第32話「動かぬ誇りが、歩いた日」
十メートルの黒い影が、丘に向かってくる。
一歩ごとに地面が陥没する。黒い靄が足元から広がって、踏まれた草が枯れていく。
近づくだけで空気が重くなる。息ができない——息はしてないけど、箱全体が圧迫されてる。
「タカラ、あれどうする」
ガルドの声にいつもの余裕がない。
〝全員でやる 一匹ずつは無理だ〟
「だろうな」
ガルドが叫んだ。
「全軍、あの黒いのに集中! 全部ぶつけろ!」
◇
ウォーウルフが先に動いた。
ガウルが吠える。
「全員、足を狙え! 止めろ!」
十八匹の銀色の狼が、黒い影の四本の足に突撃した。
噛みつく。爪を立てる。
——すり抜けた。
牙が靄を通り抜ける。実体がない。
「ガウッ……! 噛めない! 靄だ!」
物理攻撃が効かない。靄の体には触れない。
じゃあ、魔法だ。
パカンッ!
〝ファイアランス〟!
赤い光の槍が黒い影の胴体に突き刺さった。
——貫通した。穴が開いた。
でも、すぐに靄が塞がった。穴が埋まって、再生する。
パカンッ! パカンッ!
〝フロストエッジ! 白い光弾!〟
氷の刃が足元を凍らせた。光弾が胸に直撃した。
効いてる——けど、すぐ戻る。
攻撃するそばから再生してる。キリがない。
レグナが飛び込んだ。
蒼い拳——黒い影の脚に叩き込む。
ドゴンッ!
蒼い炎が靄を焼いた。ここだけは再生しない。レグナの炎は残響に効く。
でも——脚一本焼いても、残り三本で歩いてくる。
しかもレグナが離れた瞬間、焼いたはずの脚がじわじわ戻り始めてる。
「くそ……再生が速い。我の炎でも、焼ききれん……!」
レグナの蒼い炎が弱まってる。魂が不完全なせいで、全力が出せない。
黒い影が——首を振った。
それだけで。
衝撃波が走った。
全員が吹き飛んだ。
ガルドが地面を転がった。ガウルが木に叩きつけられた。ホブゴブリンが何匹も倒れた。
首を振っただけで——これか。
アイがぷるんと飛び出して、倒れた仲間のそばに行く。翠色の回復光が広がる。治癒は間に合ってるけど、攻撃が止まらない。
黒い影がもう一歩、丘に近づいた。
あと五歩で、村に届く。
パカンッ! パカンッ! パカンッ!
俺は撃ち続けた。ファイアランス、フロストエッジ、白い光弾、交互に。
全部効いてる。でも、全部再生される。
足りない。火力が足りない。
再生速度を超えるダメージを一気に叩き込まないと、こいつは止まらない。
でもそんな火力、今の俺には——
◇
そのとき。
地面が揺れた。
黒い影の足じゃない。別の方向から。
北の森から。
ずしん。
ずしん。
ずしん。
足音だ。すごく重い足音だ。
森の木々が——揺れてる。押しのけられてる。
何かがこっちに向かってきてる。でかいやつ。
黒い影よりも——でかい。
森の際から——根が出てきた。
太い根。地面を掴みながら、一歩ずつ前に進んでる。
根の上に——幹。
二十メートルの巨木。
グラドルだ。
歩いてる。
何百年も根を張って動かなかったあの巨木が——自分の根で、地面を踏んで、歩いてる。
一歩ごとに地面が震えてる。黒い影の足音より重い。
全員が見上げた。
ガルドが呆然と言った。
「……あいつ、動いてる……」
グラドルの巨大な顔が——黒い影を睨んでいる。
口が開いた。
「——やかましい」
声が森中に響いた。
「何百年も静かに根を張っておったのに、おまえのせいで我が子らが暴れた。我の森が荒れた。我の隣に住み着いた小さな奴らが、危ない目に遭っておる」
小さな奴ら——俺たちのことか。
「動かぬのが誇りだと言った。それは……嘘ではない」
グラドルの根が、一歩前に出た。
「だが——守るために動くことも、誇りだ」
もう一歩。
黒い影と、グラドルが正面からぶつかろうとしてる。
二十メートルの巨木と、十メートルの黒い影。
「宝箱!」
グラドルが俺を呼んだ。
「封印を解け! 我の封印を!」
——来た。
ズズズッ!
全力でグラドルの根元に向かう。
こつん——じゃない。根がでかすぎる。箱ごと根に体当たりした。
ごんっ。
〝解封〟発動。
蓋裏が——爆発するように光った。
──────────────────
〝解封〟──▶ 封印解除
対象:エンシェントトレント〈グラドル〉
封印状態:進化封印(極)
検出された本来の姿:
エンシェントトレント → 大樹海
解封を実行しますか?
