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駅蕎麦

オリジナル短編小説集『また会えますか?』の一編です。


 あなたに、「また会いたい。」と思う人は、いますか?記憶の片隅にある、あの日、遊んだあの子、駅のホームで見かける人・・・「会いたい」。そんな気持ちを綴る短編集。


駅にある美味しそうな匂いを漂わせる駅蕎麦屋。でも、入る勇気が無くて・・・。





その日は、山の上かのように天気が、コロコロ変わった。

まるで、空の上で、天気を司る神々が大喧嘩をしたか、朝から宴会で酒羅場となり、天候操作を誤ったとしか思えない程、天気が荒れた。


朝は、雲一つ無い青空。

理科の教科書で習った『快晴』という言葉にピッタリな空だった。

そんな天気に、傘を持って出かけるなんてあり得なかった。

まして、梅雨でもないのに、誰が折り畳み傘等入れているわけがない。


瀧澤が会社に着いた頃はまだ良かった。

『雲行きが怪しいなぁ』くらいで、清掃のおばちゃんの『あら、嫌だねぇ。私が帰るまで降らないといいけど・・・。』という言葉を他人事のように聞いていた。


しかし、事態は変わった。

10時を過ぎた頃、雨は降りだし、だんだんと強くなっていった。

お昼には、風も吹き始め、ちょっとした嵐だ。

こんな時、お弁当なら良かったが、残念ながら、今日はお弁当も宅配も頼んでない。

つまり、この雨の中、買いに出なければならない。

そこで、いつもコンビニに走る同僚に頼もうと席に行ったら、


「伊藤さん、あの・・・。」


「あぁ、瀧澤さんっ!見て下さいっ!」


「えっ!?」


目の前に差し出された物は、お弁当だった。

中には、プチトマトやほうれん草のお浸し、卵焼き、唐揚げ、そして、彩り豊かな大きなおにぎりが三つ入っていた。


「彼女が、弁当作ってくれたんだぁっ!」


と、満面の笑顔で言うので、


「よ、良かったね・・・。」


瀧澤はそれしか言えなかった。


「はいっ!ところで、何か用ですか?」


「ううん。何でもない。じゃぁね。」


伊藤は、首を傾げていたが、気にしている場合じゃない。

瀧澤はお昼を確保しなければならないのだ。


伊藤の彼女自慢で、時間を取られたせいか、近隣のコンビニには何も残っていなかった。

いつもなら残っているはずのパンもだ。


駅の階段を上がり、会社がある反対側に戻らなければならない。

時計を見ると、お昼休憩が終わるまで、あと二十五分しかない。


瀧澤は、匂いに引き寄せられるように足を進めた。


「あっ・・・。」


辿り着いた先には駅そば屋があった。


「(駅蕎麦か・・・いつも美味しそうだけど・・・。)」


瀧澤は、それ以上足を進められなかった。

見れば分かるだろう。

並んでいるのは、スーツを着た男性ばかり。


「いいなぁ・・・。」


雨に濡れたスーツや足下から寒さが伝わってくる。

傘を持っていないので、たまたま持っていたフェイスタオルを頭に被ってお昼を買いに出たのだ。

タオルが増えるワカメのように大きくなってくれればいいが、そんなタオルは存在しないので、スーツは帰ったらクリーニング屋に直行である。


おまけに、雨で聞こえないが、お腹が鳴っているのだ。

外からも中からも熱が無くなっていくのが分かる。


「(仕方ない・・・駅の売店で、飲むゼリーでも買おう。)」


瀧澤は、向きを変えようとした時、


「お姉ちゃん、空いたよ。」


「え?」


瀧澤は、振り返った。

別に、『お姉ちゃん』に反応したわけじゃないと、誰かに弁明しているが、振り返っている時点で、反応しているじゃんと、頭の中の天使と悪魔が言い合っているが、今は無視だ。


