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ゼロの境界線  作者: 陽無陰
第三章 超越者
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3-1 進化の軌跡

 ソフィアは朝の訪れとともに目を覚ますが、それは常ならぬ朝の目覚めであった。

 常ならぬ朝の目覚めの原因は、自分とは異なる熱源が彼女を覆っている事に他ならない。


「(……重い)」


 その異なる熱源はソフィアの身体に圧し掛かっているため、彼女に負担をかけている。圧し掛かっている誰かを横目で確認すると、親友であるフィレスティナが寝息を立てている。

 ソフィアは先程の感想を声に出さなくて良かったと安堵した。もし、フィレスティナが目を覚まし、ソフィアの感想を聞いていたらどのような目に遭っていたかは想像もしたくないのだ。きっと、自分が憔悴するまで嫌味を言い続けるのは間違いないからだ。

 寝惚けた頭で状況を確認すると、ベットにはフィレスティナのみならず他の三人まで眠りこけている。


「(……あ、そうか……昨日は……)」


 ソフィアは昨夜の事を思い出し、身体の芯に熱が灯る。

 昨夜、彼女はレイムと関係を深めるために閨を共にする事を決意するのだが、それを彼に言い出す事ができずに頓挫しそうになった。

 だが、それを見かねたフィレスティナがソフィアの代わりに陳ずることで実現する形となった。――フィレスティナも含む他の三人も一緒という形で。

 何があったかは、ベットで眠りこけている全員が一糸纏わぬ姿であることから推して量るべしである。

 ソフィアは枕にしている腕の持ち主をじっと見つめる。

 これは、彼女が夢見、そしてかつて諦めていた光景である。

 フィレスティナの具申もあって当番制になったことから、彼女は定期的にこの光景を拝めるようになったのだ。

 ソフィアは、その事実を、その幸福を噛み締める。


 かつて、朝とは絶望の象徴であった。

 眠りに就く前は目が覚めると悪夢から目覚める事を夢見、朝の目覚めと共に悪夢から覚める事がないのだと絶望する。

 いつ覚めるか分からない絶望の中、震える身体を抱きしめながらひたすらに耐える日々。心が死滅していく事を自覚しながらもどうすることもできない諦観の日々。自分の人生はなんだったのだろうと、自問しながらただ生きるだけの日々。

 その日々は、唐突に終わりを告げる事となる。

 それも、自分が渇望していた相手によって。


 昨日、司令部から通達書が届き、新技術の試験役に選ばれた事が通達された。本人の意思確認が必要とされていたが、実質的には強制に等しい。場合によっては、強制的に新部隊の解散の可能性があるからだ。

 脅迫にも似たそれに、彼女はイエスと返した。一瞬の躊躇いもなく。

 彼女は世界を救う機関である『黄金の夜明け』に所属する事になったのだが、本人の意志というよりも、流されて所属する事になった方が正しい。

 超越者になる者は、自分の意志でなろうとする者が半数だが、もう半数は現象災害後の混乱で住処や両親を失くし、帰るべき場所を失くしてしまった子供達である。   

 超越者は、その性質上大人よりも子供の方が優れた力を有するのが通説であり、その性能を向上させるために人間伐採の混乱の下で数多くの子供達が誘拐された。ソフィアもその一人であり、彼女が現存する超越者の中でも有数の力を有する事になったのは、その実験が上手くいったからである。数多くの子供達の失敗の末に。

 ソフィアがいたリスクを度外視し、性能だけをひたすらに求め続けた実験施設に比べれば、『黄金の夜明け』の実験は何と安全な事か。否、その過去の事例があったからこそ、人々はここまで慎重になっているのだ。

 此度の実験は、世界樹制圧のためには必要不可欠な実験だという。ならば、彼女は生き残るためにその実験に否を唱えることはない。

 彼女は少しでも長く生きたいのだ。明日が来る事が楽しみな朝を一日でも迎えたいから。

 しかし、それでも彼女は死を恐れない。

 なぜなら、絶望のまま死ぬのではなく、希望を抱いたまま死ねるのだから。

 彼女はこの朝をいつまでも記憶に残す事になるだろう。

 例え、今日死ぬ事になろうとも、この記憶があれば後悔はない。


「(だから……)」


 彼女はその心地良い温もりを抱えたまま再度眠りに就く事にした。


   * * *


 ソフィアが袖を通すのは、いつも着ていた深緑を基調とし、袖などの服の裾に金線が施されている折襟型の『黄金の夜明け』の制服ではなく、黒を基調とし、袖などの服の裾に銀線が施され、胸上部に銀の刺繍が織り込まれている『銀の星』の隊服に袖を通している。

