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 多芸無芸が泥棒を捕まえたその日の夕方。

 

 パル=リミットエンドはある場所を訪れていた。

 彼の住むグラスクラグ王国の王都テンサクスは大陸の西端、南北でいえば南寄りに位置している。

 国の西側を大海、南側を険しい山脈に囲まれた片田舎であり、経済でも政治でも文化でも良くもなく悪くもなくを地で行くのんびりとした雰囲気の国であった。パルとしては故郷のそういう普通の所は割と気に入っているのである。

 王都テンサクスは中央の丘の上に立つ王城を中心として東西南北の四つの区域に分けられる。

 パルがいるのは王城のある丘の東側の中腹である。そこには東側住民が使う墓地があった。

 雲一つない空に真っ赤な夕日がよく映える。

 普段なら掛け値なしに美しいと思えるその景色だが、今は逆にもの悲しさを強める一つの要因となっていた。

 パルは墓地の中を進むと一つの墓の前で立ち止まった。


 コートニー=リミットエンド。


 墓石にはそう刻み付けられている。

 パルは簡単な掃除をすると一つの花束を供えた。来る途中の花屋で適当に買ってきたものだ。

 自分は姉の花の趣味をよく知らない。

 そう気づいたのは彼女が亡くなってからだった。姉のことは何でも知っているつもりだったが、そんな思い上がりはこの一年間に跡形もなく吹き飛ばされてしまった。

 パルは墓石の前に片膝をついて座るといつものように静かに話しかける。彼には祈りの作法などわからない。それが彼なりのやり方だった。

 ナリアの作ったご飯は相変わらず不味くて食べられないとか。

 恩師であるフローラがもうじき帰ってくるとか。

 そんなささやかな話題を取り留めもなくぽつりぽつりと紡いでいく。

 時間が穏やかにすぎていく。パルはこの時間が好きだった。

 たとえくだらないことでも生きている自分が見たこと感じたことを彼女と分かち合う。そうすると昔に戻れたようで。それは彼にとってはとても大切なことだったのだ。

 そして話は今日の泥棒退治にまでたどり着く。これで今回報告すべき話は全て終わった。

 パルは名残惜しそうに墓石に触れる。

「じゃ、姉さん。また来るよ」

 そうつぶやくとゆっくりと立ち上がる。

 背筋を伸ばして、ゆっくりと周囲を見渡す。

 丘の中腹に位置するこの墓地からは東側の街の様子を広く見渡すことができる。

 見慣れた、しかし、美しい光景だ。

 何となくだが、自分の選択は少なくとも間違ってはいないように思えた。

「この国もすっかり平和になったよ。姉さんたちのおかげだ。まっ、グラスクラグは元々そんなに影響があったわけじゃないけど。なんか安心感が違うっていうか」

 ほんの一年前までこの世界は未曽有の脅威に晒されていた。

 その始まりは三年前の魔王の出現に遡る。

 アドムパブス大陸の北端、極寒の不毛地帯である無の荒野(ニヒルム・デセルタ)に突如として出現した魔王。

 魔王は同地域に生息していた魔獣たちを配下に人類に対して戦いを挑んできたのである。

無の荒野(ニヒルム・デセルタ)の南限には険しい山脈が寝そべっており、これまで魔獣たちがその山脈を超えて人間たちの領域へと入ってくることはほとんどなかった。

 それが一度に大挙して南進してくるという前代未聞の事態に人々は困惑し恐怖した。

 強力な魔獣たちの力に人間は容易に抗うことはできず、わずか半年足らずで大陸の北側半分近くが魔王の手に堕ちたのであった。

 その魔王を打倒し平和を取り戻したオプティムスと呼ばれる勇者達。パルの姉、コートニー=リミットエンドはその一人だったのだ。


 誰かを笑顔にするために。


 そう言って笑った彼女の穏やかな表情は今でもパルの脳裏に焼き付いている。

 そして、彼女を見送ることしかできなかった自分の弱さも。

「俺、頑張るから。誰かのために、なんて俺には似合わないかもしれないけど。……もう二度と後悔はしないように」 

 パルはそんな姉の面影に一つの約束をした。

 それはこれからの自分の生き方についての決意表明だった。

 それきり彼は何も言わない。やがて、ふと力を抜いて微笑むとパルは帰路についた。


 ※※※


 男は身を縮めながら固く冷たい床で横になっていた。

 春とはいえ夜が深まればまだ肌寒い。なかなか寝入ることはできそうになかった。

 中肉中背をもう一回り太らせた中年男性――パルが昼間に商店街で拘束した泥棒だ。

 パルから依頼主たちに引き渡された男はさらに最寄りの自警団の詰所に移置されそのままそこの簡易な牢屋に拘束されていた。

 数日中には何らかの処分を受けることになるだろう。彼の罪数の多さを考えればそれが相応の重罰となることは容易に想像できた。

 暗澹たる未来を前にして彼は思う。

 どうしてこんなことに? 