「お姉ちゃん、何にする?」


瀧澤を呼んだのは、蕎麦屋の大将だ。

ねじり鉢巻きに、人の好さそうな笑顔は、それだけで安心感があった。


「えっと・・・その・・・。」


「遠慮しないで。今日みたいな日は、家のあったかい蕎麦食って、午後からも頑張ってくれ。」


そこまで言われてしまっては、瀧澤も『恥ずかしい』なんて言っている場合では無い。この間にもお腹は鳴っている。


人間は、欲求には勝てないのだ。


「あの、じゃぁ、かき揚げの天ぷら蕎麦をお願いします。」


メニューを見て、一番目に付いた物を頼み、代金を払った。


「はい。毎度。ちょっと待ってね。」


「(まさか、食べられるとは思わなかった・・・。)」


「へい、お待ち。」


瀧澤の前に、かき揚げの乗った蕎麦が置かれた。


「良い匂い・・・。」


前には、瀧澤がずっと食べたかった香りがあった。

湯気は、瀧澤の濡れた髪も温めてくれる。

割り箸を割り、レンゲスプーンで、汁を掬い口に入れた。

出汁が聞いた汁は、喉を通り、胃の中に広がり、冷え切っていた身体の中に、再び熱が戻っていくのを感じた。


麺は、蕎麦粉の香りが鼻に通り、先に胃に入れた汁の熱さを、さらに上回る。

かき揚げは、玉ねぎ、ごぼう、にんじん、シイタケが入っていた。

サクサクの生地のまま食べると、歯ごたえがり、中のグザイの味がダイレクトに口の中を支配する。

汁に浸した部分は、衣が汁の味を吸い柔らかさの中、先程とは違った味を楽しんだ。


「ほぉ~美味しい・・・。」


いつの間にか、声に出ていた。


「そうかい。嬉しいねぇ。」


大将にも聞こえたらしく、笑顔で返してくれた。

いつの間にか、瀧澤の中では、『恥ずかしい』という気持ちは消えていた。

ただ、目の前の蕎麦の美味しさに浸っていた。









「あれ?瀧澤さん?」


「(ビクッ?!ゴックン)・・・石野課長に中村君・・・お疲れ様です・・・。」


突然、声を掛けられ、慌てて飲み込み振り返ると、上司と同僚が立っていた。


「お疲れ様。今、お昼?」


「えぇ・・・ちょっと出遅れてしまって、コンビニに何も売ってなくて・・・。」


「この雨だし、災難だったね。」


「はい・・・。」


中村は、気遣ってくれるが、


「だがねぇ、瀧澤君。いくら売ってなくても、駅蕎麦は無いだろう。女性が立って食べるなんて、みっともないし、嫁の貰い手が無くなるよ。」


石野は違った。


瀧澤が、蕎麦を食べるのを、真っ向から否定してきたのだ。


「・・・・・・。」


しかし、瀧澤は何も言い返せなかった。

自身も先程まで、男性の中で、立って食べるなんて、恥ずかしいことだと思っていたからだ。


「石野課長。それは、言い過ぎですよ。」


「中村君。君は良い奴だね。だから言うが、女のくせに、立って食べるなんて、萎えるよ。品も欠片もない。君も、瀧澤君みたいなガサツな子じゃなくて、良い子を選びなさい。」


言いたい放題だ。

しかし、相手は上司反論など出来るわけ無かった。

瀧澤は、目じりが熱くなり、身体は冷たくなる。

持っていた器から伝わる熱すら感じられない程、身体が小刻みに揺れる。

振動が伝わったのか、中の残っていた汁に波紋が広がっている。


「お客さん、さっきから聞いていれば、『みっともない』って何だい?俺の作る蕎麦が、そんなに『みっともない』ってことかい?」


厨房から駅に出る扉を開け、大将が出てきた。

先程まで、穏やかな大将の顔から笑顔が消え、目を細めながら、石野に問う。


「いえいえ。お宅の蕎麦が悪いわけじゃありませんよ。私は、女性が立って食べるという行為がみっともないと言っているだけで・・・。」


大将の睨みに、少々後退りしたが、持論を述べる。


「蕎麦を食うのに、男も女も無いだろう。このお姉さんは、きっちりと代金を払って商品を食べている、家の立派なお客だ。いきなり来て、食い方がどうかとイチャモンをつけているあんたは、何様だい?営業妨害だよ。」


