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幸せかと問われれば幸せだった(幕前)



リエと真刀が初めて互いを認識したのは、小学四年生の春だった。

春というだけあって、城の庭の植物が一斉に芽吹く季節、庭師であったリーエの父は日が出ている間は外庭の世話にかかりきりで、昼間手が回らない温室の植物の世話を夜するような状態だった。当然、父以外に保護者がいないリエも一緒についてきていた。

城の温室は、ガラス張りのドームになっていて、観賞用、というのがぴったりとくる建物だった。ガラスには細い銀色の装飾が施され、それだけでも美しかったのに、中の植物が透けている様はまさに芸術のようだった。このとき、王族の血を引いているさる貴婦人が特にこの庭を気に入っていて、リエの父はこの温室の世話を特に念入りにしていた。たまに顔を見せる彼女に、嬉しそうに植物の様子を話す父の姿を覚えている。

学校が終わったら城に入れてもらい、父と合流する常。とはいえ、宿題を終わらせたあとはなにをすることもない。あまり活発ではなかったリエだが、このときばかりは退屈が勝っていた。例の女性が温室にきていてことも原因だった。彼女はリエなんぞには見向きもしない人だったし、父も彼女に夢中になってしまうので、温室にリエの居場所はなかったのだ。

とりあえず、温室の外に出てゆっくりと庭を散策することにした。丁度満月で、灯りは少ないが、歩くことに問題はなかった。昼間の姿も散々見ている庭なので、迷うこともない。

ただ、城は広大だ。どこになにがあるのか、はっきりしているのは父の活動範囲である庭だけ。庭の種類も様々で、日本庭園もあれば、イギリスのようなバラ園、迷路もある。中には鑑賞を第一にしたシザーハンスの庭もあったりするので、退屈はしない。

とりあえず、相当な距離はあるが順々に廻ることにした。女性は温室に一度くると二時間三時間はのんびりと過ごすので、時間はたっぷりある。

そうして歩いて、日本庭園の池を覗き込んでいるときだった。錦鯉が月光に照らされるさまを見ていると、遠くから小さな舌打ちが聞こえたのだ。

え、と顔を上げる間もなく、目の前の池が高い水柱を上げた。激しい水飛沫が、リエの全身に降り注ぎ、春の夜はまだ寒いのだと思い知らされる。

「くっそ、あのクソジジイ、次はぶっ殺して……」

ざばーっと水が持ち上がったかと思えば、人が現れた。

リエはこのとき、悲鳴を上げることなど考えもつかないほど混乱していたが、その人物はリエを見て一言呟いた。

「おい不審者、殺すぞ」

これが、リエと真刀の出会いである。



「まーとー」

リエは意気揚々と筆記用具を持って日本庭園を訪れた。

今日は日曜日だが、父が城に上がる用がありそのままくっついてきたのだ。

会いたい人がいた。

「リエ」

真刀は剣道着に竹刀を持った姿でリエを出迎えた。

あの衝撃的な出会いから一転、互いに同い年だということ、親が城に仕えていること、たまたま押す真刀と引くリエの性格が合ったことが、意外とはやくふたりの溝を取っ払った。そして、真刀が学校には通わず、祖父と城に住み込み、未来の王族の護衛としてみっちり扱かれていたことも関係している。真刀の祖父である豪六という男が、真刀に年の近い友人を作ってやりたいと常々思っていたらしいことが、ふたりの距離を近づける原因にもなっていた。

「おう、リっちゃん、きたか」

豪六は名の通り剛健な人だった。ちなみに六は、六番目に生まれたからだそうだ。巨大な体躯に禿げ上がった頭、しかし白い髭はもっさりとしていて、まさに師匠、と呼ぶに相応しい風体をしている。真刀の祖父とはいうが、おじいちゃんとは呼べない漲る生気があった。

「真刀、稽古はここまででいい。リッちゃんの相手してやれ」

そう言って豪六は持っていた木刀を下ろす。真刀が竹刀で豪六が何故木刀なのかは、リエは怖くて聞けなかった。

「わかった」

真刀がタオルで汗を拭いながらリエのほうへ歩いてくる。その真っ直ぐな姿勢が、このときのリエにはとてもかっこよく見えていたのだ。

「いいの、真刀」

近付いてきた真刀に問いながら、リエは困ったように豪六を見た。

豪六は既に別の教え子のほうに指導を開始していて、戦線離脱した孫のことには関心も向けていない。

「いい。ジジイがああ言ったら参加させてもらえない」

真刀は代々王族を護衛してきた一族の血筋で、将来、優秀な護衛頭になるために幼い頃から教育されていた。そのため、周囲には年の近い友人もおらず、ただ修行に明け暮れる毎日だったという。とはいえ、真刀はこの頃から真剣に将来のことを見据えており、護衛頭となるため、毎日血を吐くほど努力していた。

リエのいいの、は、真刀に修行を中断させてしまったことに対してだ。真刀はいつも構わないと言うが、何度もこういうことが続くとやはり困ってしまう。

「……真刀、私がこないほうがいいなら、はっきり言って」

真刀のことを頼むと、リエは豪六からお願いされていた。

真刀を育てた環境は、真刀から子供らしさを奪い、感情の起伏が乏しい人格にしてしまった。現役で王族の護衛についている真刀の親代わりとして、豪六はそんな真刀を心配していたのだという。

なにしろこうしろと言われたわけではなかったが、とりあえず普通に接してやってくれと言われていた。豪六のいうリエの普通が、真刀にとっては普通ではないのだな、となんとなく察して友達のように接していたが、それが果たして真刀にどう受け取られているのかがわからない。