──────────────────
大樹海。
名前がもう規格外だ。
実行!
◇
グラドルの体が——光に包まれた。
金色の光。でかい、二十メートルの巨木全体が光ってる。
丘の上からでも眩しい。
根が太くなる。幹が太くなる。枝が伸びる。
二十メートルだった体が——三十メートルに。
枝の先から新しい木が生えてくる。枝が幹になり、幹から枝が伸び、その先にまた木が——
グラドル一本が——森になった。
一本の木じゃない。グラドルを中心にした森が、歩いてる。
大樹海。
文字通りの、歩く森だ。
光が収まった。
三十メートルの巨体。周囲に展開した枝と根が、半径五十メートルの〝森〟を形成してる。
グラドルの顔が——変わってた。
皺だらけだった幹に、緑の苔が生き生きと広がってる。枝に葉がびっしり茂ってる。
「…………おお」
グラドルの声が震えた。
「これが……これが、本来の我か……」
根を、一歩前に出した。
地面を踏んだ。しっかりと。何百年ぶりの一歩。
「…………動ける。動けるぞ……!」
枝が揺れた。風じゃない。グラドル自身が震えてるんだ。
彼はその場で泣くかと思った。
でも、泣かなかった
代わりに——黒い影をまっすぐ見据えた。
「話は後だ。まず——おまえを止める」
グラドルの根が——地面に潜った。
地中を走っていく。丘の下を、黒い影の足元まで。
地面の下から——根が噴出した。
何十本もの根が、黒い影の四本の足を絡め取った。
巻きつく。締め上げる。地面に縫い止める。
黒い影が暴れた。靄の体が膨れ上がって根を振りほどこうとする。
でも——グラドルの根は、普通の木の根じゃない。歩行樹海の根だ。何百年分の生命力が詰まってる。
ちぎれない。焼かれない。再生する——グラドル側も再生するんだ。植物だから。
再生する靄と、再生する根。
拮抗してる。
でも——動きは止まった。
黒い影が、その場に縫い止められてる。
「宝箱! 今だ!」
グラドルが叫んだ。
「我が抑えている間に——核を叩け!」
核。
黒い影の中心に——赤黒い光がある。ゴーレムの中にあったのと同じ。でもこっちのほうがずっとでかい。
あれが……残響の核だ。
あれを壊すか——収納するか。
壊す?
いや——収納だ。
魔王の残響だぞ。壊したら何が起きるかわからない。
収納に入れて、閉じ込める。それが一番安全だ。
でも——あの核、でかい。人間の大人くらいのサイズがある。
蓋の開口部より——でかい。
普通に飲み込めない。マリウスの炎球と同じだ。
じゃあ——
〝ガルド! 俺を投げろ!〟
「……やるのか、また」
パカッ(やる)。
ガルドが俺を抱え上げた。
「全員——道を開けろ!」
ホブゴブリンとウォーウルフが左右に散開した。
グラドルの根が黒い影を抑えてる。動けない。
狙うのは——核。
直接ぶつかって、噛みついて、核だけを食う。
「行けッ、タカラ!」
ガルドが——全力で投げた。
宙を飛ぶ金色の宝箱。
黒い靄の中に突っ込んでいく。
靄が冷たい。暗い。何も見えない。
でも——核の位置はわかる。収納が反応してる。赤黒い光が呼んでる。
突っ込む。靄を突き抜ける。
核が目の前にあった。
赤黒く脈打つ光の塊。
中から声が聞こえる。
怒りの声。苦しみの声。何百年分の——
うるさい。
今は黙ってろ。
蓋を——全開。
ガパァンッ!!
噛みついた。
核に食いついた。
でかい。蓋の開口部より核のほうがでかい。全部は入らない。
半分くらい咥えた状態で——収納を発動。
ずるずるずるっ。
核が——俺の中に吸い込まれていく。
でかい。きつい。魔力がごりごり消費されていく。
──────────────────
魔力残量:68% → 51% → 34% → 19%……
──────────────────
やばい。足りない。核がでかすぎて、全部飲み込む前に魔力が尽きる。
途中で止まったらどうなる。半分飲み込んだ状態で止まったら——
「タカラッ!」
声が聞こえた。
リーリアの声だ。
どこだ。
「ここ! わたしは、ここにいるよ!」
靄の中を——走ってきてる。
リーリアが黒い靄の中に飛び込んできた。
馬鹿、来るな、危ない——
リーリアの手が、俺の蓋に触れた。
「私の魔力、使って!」
リーリアの魔力が——流れ込んできた。
あったかい。あの親和性の高い魔力だ。
その時、蓋裏が光った。
──────────────────
外部魔力供給を検出
供給源:人間(巫女)
親和性:極めて高い
魔力残量:19% → 41% → 58% → 72%……
* 収納容量、一時的に拡張されます
──────────────────
容量が——広がった。
リーリアの魔力で、収納空間が膨れ上がってる。
足りる。これなら足りる!