「営業妨害って、そんな大げさな・・・。」


「何が大げさだ。店の前で、家のお客に絡んで、家の店のやり方に口出して、営業妨害じゃなくてん、何なんだ?」


「私は、お店のやり方に口出しなんて・・・。」


「しているだろ。家は、『立ち食いの駅蕎麦屋』なんだ。つまり、お姉さんは、家の店のルールで、立って食べている。何も問題ない筈だ。それを、あんたは、自分の持論の正しさを証明したいが為に、家のやり方にケチをつけ、お客であるお姉さんに絡んでいるんだ。」


「私は、上司として、彼女に女性らしさを説いていただけで・・・。」


「はぁ?何が女性らしさだ。上司だろうが何だろうが、ここでは、お姉さんはお客で、あんたは部外者だ。あんたが、いちいち言うのはおかしい。それとも、お宅の会社では、社員の昼飯に文句を付けるのが、『指導』ってことかい?」


「いや、それは・・・。」


何度言い訳しても、大将が論破していくので、石野は、二の句が継げなかった。

大将の言っていることは間違っていない。お店のコンセプトであり、『立ち食い』と言っている以上、お客は立って、蕎麦を食べる。これが、店のルールなのだ。

それを、石野の持論で覆せるわけが無い。


パチパチパチ


耳に拍手音が飛び込んで来た。

見ると、三人の小母様達が、手を叩いていた。


「大将、よく言ったわっ!」


「聞いてて、スカッとしたわよ。」


「流石名店長っ!」


「な、何なんだ、あんた達っ!」


大将から、小母さん達に焦点が行った石野は、先程より少し前屈みになって、声を上げた。


「見ての通り、この蕎麦屋の客よ。」


「大将の蕎麦が美味しくて、食べていたら、雨の音より喧しい声が聞こえてきてねぇ。」


「不愉快でしょうがなかったんだよ。」


石野は、お客である小母さん達にも睨まれる。


「あ、あんたらみたいに、既に女を終えている人達は、立って食べても、何も思いませんがねぇ、家の瀧澤はまだ捨てるには早いんじゃないかという親切心で、私は言ったんですよ。」