 そして、『銀の星』に所属している事を示すために、いくつもの円が重なりあっている幾何学模様の上に五芒星が乗っている紋章を左の胸部に装着し、その傘下を示すために三日月に寄り添っている六芒聖の紋章を同じく左の胸部に装着している。

 世界樹制圧に参加する部隊は、それぞれ独自の制服を着用し、その所属を示す紋章をつける事を義務付けられている。紋章には、身分証明の仕掛けが施されており、紋章に本人の質料を流し込むことで独自の反応があるのだ。

『銀の星』傘下部隊『赤金の月』隊長――それが、今のソフィアの身分となる。



 ソフィア達は本日新技術の試験役として抜擢され、わずかな緊張と共にその講習を受けているのだが、そこには若干の驚きがいくつかあった。

 レイム達三人が今回の実験に見合わせているが、そこは一応問題ない。宿舎の警備はいいのかと疑問があったが、《原点移動》を応用すれば宿舎から離れていても警備は可能という答えにより疑問が解消される事となる。

 レイムがワンダの着ぐるみを着込み、車椅子に乗っている事は、外出時にはいつもの事という回答があり、これも必要があれば話すとの事なので驚きの度合いとしては最も低い。

 次に驚きの度合いが高いのは、アストリアの変わり果てた姿である。彼女の記憶にあるアストリアは、無愛想だが英明な美人であった。

 だが、今の彼女は浮浪者の如くみすぼらしい格好であり、悪夢に出てくる幽鬼といった方が適切である。

 そして、最も驚きの度合いが高かったのは、新技術の事である。


「今回開発された技術の概要を説明させてもらうわ。開発された技術名は『進化の軌跡(アイオーン)』。超越者の位階を上げる事を目的とした技術よ。これによりあなた達を変容活動レベルⅩの超越者《自己自身者(イプシシマス)》にします。質問は疑問が生じる度に随時受け付けるわ。疑問があればどんどんしてきなさい。敬語も不要よ」


「では、早速お聞きします。現状の確認をするためにあえてお聞きしますが、私達の今の位階《魔術師》では戦力不足なのでしょうか?」


 最初に質問の手を上げたのは、フィレスティナ。彼女は自分の力を自負しているだけに、現象獣との戦力差を気に掛けたのだ。


「全くの戦力不足ね。はっきり言ってしまえば、現象獣にあなた達《魔術師》級の超越者をいくら集めても勝利できるか怪しいものだわ。あなた達も位階毎に程度の差はあれど、位階が一つ違えば戦力が隔絶する事は十分承知の上でしょう? 現象獣の位階は《自己自身者》。それも一つの世界を構成するには充分な質料を保持しているわ。いわば、象に対し蟻が群がるのと一緒ね。蟻と一緒で、象に対して数を揃えてようやく勝機が見えるといった現状なのよ。それも最低でも《魔術師》級の超越者を揃えてね」


「なるほど、わかりました」


 殊勝に頷いて見せるが、フィレスティナの内心は絶望に満ちていた。無表情を貫いてみせているが、ふとした瞬間にはその無表情が崩れてしまうほどに。


「えと、それで『進化の軌跡』を使用して《自己自身者》になるのはいいんですけど、具体的にはどのような具合なのでしょうか?」


「あなた達も《魔術師》なら次元移動はできるわよね? あれと似ているからそれを踏まえて説明するわね。次元移動をする際、《原点移動》で身体から切り離した形相、移動する目安となる目標物、もしくは自身を中心とした次元移動するわよね? それは、次元移動するには確固とした座標が必要だという事。自身を中心とする場合、大抵はメートル単位で移動するだけでセンチ単位まで細かく指定はしないわ。それは、次元移動する際に必要とする亜空間内では座標が定めることができず、始動地点である次元と同じ次元でしか終着地点を定めることができないため」


 アストリアはソフィア達が分かりやすいように例を用いる。


「例えば、ボールを地面のある地点に投げ入れる際、輪っかなどの地点を示す目標物があれば投げ入れやすいわ。でも、その際のボールの軌道はどうでもいいの。放物線でも、直線でも、あるいは空高く投げたとしても、その地点に投げ入れることができればいいのよ。次元移動もそれと同じ要領で、ボールの軌道――つまり亜空間内での移動はこちらでは指定できない。でも、ボールを投げる場所、そしてボールを投げ入れる場所はこちらが指定できる」