 いつから自分は間違えたのだ? 

 彼がこの稼業に身をやつして実はまだそれほど時は経っていない。

 ほんの数年前まで、彼は北方の小さな村で農業を営んでいた。

 妻と娘とささやかではあるが身の丈に合った幸せな生活を送っていたのだ。

 しかし、そんな生活は突如として終わりを迎える。

 村を魔獣の群れが襲ったためだ。

 男は命からがら逃げのびたものの妻子は命を落とした。

 穏やかで暖かな彼の生活は簡単に――本当に簡単に崩れ去った。

 その日、彼の心中に拭い様のない黒い感情が芽生えた。

 彼から家族を奪った魔獣や魔王。

 彼の不幸をよそに安穏と日々を過ごす周囲の人々。

 自分の家族を守れなかったのに勇者などともてはやされている奴ら。

 その全てが許せなかった。来る日も来る日もやり場のない憎しみに心を焼かれた。

 だから半ば自暴自棄になってこの家業を始めたのだ。

 この世を少しでも壊してやろうと思ったから。

「くだらねぇ」

 しかし大層なのは言葉だけだ。自分にできるのはちっぽけな泥棒の真似事にすぎない。

 彼は忸怩たる思いを短い言葉に込めて吐き出した。

「――こんばんわ。良い夜ですね」

 まるで路上で交わされるような場違いな挨拶の言葉を聞き、彼は驚いて跳ね起きた。

 鉄格子の外へ目を向けると一人の人物が格子越しにこちらを見下ろしている。

 声からすると若い女だろうか。

 全身を黒いローブで覆い奇怪な面を着けている。目の周囲にだけ細い覗き穴のあいた真っ黒な仮面だ。

「あんた、何者だ?」

「私はアーテル。後継者スケッソルの一人です。そう名乗れと言われています」

後継者スケッソル? なんだそりゃ?」

「何って、名前ですよ。我々のね」

「聞いたことねぇな」

 男はにべもなく吐き捨てた。

「その後継者スケッソル様がこんなコソ泥に何の用だ? どうやってここまで入ってきた?」

「入ってくるのに障害などありません。気心の知れた友人の家を訪ねるようなものです」

 彼女はそう言うと顎で自分の背後を指し示す。

 男がつられてそちらに目をやると見張りが倒れているのが目に入った。

 男は息を呑んだ。

 ここには他にも何人か警備の兵が常駐していたはずだ。

 それらを大した騒ぎにもせずに排除して来たのだとすれば、この女は只者ではない。

「普通、友達の家であんな無茶はしないぜ」

 男は背中に冷や汗をかきながら、それでも相手に気取られないように言葉をつなぐ。

「それもそうですね」

 仮面の女は大真面目に頷いた。

「今日こちらを訪ねてきたのは、もちろん貴方に用があったからですよ」

「俺に?」

「正確にはあなたのその憎しみに、です」

 ローブから覗く女の目が怪しく光ったように見えた。

「な、に?」

 憎しみ。

 心の裡を指摘され男の心臓が跳ねる。

「貴方は何かを恨んではいませんか? それを壊したいと願っていませんか?」

 女の問いかけは自分でも不思議になるくらい心の奥底にあっさり届き力強く揺さぶってきた。

「――そうだ」

 自分でも驚くほど素直に男は返事をしていた。

「俺は……壊したい」

 あの日の光景が脳裏を過る。

 燃え盛る村。血の海の真ん中で寄り添うように倒れた妻子の姿が。

「何もなかったかのように笑っている連中の平和を。守れなかったものなんてまるで忘れて得意な顔をしてやがる連中を」

 怨嗟の言葉を発するにつれて男の心が憎悪に支配されていく。

「そうですか」

 女性は満足そうに頷くと

「では、貴方にこれを預けましょう」

 女が格子の隙間から右手を差し出して掌を男に向けて広げて見せる。

「……貴方のその記憶おもいでが力になってくれますように」

 その手にはこの夜の闇をも吸い込んでしまいそうな漆黒の宝石がのっていた。



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