この頃には真刀に惹かれていたリエは、それが心配で心配でならなかった。

「……ああ、いや、そういうつもりで言ったんじゃない」

真刀はリエの言葉に考え込むように言葉を紡ぐ。こういうとき、どうすればいいのか、なにを言えばいいのかがまだよくわからないのだろう。

「リエが、今日この時間にくることはわかってた。だから、最初から今日の稽古はあれで打ち止めだったんだ。……それに、今日は一緒に勉強する約束だったろ」

表情はあまり豊かではないが、真刀は優しかった。

接し方がわからないなりに努力してくれていたし、リエもそんな真刀に思ったことをきちんと言葉で伝えるようにしていた。珍しく喧嘩をすればお互いに必ず謝ったし、仲直りしたあとは一層絆が深まったようにも感じた。この頃から真刀はよく笑うようになり、拗ねるようになり、腹を立てたりするという感情がよく見られるようになった。

「リッちゃんのお陰だなあ。真刀はええ具合に子供らしくなった」

日本庭園が望める大きな石の上にリエとふたりで腰掛けながら、豪六は感慨深げにそう洩らした。そう言った豪六が本当に嬉しそうで、リエも嬉しくなってむずむずと照れる。

「でも真刀は、最初から優しかったよ」

一緒に誰かと歩くという経験をしたことのなかった真刀は、リエをよく置いてけぼりにした。しかも気付かない。リエが必死に追いかけていることに気付いた頃には、リエの息はぜえぜえと上がっている。その度に真刀は悪い、ときちんと謝ったし、少しずつ歩調を合わせる努力をしてくれた。段差があるところではリエの手をとってくれたし、歩きにくいところでは、比較的歩きやすいところに誘導してくれた。リエの言葉がうまく出てこないときは黙って待っていてくれたし、寒い日にはマフラーを貸してくれたこともあった。

真刀は、本当に優しかったのだ。

「それは、豪六さんの教育のたまものでしょ」

リエは覚えたばかりの言葉を使ったが、豪六は笑いもせず、やはり嬉しそうに眉尻を下げるのだった。

真刀の前では鬼のように怖い豪六も、リエの前だと穏やかな好々爺の態になる。

こんな顔を、真刀の前でも見せればいいのにとリエは思ったが、真刀は今茶を取りにいっていて不在だ。

リエは真刀がいないのをいいことに、ずっと気に入っていたことを口にした。

「真刀は、一体誰の護衛をすることになるの?」

その質問に、豪六は少し困ったように笑って、まだ子供だったリエの前髪を撫でた。

「リッちゃんは真刀が好きだなあ」

そうして質問の答えとは程遠いものを返してきたが、今思えば、リエの気持ちを思うからこそ、言えなかったのかもしれない。


(真刀は、かわいいお姫様の護衛になる)

それはきっと、真刀とリエが出会う前から決まっていたことなのだろう。

そしてリエは、そんなお姫様のための、練習台だったのだ。

人の機微に鈍い真刀が、女の主を慮れるようになるための、ただの練習台。

歩調を合わせること、段差では手を取ること、歩きにくい場所では歩きやすい場所に誘導してやること、言葉を待つこと、寒い日には、マフラーを巻いてやること……そのすべてが、〝リーエ〟のために行われたことだった。

(……つくづく、利用されるだけされたって感じだな)

それらが全てリーエのために仕組まれたことだったと気付いたときには遅かった。

真刀があの庭で、リーエに一目惚れして恋焦がれ、そうしてリエを見なくなって、リエはようやくそのことに気付いたのだ。

一度だけ、豪六が温室にリエを訪ねてきたことがあった。

とはいえ、救いようのない失恋をした挙句、恋敵のために利用されていたことを悟ったリエに、彼と合わせる顔はなかった。会えば、きっと手酷く罵倒してしまうだろう。だから逃げた。

たとえリエが豪六に利用されていたとしても、豪六が真刀を愛して心配していたのは事実だ。あのやに下がった眉尻を覚えているのに、酷い言葉をかけることなど、弱虫のリエにはできなかった。豪六も、なにも好き好んで利用したわけではないと、自分を慰めるので必死だった。

そうしてすぐに城通いをやめ、父が夜帰らない日も家でひとり過ごすことが増えた。

とはいえ、この頃にはもう既に中学生だったので、父についていく必要もなかったのだが。

ただ、リーエと真刀が共にいるところを見ることだけは避けたかった。

真刀が、リエにしたようにリーエの手をとり、歩調を合わせて歩いている姿なんて、見たくもなかった。

このあとすぐに父も城勤めをやめ、完全に繋がりは絶ったと思っていた。

それでも真刀を忘れられなかったのに、何故いま、二度と見たくないと願った人達と一緒に暮らしているのか。

(おかしなものだな。昔も散々利用されて、今また、リーエの影武者として利用されているなんて、どこまで私は……)

己は生まれたときからずっと不幸だと言い切りたくはないが、少なくとも、今はとんでもなく不幸だった。

(……いいや、鼎は言った。私は、生まれながらにしてリーエの影武者だと)

初めて言われたときは全く意味がわからなかったが、鼎に抱かれるために城に行くことが増えた今、ある仮説がリエの中でできあがっている。

似たような背格好、顔は似ていないが、リーエと同じ赤毛を持つ。

そしてその仮説が本当だとすると、やはり自分は、とんでもなく不幸だ。



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