 アストリアは一息入れ、ソフィア達が話に付いてきているかを確認する。

 ソフィア達も次元移動をする際の理屈を理解しているためか、悩んでいる様子は見られない。


「『進化の軌跡』も要領はそれと同じよ。『進化の軌跡』で終着地点である《自己自身者》までの軌跡を定めるから、《魔術師》であるあなた達はその足取りを追うだけでいいの。いうなれば、解答までの工程はこちらが答えるから、あなた達は解答を見るだけでいいといった状態ね」


「『進化の軌跡』の理屈については分かりましたけど、その肝心の《自己自身者》とはどのようなものなのでしょうか?」


 ソフィアが知る限り、《自己自身者》はこれまで公式では確認されていない。だが、《自己自身者》という行き先が見えている以上、そこには既に《自己自身者》が存在しているのではないかと考えたのだ。


「『黄金の夜明け』が確認し、尚且つ現在所有している《自己自身者》はそこにいる三人だけよ」


 アストリアが指差した先には、レイム達がいた。

 ソフィア達には驚きはない。推測が確信に変わっただけである。


「《自己自身者》には、四つのパターンがあるわ。《自己自身者》といっても、《魔術師》で培った基礎の延長上にある応用なのだから想像はしやすいと思うけどね。そのパターンとは、自己展開型、事象展開型、空間展開型、そして特殊展開型。計四つのいずれかに超越者は分類されるわ。どれに分類されるかは、その超越者の適性次第。そして、これの完成をもって超越者は完全態となれる」


「その完全態とは変容活動レベルⅩとは異なるのですか?」


「いいえ、あくまでこれ以上の変容活動はないという意味で、私達はそれを完全態と呼んでいるわ。いうなれば、九分咲きが満開になったという程度の話よ」


「なるほど。では、パターンの詳細について教えて貰えますか?」


「いいわよ。このパターンというのは、変容活動レベルⅨ《変化》の活動の仕方を仕分けしたものなの」


 変容活動レベルⅨ《変化》とは、これまであくまで面でしか表す事ができなかった形相を形状変化、性質変化と異なる状態へと変化させることである。形状変化は特筆すべき事はない。その名の通り、形相の形を変化させ、円や鋭角といった形へと変え、他の事象に及ぼす影響を変化させるのだ。

 対して、性質変化こそが変容活動レベルⅨ《変化》の真骨頂といえよう。

 例えば、炎、水、雷といった現象へと変化させたり、振動、吸収といった作用へと変化させるのだ。

 ここで、一つ注意事項がある。

 形相は《変化》により様々な事象へと変化するのだが、あくまでそれはそういった性質を持つだけである。

 例えば、形相を炎に変化させたとする。紙を一枚その形相の炎で燃やすとすると、炎の形相はその紙を形相を発動させている間だけ燃やし続けるのだ。実際に、炎を出現させているわけではない。形相の炎は酸素を燃焼させ、二酸化炭素を排出しない。ただ燃えるという事象を展開するだけなのだ。その空間に、実際に炎があったらどうなるかという事象を仮想展開しているのだ。だから、森の中で炎の形相をもって一つの木を燃やしたとしても、その形相を拡大させなければ他の木へ燃え移る事などしないのだ。


「まず、自己展開型なんだけど、これは形相を自分を中心に発動させる事の方が得意な人間がなりやすいわ。つまり、《拡大》を得意とする人間がなりやすい。その際には、形相を武器化したり、形相により自己の肉体を変貌させる事になる。要は、自己改変型が自己展開型の特徴というわけ」


 アストリアは二本の指を立てる。


「次に、事象展開型なのだけど、これは自己展開型とは逆に、自分から切り離した形相を操る事の方が得意な人間がなりやすいわ。炎や雷などの物理現象を操る事が主体となるわね。これは、《再設定》を主体とする人間がなりやすい。つまり、他者改変型が事象展開型の特徴ね」


 三つ目である事を示すために三本の指を立てる。


「次に空間展開型なんだけど、先の二つの中間だといえるわ。自己展開型が自分、事象展開型が他者を改変するなら、空間展開型は空間を改変する事になる。自己展開型も事象展開型も形相の中心に近いほど効果を発揮しやすいわ。でも、空間展開型は中心点より離れていても性能を落とす事はない。だから、《象限》及び《重複》が得意な人間がなりやすい。つまり、対象物そのものに干渉するのではなく、その周囲の空間に干渉するわけ」