ずるずるずるずるっ!
核を——全部飲み込んだ。
パタン!
蓋が閉まった。
黒い影が——消えた。
核を失った靄が、風に吹かれるように消えていく。
十メートルの巨体が、煙みたいに薄れていった。
…………。
静かになった。
すごく静かだ。
俺は——地面に落ちた。
どすん。
靄が消えたから、支えるものがなくなって落ちた。
「タカラッ!」
ガルドが走ってきた。
「大丈夫か!?」
パカ……。
蓋がめちゃくちゃ重い。魔力がほとんど残ってない。
でも——開いた。
パカッ。
大丈夫。
蓋裏を確認。
──────────────────
魔力残量:8%
〝収納〟── 特殊格納
格納中:
魔王の残響(核)
状態:封じ込め中
* 警告:不安定な魔力体です
* 浄化を推奨します
──────────────────
入ってる。残響の核が、俺の中にいる。
封じ込めてる。暴れてない。今のところは。
浄化を推奨、か。それは——後で考えよう。今は——
リーリアが俺の横に座り込んでる。
息が荒い。魔力をだいぶ持っていかれたんだろう。
「……やった、ね」
パカッ(ああ)。
やった。
グラドルが——三十メートルの巨体を、丘の横に止めた。
エルダーフォレスト。さっきまで動かないと言い張ってた巨木が、根で立ってる。
「……宝箱」
パカッ(なんだ)。
「礼を言う。封印を解いてくれて」
〝解けって言ったのはおまえだろ〟
「……そうだな」
グラドルの巨大な顔が——くしゃっと歪んだ。
木の表面にひび割れが走って、そこから樹液がにじみ出してる。
あれ——泣いてるのか、木が。
樹液が、涙みたいに幹を伝って落ちてる。
「何百年も……動かぬことが誇りだと、自分に言い聞かせていた。本当は……動きたかった。ずっと」
…………。
「ありがとう」
また一人、蓋を開けた。
パカッ。
◇
戦いが終わった。
凶暴化してた魔物たちは、残響の核が消えたことで正気に戻ってる。
ぼーっとした顔でうろうろしてるやつとか、そのまま寝ちゃったやつとか。
死者——はいない。パカラ村側も、襲ってきた魔物側も。
怪我人はいっぱいいるけど、アイが走り回って——ぷるんぷるんして——回復光を撒いてくれてる。
ガルドが丘の上に座って、空を見上げてる。
「……勝ったのか? 勝ったよな?」
勝った。
「実感ねえな……」
わかる。
ガウルがへたり込んでる。尻尾がぺたんとしてる。
「ガウ……つかれた……」
おまえらよく走ったもんな。
レグナが静かに立ってる。蒼い炎がかなり小さくなってる。消耗してるんだ。
「……残響は、おまえの中にいるのだな」
パカッ(ああ)。
「浄化できるのか」
〝まだわからない でも封じ込めてはいる〟
「そうか。……気をつけろ。あれは、王の怒りの欠片だ。甘く見ると——飲まれるぞ」
飲まれる。中から。
……気をつけよう。
チョンが走ってきた。
「タカラー! だいじょうぶー!?」
パカッ(大丈夫だ)。
「レグナもだいじょうぶ!?」
レグナがチョンを見下ろした。
「……我は平気だ」
「よかったー!」
チョンがレグナの脚にしがみついた。
レグナが困惑してる。いつもの光景だ。
サガが杖をついて歩いてきた。グラドルを見上げてる。
「エルダーフォレスト……言い伝えにだけ残っておった名が、目の前におるとは……」
グラドルがサガを見下ろした。
「小さいの。おまえ、物知りだな」
「ワシは長老種じゃからの」
「ほう。では——我のことも知っておるか」
「名前だけはの。グラドル――森の守り手。何百年も動かなかった巨木」
「動かなかった、ではない。動けなかった、だ。……今日まではな」
グラドルの根が——丘のそばに降ろされた。
根を張る姿勢。
「ここに、根を下ろしてもよいか」
ここ——パカラ村の横に?
〝もちろん〟
「ならば——我も、この村の住人ということになるな」
仲間が、また増えた。
今度は——三十メートルの歩く森が。
パカラ村、でかくなりすぎだろ。
パカッ。
◇
【次回】大戦が終わった翌日。疲れ果てて寝て——起きたら、蓋裏に見たことない表示が出てた。残響の核を収納した影響か、何かが変わり始めてる。俺の体が——箱が——熱い。




