それを読んだ。


《思遠と伺いました》


《よい字でございます》


《谷は、遠うございます》


三行である。そして、三行目が、いちばん長く残った。


    ◆


その夜、俺は黄夫人(こうふじん)のところへ行った。庭にいた。粟が、刈り取られた後だった。


「夫人」


「陛下」


「喬どのが」


「聞きました」


「……」


黄夫人は、土を見ていた。そして、こう言った。


「あの子は、二度、名を変えました」


「……二度?」


「はい」


「仲慎から、伯松へ」


「はい」


「——」


「そして、呉の子から、蜀の子へ」


俺は、そこで、息を呑んだ。


「一度目は、私どもが変えました」


「はい」


「二度目は、あの子の父が変えました」


諸葛瑾(しょかつきん)である。呉の重臣。弟に、自分の子を渡した男。


「そして、あの子は、一度も、どちらだとも申しませんでした」


黄夫人は、粟の跡を見ていた。


「二十五年、でございます」


「……」


「二十五年、名を二度変えられて、谷で糧を運びました」


「——」


「そして、誰にも、何も言いませんでした」


俺は、そこで、一つ聞いた。


「夫人」


「はい」


「谷へ、行かれたことはありますか」


黄夫人は、答えた。


「二度」


「……いつですか」


「五年前と、三年前」


「何をしに」


この人は、こう答えた。


「粟を、持って参りました」


    ◆


その夜、俺は木簡を出した。


《正しく呼ばれていない者》


二行目——諸葛喬 字・伯松(旧・仲慎)


《いま、二十七》


俺は、その《二十七》を、線で消さなかった。代わりに、その下に、一行書いた。


《二十五でおわった》


数え方が、違っていた。


十年前、俺は「いま、じゅうなな」と書いた。そして、去年、「いま、二十七」と書き直した。


二十七ではなかった。建安(けんあん)五年の生まれである。数えれば、二十九。満なら、二十八。


そして、報告の様式には「二十五」と書いてあった。潘濬の様式は、正確である。


誰かが、間違えた。そして、俺は、それを直せない。本人が、もういないからだ。


俺は、その一行を、消した。そして、書き直した。


《歳が、分からない》


十九年、名前を書き続けてきた。そして、いちばん近くにいた一人の、歳を、俺は知らなかった。


諸葛亮は、三日、休んだ。十九年で、初めてである。


十日に一日の休沐は、五年前からある。そして、それは制度だった。三日続けて休んだのは、初めてである。


そして、四日目に、執務へ戻った。


黄夫人の竹簡に、三日分、二刻という数字が並んだ。


二刻。十年ぶりの数字だった。


そして、五日目から、また一刻半に戻った。



〈あとがき〉


「持ち帰れば、我らが読みます。そして、次に参ったときに、訪ねられます」——撤退のとき、この人は呼応した三十一家の名簿を持ち帰りました。


「生かして、水を運ばせてください。兵が一日に飲む量を。自分で運べば、忘れません」——四十年、それを運んだ側にいた人の処分案です。


そして諸葛喬。二十五。「谷は、遠うございます」——去年送った字への、三行の返事です。


黄夫人は、谷へ二度行っていました。粟を持って。


三日、休みました。十九年で初めてです。そして、五日目から、また一刻半に戻りました。


次回、第115話「勝ったものを、手放す」。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。