 最後という事で四本目を立てるかと思いきや、アストリアは手を下ろした。


「最後に、特殊展開型なんだけど、これに関しては無視していいわ。これは他の三パターンでは分類しにくい。または、いずれも偏ることなく展開している場合にだけ特殊展開型と区別しているの。だから、ほとんどの場合は自己展開型、事象展開型、空間展開型のいずれかに分類されるわ。この三パターンに優劣はない。これは、超越者がどれを得意とするかで変化するだけだから」


「あの、参考程度なんですけど、レイム達はどれに分類されるのでしょうか?」


 このソフィアの質問には、これまで答えを返してきたアストリアも口を閉ざした。


「レイム達に関しては、機密事項だから答えることはできないわ。でも、あなた達はいずれ知る事になるだろうからその時に教えてもらいなさい」


「では、『進化の軌跡』を使用するにあたり、何か注意事項はありますでしょうか?」


「あるわ。これは、四パターンに分類された理由を含めて説明するのだけど、『進化の軌跡』は本来あなた達が辿る筈だった軌跡を無理やりこちらが指定しているの。だから、本来なら無制限である筈の時間に制限が施され、それを超えると使用者に悪影響を及ぼすわ」


「どうなるのでしょうか?」


「――『世界の眷属(アルカナ)』に変異するわ」


 アストリアから放たれた『世界の眷属』という言葉に、二人は息を呑む。

『世界の眷属』とは、超越者が体内にある質料を制御できずにいることから身体を侵蝕され、ただ周囲にあるものを無差別に壊すだけの暴走体になった状態を示す。

 大人、子供いずれの超越者にしろ、死因の大半となったのがこの『世界の眷属』になってしまい、処分されてしまった事にある。


「『世界の眷属』とは、有り余る質料を制御できない場合に引き起こされるの。『進化の軌跡』は、一時的にとはいえ、使用者が制御できない量の質量をその身に宿す事となるわ。だから、『世界の眷属』になってしまう可能性が出てしまうのよ。でも、一つだけ誤解しないでほしいのが、『完全態』と『世界の眷属』は表裏一体なのよ。制御に成功したのが前者で、制御に失敗したのが後者なだけよ。さて、講習はこれでおしまい。質問があれば受け付けるわ」


 質問の手が二人から上がらなかった事で、アストリアは二人に最後の質問をする事にした。


「最後に、もう一つだけ聞くわ。この講習を受け、自分には無理だと判断したなら、命が惜しいと思うならあなた達での『進化の軌跡』の試用は控えるわ。選択権はあなた達にあります。ああ、ちなみにいっておくけど、別にこれを断ったからといって特に罰則はないわ。部隊も問題なく設立される。デメリットといえば、精々他の被験者がこれを受けて失敗した場合のあなた達の心痛、もしくは戦力不足による世界樹制圧の失敗ね。ああ、後者は本部で待機のあなた達には関係ないか。さて、どうするの?」


「――受けます」


 アストリアの問いに、ソフィアは一瞬の迷いもなく承諾する。


「そうですね。これが必要なら、どんなにリスクがあろうと受けましょう」


 ソフィアに続き、フィレスティナも承諾する。


「良い瞳ね。意志が強い子は好きよ。それがどんな意志だろうとね。自分を強く持ちなさい。それが制御に繋がるわ。臆病者達に、女は度胸だと示して見せなさい」


『――はい』


 二人は強い意志を瞳に宿し、困難な壁へと毅然と立ち向かった。




『進化の軌跡』の実験を行う部屋の観測室の控室の扉が荒々しく開かれる。荒々しく開いた張本人――レゼル=クオーツは、怒りを露わにしてミトラに詰め寄った。


「ミトラ、どういうことだ? ソフィアは何故危険な実験に参加する事になっているんだ!?」


「落ち着いて頂けませんか? 貴方がその状態では私も説明がしにくい」


 声を荒げているレゼルに対し、ミトラは冷静沈着そのものであり、ミトラに感化されるように怒りで我を見失っていたレゼルも落ち着きを取り戻す。


「すまない。それで、どうして実験を受けることになったんだ?」


「事の次第によっては縊り殺しますよ?」


 にっこり笑って殺意を零すノーラに、大の男二人は委縮する。


「まぁ、ハーブティーでもどうだい?」


 ミトラは二人へのもてなしと精神の平静も含めて、二人にハーブティーを差し出す。

 二人は感謝の言葉を告げると、ミトラに話の続きを促す。


「今回彼女に付き合ってもらう実験は、戦力不足が懸念されているため、それを解消するために一時的に位階を上げる代物なのです。これの成否により、制圧の成功確率が上昇する事は理解して頂けますね?」


