第53話
九州場所が終わって1週間後。
プロヴァンスでカランコロンと入り口のベルが鳴ると、柚は笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませー!」
するとそこに現れたのは和人だった。関取になり若潮を襲名してからの初めての来店だ。後ろには和人の付け人たちが3人並んでおり、その姿はさながら小さな行列のように見えた。
「柚ちゃん、こんにちは」
「和人くん!いらっしゃい!」
和人がにっこり微笑むと、柚はさっと周りに目を向けて付け人の3人に向けて声をかけた。
「みなさんもいらっしゃいませ!お待ちしておりました!」
付け人の一人、谷川が店内を見回しながら感心して言う。
「若潮関、いい店ですね。とても落ち着きます」
葉山も頷きながら続ける。
「若潮関、たまにはこういうところでゆっくりするのもいいですね」
和人は照れくさそうに笑い、続けて話し出した。
「ここ1週間、いろんなところに顔を出しててね。おかげでずっと忙しくて、やっとほっと一息つけるよ」
付け人たちは和人のためにすぐ席を整え始めた。兄弟子である加瀬も、和人の隣の席を整えながら尋ねた。
「若潮関、こちらの席はいかがですか?」
和人は少し困惑した表情を見せながら、先輩力士に気を使うように軽くうなずいた。親方の指示で加瀬も和人の付け人になったとはいえ、やはり少しやりにくいようだ。
「そ、そうだね。ここにしようか」
その様子を見ていた柚が和やかに笑いかけた。
「ふふ、和人くん、本当にたいへんそう。それで、今日は何にする?」
和人はメニューを眺めるふりをしながらすぐに答えた。
「俺は椿さんのナポリタンとカプチーノを頼むよ」
付け人たちもそれぞれに注文を決めていた。
「僕たちはアイスコーヒーを3つお願いします」
柚はにっこりと微笑みながらオーダーを確認した。
「はーい!ナポリタンとカプチーノ、アイスコーヒーを3つですね!」
「うん。久しぶりの椿さんのナポリタン、楽しみにしてたんだ」
柚はじつに嬉しそうに笑顔を見せ、和人はリラックスした様子で表情を和らげた。柚と3人の付け人たちには、プロヴァンスの落ち着いた雰囲気が和人の緊張と疲れを少しずつ溶かしていくように感じられた。
和人が柚と椿を見つめながら静かに言った。
「今日は柚ちゃんと椿さんにも頼みがあって来たんだ」
柚が驚いて目を丸くする。
「え?頼みって?」
和人は少し照れくさそうにしながら、しかし真剣な表情で話を続けた。
「こんどの金曜日、墨田特別支援学校の体験授業に潮見部屋のみんなで行くことになったんだ」
「え!それは素敵なことだね!支援学校に通う子どもたちのための授業ってこと?」
「そう。俺たちが体育の時間に行って、校庭で相撲を取ったりドッジボールしたりして交流するんだ」
椿も興味深そうに和人を見つめながら微笑む。
「それはきっと、子どもたちも大喜びよ」
「うん。それで運動の後に食べる料理をプロヴァンスでお願いできないかなって。あったかいお茶も一緒に。椿さんと柚ちゃんに協力してもらえたらみんな喜ぶと思うんだ」
柚は目を輝かせ、頷いた。
「もちろん!それなら喜んでやらせてもらうよ!」
「私たちに任せてちょうだい。みんなのために80人分くらいかしら?」
和人は頷いた。感謝の気持ちで満面の笑みを浮かべて答える。
「はい、ちょうどそのくらいで。東京都から謝礼が出るみたいだから、そこは心配しないで」
柚もすぐに頷き、気合いを入れるように握りこぶしを作った。
「それならはりきって準備するね!子どもたちが楽しい時間を過ごせるように、私たちも一緒に頑張る!」
椿もじつに意欲的で、和人に向かって左手の親指を立てた。
「任せてちょうだい!特別なお弁当とお茶を用意するから!」
和人はほっとしたように微笑んでから、あらためて二人に頭を下げた。
「ありがとう、柚ちゃん、椿さん。体験授業の日までよろしくお願いします」