石野は、あくまで自分の持論を崩さない人間だった。

それに、女性には強く出る男だった。

これには、瀧澤も大将も、隣にいて空気になりつつある中村も引いた。


「はぁ?あんた、喧嘩売っているのかい?」


「女を捨ててるだぁ?もう一回言ってみなっ!」


「いい度胸だねぇ。迷惑料と侮辱罪だよ。」


小母さん達の表情は険しさを増し、怒気が内から滲み出ている。

そんな小母さん達を見ても、


「うるさいっ!女が立って食べるなんてあり得ないっ!何より、みっともねぇんだよっ!女捨ててるって言って何が悪いっ!!」


石野は顔を真っ赤にして声を張り上げた。

余程、自分の非を認めたくないのだ。


「はぁ?女は、立って食べない?あんたは、どこのボンボンだい?」


「女はねぇ、台所の家に帰れば、座ってご飯食べられる方が少ないんだよっ!」


「あんた、全然育児して来なかっただろ。」


「うっ?!そ、そんなことは・・・。」


いきなり、図星をつかれたのか、石野は言葉を詰まらせる。


「やっぱりね。その反応で分かるよ。奥さんのこと、何にも見てなかったんでしょうね。」


「赤ん坊を負ぶって、台所で立って食べるなんて、よくあることなのに、それすらも分からないなんて・・・同情するわ、奥さんに。」


「まぁ、もうとっくに諦められていると思うけどね・・・。」


小母さん達も言いたい放題である。

それも仕方ない。あれだけ、不愉快な言葉を並べれば、山彦のように、己に帰ってくるのだ。形を変えて。


「うるさいっ!うるさいっ!他人が好き放題言うなっ!」


石野の姿は、もはやただの駄々っ子だ。


正直、傘を片手に半泣きの小父さんなんて、怖くもなんとも無い。


小母さん達は、そんな石野に興味を無くしたのか、瀧澤に向き直り、「お姉ちゃん。こんな奴の言うこと気にしちゃダメよ。」


「は、はぁ・・・。」


「上司と関係ないわ。お店では、ただの客なの。だから、どんどん食べなさい。」


「美味しい物を食べるのに、性別なんて関係ないんだからね。」


「そうだ。これからも、家の蕎麦を食べに来てくれ。」


「はい。ありがとうございます・・・。」


小母さん達と大将の言葉が、とても有難かった。


瀧澤は、石野の言葉で冷え切った身体が、皆の言葉で、再び温かくなっていったのだ。

石野が何度、文句を言おうと皆、自分の言葉で論破し、瀧澤を守ってくれた。感謝してもしきれない。


「瀧澤っ!私に逆らってただで済むと思うなっ!中村行くぞっ!」


誰にも相手にされなくなった石野は、瀧澤に脅すような言葉を吐き捨てて、出口の方に歩き出した。

ドスドスと、土の上なら確実に足跡が出来るレベルの大股で。


「えっ?!課長っ!」


空気であった中村も後を追おうとするが、


「瀧澤。すぐ帰ったら、課長が当たるだろから、蕎麦食べ終わったら、ゆっくり帰って来な。」


「う、うん・・・ありがとう・・・。」


「いや、俺も上司だからって、何も言えなくてごめん・・・。」


中村は謝罪した。


今回、二人のやり取り一番近くで見ていた彼も、石野の言動には思うところがあったのだろう。


「お兄さん、良いところあるじゃない。」


「これからの男は、ちゃんとフォローが出来ないとね。」


「あんた、このお姉さんのこと守ってやりなよ。」


「はい。じゃぁ、瀧澤お先に。」


中村は走って石野を追っていった。

瀧澤は、中村の背を見送り、大将と小母さん達にもう一度礼を言って、冷めつつある蕎麦をもう一度啜った。




「それが、今エレベーターになっている辺りにあったんですね。」


「そうなの。」


あれから月日は流れ、瀧澤にも後輩が出来た。

今日は、その後輩と研修の帰り電車の中で、駅蕎麦屋の話をしたのだ。


「私が、転勤になっている間に、駅が改装されて、駅蕎麦屋も撤去されちゃって・・・。」


「じゃぁ、食べられなかったんですか?」


「知っていたら、絶対食べに来たんだけどね・・・。」


「あれ?でも、中村課長なら知っていたんじゃ・・・。」


「中村君、いえ、課長はその時、海外出張で半年日本にいなかったのよ。だから、帰って来た彼から連絡貰って、蕎麦屋が撤去されたことを知ったの。」


「うわ~タイミング悪かったですね。」


「えぇ・・・転勤で知らない土地に行く時も送り出してくれたから、来たかったんだけどね・・・。」


何度も思った。

無くなってしまう前に知っていたら、有休をとり新幹線や飛行機を使ってでも帰省して食べに来ていたと。

「瀧澤先輩、また駅そば食べたいですか?」


「それはそうよ。あの味は、忘れられないもの・・・。」


「じゃぁ、私が学生の時に使っていた駅に駅蕎麦屋が入っているんです。

そこに今度行きませんか?同じお店じゃないですけど、大将がすっごく気持ちの良い人なんです。」


「そうなの?じゃぁ、今度皆で行きましょう。」


「やったぁ~!」


「ご馳走になりますっ!」


「あら?奢るなんて言ってないわよ?」


「えぇ~いいじゃないですか~!」


「瀧澤先輩、後生ですから~。」


「あぁ、はいはい。分かったわよ。」


「「「イエーイっ!!」」」


『奢り』ということで燥ぐ後輩達を見て、瀧澤は笑った。


あの時、大将達がいなければ、会社を辞めていたかもしれないからだ。


石野は直属の上司であったから、逆らうなんて考えてもいなかったから。


だからこそ、あの時助けてくれた大将達には、足を向けて眠れない。


今があるのは、大将達とあの日の蕎麦のおかげなのだ。


「瀧澤先輩、今度の金曜日で良いですか?」


「そうね・・・。」


嬉しそうに尋ねてくる後輩達。


その姿を見た瀧澤の鼻には、あの時の蕎麦と上に乗った天ぷらの匂いが漂ってくるようだった。




読んでいただき、ありがとうございました。

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