「……ああ。しかし、何故ソフィアが?」


「彼女達以外に適任者がいないからですよ。他の《魔術師》は、『黄金の夜明け』に所属しているというよりも、スポンサーとなっている企業に所属している面が強い。安全が保障されていない以上、実験に付き合ってもらえる可能性は低い。ですから、唯一その束縛から逃れている彼女達に今回の実験に付き合ってもらう事にしたのですよ」


「しかし、それなら――」


 続く言葉はレゼルから飛び出さなかった。自分が放とうとした言葉は、ひどく自分勝手な言葉だと自覚してしまったからだ。

 レゼルから放たれようとした言葉を、ミトラは間違いもなく拾い上げる。


「ええ。危険な実験であれば、本来ならレイム達で安全性を実証するのですが、残念な事に彼らでは意味がないのですよ。今回の実験は、あくまで下位の位階にいる者を上位の位階へと引き上げるというもの。既に最上位階にいる彼らでは、効果を実証できない」


 何の感情も挿む事無く淡々と我が子らを実験に使うと嘯くミトラに、レゼル達はそら恐ろしさを感じる。同じ親として憤るところであるが、彼の立場を慮ってしまうだけに糾弾の言葉は口から出ない。

 自分の子供と他人の子供、どちらを犠牲にすべきか選ぶ時、彼では決定の言葉は口から出ない。これが自分と子供であれば、自分と答えるのだが、先の問いでは答えられないのだ。

 事の是非はこの際どちらでもよい。ただ、ミトラは他人の子供ではなく、自分の子供を犠牲にする事にした。悲しい事に、それだけである。


「碌な死に方をしないだろうな」


「別にかまいませんよ。それで世界が救われるなら、私は惨殺されようが喜んで断罪されましょう」


 ミトラの何ら気負いのないその笑顔に、レゼル達の背筋はぞっと凍った。


「ああ、それと安心してください。ソフィアはレイムがいる限り安全といえるでしょう」


 ミトラが欺瞞しているようには見えない。

 そして、レゼル達には、彼の言葉を信用するに値するある噂を耳にしている。


「それは――――――――だからか?」


「ええ。機密事項に属している事ですから、貴方方の胸に秘めておいてください」


 世界が滅亡の危機にも関わらず、一つになって協力体制にならず、各々が勝手に行動できるのは、レイムがいるからである。

 彼のおかげ、いや、彼のせいともいうべきだろうか、彼の存在が世界が纏まらない要因となっているのだ。


「しかし、それなら秘密にするのではなく、公表すべき事ではないか?」


「いえ、それはすべきではないと決定されました。レイムも了承しています。もし、この事が公表されれば、制圧の際に命が軽く見られてしまう。その事は避けねばなりません」


「それはそうだが……」


 レゼル達は納得していない事を示すように顔を顰めている。それだけレイムの扱いが厄介だという事である。

 だが、彼らの葛藤さえもミトラ達が交した議論の内にすぎない。


「心中察します。ですが、彼の能力にも限界はあるのですよ。制圧が進むにつれ、彼の容量は上がると予想されますが、それでも彼の負担は制圧に参加する誰よりも大きい。何があっても彼だけは守らなければならない。もし、公表され、人々が理性をもって行動してくれれば彼の負担は秘密時と変わらなくなる。ですが、上に立つ者は、人の善意よりも悪意を前提として行動しなくてはならないと思っています。私達は最悪のケースを避けねばならない。彼の能力以上の事態が来る事を避けねばならない」


 ミトラは憂いた顔を見せるが、彼が憂いているのは、何に対してか。


「彼の能力の厄介な所は、世界樹制圧時にもそうだが、日常においてもその効力を十分に発揮できてしまう所です。だからこそ、何処かで制限を設けなくてはならない。日常での負担が、肝心の非常時に負担となってはいけないのですよ。だからこそ、彼の能力は秘密にしなくてはならない」


 そう言われてしまえば、レゼル達には反論できない。確かにミトラの言い分は理屈に合い、万が一の事態が想定できてしまうだけに口を閉じざるをえないのだ。


「だから、娘が『銀の星』に入団する事を反対しなかったのか。万が一の時、彼を守るために」


「ええ、彼さえ無事であれば、失敗はありえません」


「あの子にとっては、本望でしょうね」


 ノーラは重苦しい息を吐き、精神を落ち着かせようとする。


「そうですね。ですから、ソフィアについては御安心ください。彼女の身の安全は保証しますし、今後は実験に付き合う事もないでしょうから」


 ミトラが明るげに二人に声をかけるが、二人の重苦しい雰囲気は払拭できなかった。


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